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2日目【7月13日】 富山→猪谷→高山→白川村

難路を越え世界遺産の集落へ


災害を乗り越えた鉄路


▲JR富山駅は有人改札オンリー


▲豪華寝台特急を横目に発車を待つ高山本線



▲広大な田園風景の中を快走

 午前八時、目覚めれば眼下の富山平野は雨に煙っていた。七月初旬とはいえ、気象庁発表では梅雨明けしてるはず。恨み節をつぶやきながら、バイキングの朝食をモリモリ食べた。格別おいしいわけでもなかったが、旅先での朝の食用は通常費三倍くらいに向上する。ホテルのおばさん、なぜかじゃんじゃんつぎ分けてくれた。朝食時間も終わる直前で、残飯を減らしたかった…のか?

 あいにくの天気だが、二人とも傘を持ち合わせていない。そこで奥の手として、ホテルのフロントに「引き取り手のない、忘れものの傘はありませんか?」と聞いてみば、快く二本持たせてくれた。何度か経験のある旅先の雨の朝だが、「傘ならあちらの売店で売っています」と誘導された一軒を除き、この方法で傘を手にできなかったことはない。

 さすがは観光ホテルで送迎があり(昨日も苦労して夜道を登ることはなかったのだ)、雨の市内をラクラクと駅まで向かった。裏手に当たる北口の方が車でのアクセスはスムーズのようで、ポートラムの待つ小ぶりなプレハブ駅舎に到着。時間はあったが、雨脚は強くなる一方だ。市役所や城に行くのも億劫になり、駅前カフェで時間をつぶした。

 今日のコースは、富山駅から高山本線に乗り高山へ。さらにバスに乗り継ぎ、白川郷へというもの。北陸本線で高岡や金沢まで出た方が、安くて早いのだが、高山本線の一部が未乗だったのでこの経路を選んだ。細かい経緯は、ザキに説明していない。

 新幹線工事たけなわの富山駅改札口へ。中核市クラスの駅で有人改札というのも、思えば貴重な風景になってきた。三セク化後にはICOCAの導入が検討されており、自動改札機の導入も実現するかもしれない。ホームには緑色の車体も誇らしげに、トワイライトエクスプレスが停車していた。本来なら朝方に通過してしまう列車なのだが、大雨で遅れたらしい。

 高山本線は、外れの切欠き式ホームから発着する。富山県内(そして富山市内)の猪谷までがJR西日本の区間で、三セクタイプの軽快気動車・キハ120系が活躍する。二両編成の車内は、遠征の高校生で満員近い。

 特急「ひだ」のイメージが強い高山本線だが、普通列車も駅ごとに乗り降りは多く、市内電車、もとい市内汽車として活躍している。富山県側では、富山市の主導で増発の社会実験も行われており、合わせて取り組まれた新駅設置とフィーダーバスの運行は継続されているようだ。

 四駅目の速星で一気に空き、以後は田んぼが広がる車窓と相まって、ローカル色が濃くなってきた。登り勾配にかかると、神通川の流れも現れ、山越え路線の色合いが強くなってくる。

 猪谷からはJR東海になり、列車も乗り換え。国鉄形のキハ47系気動車で、こちらも二両編成であるが、車体が大柄な上に空いているものだから、ぐっとのんびりした雰囲気に変わった。青色のシートは国鉄時代そのままだが、手入れは行き届いており、決して「ボロ」ではない。リニューアルしないかわりに徹底して清掃し、新造状態に近いまま車齢をまっとうさせるのがJR東海の流儀である。キハ47系もこのまま、近い将来の車両置き換えが計画されている。

 高山本線は六年前に全線走破したのだが、当時は豪雨災害で猪谷〜角川が不通になっていたため、鉄道としてのこの区間は今回が初乗りである。カーブを繰り返す線路には、神通川の渓谷がぴったりと張り付く。アユ漁が解禁になったばかりのようで、釣り糸を垂らす釣り人の姿があちこちに見られた。そして豊かな自然の風景は、それだけ自然の猛威と隣り合わせということでもある。

 飛騨古川からは平坦な盆地の風景へと変わり、ビルの立ち並ぶ思いのほか都会の風景に迎えられ、高山着。駅には名古屋方面からの特急「ひだ」から降り立った乗客も残っていて、観光地らしい賑わいが見られた。今日は三連休の初日である。

 白川郷へのバスは、約1時間半後。乗り継ぎ時間を利用して、昼ごはんと街並み見物に出かけようと歩き出した。ザキは列車の中で「飛騨牛」の存在を知ってしまい、食べる気満々のようだ。飛騨牛を出す店は何軒か見つかったのだが、ランチには手の出ない値段ばかりである。

 古いたたずまいの店が、千円代からと比較的手頃。しかし高級な飛騨牛のイメージと結びつかず、大丈夫かなと思い飛び込んでみたら、カウンターだけでなんだかラーメン屋のようだ。しかし店のおばちゃんは、和牛トレーサビリティでも検索できる、間違いなく本物の飛騨牛を出すと太鼓判。その言葉に偽りはなく、鉄板焼きは唇で切れてしまうほどの、とろける味わいだった。

 元は、但馬から「相当な」値段で買った一匹の種牛から始まった飛騨牛が、今に続いているといった飛騨牛うんちくも楽しく、勉強になった。今度はすき焼きを食べに来たいものだ。



▲猪谷からはJR東海エリアに


▲昔ながらの青いボックス席でくつろぐ


▲飛騨牛の鉄板焼きはジンギスカン方式


難路を超えて


▲どこまでも続く飛騨トンネル


▲今宵の宿・伊三郎(左)と落ち着いた集落



▲雨に煙る合掌造り集落を見下ろす

 おばちゃんの飛騨牛トークを聞いていたら、いつの間にかバスの時間が迫っていた。高山の古い街並みも魅力的なのだが、今回は10秒見ただけでパス。駆け足でバスセンターへと戻る。

 高山から白川郷へは、濃尾バスを利用する。金沢直通便はノンストップの座席指定制だが、各停便は一般路線バスの扱いで、満席になれば続行便を出すとのこと。九割を観光客が占めるが、下校の女子高生も数人が乗り込んできた。路線バスタイプの車体ではあるが、シートはリクライニングで快適である。

 高山市内は初乗り運賃が100円と安い。市内のバス停にも小まめに止まり、近距離輸送にも精を出すが、乗降客はほとんどいない。ところが郊外の新しい病院を出発すると、運賃表は一気に2,400円に跳ね上がった。事前に切符を買っていたので驚きはしなかったが、それにしても唐突だ。観光客からも、笑いが起こった。

 それにしても、高山〜白川郷間はわずか50分である。2,400円だなんてべらぼうな値段だ、観光客の足元を見た暴利だ!なんて憤慨していたのだが、バスは一般路線バスなのに東海北陸道に入った。真新しい高速道路は、谷を渡り、長大トンネルをくぐる難路。特に飛騨トンネルは11キロと、国内の道路トンネルとしては三位の長さを誇るとか。大変な場所へ走るバスだったのか、高い運賃も仕方がないなと反省。

 白川郷の一つ手前・荻町で下車。時間は15時前だが、とりあえず荷物を置きたいので、今夜の宿・合掌造りの民宿「伊三郎」へと登った。白川郷に数ある民宿からここを選んだ理由は特になく、観光協会のホームページで部屋の条件と値段を入力して申し込んだところ、指定されてきた次第。歩きの旅人にはちょっと不便な街外れではあるけど、その分落ち着いた雰囲気の集落である。

 予告なく早く着いてしまったが、おかみさんは嫌な顔ひとつせず歓待してくれた。通された部屋は玄関のすぐ横で、畳の部屋には年月を重ねた柱のツヤが光る。縁側からは涼しい風が吹きこんできて、エアコンなんて無粋なものは不要だ。絵に書いたような田舎の家のたたずまいに すっかり落ち着き、夜までごろごろしたくなってしまうが、一念発起。荷物をまとめて、まずは宿裏手の城山展望台へと登り始めた。

 展望台への道はさして広くはないが、展望台に向かう車が行き交い、歩行者は避けつつ歩く。高台まで出ると、棚田に稲穂が整然と頭をそろえていた。水路には水がざあざあと流れ、豊かな土地であることを思い知る。

 展望台から見下ろした合掌造り集落は、雨に煙っていた。テレビや雑誌では、雪景色が晴天の図しか見たことがなかったが、これかこれで美しい。絵になるじゃないか、きれいだとの感慨は、生憎の天気への負け惜しみではない。展望台と麓の間は白鳥交通のシャトルバスが結んでおり、200円で楽に麓へ降りることができた。

 麓側は、集落の中心部が終点だった。かつてはマイカー観光客もここで止められたようだが、規制で昼間は乗り入れられなくなったらしく、好ましい。まずは近傍から巡ってみようと、明善寺へ。合掌造りの庫裏と茅葺の本堂は、普通にイメージする「寺」ではない。RC造のビルにならせば3階建てを超えるのではないかと思える大きさにも、圧倒される。

 最下層の囲炉裏では、夏でも火を絶やさない。茅葺の建物では防虫のため、煙でいぶし続けなければならないのだ。煙が天井裏まで回る工夫もなされており、見ている分には風情があるが、維持・管理は大変な苦労を伴う。

 表通りに出ると、観光客が多くて「田舎らしさ」は感じられない。合掌造りでない民家は、軒並みお土産や飲食店へと変貌している。いつしか都会になってしまった、由布院の富士見通りを思い出した。

 とはいえ気軽に名物を飲み食いできるのは、観光客向けの店があってこそではある。酒屋兼土産屋には「どぶろく」が置いてあり、賑わう通りを眺めつつ、微炭酸の爽やかな甘みを味わった。カウンターには、韓国の世界遺産集落「ハフェマウル」の仮面をモチーフにしたお土産がかかっている。特に説明書きはなく、韓国語を解さない限り何かも分からない状態だったが、姉妹集落?にでもなっているのだろうか。

 表通りは落ち着かないが、裏通りに入ると絵になる風景があちこちに広がる。ついつい立ち止まって、シャッターを押したくなる。夕方が近づくにつれ日帰りの観光客は村を後にし始め、次第に落ち着きを見せ始めた。


▲まず大きさに圧倒される庫裏


▲一見すると、お寺には見えない


▲冷たいどぶろくをグビっと


白川郷の夜


▲ズラリ並んだ山の幸


▲灯りが灯り始めた合掌造り集落



▲今宵の宿も光を投げかける

 夕食の時間は18時ということで、五分前には宿に戻った。先に食事処に行ったザキが「すげえすよ!」と言っているので何かと思えば、ずらりと山の幸が並ぶ豪華版。さらに固形燃料の上に載っていた鍋の蓋を開ければ生肉…飛騨牛である。新鮮な鮎に、山菜づくし、そして昼に続き二度目の飛騨牛。ご飯もおいしくて、大満足である。

 1泊2食8,500円でトイレ・風呂は共同とはいえ、名だたる観光地の三連休価格。しかも維持管理費も大変であろう合掌造りの宿ということで、食事にはほとんど期待せずにやって来ていたのだ。いい意味で、大いに裏切られた宿だった。

 ちなみに部屋こそ昔ながらの雰囲気を大切にしているが、風呂やトイレはきれいにリフォームされており、快適に過ごすことができる。エアコンなしを許容できれば、満足できるだろう。ただ昔ながらの家なので部屋のコンセントは二口のみで、カメラやらスマホやら充電の用が多い現代人は往生しそう。たこ足を持ってきておいて、よかった。

 宿の風呂もきれいだが、広い湯船でゆっくり足を延ばしたくて、バス停近くの温泉に出かけた。おかみさんに言うと、入浴割引券の五百円を貰えてラッキーだ。陽の沈んだ集落は、合掌造りの障子から家の明かりが漏れてきて幻想的。やはり陽の移り変わりを眺めてこその、景勝地である。夕暮れに染まる茅葺屋根になぜか涙が出そうになった、韓国のハフェマウルを思い出す。

 温泉までの道は、人っ子ひとり見当たらなかったのだが、温泉はぎっしりと賑わっていた。子ども達の体験学習会でもあっているらしく、世話役リーダー格の青年たちの頑張る姿に、同じようなことをやっていた去年までの自分の姿が重なる。温泉そのものは循環湯のようで どうということはなかったが、湯上り生ビールまで味わい、のんびりできた。

 宿に戻る頃には真っ暗闇で、持たせてくれた懐中電灯はダテじゃない。宿に戻れば、テレビもない部屋とあってやることはない。何もやらなくて、いいんだろう。水音を聞きながら夜風に吹かれ横になっていたら、いつしか瞼が落っこちていた。


▼3日目に続く
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