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1日目【2月9日】
高千穂鉄道

久留米→高千穂→吾味→延岡→日之影



ウイークデイに完成した即席の旅

 年末年始には9泊10日の大旅行を終えたばかりだったけど、2月に入れば早くも旅のムシがうずき出した。月曜日、カレンダーを見れば今週末が3連休。旅立つなら、ここしかあるまい。

 3日間用の旅行商品といえば、「SUN Q PASS」がずっと気になっていた。九州内の高速、路線バスが3日間乗り放題で1万円というフリーパスである。鉄道やツアーバスとの競争で割安な高速バスだけではなく、運賃が高く割引もないローカルバスも乗り放題というのがミソである。

 SUN Q PASSを使うとして、行き先はどこにしようか。年末年始の東北では、津波で被災した運休中のローカル線を見ながら、その行く末が気にかかった。ローカル線がなくなった後、地域はどう変わってしまい、あるいは変わらないのか。観察するには、一度乗ったことのある路線の廃線跡をめぐるのが一番だ。

 僕が乗ったことがありながら、その後廃止の憂き目にあった路線は、九州内では以下の4線・5区間である。

◆西鉄北九州線 折尾〜熊西間: 2000年11月26日廃止
◆西鉄北九州線 黒崎駅前〜砂津間:1992年4月1日廃止
◆西鉄宮地岳線 西鉄新宮〜津屋崎間:2007年4月1日廃止
◆島原鉄道:島原外港〜加津佐間:2008年4月1日廃止
◆高千穂鉄道 延岡〜高千穂間:2005年9月6日台風災害により運行休止、その後廃止

 これらの路線の跡をバスで巡ってみよう。火曜日、旅の手段とコンセプトが決まった。水曜日、行程を組み立てる。平日なのに、ついつい午前1時まで熱中。木曜日、宿を電話で抑え、高速バスの指定券をネットで予約。夜には、近所の西鉄バス久留米京町支社で、支社長から(!?)SUN Q PASSを購入した。

 木曜日のうちに旅の準備を整え、金曜日は飲み会。土曜日朝、ちょっとグロッキーなまま、自宅から徒歩3分の本町六丁目バス停に向かった。


▲島原鉄道南目線・口之津駅(2007年5月)


▲西鉄宮地岳線・花見駅(2005年1月)


高速バス「ごかせ」号は昼走る夜行バス


▲ご近所経由のローカルバスで旅をスタート


▲街はずれの久留米インターに行くのも一苦労


 本町六丁目から乗ったのは、大川から走ってくる15系統。1時間に1本のローカル路線で、こんな路線から始めるのもオツなものだ。久留米界隈では唯一、西鉄久留米までは入らない路線なので、六ツ門で明治通りの路線に乗り換えた。

 西鉄久留米では、インターネットの予約サイト「楽バス」で予約したバス指定券を引きかえる。SUN Q PASSの指定券もネット予約ができるので、便利なことこの上ない。

 さて列車と違い、目的地と目的地を一直線で結ぶ高速バス。久留米のような地方都市から乗る際にはちと不便であり、それでも乗ろうと思えばテクニックを要する。久留米発着の高速バスは福岡空港と小倉までの県内短路線のみで、長距離路線の一部が久留米インターに停車するのみである。

 では久留米インターへ行くために路線バスに乗ろうとすれば、経由するのは北野方面のローカル系統のみで、1時間に1本と本数が限られる。そこで登場するのが、前述の空港行き高速バス。高速バスながら、久留米市内の百年公園と東合川商工団地バス停で「乗降」できるのである。通常、市内客が席を埋めないよう「乗車専用」とすることが多いのだが、空港バスは市内で急行代わりに使えるのである。

 そして以前乗った時、東合川商工団地バス停が久留米インターに入る直前にあることを確認していた。空港バスは1時間に2〜3本が走っており、これは使えると踏んでいたのである。というわけで、連休初日で満席近い混み具合になった福岡空港行きバスに乗り込んだ。

 東合川商工団地では、意外なことに高校生を中心として13人が降りた。インター方向に歩き、地下道をくぐれば、インターバス停まで5分もかかっていなかった。乗り継ぎルートが、見事完成である。乗り継ぎ時間がある際は、24時間営業のマックという逃げ場もある。

 久留米インターから延岡行き高速バス「ごかせ」号で、一気に高千穂まで抜ける。10分近く遅れてやってきたバスは、意外なことに大阪や名古屋に向かう長距離夜行バスタイプの車両だった。独立3列シートでリクライニングも深く倒れる、長距離移動もラクラクのバスだ。

 しかししばらく揺られていると、昼間のバス旅を「楽しむ」には、とことん向いていないバスだと気付いた。窓から外の光が漏れて来ないよう、窓下に目張りがしてあり、車窓が狭いのである。僕のようにB席…つまり3列の真ん中の席では、なおさら景色は遠くにある。ならばと景色をあきらめ、日頃なかなか時間の取れない読書の時間に充てた。

 遅れているバスだが、規程があるのか緑川SAで10分超の休憩。数時間にわたるバス旅では外の空気を吸える貴重な時間でもあるし、お土産選びも楽しい。

 熊本で高速を降り、豊肥本線〜南阿蘇鉄道に沿って高森方面に向かうものと勝手に思っていたのだが、実際には御船ICで降りて美里町、山都町のバス停経由で宮崎県境に向かった。鉄道地図をベースにしていると、バスのルートは読むことができない。

 長距離バスで一般道の山越えといえば、1ヶ月前の福島〜南相馬間で乗って以来で、風景がダブる。ただあちらは避難区域で人のいない街、こちらは平穏な生活のある街である。飯館村にもここのような生活があったのだろうと、遠き地を思い胸痛んだ。

 高千穂バスセンター着。約20分遅れの到着だった。


▲緑川SAはお弁当のヒライが運営


▲高千穂バスセンターに到着した夜行バスタイプの「ごかせ」


生きた廃線跡


▲現役時代そのままの高千穂駅


▲ホームにいると列車がやって来そう



▲車両の下にもぐり込める

 高千穂町の玄関、バスセンターの周りは建物が建て込んでおり、「秘境の地」ながらに賑わいがあった。乗り継ぐバスまで時間もあるので、昼ごはんでもと思っていたが、遅れでその余裕もなくなった。スーパーでパンとおにぎりを買い込み、旧駅へと歩く。

 高千穂鉄道は、旧国鉄高千穂線を引き継ぎ発足した第3セクター鉄道。当初から少ない沿線人口に苦しみつつも、観光鉄道に活路を見出し、積極的な「営業」を行っていた。僕も98年のお正月、パノラマカー「たかちほ」に乗り、サービスのコーヒーを味わいながら渓谷美を満喫。その後「たかちほ」号は観光トロッコ列車へと発展し、「一部区間乗車」が高千穂への団体バスツアーの定番になっていた。

 ところが2005年の豪雨で鉄橋流出、路盤崩落など大きな被害を出し、運休に追い込まれてしまう。被害の少なかった一部区間の復旧が模索されたものの、結局は再開を断念。2008年末には、正式に全線廃止になってしまった。災害で廃止に追い込まれた路線は少なくなく、九州でも鹿児島交通の伊集院〜枕崎間の例がある。

 運休から7年、道路標識には「高千穂駅」の字が残る。坂道を歩くこと10分で、線路を超える陸橋へ。見下ろした高千穂鉄道の線路も高千穂駅も、現役時代と変わらなく見える。研修庫も車両もそのままだ。駅前にはタクシーが止まり、駅舎にも人の気配がする。

 廃線後の高千穂鉄道のうち、被害も少なく景色もよかった高千穂〜日之影温泉駅間の復旧が目指されている。高千穂駅は事業主の民鉄「高千穂あまてらす鉄道」が、鉄道公園として開放しているのだ。目玉だったトロッコ車両はJRに譲渡され、正式な廃線手続きも出されてしまい、復旧の見通しは厳しくなった。しかし鉄道の記憶は、確かに継承されている。

 100円の入場料で入った駅構内は、手入れが行き届いていて、単なる「記念公園」より生きた駅の空気がある。研修庫も自由に出入りできて、車両の下まで潜り込める、他でなかなかできない体験ができる。ディーゼルカーの運転体験や、カートで隣駅までの乗車もできるようで、思いのほか充実した駅跡だった。

 「駅前」バス停から、バス旅を再開。高千穂鉄道の代行バスの役割を担う宮崎交通のバスは、コミバスのようなマイクロタイプのノンステップバスで、意表を突かれた。座席定員はわずか11人で、僕を含め3人の乗客である。このバスで足るほどの需要で、鉄道を維持するのは困難だったろう。だからこそ、鉄道時代は観光利用に活路を求めていたし、そこで生み出していた観光需要の多くは逸走してしまったことになる。ただお年寄りの乗客には、ノンステップバスがやさしい。

 鉄道の高千穂〜日之影間の開業は1972年と比較的近年のことで、東洋一の高さを誇る高千穂橋梁など、施設は一級品。バスの沿線からも、ところどころで山を貫く橋梁を見渡せる。一方のバスはバイパス経由と旧道経由があり、旧道は五ヶ瀬川をトレースする隘路。鉄道からは見られなかった車窓である。

 日之影から延岡間は戦前の開業で、旧道と並行。いずれも川沿いを走る細道で、バイパス開業前は車での移動は大変だったろう。その分、鉄道への信頼感は大きかったものと察する。バイパス道路は、はるか天空を貫く。

 吾味バス停で下車。バスが行ってしまうと、渓谷を渡る風の音以外の音が消えた。川もダム湖になっているので、せせらぎはない。緑色の湖面が、ゆうゆうと広がる。

 吾味駅から日之影方の線路跡は、細い2本の道が舗装され、乗用カートの専用コースになっているようだが、肝心のカートはいずこへ。「リバーパークひのかげ」の看板を掲げた建物に人の気配はない。2007年にオープンしたばかりだったのだが、わずか5年の昨夏に廃業したようである廃線跡ビジネス、簡単ではないらしい。

 吾味駅はホームも駅舎も保存されており、廃止前の時刻表もそのまま掲げられている。高千穂鉄道の時刻表はもちろん、延岡で接続するJR線時刻の「さわやかライナー」や「特急 京都」なんて文字にも時代を感じる。ホームの前の道は村道に転用されており、BRTのようだ。

 駅の先で村道は山へ消えるが、川を渡る鉄橋から先へは「日之影森林セラピー道路」になっている。カーブを描いて川を渡る時代がかった鉄橋は、鉄道時代も絵になる風景だった。ベンチも置いてあり、川の風に吹かれながら買っておいたおにぎりをパクつく。2月の山間とは思えない温かさに恵まれた昼だ。

 鉄橋から先は、線路と枕木がそのまま残る。かといって線路跡そのままではなく、1本の線路を「土留め」代わりに砕石を敷いて舗装しており、歩きやすい。下手に線路をめくるより安上がりだし、線路を歩く妙味も味わえる。鼻歌でつい口ずさむメロディーはもちろん、スタンド・バイ・ミー。

 森をつらぬく線路跡は、森林セラピーと銘打つにふさわしく、すがすがしい気分になること請け合い。短いながら、トンネルをくぐれるのも面白い経験だ。次駅の日向八戸駅前後は、再び村道に変わる。鉄道時代は家に車を横付けできなかった家もあるようで、かなり便利になったことだろう。

 セラピーコースは、景勝地の観音滝をのぞむ鉄橋上で果てる。終点は竹製の扉で閉ざされているが、施錠されてなく、「通行は可能ですが、通行される場合は柵の開閉をお願いします」と日之影町名の掲示があった。この先も、自己責任で歩いていいらしい。ただし線路をめくった砕石そのままで、歩きやすさには格段の差がある。観音滝は、細身のすらりとした滝だった。

 八戸駅前からもバスに乗れるが、時間もあったので吾味まで引き返した。リバーパークがなくなったのは残念だが、鉄っちゃんでなくとも楽しめるコースとしておすすめできそうだ。


▲天空を貫く廃線跡


▲五ヶ瀬川のダム湖を渡る


▲森林セラピーロードに生まれ変わった線路


山間の駅跡で過ごす一夜


▲アーケードは立派だけど人通りは少ない延岡市内


▲鉄橋や路盤は多くが残る高千穂鉄道跡



▲川水流駅跡付近では線路が残る

 吾味駅近くの、川を望む東屋でバスを待つ。川との柵が、へし折られたように曲がっていて、鉄筋があらわになっている。高千穂鉄道を廃線に追い込んだ、水害の跡だろうか。だとすれば、大変な勢いである。

 今度の延岡行きバスは、通常サイズの大型車だった。この後に見たバスもほとんどが大型で、小型車の運行は限られているようだ。うとうとしていたら、いつしか平野に変わり川幅も広くなっていた。延岡市内まで、1時間強の道のりだった。

 延岡市は宮崎県北の工業都市。アーケード街が充実していて、国道沿いのアーケードは宮崎市と同様、幅が広くゆったりしている。交差点や街路のつくりにもゆとりがあり、ぱっと見、30〜40万人都市の中心街のキャパシティがあるように見えた。

 市街地にはcocoretta nobeokaなる、かなり気合いの入った再開発施設があり、宮崎交通の支店やカフェ、美容院なんかが入っていたけど、空き店舗も目立った。立派なアーケードの人通りも少なく、中心街の大型店閉店でかなり苦しんでいるようである。街外れに大型ショッピングセンターの看板が見え、人はあちらに集まっているのだろう。

 今山八幡宮の裏参道を登り、街を見下ろして表参道を下ると、テキ屋が並びお祭りの準備真っ最中。明日から、九州三大えびすの「延岡十日えびす」が開かれるようだ。三連休に合わせたわけではなく、毎年同じ日に行われるそうだが、今年は曜日に恵まれ賑わうことだろう。

 バイパス経由の高千穂行きは、午後五時とあってほぼ満席。あのマイクロバスではとても運びきれないだろう。北方町までは沿線に住宅も多いのに、乗客の動きはない。バス停は、案内テープが切れる暇もないほど、かなりきめ細かく設けられているのだが…並行する線路跡は、レールこそほとんどめくられており、道路化の工事が進む区間もあったが、鉄橋や駅施設は多くが残る。

 「駅前」の名を残す、川水流駅前バス停で下車。今は延岡市となった旧北方町の中心街で、旧役場の総合支所もある。しかし駅跡は、ただの広い空地になってしまっていた。延岡方に、わずかに線路が残るのみである。

 北方町内を歩き、桑水流バス停前の酒屋で買い物をしていたら、おやじさんから「福岡行きバスですね?」と声を掛けられた。駅前通りまでバスは入らないが、国道沿いに高速バス用の川水流バス停があるらしい。福岡まで直行できるのだから、案外便利な場所ではある。

 後続のバスは旧道経由で、乗客は数人だった。幅の狭い旧道を、60km近くで飛ばす。対向車とのすれ違いもお互い慣れた感じで、クラクションだけでなくパッシングを交わすのがこのあたりの「流儀」らしい。

 川の向こう側には、がけに張り付くように高千穂鉄道の廃線跡が続くが、もともとが細い鉄路だけに、自然に還ろうとしている。いつしかこちら側に廃線跡が移ってきていたが、鉄橋跡はなかった。水害で、完全に流出してしまったのだろう。

 30分で日の影駅着。旧駅名は日之影温泉駅で、温泉のある駅として有名だった。駅舎はそのまま残り、温泉センターの施設もそのまま営業中である。ホームの跡には、2編成の気動車が止まる。ここ車両が今夜の宿、簡易宿泊施設の「TR列車の宿」だ。

 チェックインは17時半頃までに済ませてほしいとのことだが、バスの時刻まで待ってもらった。水曜日に予約が取れたくらいなので、ガラガラなのかなと案じていたが、1部屋を残し満室とのこと。3連休とはいえ、人気なのは喜ばしいことだ。

 僕の部屋は1人用の「影待駅」で、トイレと玄関は増築されたプレハブにあり、部屋は車両の部分に当たる。車内はすっかり改装されているが、窓や照明は列車時代のまま。畳敷きなので、和風個室寝台といった風情だ。

 タオルや洗面用具の備え付けはないが、液晶テレビや冷蔵庫、ポットなんかは置いてあって、「簡易宿泊施設」としては充実している。これで3,500円は、なかなかのお値打ちだ。2人用の部屋だとトイレが運転台にあったり、4人用の部屋だと運転台や運賃箱が残されていたりするらしく、グループ旅行で再訪してみたい。

 風呂とご飯は「駅」が便利。食堂では、宮崎らしくチキン南蛮を夕ご飯にした。売店はご近所向けの商店を兼ねているらしく、日用品も扱っているが、酒類だけは高い。ささやかながら鉄道資料室もあって、高千穂鉄道時代の資料は懐かしかった。

 温泉は循環湯。お湯自体にさしたる特徴はないけど、小さな露天風呂から渓谷とホームを眺めるロケーションがよかった。夜とあって渓谷は音から感じられる程度だけど、ホームには照明が灯り列車も止まっているから、駅の雰囲気は満点。夜は長いので、ゆったりと温まった。

 9時に温泉が閉まってしまえば、谷間の集落は深夜の装い。日頃なかなか取れない読書を、ゆったりと楽しんだ。


▲急カーブ続く隘路を行く


▲闇夜に明りを投げかける列車の宿


▲日之影温泉駅1階には資料室も


▽2日目に続く
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