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旅名人きっぷで九州再発見
その3
西鉄新ダイヤと初春の南阿蘇鉄道[後]

DMVとの出会い

 中松駅から乗ったのは、さきほどと同じレトロ調気動車。何のことはない、僕が蕎麦を食べて桜を見ている間に、高松から立野に戻り、さらに走ってきただけのことである。沿線ではカメラを構えた「撮り鉄」が、盛んにシャッターを切っている。季節も良くなり、撮影に出かける人も増えたのか。それにしては多すぎる気がするが…そういえば踏切という踏切に、電気工事屋の車が止まっているのは、どういうわけだろう。

 その謎は終点・高森駅到着直前、運転士の観光案内アナウンスで氷解した。ローカル線の救世主と評される、鉄道・道路両用車両・デュアルモードビークル(DMV)の実証試験が行われているというのだ。駅にいた実験スタッフに聞いてみれば、DMVは13時50分にはレールに乗り走っていくとのこと。トロッコの発車も間近で、DMVを一度に見物できる、またとない機会にめぐり合った。

 まずは、立野へ向け発車していくトロッコ列車を見送る。近年、機関車の交換とともにトロッコもリニューアルされたようで、ポリカ製の窓も付いたが、2軸車の貨車がベースの、もっとも「トロッコらしいトロッコ」であることは変わらない。驚天動地の乗り心地を楽しめること、請け合いだ。トロッコ料金は、昔100円だったのが500円にまで値上がりしているが、遠来の観光客がそれを理由に乗るのを止めることはなかろうし、ローカル線たるもの、稼げる所からしっかり稼ぎ、存続に努めていくべきと思う。

 いつの間にか、駅前広場には黄色のDMVが入っていた。鉄道用の車輪が収められている前後の突起以外はマイクロバスそのもので、道路上にいる限りなんの違和感もない。前後に掲げられた「JR北海道」と札幌ナンバーが、はるばる北海道から来た車両であることを伝えている。

 発車時刻が近づくにつれ、実証実験の試乗参加者が集まってきた。僕もぜひ乗ってみたかったが、当日フラリと来て乗れるようなものではなく、事前募集では7倍もの希望者が集まったとか。まわりに動員されている職員の数も半端ではないし、見学者も多いとあって、周囲はちょっとしたDMV特需に沸いているようだ。

 13時50分、バスの姿で高森駅を発車。踏み切りを渡り、バスから鉄道車両に変わる「モードインターチェンジ」(木製)に乗る。ここで「ガタン」と音を立てて、鉄道用の車輪を出し、運転士もバス運転士から鉄道運転士にチェンジした。広報マンが拡声器で解説してくれるので、分かりやすい。

 発車までは数分あるようなので、近くの踏切に移動し待ち構えた。ゴムタイヤで動く車両のため踏切が作動しないのか、電気作業員が踏切に待機しており、手動で踏切を作動させるようだ。実用化となればいろいろと手を打つのだろうが、ひとまずは人手のかかるDMVだ。

 高森を発車したDMVが近づいてきた。さっきまでごく普通のマイクロバスだった車両が、何食わぬ顔をして線路の上を走って行くのだから、面白くてたまらない。閉塞時間の長くなった踏切には、長い車の列とともに路線バスも待っているのだから、面白さも倍増だ。

 何もバカにしているわけではなく、観光資源ととらえた時に「乗り物自体が持つ面白さ」や「非日常性」というのも、重要なファクターだと思う。見守っていた地元の通行人も、
 「こんなのが普通に走るようになったら便利ね!」
 と、興味津々のご様子だった。

 メディアに登場する機会も増えたDMVについては、「バス転換でなくDMVにする意味って何?」と懐疑的に思っていたのだが、いざ現物を見てみると、実用性を超えた部分にも活用策があるのかなと感じた。南阿蘇とDMVの相性がいかほどか、今回のデータを基に検証されていくのだろうが、今後の動向に注目したい。


 


▲観光客満載のトロッコ列車


▲モードインターチェンジで変身!


▲阿蘇の平野を走るDMV
結ばれなかったトンネルは人でいっぱい

 高森の「鉄道名所」といえば、湧水トンネルもそのひとつ。駅からも徒歩5分程度だ。夏向きの観光地と思うが、春の陽気に誘われてか、ここも観光客で賑わっていた。ほとんどがマイカー利用のようだが…

 湧水トンネルはもともと、南阿蘇鉄道になる前の国鉄高森線と、廃止になった高千穂鉄道(旧国鉄高千穂線)を結ぶため建設されていたトンネルで、水脈を切ってしまい工事中断になった、未成線のひとつ。高森〜高千穂間の山中には、9割方完成した高架橋が延々と続いていたものだが、高千穂鉄道も水害のため廃止になり、いよいよ結ばれる可能性は0になってしまった。それでも観光客を集める名所となった湧水トンネルは、まだ幸せな未成線だ。さっそく入ってみよう。入場料300円也。

 単線用トンネルとはいえ、人一人の目から見れば断面積はかなり大きい。真ん中の水路にはざあざあと湧水が流れ、水量は豊富なようだ。地元の井戸を、枯らしただけのことはある。トンネルの暗さにまぎれ、水の清らかさが見えにくいのは残念で、ところどころでも水の中からライトアップしてはどうだろう。

 延々と続くトンネルは思いの他長く、公開されている範囲だけで1kmもある。終点までは10分少々かかるが、電飾や七夕飾りがあり、飽きる道ではない。トンネル内の温度は地下水のおかげで年間通じて一定とのことで、夏ならひんやり涼しいのだろうが、今の時期は外部と大差ない。

 終点は、掘削時の突端を再現した空間になっていた。目を奪われるのが、「ウォーターパール」なる仕掛け。まん丸に打ち出された水滴に、光を一定の周波で当てることで、水滴が止まったり、ゆっくりと上ったりするように見えるという、摩訶不思議な噴水だ。いくら言葉で説明したところで伝わらないし、ビデオカメラでも撮影コマ数と点滅の周期が合わないため、きれいに残らない。ぜひこの目に残しておきたい。

 高森駅に戻ると「DMV祭り」は終わっていたが、駅内カフェには見物客が残り、余韻が残っているようだった。駅近くの造り酒屋でも、「列車撮りにいらっしゃたんですか?」と聞かれ、この3日間、南阿蘇は沸きに沸いたようだった。

 高森発16時20分の列車で引き返す。車両はMT3000型で、前後の窓が大きく迫力ある前面展望を楽しめるが、ロングシートなのは残念だ。

 「阿蘇下田城ふれあい温泉」駅で下車。立派なお城風の駅舎であり、高千穂鉄道の日之影温泉駅に列車が来なくなった今、九州唯一の温泉駅でもある。ご多分に漏れず、列車で来る入浴客は多くないようだが、ここの場合はご近所から歩いてくるご老人が多いのは、特筆すべきだろう。

 温泉そのものも電気風呂があるくらいで、サウナや露天風呂といった観光客向けの設備はなし。ご近所の、共同湯的な雰囲気だ。初めて南阿蘇鉄道を訪れた時にも入ってみたが、開業から15年、浴場は温泉の析出物で、いい感じに風格が出てきた。循環湯なのは残念なことで、この規模なら掛け流しも不可能ではなさそうだが…?

 逆方向の列車に乗り、1駅の「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅へ。いわずと知れた日本一長い駅名だが、略して白水高原と呼ばれているようだ。「阿蘇下田城ふれあい温泉」にしても、たいていは「阿蘇下田」と、昔の名前で出ています。

 白水高原駅のまわりは、集落から少し離れた静かな場所。日がかげりゆく田んぼの真ん中にあり、水清らかな、好ましきニッポンの典型的な田舎だ。「水の生まれる里」の名前に偽りはなく、周囲には多数の名水がある。中でも寺坂水源は、南阿蘇鉄道の鉄橋の下にある湧水だ。川沿いの道を歩いていると、幼き頃の散歩道を思い出した。



 


▲清らかな水を流しだすトンネル


▲水仕掛けが楽しい先端部


▲立派な城駅舎
大牟田→福岡58分

 立野行きに乗れば、もう夕方6時。渓谷も徐行サービスなしの高速で通過し、これはこれで怖い。立野からは、肥後大津までの電化以降少なくなった、貴重な熊本直通のディーゼルカーの普通に乗る。夕方の市内行き列車にしてはかなりの乗りで、遊びにでも出る人たちなのだろうか。

 市電との接続駅、新水前寺では半分近く下車。このまま乗っていても、上り普通電車まで熊本駅で40分待つだけだし、上熊本まで市電に乗ろうと、僕も降りてみた。

 運よくやってきたのは、超低床電車の9700型。今では全国各地の路面電車で見られるようになった超低床電車だが、10年前のデビュー時には衝撃を持って迎えられたものだ。熊本市電の大きな変化といえば、区間別だった運賃が、昨年10月から150円均一になったこと。初乗り130円だったので区間によっては値上げになったが高い水準ではなく、分かりやすさの面から歓迎したい。

 乗客はやはり市内へ向かう流れがほとんどで、中心部の水道町でほとんどが降りた。広いアーケード街は人で埋まっており、あと一歩で政令市の都市の勢いを実感する。

 一方で上熊本へ向かう流れはそう大きくはなく、車内にはゆとりができた。広い幹線道路をスムーズに走り、上熊本着。150円を入れて降りた。そう、熊本をはじめ、長崎、鹿児島の路面電車は、旅名人きっぷの効力外なのだ。その他に、熊本電鉄、筑豊電鉄も参加しておらず、全九州乗り放題とならなかったのは残念。ちなみに春から売り出されたJR四国の「四国まるごとパス」は、島内全線乗り放題を実現した。ぜひパワーアップした「次」を期待したい。

 上熊本駅前の電停上屋は、以前のJR上熊本駅を移築、再生したもの。中身をすっかりくり貫かれた姿は少し痛々しくもあるが、外から見れば昔のままの姿。完全保存ができれば望ましいのだろうが、目的もなく中途半端なまま「保存」され、野ざらしになるよりは、よほど良いだろう。

 上熊本駅からの上り電車は817系の2両編成で、なんとか空席を見つけ革張りのシートに収まった。混雑する車内からは降りる一方だが、無人駅も多く、車内で運賃収受を行わない「都市型ワンマン」だけに不正乗車がないか心配だ。時々は特別改札を行っているのだろうか。県北の主要都市、玉名での下車がさすがに多く、新幹線開通後は快速を走らせてほしい区間だ。

 大牟田からは、再び西鉄特急に。今度は、本命の8000形クロスシート車両だった。少し狭いものの、厚手のクロスシートに収まれば贅沢な気分。1989年のデビューから19年が経過したが、今もって色あせることのない看板車両だ。先代の特急車2000形が15年で降板したことを考えれば、そろそろ次の特急車を…と思わなくもないが、その時には柔軟な運用にするため、今は急行形の3000形が増備されそうな気もする。

 少ない乗客を乗せ、闇の筑紫平野を快走。上り特急は、下りより1分短い所要時間58分で、これが正真正銘の最速列車になる。3箇所ある単線区間と複線区間の変わり目では、上り線に下り線が合流する形になっており、下り列車が減速を強いられるためこのような差が出ているようだ。

 久留米、二日市と乗客を乗せ、ネオンも次第に明るくなっていく。九州の首都、天神ど真ん中の西鉄福岡(天神)駅は、まだ1日の活動を続けていた。大牟田から58分、確かに最速だった。



 


▲近未来の電車と歴史的駅舎


▲厚手のシートが並ぶ8000系


▲広々福岡駅に到着

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