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0〜1日目【7月11日〜12日】 久留米→大阪→富山→宇奈月→立山→富山

地鉄でめぐる富山の平野と別天地


職場から富山へ


▲今回の旅のルート(クリックで拡大)


▲仕事終わり、一気に大阪へ駆け登る

 鉄道を趣味にしていると、ついつい旅は先を急ぎがちになる。○○時の電車に乗れば、△△線を終点まで乗ってこれる。途中の街の印象もそこそこに、バタバタと急ぐことになる。

 これはこれで楽しいのだけど、その街の真価を知るには、夕暮れから朝への時と景色の移り変わりまで見守ってこそ…という考えも持っていた。

 「白川郷と郡上八幡に行きましょうよ。」

 東京出向から、久々に久留米へ一時帰省してた同期に誘われた。かたや世界遺産に選ばれた村、こなた水に恵まれた城下町。僕にとっても処女地で、じっくり泊まって時の移り変わりに身を委ねたい場所である。九州からでも夜行バスさえ使えば、三連休でも二つの街をじっくり楽しむこともできそうだ。さらさらとプランニングを描き、東京に戻った同期に送れば、あっという間に七月の三連休に行くことが決まった。

 ただ、せっかく中部地方まで行くなら、乗っておきたい鉄道路線もいくつかある。どうにか双方、休みをひねり出して、富山の鉄道乗り歩きもくっつけた四日間の旅に再構成をかけた。コースの概略は、以下の通りだ。

【0〜1日目】
久留米⇒大阪⇒(夜行バス)⇒富山

【2日目】
富山⇒(高山本線)⇒高山⇒(バス)⇒白川郷

【3日目】
白川郷⇒(バス)⇒北濃⇒(長良川鉄道)⇒郡上八幡

【4日目】
郡上八幡⇒(長良川鉄道)⇒美濃太田⇒名古屋⇒久留米

 鉄旅としても、周遊観光コースとしても、なかなかよくできた行程だとうぬぼれた。特に三日目など、一日一本のバスを駆使しており、ここを基準にルートが決まったといっても過言ではない。木曜日、いそいそと仕事を終え、まとめておいた荷物を手に久留米駅へと急いだ。

 快速電車で博多駅へと上り、博多駅新幹線コンコースでは駅弁屋で色とりどりの弁当とにらめっこ。結局は、いつものかしわ飯に落ち着くのだが。「ガソリン」も数本仕入れ、新幹線ホームへ上がった。

 新大阪までは、みずほで一気に上る。みずほは四列座席で快適な上に、のぞみよりも停車駅が少なく早いので、山陽区間だけの乗車でもついつい選んでしまう。同じ考えの人も多いとみえ、博多から乗る人も目立った。ただみずほ本来の目的は、山陽沿線と熊本・鹿児島間を最速達で結ぶこと。直通客を締め出さないような対策は必要かもしれない。例えば僕のように、一万円の「スーパー早特」で乗ることには制限を掛けるとか。

 ビジネスマンが目立つ車内だが、夕方の新幹線らしく、弁当を広げる人が多くなごやかな雰囲気である。食堂車とは言わずとも、簡単なビュッフェでもあればもっと豊かな時間になりそうだなと思うが、かなわぬ夢か。政令指定都市のみ停車の韋駄天ランナーは2時間25分で、新大阪に到着。四日前に「こだま」で同じ区間に乗ったばかりなのだが、倍以上の早さだった。

 JR京都線で一駅、淀川を渡り大阪駅へ。大屋根に覆われたホームから、次々に発着して行く電車には、平日のサラリーマンたちが疲れた体を委ねる。「うめきた」方面へは、10時過ぎというのに細い人の流れが。今週日曜日以来、わずか四日ぶりの大阪駅前に立つと、先週の旅の続きという気がしてきた。

 大阪駅北口は高速バスの拠点。発車案内には、各方面への夜行バスがずらりと並ぶ。一時「高速ツアーバス」に押され気味だった高速路線バスだが、関越道の悲劇を期に強まった規制を背景に、盛り返してきているようだ。かつて大阪駅からはあちこちへ向かう夜行列車が旅立っていったものだが、そのほとんどが消えた今、夜の主役はバスである。

 今回利用したのは、国鉄バス伝統の「つばめマーク」を掲げたJRバスの、北陸ドリーム大阪号。富山へは阪急バスの夜行バスが直行しているが、朝五時半に富山に着いても早すぎるだけなので、金沢に寄り七時着となるこちらのバスを選んだ。ただ東京からの旅の相棒が乗るバスは、富山に五時半に着くことが後から分かった。ならば合わせた方がよかろうと変更をかけようとしたのだが、直前だと割高なキャンセル料がかかることから、断念せざるを得なかった。ザキ、すまん。

 大柄なダブルデッカーの車体が、旅ごころをくすぐる。22時20分、定刻に大阪駅を出発。この時点での乗客は半分ほどであるが、満席の情報が伝わっている。カーテンを開けて夜景を楽しみたい気もするが、外からの光が差し込むので、他の乗客の安眠妨害になりかねない。酒でもチビチビやりたくなるが、トイレとは反対側の列の席とあって、何度もトイレに行っては真ん中の列の人に迷惑をかける。結果、じっと目を閉じている他ない。夜行列車とは違い、ひたすらじっと過ごすのみの移動手段が夜行バスである。

 名神高速に乗ったバスだが、京都駅に立ち寄るために一旦高速を降りる。京都駅ではぞろぞろと乗客が乗り込み、予告通り満席になった。京都駅発は23時40分で、大阪駅より1時間20分も遅い。しまった。京都から乗ることにしておけば、退勤後あんなにバタバタすることもなかったと気付いたのだが、後の祭り。福岡から東上する夜行バスでも、小倉から乗ると時間に余裕ができるのと同じである。次回、関西発着の夜行バスを利用する時は考えよう。

 再び高速に乗り、一路北陸へ快走すると思われたバスだが、深夜一時、多賀サービスエリアで時ならぬ休憩時間となった。放送や車内のざわめきに眠りを破られた人も多く、特に中央B列の人はほとんどが起こされただろう。せっかくなので僕も車外に出てみたが、やたらと目が冴えてしまった。

 その後も、普通に高速道路を走っていては早く着きすぎるのか、途中のサービスエリアで長時間休止(ただし車外には出られない)を挟みつつ、朝を迎えた。寝たような寝てないような、微妙な寝起きなのだが、夜行バスではいつものことだ。金沢で半分以上の乗客を降ろし、再び車内はお休みモードに。うつらうつらしていると、バスは富山市内に入っていた。富山駅には15分の早着だった。


▲各方面への夜行バスが雁行する大阪駅北口


▲深夜1時の多賀で小休止


▲眠い目こすりつつ、富山駅着


新幹線前夜の黒部・宇奈月


▲電車から大勢の乗客が吐き出されてくる朝の電鉄富山


▲進むにつれてローカル風情も満点に(電鉄黒部)



▲新幹線の駅もだいぶ形になってきた

 ダブルデッカーのバスにカメラを向けていたら、不意に背中を叩かれる。出向先の東京の職場から、新宿発の夜行バスで直行してきた、旅の相棒・ザキだ。昨日から着ているクールビズの仕事着そのままで、旅のスタイルとしては無粋この上ない。しかし着替えるような場所もなく、ひとまずそのまま富山地方鉄道(地鉄)の電鉄富山駅に向かった。

 七時オープンの切符売り場で買ったのは、地鉄電車2日ふりーきっぷ。地鉄の郊外電車と路面電車が二日間乗り放題で、4,400円である。あまり値ごろ感はないし、明日も使うかというと非常に微妙ではあるのだが、地鉄の運賃は割高なのでモトは取れるはずである。荷物をロッカーに預け、身軽になって旅を始めた。

 モータリゼーションで乗客は減少傾向と聞く地鉄だが、早朝七時過ぎというのに、頭端式ホームに到着する電車からは大勢の乗客が降りてくる。そのほとんどがICカード「えこまいか」のユーザーで、カードリーダーに軽く触れて街へと進んでいく姿は、大都会と変わらない。フリー切符の僕らは、アナログに有人改札に提示して改札をくぐる。

 まずはザキが臭いので(!?)、温泉に浸かるため宇奈月行きの電車に乗った。元京阪の「テレビカー」で、古いながらも快適な転換クロスシートが身の上。途中駅の富山方面ホームは、通勤通学客で人が溢れる。単線ながら本数は密で、駅ごとに電車がすれ違っていく。

 一方、宇奈月行きも逆方向の通学需要があり、次第に混み合ってきた。感心するのは高校生たちのマナーのよさで、多少はざわついているものの、九州のように騒がしいほどではない。身なりもキチンとしていて、好感が持てる。それを「いい」と思うあたり、我ながらオヤジ化しているのかもしれないけど、特筆しておいていい。

 高校生たちは滑川市内で降りて行き、魚津、黒部と進むころには、だいぶ余裕も出てきた。地鉄は古い施設も大事に使っており、木造の駅舎や駅名板が昔懐かしい雰囲気を醸し出す。ローカル私鉄の旅を満喫。

 一方で沿線では新幹線の工事が進んでおり、地鉄本線沿線でも、黒部宇奈月温泉駅が姿を現していた。地鉄にも接続駅が設けられるとのことだが、今のところその槌音は聞こえてこない。開設の暁には魚津、黒部、宇奈月方面へのフィーダー輸送を地鉄が担うことになるが、地方だと地元民は直接駅に送迎することが多いし、観光客も新幹線駅でレンタカーを借りてしまいがち。新幹線客を取り込むには、新幹線と必ず接続するダイヤにするとか、乗り継ぎ切符を設けるとか、積極的な誘客策が必要になってくるだろう。

 木々の間から黒部川の流れが見えてくれば、温泉街はすぐそこ。富山から宇奈月温泉へ各駅停車で1時間45分、なかなかの乗りごたえだった。駅前に出ても、平日朝の温泉街とあっては人影がまばらで、脇目も振らずに温泉ホテルのフィール宇奈月へ。宇奈月温泉で朝の日帰り入浴できるのは ここだけで、しかも10時までとのことだ。

 このホテルのウリが黒部峡谷鉄道の宇奈月駅を見下ろせることで、展望風呂からも駅構内を一望できる。鉄っちゃんなら食指が動いてしまうが、普通の人に訴求できるんだろうか?と思っていたが、思いのほか楽しい。列車の入れ替え作業といえば、きちんと機関車で押し引きして客車をつなぎ変えるものだが、ここでは機関車で押して勢いを付けた客車が切り離され、惰性で走っていく。雑と言えば雑だが、きちんと列車がつながれて行くのだから名人芸である。興味深く眺めていたら、のぼせそうになった。

 湯上りは、駅前の酒屋で地ビールを一杯。三種類の味があるが、蔵元でもおすすめという黒ビールは、最近はやりの飲みやすいタイプではなく、ガツンと重みが伝わる正統派。その他の二種類も、飲みごたえ重視の地ビールらしい地ビールだった。夜行バス明けの寝不足で、朝からビール。二人とも、妙なテンションになる。

 富山方面の電車はすぐにあったのだが、せっかく来たので一時間後の電車に乗ることに。酒屋のおばちゃんに勧められ、宇奈月ダムまで歩くことにした。目もくらむような高さの黒部川の鉄橋を渡っていると、ちょうどトロッコ列車が橋を渡って行った。

 トロッコが運休になる冬季には、峡谷への「冬季歩道」にもなる隧道を歩く。高地とはいえ夏の日差しでじりじり熱い外と違って、中はひんやり涼しい。20分ほどの散歩で、宇奈月ダムに到着。勢いよく放水が続いていた。黒部ダムの規模には及ばないのだろうが、充分大きくて、高くて、怖い。

 11時02分発の富山行普通電車は、大手のおさがりではない、地鉄オリジナルの車両。1980年前後の製造で、決して新しくはないが、転換クロスシートの設備は国鉄でも珍しかった時代の車両である。先進的な設備は、当時から厳しかったマイカー対策でもあったのだろう。鉄道友の会・ローレル賞受賞の経歴も、うなづける。



▲トロッコを見ながらの温泉


▲目もくらむ高さの鉄橋を渡る


▲盛大に水流れる宇奈月ダム


アルペンルート試し乗り


▲新魚津ではライバル北陸本線と対峙


▲今朝獲れの海の幸を味わう



▲魚津市内はJRともども高架に

 新魚津駅で下車。JRの魚津駅に隣接しているが、お互いの駅は改札も駅舎も別になっており、乗り換えは便利ではない。ザキがブルートレインだというので何かと思えば、青一色に塗り替えられた北陸本線の普通電車だった。経費節減のための一色塗装だと解説すると、せちがらいとないうリアクションで、同感である。

 魚津では、うまい魚を食べたいというわけで「地魚」料理の店へ。刺身定食の魚はすべて、今朝港に上がったばかりのものとか。「富山湾の宝石」と呼ばれる、白エビの天ぷらもプリっとしていて美味しかった。外に目をやれば日差しは強くなるばかりで、NHKでは富山市内の35度越えを伝えている。熱中症には注意だ。

 お腹も満足した後は、蜃気楼について学ぼうと魚津埋没林博物館へ行こうかと考えていたのだが、あまりの暑さに涼しい場所を目指したくなり、再び地鉄電車に乗り込んだ。

 魚津市内ではJRと並行する高架区間を走り、ちょっと都会的な風景に。地上に降りた後も、滑川まではJRと完全並行になる。富山へはJRの普通電車が安くて早く、地鉄としては苦しい状況だ。地魚屋のおばさんも、地鉄にはもう20年は乗っていないと言っていた。ただJRは、新幹線開業と同時に第三セクター「あいの風とやま鉄道」への移管が決まっている。地域密着の三セクだけに、鉄道利用そのものを増やすような共存策がとられることを期待したい。

 滑川を出るとJRと離れ、独自の駅勢圏を持つ地鉄としては集客に力が入る区間である。上市駅はスイッチバック式で、電車の進行方向が変わる。すれ違う電車は京阪カラーに復元された元京阪の電車だが、8月中旬からは同じく京阪を引退した2階建て車両を組み込むことが決まっている。元西武のレッドアロー号も観光電車に生まれ変わっており、観光客にも鉄っちゃんにも楽しい鉄道になってきた。レッドアローの観光車両は休日のみ運行なので、乗れなかったのは残念。また訪れなければなるまい。

 寺田駅で、立山線に乗り換えのため下車。本線と立山線はY字に分岐し、その間には古びた信号施設があり、いい雰囲気。ホームも駅舎も時代がかっており、駅名板に至っては右から左書きである。新しいものといえば、ICカード「えこまいか」のカードリーダーくらいだ。

 立山行きの電車は、地元の利用者に観光客も加えて、そこそこの賑わい。広々とした田園風景を見ていると、西鉄甘木線の車窓を思い出すが、背後の山の高さは耳納連山と比べ物にならない。

 途中駅で地元の人は降りて行き、岩峅寺駅を出ると観光客の方が優勢に。車窓も山の緑が濃くなり、勾配は次第に急になって登山鉄道の雰囲気が濃くなってきた。常願寺川を渡る鉄橋では徐行運転になり、運転士からの案内放送が入る。観光客からは「いいサービスだね!」と、歓声が上がった。

 立山着。立山は信濃大町へ抜ける、アルペンルートの富山側の拠点駅である。今回アルペンルートを超える時間はなかったが、せっかくなので少しでも体験してみたい。そこで一駅目の美女平まで、立山ケーブルを「試し乗り」することにした。山越えルートが基本のアルペンルートだが、切符売り場には美女平までの往復割引きっぷも準備されている。少し、珍しそうな顔をされたが。

 立山駅ターミナルの二階から発着するのが、美女平までを結ぶ立山ケーブルカー。麓側に貨車がつながれているのが特徴で、登山客の大荷物だけでなく、建設資材を運ぶこともあるのだそうだ。ホームと車両の傾斜が違ってコケそうになるが、この先傾斜がさらに急になることを示唆している。

 三割ほどの乗客を乗せて発車。前方の車窓に注目していると、ケーブルカーの前を横切る二匹の動物が。イノシシかと車内がざわつくが、よく見たらカモシカだ!二匹とも逃げる気配はないが、ケーブルカーの運転操作は頂上で行われているので、すぐには止まれない。保安員が無線で「運転席」に連絡し、緊急停止した。警戒心のないカモシカはなかなか逃げてくれず、警笛を何度か鳴らされても無関係かのごとく、のっそりと山へと帰って行った。

 鹿騒動の遅れもあり、十分ほどで美女平駅着。アルペンルートの乗客たちはバスへと乗り換えだが、折り返す僕らはまず、ゆっくりと屋上に上がってみた。山の中腹なので景色は広がらないが、平野とは まったく温度が違う風が流れて行く。柵に「いろはす」を置いていたら、甘い匂いに誘われたミツバチが寄ってきた。

 美女平駅周辺の見どころとして書かれているのは、周囲の原生林。山歩きの装備はない(ザキはサンダル履き)が、駅周辺をぶらりする程度という感覚で歩き出してみた。山道にはチップが敷き詰められていて歩きやすかったが、山道は山道。ザキは時々、足を取られていた。

 標高は900m程度なので、際立って珍しい植生があるわけではないが、人手の入っていない原生林らしく多用な木々を見ることができた。九州の感覚で気軽に入った山だったが、動物注意の看板に熊が書かれているのは恐ろしい。自然の会話も大きな声になりつつ、30分の散策ルートを巡った。


▲草生した線路を山へ向かう


▲貨車を連結した立山ケーブルカー


▲美女平駅屋上からの展望


富山の海の幸とB級グルメをハシゴ


▲屋敷林が点在する上滝線の車窓


▲環状線から富山城を望む



▲これが富山ブラック!

 16時15分発の富山駅行き電車に乗車。このまま座っていれば17時過ぎには富山に着けるのだが、岩峅寺駅で下車した。2階建の「ビル風」の駅舎には、とって付けたような瓦屋根が付いていて、近代風を目指したのか寺のような雰囲気を作ろうとしたのか、どっち付かずな印象だ。建築当時の時代の移り変わりを反映しているようでもあり、嫌いじゃない。

 富山へはもう一本の地鉄路線、上滝・不二越線に乗る。富山まではこちらの方が早いようだが、メインルートは立山線で、こちらはオール普通電車のローカル輸送に徹している。乗客も、下校の高校生がメインだ。

 駅周辺に家々が固まっている駅もあるのだが、駅間の田園地帯では集落を形成しておらず、散在する家の周りには木々が茂る。いわゆる「屋敷林」と呼ばれるもので、九州ではなかなか見られない風景の一つである。

 富山市内に近付くと沿線に家が張り付いてきた。呼応して、途中駅から乗ってくる乗客は、街に出かける大人が多くなってくる。市内電車が接続する南富山駅で半分の乗客が降りたが、大泉、不二越駅での乗客も多く、市内電車としても機能している。電鉄富山に着けば、地鉄の郊外電車を全線走破。なかなか乗りごたえのあるネットワークだった。

 一方の市内電車は、地鉄も富山ライトレールもすでに全線乗っているけど、ザキが富山が初めてということで、環状線をぐるりと一周してみた。沿線にはお堀に浮かぶ富山城址、昭和初期の庁舎が現役の富山県庁、ガラス張りの近代的な国際会議場など車窓観光が楽しめる。昼の環状線に乗ったのは初めてだったけど、街中への足として乗客は多かった。他路線ほどではなかったけど…

 環状線は、線路も車両も富山市が保有し、地鉄が運営に当たる上下分離方式。新幹線開業の暁には駅北のライトレールとの直通化も予定されていて、本領発揮となることだろう。さらに地鉄上滝線への乗り入れも予定されており、市主導での公共交通復権が強力に進められている。その変化を観察するため、今後も幾度となく、足を運ぶことになりそうだ。

 一周してさらに2電停分を乗り、県庁前で下車。近くの居酒屋に入り、地のものと一緒に地酒を味わった。イカは苦手だったのだが、沖漬けのホタルイカは味がよく染みていて、文句なくうまい。まずは何事もチャレンジしてみることだ。シメには駅前に出て、名物ラーメンという「富山ブラック」を味わってみた。辛いとの評もあるラーメンだが、個人的には好みだった。

 富山駅からは、従来からの路面電車に乗り、富山大学へ。こちらにも最新鋭の低床電車が入ってきているが、昔ながらの旧型電車も現役。高いステップをよっこらしょと上れば、木の床である。低いモーター音を唸らせ走る電車は、環状線よりずっと混んでいた。在来型の路面電車とはいえ、もともと単線だった末端区間の複線化が完了していて、改善が続いている。

 終点・大学前からはさらに路線バスへ乗り継ぎ、呉羽山公園で下車。街灯も少ない道をとぼとぼと登ること数分の、山の上に立つ観光ホテルに投宿した。ちょっと古めの15畳の部屋は修学旅行向けとのことで、少年時代を思い出してみたくて泊まったのである。枕投げをしたい衝動を抑えつつ、大浴場にゆっくり浸かって夜行バス疲れを癒した。

▼2日目に続く
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