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2日目【2月10日】
西鉄宮地岳線・北九州線

日之影→天神→津屋崎→小倉→久留米



昼行バスは昼行タイプのバスが一番

 日之影とはよく言ったもので、朝7時をまわっても谷間に陽は差してこない。狭い空は青く澄んでおり、今日も天気には恵まれそうだ。

 今日は朝一番のバスで福岡に戻るのだが、高速バスはもちろん旧道など通ってくれず、山の上を貫くバイパス道路まで登らなくてはならない。歩いて40分くらいということで、朝の散歩にはちょうどいいかなと思っていたが、チェックインの時に話していたらそれは大変ということで、管理のおばさんが送ってくれることになった。距離は大したことないのだが、高低差は大きく、ありがたかった。

 青雲橋を眺め、バス停まで歩いていたところ、「天神」と書かれた宮崎交通のバスが通過していった。時間まではまだ数分あり、まさか早発されてしまったのか?と焦る。3分、5分…早発されたと確信に変わりかけてた頃、ようやくバスが姿を見せた。早発していったのは、臨時便か何かだったのだろうか。

 今朝の便は宮崎交通の担当で、独立型ではない3列シート。昼行仕様なので窓の目張りはなく、窓側の1列席でゆっくり景色を楽しめる。通路が1本ない分、座席の幅も広いようだ。

 バスは、昨日来た道を戻る。九州の里山の風景に心和むが、高速バスの車窓は「外の世界」と微妙な距離感がある。同じ路線でも、特急と鈍行では味わいが変わるのと同じだ。熊本県内では熊本交通の路線バスも並行していて、時々すれちがう。あっちがよかったと思う。

 御船から高速へ。さすがは3連休で、九州自動車道の通行量は多い。鳥栖以北の下り線は、渋滞になっていた。クロスロードとも称される九州の高速道路網だが、実際のところは福岡を起点に、鳥栖から3方向に分岐しているのが実態だ。

 上り線の太宰府出口手前も、左車線がインターに入る車で詰まっていたが、バスは無関係かのように追い越し車線を走る。どこで割り込むのかと見ていたが、結局追い越し車線を走ったまま太宰府へ。都市高速につながるランプウェイは2車線あるので、追い越し車線からでもすんなり入れるのである。あっぱれ。

 都市高速を走り、天神北で一般道へ。天神バスセンターは目と鼻の先なのだが、このわずかな距離での渋滞が、10分以上の遅れを招く。やはり定時性では、鉄道の方が圧倒的に歩がある。約20分遅れで、九州の高速バスの中心地、天神に到着した。


▲なかなか朝が訪れない日之影


▲谷の上に出れば朝陽が輝く


▲昼行タイプのバスはゆったり快適


西鉄貝塚線と旧宮地岳線


▲都市高を快走する路線バス


▲西鉄香椎駅前は私鉄駅前らしくなってきた


▲終点になった西鉄新宮駅


 天神バスセンターに一般路線バスは入らず、地下街を歩いて天神郵便局前バス停へ。香椎方面の23B系統へ乗る。天神から香椎へ鉄道で行くなら、地下鉄箱崎線と西鉄貝塚線か、地下鉄空港線とJRを乗り継ぐことになるが、バスは乗り換えなしで直行。時間は鉄道の方が正確だが、路線バスも都市高速を経由するので案外早い。30分に1本のバスを捕まえられるのなら、有用な足だ。

 蔵上から都市高速に乗り、60kmの制限速度を守って都市高速を北上。都市高速経由の路線バスが多いのは福岡というか西鉄の特徴で、各方面に快走している。輸送量そのものは多くはないものの、直通を武器に鉄道を脅かす存在感がある。

 香椎下車。JR駅を中心に広がる駅前は密度が高く、西新や大橋のように独自の賑わいを持つ界隈である。2006年に高架になった西鉄駅前は殺風景だったが、いつの間にかテナントビルやスーパーが開店し、新しい私鉄駅前らしい風景に変貌していた。

 次に歩く廃線跡は、西鉄宮地岳線の新宮〜津屋崎間である。何度か乗ったことがある路線で、途中下車制度を活かして全駅に下車したこともある。福岡市近郊ではあったが、単線でスピードが遅く、並行するJRの快速が充実したことから乗客が減少。2007年に廃止された。

 始発駅に新宮までは、SUN Q PASSを活かしてバスで行くこともできるけど、ありし日をしのぶには存続区間に乗るのも一興と、別払いで「宮地岳線」改め「貝塚線」の電車に乗った。

 高架を走るだけでずいぶん都会的になった印象のある貝塚線だが、2両の短い編成は昔のまま。基本的にワンマン運行で、15分間隔と、大牟田線とは一味違う風情を今も保つ。なぜか車内には路線図が一枚もなく、何らかの変革が迫っているのだろうか。

 ほぼ席が埋まっていた電車も、福岡市郊外の三苫に着くころには、数人を残すだけになった。当初、廃止区間は三苫〜津屋崎間とされていたが、新宮駅付近は宅地が多く地元も存続を希望したことから、1駅間だけは残された。この1駅間の車窓はぐっとのどかになり、「宮地岳線」らしさを伝える区間ともいえる。

 新宮駅に着いた電車を撮っていると、駅員さんから声を掛けられた。子会社所属の駅員さんだが駅への愛着があるようで、宮地岳線の写真集を見ながら、言葉を交わした。電車を撮っているのは、僕のような鉄っちゃん風情の人が多いが、ちょと雰囲気が違うと思えば、たいていご当地出身のシンガーソングライター・YUIのファンなのだそうだ。僕はYUIのファンでもあるけど、西鉄新宮駅にゆかりがあるとは知らなかった。

 新宮から先の津屋崎まで、電車の代行輸送を担うのが15系統・津屋崎橋行きである。15分毎の電車に対して、バスは30分毎。接続便ではなかったので、待ち時間が生じた。ちなみに津屋崎まで電車が通じていた頃は全線13分間隔で、廃止路線とは思えない高頻度の運行だった。減便は乗客の逸走を招くとして、最後まで13分毎の運行を続けていたのである。

 電車からの乗り換え客を数人受けて、津屋崎方面へ出発。新宮駅付近の線路跡は、住宅地に姿を変えていた。数百メートル進んだ新宮高校付近で線路跡の宅地と並行道路は途切れ、松林の中に線路跡が続いていく。並行道路がないため、バスは右折した。

 バスは旧国道3号線に流入。天神方面へ直行するバスが以前から多く走っている道路で、代行バスながら他系統に埋没している格好である。線路跡とはおおむね200mくらいの距離を置いて走っているが、花見付近などは4〜500m離れている場所もあり、旧駅の利用者はだいぶ不便を感じているのではないだろうか。せめて線路跡がバス専用道にでもなればと思う。旧国道3号線の渋滞は、昼でも激しいだけに。

 代行バスが福間駅前に乗り入れるのは現実的なルートで、無理に自社に囲い込もうとしない姿勢に好感。津屋崎付近からは、新宮で西鉄に乗り換えるよりも、福間でJRに乗り換えて行くのが早道だ。

 宮地岳神社は、鉄道時代は初詣用の臨時改札が設けられ、年末年始は終夜運行となるなど、太宰府のような電車で初詣が風物詩になっていた。駅から長い参道を歩いて行ったものだが、代行バスは鳥居の目の前に発着する。便利になったには違いないが、どこか楽になりすぎたような気も。御利益の大きさにも関わりそうである。

 約4分遅れで津屋崎着。廃止後も数年間は「駅跡」らしい雰囲気が残っていたのだが、こちらも住宅団地に姿を変えていた。駅があったことを示す唯一の痕跡「電車延長記念碑」も柵の向こう側で、住宅地に呑み込まれそうな勢いである。せめて、人目に触れられるようにしてほしい。自転車駐輪場だけはそのまま残っているが、止まっている自転車はわずか3台。タクシーも変わらず待機中だが、そうそう乗る人は現れないだろう。

 住宅地に変貌したのは駅跡だけで、新宮方の路盤は砂利敷きのまま残っている。道路にするにも狭く、なかなかもて余し気味のようである。

 海岸は海水浴場で、冬場は人影もまばら。筑後地域に住んでいた僕にとっても、車のない中高生時代に海水浴に行くなら、電車で津屋崎!というイメージは持っていた。今やそれはかなわなくなったし、海水浴というレジャー自体も下火になってしまった。

 海岸には、「潮湯」なる公営の温泉施設があり、電車で訪れたことがある。よく温まり冬場にはありがたい温泉なんだけど、今日は先々の時間を考えるとゆっくりしてられそうもない。30分後のバスで、福間方面へと引き返した。


▲代行バスは旧国道3号線を上る


▲駅跡は住宅地に変貌


▲電車延長記念碑は柵の向こう側に


北九州線の記憶は遠くなりつつ


▲消えたJR折尾駅舎


▲グリーンの電車代行専用塗装バスは減ってきた



▲北九州線の一部生き残りである筑豊電鉄線

 駅舎改築から間もない福間から折尾までは、JRの快速電車でワープ。折尾駅は、筑豊本線との乗り継ぎ改善を目玉に大改良の真っ最中で、ピンク色の木造駅舎は姿を消した。駅前も再開発工事の渦にあり、かつて西鉄北九州線が発着していたビルも取り壊されている。

 3番目の廃線は、西鉄北九州線。一時は日本一の路面電車ネットワークを誇った北九州線も、僕が物心ついた頃は折尾〜砂津間を残すのみとなっていた。砂津〜黒崎駅前間は1992年、代替交通が未整備とされた熊西〜折尾間は2000年に廃止されている。黒崎駅前〜熊西間は、筑豊電鉄の一部区間として存続している。

 廃止されたのは、一人旅を始めてまもない小学5年生の頃だ。すでに廃止を前提に設備投資が控えられ、非冷房車も健在。汗をかきながら、時代がかった路面電車の風情に浸ったことを思い出す。廃止前後の特集番組やニュースはくまなくチェックし、乗った鉄道が廃止になるという喪失感を始めて体感した。

 代行バスの1系統の一部は折尾から出ているが、これは1992年の部分存続時から走っているもの。折尾〜黒崎間は電車と併存する形になっていたが、折尾直通にするためこんな形になっていたのだろう。なお折尾側の廃止理由は、JR陣原駅開業により代替交通機関が確保された―というものだった。となると、1系統といえども黒崎までは代行バスとは言えないのでは…との雑念も浮かぶが、細かいことは考えずに乗り込むことにする。

 西鉄北九州線の代行バスは、西鉄バスとしては異例の専用カラーをまとっている。薄緑色のバスは、別会社のバスとも思えるほどで、電車の「存在感」を代替する意味もあったのだろう。この便はノンステップバスで、西鉄ではあまり見ない。ご高齢の方の利用が多く、その性能を遺憾なく発揮していた。

 黒崎駅前までは、代替道路がないという理由で廃止を逃れていたくらいだから、線路跡とは距離のある道路を走る。陣原付近ではJRの北側から南側に移り、線路跡とも交差したはずだが、どこか判然としなかった。

 黒崎バスターミナルで下車。再開発ビル「コムシティ」の1階に位置し、筑豊電鉄線とも真横で乗り換えられるようになっている。筑豊電鉄は北九州線を砂津方面に乗り入れていた時期もあったから、代替の意味も込めているのだろう。

 北九州市第2の市街地で、旧八幡市の中心地でもある黒崎だけど、近年の空洞化は地方都市共通の課題。起爆剤と目されたコムシティも迷走の末、今は公共施設中心の施設へ改修する工事が進んでいる

 黒崎から先、1系統は5分間隔という高密度の運行になる。今度の便は新型のハイブリッドバスで、塗装は西鉄路線バス共通の新カラーだった。すれ違うバスを見ていても、北九州線代行バス専用塗装車はざっと6割といったところ。電車の廃止から23年。今や、普通の路線バスになりつつあるのかもしれない。

 バスセンターを出たバスは、北九州線の線路が走っていた道路へ。当たり前だけど、普通の道路にしか見えなくなっている。「黒崎そごう」転じて「黒崎井筒屋」前のバス停からは、お年寄りを中心に大勢乗り込み、ほぼ満席になった。空洞化が進む中心市街地とはいえ、根強い支持は保っているようだ。

 夕方5時という時間帯もあるが、すれ違うバスも満席近い便が多い。1系統以外のバスも多く、頻度はかなりのものだ。電車として再生する道はなかったのか…と、思わなくもない。政令市では高齢化率ナンバーワンでもある北九州市。時代がもう少し下れば、人にやさしい交通機関として見直す機運にも恵まれたかもしれない。

 市営動物園の「到津の森」前で下車。かつては西鉄が運営する「到津遊園」という遊園地で、小学5年生の時には修学旅行で来たことを思い出す。大牟田線(太宰府線)の太宰府園、宮地岳線の香椎花園と並ぶ、西鉄の沿線遊園地だった。北九州線廃止後も存続していたが、経営不振で市に譲渡されている。

 ふたたびバスに乗り、夕陽を背に小倉方面へ。17時を過ぎ、バス専用レーンの時間になったが、あまり厳密に守られていないようだ。

 日豊本線を渡る陸橋をバスは軽やかに超えていくが、自重の重い電車はモーターをうならせ登っていた。路面をよく見ると、2本の割れ目が。レールを埋めたまま舗装すると、鉄とアスファルトの熱膨張率の違いから、こんな割れ目が現れる。廃止の数時間後にはレールの撤去が行われた北九州線だったけど、陸橋部分では上から舗装をかけたようだ。数少ない、電車の痕跡だった。

 西小倉の手前では、バスは狭い路地をゆく。2車線しかなく、この道を電車が走っていたとはにわかに信じがたい。この区間、電車の頃は歩道もなく、軌道敷内を堂々と車が走っていた。

 リバーウォーク前を通って、小倉の中心部へ。3連休の中日とあって、あふれんばかりの人出だ。繁華街を抜ければ終点・砂津。バス停の前にあるショッピングセンター「チャチャタウン」も、連休を楽しむ家族連れでにぎわっていた。西鉄が事業主体のチャチャタウンは、かつての電車の車庫跡地。古豪たちが体を休めていた根城は、貴重な収益源になっている。

 バスセンター横にあるバス営業所のうち、道路に面した赤レンガタイルの区画は電車の営業所。電車廃止日のニュースでは、跡地に電車資料館を作ると報じられていたのだが、いつしか沙汰やみになったのは残念だ。西鉄電車創業の地にあった鉄道の記憶は、次第に遠くなりつつある。

 砂津からは、高速バスで一気に久留米へ。100kmを超える中距離路線ながら、県内路線だからか、使われるバスは空港バスなどと同様の近距離タイプ。席は狭く、トイレもないので、乗車前に用は済ませておかねばならない。九州道を快調に走り、久留米市役所前で下車。友人らとの飲み会に参加し、「一時帰宅」したのは12時過ぎだった。


▲バスセンターの入るコムシティは区役所へ改装中


▲あまり守られていない専用レーン


▲チャチャタウンは電車車庫跡地


▽3日目に続く
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