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韓国乗り歩き10日間(2)

2日目・釜山より首都ソウルへ/釜山〜ソウル


京釜線の車窓から


夜のソウル駅舎


南浦洞・ほのぼの歩き

 目覚めれば、窓の外には釜山の街並みが広がっていた。赤いアーチ橋や、山まで立ち並んだ住宅が窓に映る。ダイヤモンドフェリーに乗って神戸に来たような錯覚を覚えるが、ここは韓国。異国の土地だ。否応なしに、気持ちが高ぶってきた。来た、また来れた!

 とはいえ、出入国管理局が開く時間まで降りることは許されない。日本語が達者な釜山のおじさんから、
 「ソウルなんてつまらんよ。釜山の方がいい所はたくさんある」
 なんていうお国自慢を聞きながら、朝の時間をゆっくりと過ごした。関西人が「東京なんてなんぼのもんじゃい」と言うのと同じように、釜山の人もソウルへの対抗意識は強いのだそうだ。

 下船口に向かってみると、さっそく大荷物の行列が完成していた。出遅れた僕らは、その後に続いて上陸、入国手続きへ向かう。係官は憮然としているが、「アンニョンハセヨ(おはよう)」「カムサハムニダ(ありがとう)」程度の言葉は交わすよう努めた。4人全員、問題なくクリアで放免。銀行窓口でウォンを手に入れ、さあ、街へ飛び出せ!  右側通行に違和感を覚えつつ、大通りから地下鉄駅へと歩く。街を行く自動車を見た谷口が、
 「なんだ、みんな日本車のパクリじゃん」なんて言うので、
 「いやいや、日本の会社と業務提携しているから、似てて当然なの!」と弁護。でも正直なところ、僕には車を見ただけで元ネタが何かなど分からないので、違う視点は刺激になる。

 駅のロッカーに荷物を預けようにも、ロッカー代金100ウォン×9枚(1000ウォン=100円程度)という細いお金があるわけもない。そこで海外旅行初体験の市野瀬、谷口は、会話帳片手に両替にチャレンジしていた。いい傾向だ。

 まずは韓国の街の雰囲気に慣れようということで、竜頭山公園や釜山タワーのある南浦洞(ナンポドン)へ歩くことにした。セブンイレブンがあり、近代的なビルが立ち並ぶ風景は日本のようだが、看板はもちろんハングルばかり。床面が波打つ地下街、車で歩道を走らないと車道に出られない駐車場なんてのも、日本ではなかなかお目に掛かれない。

 街から坂道を上り詰めた所にある竜頭山公園は、桜が満開だった。つぼみが多かった佐賀よりも、むしろ満開に近い。頂上まで登ると、コリアンスタイルの釜山タワーがそびえていた。登ってみるつもりはなかったのだが、模範タクシーの運転士さんに勧められるままチケットを買わされてしまった。

 高速エレベーターに乗り込み、登ること数十秒。眼下には釜山の街並みが広がった。高層アパート群があれば、小さな家屋がびっしりと立て込んだ地域もある。真下の小学校では、児童がドッジボールに興じていた。あれ、春休みじゃないのかな?  下に降りれば、公園は遠足でやって来た園児たちでいっぱいになっていた。子供は万国共通の宝、特にこちらの子供は大事に育てられているのか、とても可愛い。春の暖かな光と風に包まれて座っていると、どの国にいるのかなんて関係なく、ほのぼのした気分になってきたのだった。

西面・繁華街歩き

 昼ごはんは、麓の店で本場韓国の石焼きビビンパを堪能。みんな、舌もお腹も大満足で、韓国最初の食事は大アタリだった。

 今度はもっと賑やかな繁華街を見ようと、地下鉄で西面(ソミョン)へ向かった。前回450ウォンだった初乗り運賃は600ウォンに値上がりしていたが、邦貨に換算すれば安いことに変わりはない。

 小型の地下鉄電車に乗り込み、手すりに捕まると、強烈な静電気が走る。空気が乾燥しているからか、ひときわ日本よりも激しく、"金属恐怖症"の旅が続いた。一方でひどい花粉症の谷口は、こちらに来て以来すっかりラクになったという。日本ではマスクが常に手放せないほど重症なので、この国の居心地は上々、天国だろう。

 韓国の地下鉄ですごいと思うのは、ケータイが通じることだ。しかも駅だけではなく、駅間を走っている時も話せるのだから便利である。もっとも、車内でケータイを使うことがマナーに問われないからこそ、基地局の整備も進んだという面もあるだろう。

 2号線開通に伴って拡張された西面駅はピカピカで、地下街がそのままロッテデパートへ続いていた。前回訪れた時は店休日だったので、中に入るのは初めてだ。
 「すっげぇーっ!!」
 ロッテデパートは「そごう」を更に豪華にしたようなバブリーな造りで、しかも店員さんの数がすごい。比較対象でもなかろうが、トキハわさだ店の3〜4倍程はいる印象だ。店員だけではなく、平日の昼間から買い物客は多く、景気のいいデパートである。

 特に面白いと感じたのは、家電コーナー。SONY、aiwaといった日本企業も健闘しているが、陳列棚は韓国メーカーの方が優勢で、デザイン面では日本より一歩先んじているように見えた。特に日本では見かけないinkelは抜きに出ていると思うし、サムソンなど日本でお馴染みのメーカーも、日本では見ないモデルばかりだ。このセンスで、日本メーカーに挑戦しないのだろうか。独自のデザインで差別化を図れば、「安物」のイメージも払拭できると思うのだが‥‥ 韓国家電メーカー日本支社の今後に期待している。

驀進セマウル4時間30分

 中央洞駅まで戻って、時間もあるので歩いて1km先の釜山駅へと向かった。前回も歩いた道で、路上駐車が多くて歩道が機能していないのは相変わらずだ。

 いよいよ鉄道の旅のスタートだが、何はなくとも、鉄道旅行は時刻表がなければ始まらない。売店で、
 「シガッピョ、ジュセヨ(時刻表下さい)」
 と言って手に入れた時刻表は3,000ウォンと変わらない値段だったが、本文ページがザラ紙になっていた。以前の時刻表を元にプランニングしていたので、かなり変わった時刻に面食らう。

 発車10分前になったので、改札を抜けて「セマウル」乗り場へ。2編成併結の堂々16両編成で、低いホームから見上げる列車は大きい。編成間の通り抜けはできないので、はるか前方まで歩いて指定された6号車に納まる。谷口だけ席が離れてしまって、しかも女性軍人のお隣だ。心細かろうが、我慢してもらうほかない。

 午後3時、セマウルは釜山駅を離れた。ディーゼル動車だが、エンジンは最前部・後部に集中してあるので静かな発車だ。さすがは最上等級列車の「セマウル」で、座席はゆったり。さらに全席にオーディオ装置、そして天井には液晶テレビまで装備されていて、以前よりグレードアップが図られていた。時々現在位置が表示され、まるで飛行機のようだ。車内放送は韓、英、日本語に、中国語が加わる変化が。日本語の言い回しも、より自然に近くなっていた。

 「セマウル」は「新しい村」という意味で、列車の等級を示す愛称である。2年前の旅からは少し変化しているので、改めて表に示そう。

愛称  意味 座席 最低運賃(W)
セマウル 新しい村 全席指定 7,600(平日割引あり)
ムグンファ むくげ 全席指定 4,700
トンイル 統一 全席自由(一部路線では指定制) 2,900
通勤型トンイル 統一 全席自由 1,100

 それぞれが日本のどの列車種別に相当するかは諸説あるが、セマウル・ムグンファを「特急」、トンイルを「急行」、通勤型トンイルを「普通」と見るのが妥当だろう。「急行」が激減しているのは、韓国もまた同様である。

 とうとうと流れる洛東江の流れを見ながら、列車は走る。土手の内側にまで耕地が広がっているが、氾濫したらどうなるのだろう? やがて列車は韓国第三の都市、大邱(テグ)へ。列車が山越えにかかり、車窓がよくなったのをきっかけに、軍人さんの隣で固まる谷口を誘って食堂車へ居場所を求めた。

 車窓に映るのは、葉を落とした山々を背景に建つ、トタン葺きに変わりつつある伝統家屋や、ベランダがガラス張りの高層アパート。建築学科の学生として、日本と異なる建築物は気になる存在で、コーヒーを傾けつつ話に花を咲かせた。一息、座席から離れた空間でくつろぐのは楽しいことだが、日本の列車はほとんど捨て去ってしまった楽しみ。惜しいことだ。

 大田(テジョン)前後では、韓国版TGV「KTX」の工事が進んでいて、すでに架線が張られていた。試運転列車の幻想を追い目を凝らすが、結局お目にはかかれず残念だ。暮れゆく夕日を眺めながら、今度は4人そろって夕食を食べに、改めて食堂車へ向かった。いい値段だったカレーが、とことん甘かったのには驚いた。辛い食べ物が多い反動だろうか。

 水原(スウォン)からは電鉄(国電)区間になり、複々線を通勤電車が並走する。都会の薫りが漂ってきた。漢江(ハンガン)を渡れば、いよいよ首都ソウルだ。闇の中に、輝く63ビルが車窓を飾った。 5分遅れでソウル到着。韓国で鉄道は主要交通機関ではないが、それでも首都の駅とあって賑わっている。表に出れば、赤レンガのソウル駅舎が美しくライトアップされていた。

 もう時間も遅いので、このまま宿に直行。駅前の、地下鉄ソウル駅へと降りる。赤色が目印の1号線乗り場を探すが‥‥あれ、ないっ!? そんな馬鹿なと思ってよく見ると、ラインカラーが紺に変更されていた。同時に直通運転している国鉄京釜線・京仁線・京元線の電鉄区間も、総称して1号線と呼ぶようになったようだ。

 福岡でいえばJR筑肥線まで「空港線」と呼んでいるようなもので、日本の感覚からすれば違和感がある。しかしソウルの場合は、地下鉄2社と国鉄が同じ運賃体系なので、利用者が会社の違いを意識する必要はまったくない。総称した方が、利用者本位なのだろう。

 ラインカラーが変わったとはいえ、電車の色は以前と同じで、黄、緑の派手な国鉄電車に揺られて鐘路3街(チョンノサンガ)へ。夜の到着とあっては宿探しが不安だったので、日本から韓国観光公社のHPを通して、この駅近くのホテルを予約しておいた。

 ところが、手持ちの地図を見てもよく分からず、探し回っても見つからない。困って通りすがりのおばさんに助けを求めると、突然コトバも分からない外国人に声を掛けられ戸惑うどころか、携帯でホテルに場所を確認してくれた。身振り手振りで「陸橋を」「くぐって」「すぐ」と教えてもらって、無事にホテルへ到着。おばちゃん、感謝!!

 室料3,000円の割にきれいな部屋に入ると、しばらく動く気がしない。テレビを付けると、ニュースではちょうど仁川新空港の開港のニュースをやっていた。アジアのハブ空港を目指す超巨大空港の開港という、歴史的な日に立ち会ったのだ。 もっとも、香港の九龍空港移転の時のようなトラブルも予想されていて、「何も起きていないかな?」という気持ちで画面を見ていた。市野瀬&森コンビは先に、この空港から帰国することになっていて、トラブルに巻き込まれては気の毒だ。幸い、大事は起きていないようで、ひとまず安心した。

 それにしてもその2人、「ちょっと出掛けてくる」と言ったまま、一向に帰ってくる気配がない。いい加減に心配になり始めた頃、ようやく戻ってきた。 「明洞(ミョンドン)まで歩いてきたよ〜」 その行動力と好奇心には、旅慣れた僕も脱帽した。

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