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さよなら東海道の2大スター&東日本の観光列車めぐり
2日目
海の観光列車・山の思い出列車

2日目の旅のルート(Map作成ソフト:白地図 KenMap

横軽の追憶は遠くへ

 長岡での方向転換にも気づかず、目覚めれば4時。漆黒の窓には、大きな雨粒が叩きつけていた。このまま立ち往生しないか心配だったが、直江津着はほぼ定刻。数時間後には運転抑止がかかったようで、危ないところではあった。

 直江津は、上越筋と日本海筋の夜行列車が何本も行きかう、今や貴重な界隈で、待合室も深夜開放されている。雨が続けばここで仮眠かなと思っていたが、幸い小雨になってきたので、早朝の散歩に出掛けてみた。

 まだ寝静まった感のある直江津の街並み。広い道幅や、商店から延びた深い軒に、冬の厳しい気候が思い起こされる。古びた建物が多いながら、風格ある立派なものも多く、海陸の拠点として栄えた時代があったことも伺わせた。夜と朝の境界に沈む日本海を眺め、すがすがしい時を過ごせた。

 直江津からは、信越本線の特急「あさま」の生まれ変わり、快速「妙高」で長野へ出る。「あさま」時代そのままの189系電車で、車内もフリーストップ式のリクライニングシートが並び、違いは枕カバーがないだけ。グリーン車こそないものの、快適に過ごせる乗りドク列車だ。
 ただ1両だけの指定席車だけ、なぜか簡易リクライニングシートで、もしこちらを取っていても自由席に逃げたろう。

 長野までの区間は初めての乗車で、妙高の山々が楽しみではあったが、快適な車内に寝不足が呼応し、すっかり夢の中。気付けば長野市内だった。

 長野では、新幹線「あさま」へ7分接続。1997年の長野新幹線開業以来、初めての乗車だ。
 早朝とあって、乗客の姿はパラパラ。新幹線ホームが地上にあり、長野駅発車後もしばらく地上を走るのは、新鮮な眺めだ。平野部に出ると高架に上がり、遠く山々を眺めながら快走していたが、やがて「トンネル新幹線」となった。

 わずか十数分で上田駅。こちらは既設駅への併設だったが、次の佐久平は新設駅だ。周りにはショッピングセンターやマンションが立ち並び、開業11年ですっかり市街地に変貌したようだ。
 一方で新幹線に見捨てられた小諸駅周辺はどうなったことやら、気にかかる。新幹線ができると必ず起きてしまう明暗、考え込む。

 こちらも、駅周辺が建て込んできた軽井沢を発車すれば、峠の釜飯も、EF63型補機も、険しい坂道も知らぬげに碓氷峠を通過し、あっさり安中榛名駅へ。この駅は新幹線の駅ながら、目下、1日の乗客数が200人台という記録を続けており、この列車を待つ人も数人だった。ぜひ一度降りてみたいと思う。
 ゆるやかなカーブで上越新幹線と合流すれば、1時間もかからず高崎着。早かった。

 高崎駅では、せっかく早朝に着いたのだから、名物駅弁の「上州の朝がゆ」を食べてみたかったが、売っていなかった。新幹線通勤客向けの駅弁というから、平日限定なのかしら。「あさま」車内での釜飯販売もなかったし、しょうがなく、関東らしい濃い出汁のそばをすすった。

 高崎からはぐるりと戻る形で、上越新幹線に乗り新潟へ向かう。Maxときの2階席通路側側を押さえていたが、せっかくの2階建てだから窓側の風景を見たいと思い、自由席に乗ってみた。
 が、甘かった。夏休みの土曜日朝、東京を発つ列車の混雑を甘く見ていた。通路から階段まで、ぎっしり満員なのだ。指定席への移動を試みたが、自分の席にたどり着くのも容易ではなかった。

 元祖全2階建て新幹線・E1系Maxは初めての乗車。1994年のデビューながら、なかなかセンスのある車両で、あさまのE2系より好みだ。供食設備が次々削減される中、売店が健在なのも嬉しいが、これは2階建て車のため、ワゴンを用いた車内販売ができないという裏事情もあるらしい。

 そして何より嬉しいのは、防音壁をもろともせず、大きく広がる2階からの車窓だ。トンネル新幹線ではあるけれど、ところどころで上越国境の山々を望むことが出来た。

 大混雑だった車内も、越後湯沢で乗客を一気に吐き出し、余裕ができた。湯沢への避暑客もいるだろうけれど、おおかたは北陸特急「はくたか」への乗り継ぎのはずで、混雑が思いやられる。こちらは窓側の空席に移り、のんびりと越後平野の広がりを楽しんだ。同じ穀倉地帯とはいえ、家の形や道の幅が九州とはまったく違って、ここでも冬の厳しい気候が思われる。

 新潟着9時54分。ずいぶん移動したが、まだまだ朝といえる時間だ。

 


▲冬の気候が想像される直江津の街


▲旧「あさま」そのものの快速妙高


▲すっかり定着した新幹線あさま


▲防音壁を越えた車窓(Maxより)

キラリ夏の海を見ながら

 新潟は、JR東日本のICカード・Suicaの利用エリア。改札での利用率は高く、駅内の売店でもほとんど通用する。今回の旅でもSuicaは大活躍だったが、半分以上は電子マネーとしての利用だったと思う。さっそく、Suicaで駅弁を買い込んだ。

 新潟からは、羽越本線の観光列車「きらきらうえつ」で、酒田へと向かう。485系の改造ながら車体は新造のようで、窓が大きく軽やかな車両だ。満席に近い盛況ではあるが、座席の数をかなり絞り込んであることもあって、混んでいる雰囲気はない。定刻10時15分、新潟を離れた。

 車両のコンセプトは、五能線の「リゾートしらかみ」との共通項が見られるが、こちらは電車、それも特急型車両とあって、越後平野を軽やかに駆けていく。リクライニングシートのすわり心地も上々。この車両に510円の指定席券で乗れるとは、かなり乗りドクだ。
 特急券を買わせてもバチは当たらないと思うが、遠方から新幹線で来てくれれば、トータルでペイするということか。

 電車は4両編成。2号車は1両まるごとラウンジ車で、客室乗務員2人が乗り込んでサービスに当たっている。おっちゃんの団体に占拠されてしまっているので、後の楽しみにしておくことにして、とりあえずエチゴビールだけ買い込んだ。ここでもSuicaが通用。1・4号車には展望スペースまであり、4両の定員は110人ちょっと。かなり贅沢だ。

 新発田からは羽越本線を快走し、やがてこの列車のハイライトである「笹川流れ」の景勝地へ差し掛かった。これをきっかけに、再度ラウンジカーへ。酒におぼれてもよかったのだが、舌代に「村上茶と羊羹セット」があり、これをオーダー。おっちゃん団体はまだ占拠中なので、立席カウンターから海を眺めながら頂いた。

 ティーバックとはいえ、きちんとした急須と皿に供されていて、サロンカーの雰囲気と相まって「走る茶店」の雰囲気だ。お湯のお代わりもできるとかで、細かなきくばり。柑橘系の酸味がほのかに利いた羊羹も、ウマイ。

 ようやくボックス席の方が空いたので、新潟駅で買い込んだお弁当を広げ、にわか食堂車に。この区間は10年以上前に一度通ったが、あの時は運転抑止がかかるほどの悪天候で、曇天の下の海だった。
 それが今日はどうだ、山陰と同じ、透き通るような蒼い海が広がっている。後の予定がガタガタになるのは承知で、飛び出してしまいたいくらいだ。

 景勝地では適宜徐行運転があり、その気持ちを慰めてくれたが、せめて「夕日会館」のある桑川駅あたりでは、観光停車の時間がほしいところ。と思っていたら、10月以降の「夕日ダイヤ」では上り列車で実現したようだ。

 海と別れを告げれば、また広大に広がる豊かな緑の田園と、遠くには風力発電の風車も望めた。あの「いなほ」脱線事故が起きた場所でもあり、風は強いようだ。件の事故現場も暴風対策がなされていた。

 この先、列車は所定の終点・酒田から犀潟まで延長運転されているが、僕は酒田で下車。次の列車まで1時間と少し。大急ぎで、観光案内所でレンタルサイクルを借りた。これが感動の、無償貸し出し。整備状態も上々。ありがたくペダルを漕ぎ出した。

 一度行ってみたかった「山居倉庫」へ。築100年以上になる農業倉庫だが、三角の屋根がリズミカルに並び、欅並木からは蝉時雨。庄内平野の夏の風景の一つだ。本間邸など歴史的な建築物が点在し、1時間あまりのサイクリングでは見足りない街だった。
 


▲きらり美しい車体の「きらきらうえつ」


▲サロンは和風


▲景勝笹川流れ


▲蝉時雨降る山居倉庫

陸羽線をつなぐ新旧気動車

 酒田からは陸羽西線の快速「最上川」で、新庄へと抜ける。キハ110型気動車で、窓の下にアクセントラインが入った当地オリジナルの車両だ。座席を窓の外へ向けられる車両もあると聞いており、1日1往復の快速なのでひょっとして…と思っていたが、一般的な1+2の3列座席だった。展望車は神出鬼没らしい。

 補修か部活帰りなのか、高校生も大勢乗せ、ほぼ満席の状態で発車。余目までは架線下を快走するが、非電化の陸羽西線に入っても、走りは衰えない。停車駅も最小限に絞られており、名門急行「月山」の血を受け継ぐ快速らしい走りだ。

 最上川の姿をチラチラと眺めながら1時間弱、新庄着。山形新幹線の終着駅でもあり、suicaリーダーも備えられたきれいで近代的な駅舎が出迎えてくれたが、時間が合わず「つばさ」の姿はなし。

 代わって気を吐いていたのが、国鉄色、いやそれとも少し違う黄色かかった、「修学旅行色」に染められたキハ28/58系気動車、「おもいで湯けむり」号だ。この春から夏にかけ、週末を中心に運行されている臨時快速列車だが、1〜2日限りのイベント列車とせず、半ば季節列車として恒常的に走らせているのはユニークだ。

 車内は残念ながら(?)、快適なリクライニングシート。かつては急行「月山」や、快速「南三陸」の指定席として運用されていた、キハ110系急行型同等以上のグレードを持った車両で、硬いボックスシートだったころの「急行」を知る最後の世代にとっては物足りなさも感じる。
 単なるリバイバルトレインではなく、鳴子温泉への快適なアクセス列車という側面も、合わせて大きいのだろう。

 それでも発車の際の重い加速感、そして重苦しいエンジン音と「鉄道唱歌」のチャイムを聞けば、「あのころ」の汽車旅がよみがえってきた。

 右側に併走する標準軌の「山形新幹線」を分け、こちらは小国川に沿って山越えにアタック。エンジン全開、それでも歩むような速度で懸命に登っていく。空の青と、山の緑のくっきりしたコントラスト。これぞ夏の汽車旅だ。
 瀬見温泉、赤倉温泉など「温泉駅」か続き、山間の静かなたたずまいに惹かれる。

 県境を越え、宮城県に入れば鳴子温泉。ここは中心駅ということでしばらく停車し、女性駅員のお出迎えもあったようだ。先の岩手宮城内陸地震では、被害の中心となった大崎市ということもあり、観光客の減少には悩んでいたようだが、その後どうなのだろう。

 地震といえば、陸羽東線自体も長らく徐行運転が続き、この「おもいで湯けむり」も運休を余儀なくされていたが、車窓から被害の様子は伺われなかった。もっとも大崎市は巨大な合併新市で、全域であのような甚大な被害となったわけではないようだ。

 このまま列車は今夜の宿泊地である仙台まで行き、東北本線の架線下での力走も見られるのだが、この先訪れる仙台は処女地。ゆっくり見たいので、古川で新幹線への乗り継ぎを図ることにした。

 新幹線ホームには、「送迎のお客様へ ホームではクラッカーや爆竹等の使用は列車の運転に支障する場合がありますので絶対に使用しないでください」なる掲示があり、びっくり。そのような、派手な見送りの風習があるのだろうと察する。爆竹は困るが、転勤シーズンに立ち会ってみたいものだ。

 東京方面の「やまびこ」はE2系、それも窓の大きい「はやて型」の最新型だったので驚く。東北新幹線の世代交代も着実に進んでいるようだ。仙台まではわずか13分。在来線なら1時間以上かかるから、開通時は革命的なことと受け止められたことだろう。
 福岡と地元・久留米の関係に似ていて、3年後に迫った九州新幹線を重ねてみた。

 


▲特別バージョンのキハ110系


▲平成の世に現れた修学旅行気動車


▲車内は平成の快適リクライニングシート


▲エンジン震わせ峠越えに挑む


仙台、杜、牛タン!

 仙台からは、空港アクセス鉄道の電車に乗り継いでみた。JRのE712系電車と同タイプの車両で、低い床面が最大の特徴。東日本らしく、転換クロスではなくボックスシートだが、小物を置けるテーブルが付いているのは嬉しい。
 701系で、行き過ぎた合理化を見せた東北の電化路線だが、方針転換してくれてよかった。

 高架に上がり、自動の車内放送を聞いていると、ここが東京なのか東北なのか分からなくなる。このまま空港まで行ってもいいけど、九州からならばいずれ、仙台空港に行く機会もありそうなので、太子堂駅で下車した。区画整理を控えた、新開地の高架駅だ。

 下り電車は、2日前に起きた岩手県沿岸北部地震による徐行運転の影響で、全体に遅れ気味。運転間隔にもムラができたのか、1本前の電車は超満員で出たのに、今度の電車はガラ空きだ。1駅で、副都心の長町。市の再開発ビルがそびえ、地下鉄も接続しているので、仙台駅まで試乗してみた。

 福岡の地下鉄とは同世代に当たる仙台地下鉄だが、ATO運転や直線島式ホームなど、先進性では先んじているように思う。一方でホームドアの導入はなく、施設にも汚れが目立つのは遺憾だ。お手入れは念入りに。

 車両は、丸い乗降扉の窓が印象的。地上区間での寒風を考慮してか、座席には風除けフードが設けられていて、ここも広告スペースになっているのは面白い。地下鉄といえども、地域毎の個性が出る。

 地下鉄仙台からは、あおば通り駅まで直結している仙台もう一つの地下鉄、仙石線に乗り継いでみた。界隈で唯一の直流電化路線で、山手線で活躍していた205系が主役。運よく、ロングとクロスを切り替えられる2wayシートの電車だったので、クロスシートの席に収まった。

 仙台市内は地下で貫通。地下区間内の利用もあり、地下鉄としての役割も果たす。時間帯によっては1時間4本の運転で、ダイヤも地下鉄並みとはいかないけど…
 それでも、地方都市圏としては異例の街乗り電車型JR線で、地上の沿線も駅ごとに街ができあがっている感じだ。車内の住宅地の中吊り広告には「あなたは仙石線派?東北線派?」なんてものがあったが、それだけ路線毎の「色」ができあがっているということで、これも地方都市のJRでは珍しいことといえそう。

 20分少々の多賀城で下車。折り返し仙台までノンストップの快速へ乗るのが目的だったのだが、突如運休となってしまった。同じくらいの時刻に、「回送」の電車が猛スピードで通過していったので、おそらく地震で乱れたダイヤを更に尾乱さないよう、全駅ノンストップの回送電車としたのだろう。
 それでも多賀城ではほぼダイヤ戻していたのだから、ここからくらい、客扱いしてくれてもよかったのに… 普通電車、それも往路と同じ車両で仙台へと戻った。

 特徴的ともいえる、新幹線口のペデストリアンデッキが賑わう夜の仙台駅。駅から歩いて15分のホテルに荷物を置き、タクシーで街中へ向かった。
 規制緩和の象徴、それも悪い例として挙げられることの多い仙台のタクシー。このタクシーも1割ほど安い初乗り運賃を掲げており、運転士に過当競争の話を向けてみたが、はばかばしい反応はなし。あまり軽々しくよそ者が口にする話題ではなかったかもしれない。

 夜なのに図書館が人を集める現代建築「せんだいメディアテーク」を見学して、深い街路樹を歩き、牛タンをつまみに一杯。おいしく爽やかに、仙台の夜は更けていた。

 


▲腰の低さが特徴的なSAT721系


▲仙台地下鉄は丸窓が印象的


▲仙石線205系の2Wayシート。朝ラッシュ時は横を向く


▲仙台の情報拠点「メディアテーク」

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