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旅名人きっぷで九州再発見
その1
さよなら島原鉄道・ちょっと昔の旅[前]

今度は私鉄も乗り放題

 方針転換なのか、九州新幹線開業を前にことごとく廃止した乗り放題系のきっぷを、今年から復活させたJR九州。「20周年」「ゲキ★ヤス」と続いた特急乗り放題に続き、今度は普通列車の乗り放題きっぷを発売した。
 その名も「旅名人の九州満喫きっぷ」。青春18きっぷ方式「3回分」で1万円という価格は、やや微妙かなと思わされるが、ポイントは一部私鉄でも使えること。筑豊電鉄を除く福岡県内の全私鉄と、国鉄転換の第三セクター、さらに島原鉄道まで乗れてしまうのだから、使い方によってはかなりモトを取れそうだ。

 旧国鉄の第三セクターが参加しているのはなんとなく理解できるが、ライバル会社の西鉄や、都市鉄道の福岡市営地下鉄まで参加しているのは驚きであり、これも大きな方針転換に見える。九州内のバス各社が「SUN Qパス」で連携したように、鉄道各社が九州内で一致団結する第一歩なのかもしれない。

 なんて難しい話はさて置いて、この切符でどんな旅ができるか、机上旅行だけでも次々プランが膨らむ。1日乗車券の発売されていない北九州モノレールの全駅制覇のチャンスでもあるし、松浦鉄道もご無沙汰だ。私鉄にこだわらず、久大本線沿線の温泉めぐりもいいな… というわけで、3回分の予定を決めずに、とりあえず購入してみた。
 第1弾の旅は連休中日、島原鉄道に行ってみよう。高校3年生のGW(つまりは9年も前…)に行ったきりだし、島原外港以南の廃止も来春に迫っている。お名残乗車ラッシュになる前、乗るなら今だ。


西鉄+高速船=島原最速ルート

 日帰り旅行はちょっと早起き。私鉄乗り放題を活かそうと、「西鉄」井尻駅へと歩いた。九州外の人なら、「島原へ行くのにどうして西鉄?」と思われるかもしれないが、大牟田・三池〜島原間の島鉄高速船と結ぶ島原連絡ルートは、西鉄沿線ではよく知られている一般的なルートだ。高速船の分は手出しとなるが、所要時間は2時間余り。直通の高速バスより、1時間近く早い。

 さて気になっていたのは、使用日に丸型スタンプを押す青春18きっぷ方式のこの切符に、私鉄各社はどのようなスタンプを入れるのかということ。西鉄には途中下車用の丸型小印を備えてあるから、それを押して日付は手書きかな。JR発行の切符を西鉄の駅で使う違和感に苛まれつつ、駅員さんに切符を差し出してみれば、そのままパスさせようとするからびっくり。
 「ちょっと、スタンプ押すんでしょ?」
 「あ、そうだ」
 と押されたスタンプは、「西鉄・19.10.-7・井尻東」と書かれた丸型。こんなスタンプ見たことがなく、どうやら旅名人きっぷのために準備されたもののようだ。有人全駅に設置したのだろうか、ご苦労なことだ。

 下り普通で西鉄二日市へ、さらに特急に乗り継いで大牟田へと下る。特急は、クロスシートの専用車で一安心。混雑時間帯はロングシートの通勤電車で運行されることが多かった西鉄特急だが、最近は平日夕方の限定的な運用になってきている。
 先頭12席は、ワイドな車窓が楽しめる展望席。まわりの乗客も大荷物の人が多くて、西鉄ながら旅気分になってきた。島原連絡便ならではの情景だ。

 大牟田着、西口からの連絡バスで三池港へ。ここも「よかネットカード」で別払いだ。見た目は普通の路線バスなのだが、座席の多い特別仕様車で、しかも後部には補助席まで付いている。こんなバスはじめてだ。ほどほどに席を埋めて、バスはゆっくりゆっくり港へと向かった。何か行政指導でも入ったのか、最近の西鉄系のバスは、やたら順法運転だ。
 三池港ターミナルに到着。ターミナルと呼ぶにはあまりに小さな小屋で、「船着場」という表現の方がしっくりしそうだ。時刻表の乗り継ぎ時間はわずか4分で、時間内に乗り継げるのだろうかと思ったが、ほとんどの人は連絡きっぷを持っていて、窓口で切符を買う人はわずか。乗船名簿の記入もなく、流れるように全員が乗り込み、あっという間に出航した。ほとんどバスの感覚だ。

 高速船とはいっても定員50人の小さなもので、速力も23ノット(約43km)。凪いだ平原のような海原を、すべるように走っていく。船内は座席が並ぶだけで、小さな喫煙所代わりの甲板があるくらいだ。トイレはウォシュレットで、これだけはデラックスだった。
 そんなバスのような船旅だが、少しずつ迫ってくる島原の街と普賢岳を見ていると、心踊る。定刻より10分近く早い、9時半すぎに島原外港に到着。まだ1日は始まったばかりの時間だ。早い。

 


▲西鉄ロマンスカーでまずは大牟田へ


▲三池港シャトルバスに乗り継ぎ


▲派手な島鉄高速船で島原へ
風変わりな体験学習トロッコ

 港から島鉄の外港駅までは徒歩3分。便利な位置ではあるが、高速船との接続はあまり考慮されておらず、市内へはバスの方が便利なようだ。
 ただ、これから乗る「観光トロッコ列車」だけは、高速船1便からの乗り継ぎを充分に考慮したものになっていて、駅に向かう旅行者も何組かいた。僕は前回に来た時に、トロッコは時間が合わずに乗れなかったので、もちろんその一人になる。

 駅の窓口で「電話で予約しました」と言って、観光地の入場券風風のトロッコ乗車券を購入。この島鉄のトロッコ列車はちょっと独特で、乗れるのは島原か外港のみ。深江までの往復乗車に限定され、運賃もまたく別立ての500円だ。そんなわけで旅名人きっぷも使えず、またも別払いとなる。
 まっ黄色に塗った古豪のキハ20系を先頭にした、観光トロッコ列車「島鉄ハッピートレイン」は、団体さんを中心に乗客でいっぱい。予約することもなかったかなと思っていたが、連休中とあって人気はなかなかのようだ。

 私鉄らしく、軒先の迫る住宅街の中を走っていたトロッコ列車だが、高架の災害復旧区間に差し掛かると景色が広がった。勇壮な、平成新山と眉山の雄姿も姿を現す。
 高架に生まれ変わった安徳駅を通過し、安新大橋で導流堤を渡る。すっかり復興を成し遂げた周囲の車窓から災害の面影は感じにくいが、自らも避難生活を送ったという島鉄社員さんの説明はさすがリアルで、当時の惨状が目に浮かんでくるようだ。
 島鉄復旧とともに運行を開始した当初、
 「災害の痕跡が残っている間はいいとして、周囲の復興が終った時に、惨状を伝えきれるのか」
 なんて声もあったが、延々と続くこの名ガイドで、コンセプトは充分活きているようだ。

 本当に水がない水無川を渡り、折り返し駅の深江に到着。ここで、1番ホームから2番ホームへきちんと転線してから折り返す。往復乗車が原則の列車だけど、折り返し時間にはホームにも下りることができて、ちょっとした途中下車気分。地元婦人会の特産品即売なんてあれば、売れそうだ。
 ここで、赤ちゃん連れ母子が控え車に乗り込んだ。もとより本数が多いわけではないこの区間だけに、地元の人には便宜を図っているらしい。

 帰路もガイドは止まらず、もはやプロの粋。目の前に広がる山々と、何度も見た火砕流や土石流のニュース映像が蘇ってきた。自然と一体になって風に吹かれるのが目的の、他のトロッコ列車とはまったく異なる「災害学習トロッコ」。来春の廃止と同時に当然なくなってしまうのだろうけど、せっかくの立派な高架橋や橋を生かすためにも、錦川鉄道末端区間の方式で「ロードトレイン」にはできないだろうか。このまま無くしてしまうのは、惜しい。

 ふたたび下町を抜けて、島原駅着。トロッコ列車は昼の便が出るまでしばしの一休みだが、僕の旅は休みなく続く。



▲古びたホームへ鮮烈なイエロー


▲満員盛況のトロッコ車


▲高架から広がる海原を眺める
安中三角地帯を歩く

 あの大災害の地をトロッコ列車で通り過ぎてしまうだけでは惜しく、沿線に乗り降りしてみようと、10分後の下り列車で折り返した。
 キハ2500系新型車の単行は、休日とあって立客いっぱいの状態で到着。島原駅は有人駅なのに、運賃収受を車内で行うものだから発車できず、少し遅れた。さらに運賃箱が不調になったとかで、南島原での5分停車も切り詰められずに、そのまま遅れを持ち越す。運賃箱が壊れるほどの盛況。大変だ。
 外港を出ても、廃止間近の路線とは思えない混雑である。ひさしぶりに乗ったという乗客同士の会話が、あちこちから聞こえる。来週末は鉄道の日記念で、島鉄グループ800円乗り放題の切符が使えるらしいが、どんな混雑になるのだろうか。全列車2両編成に増結するらしいけど…

 水無川を超えた最初の駅、瀬野深江駅で下車。片面ホームで、駅舎のない無人駅だ。ここから国道に出て10分ほど歩いた場所にあるのが、道の駅みずなし本陣。ここには土石流に埋まった家々をそのまま保存してある、被災家屋保存公園がある。
 観光バスも乗りつけ、人であふれる道の駅。その横に、埋まった家々がそのままの状態で保存されている。恐ろし現実と、のん気な観光客がミスマッチだが、今賑わうここには本来、平凡な普通の暮らしがあったことを、否応無しに実感した。山に異変がなければ、この家に住んでいた人たちは、平穏に今日もここで暮らしていたはずなのだ。生活も思い出も、土の下数メーターに埋まってしまった。
 その上に立つ道の駅で、ちゃんぽんを食べる。妙な気分だ。

 水無川を渡り、今後も続く土石流から守るため かさ上げされた「安中三角地帯」へ。こざっぱりした住宅街のようで、住宅地の中に無用の車が入れないようにクルドサック(袋小路)状に計画されている。言われなければ、そのような場所とは到底分からないだろう。
 再建された家は多いが、未だ分譲中のままの土地あり、新しいのに主を失った家ありと、すべての住人が安住の地に戻ったわけではないことも感じられた。

 穏やかに晴れたいい天気。山を見れば、普賢岳と平成新山が、勇壮ではあるが優しい表情でそびえる。別府で生まれた僕は鶴見岳の姿に安らぐし、育った佐賀の背振山系にも親しんでいる。毎日、なにげなく見上げていた山が豹変したら、どんなに恐ろしいことだろう。人生、なにがあるか分からない。繰り返される平穏な日常って、幸せなことだ。

 水無川の鉄橋で急行色のキハ20、さらには安新大橋を渡るトロッコ列車を撮影。まだまだ真新しい鉄道施設を行きかう列車を見るたび、間もなく廃止なのは心底惜しいと思う。せめてもと、記憶と記録に焼き付けた。



▲屋根だけ見せる被災家屋


▲水無川を渡るキハ20


▲住宅街のような三角地帯

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