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2日目【4月6〜7日】 宮古→田野畑→久慈→八戸→東京→福岡
4月6日・北リアス線復活!


喧騒の初列車で田野畑へ

 4月6日日曜日、北リアス線の全線復旧の日。せっかく始発地たる宮古に泊まったので、宮古発の一番列車に乗るべく、5時20分に起床した。4月初めの5時台とはいえ、東に来た分九州よりずいぶん明るく、体内時計はちょっと早起きした程度という認識である。

 さめやらぬ街を歩き5時40分、宮古駅に到着。三鉄宮古駅前には、すでに行列ができていた。一番列車に乗る人のため、早朝5時50分には窓口を開けることが告知されていたが、繰り上げて窓口を開けたようだ。駅員さんは、切符を買う方は右手に、改札へ並ぶ方は左手にと案内していたが、乗客からは「どっちから見て??」とツッコミが入っていた。

 久慈行きの復活一番列車は、2両編成。クウェートから寄贈された新型車両ではなく、開業時からの車両だった。赤と青のストライプが入った外観は、30年前のデザインとは思えない。宮古方の車両は、ネスレの協力でラッピングされたキット・カット号。部分復旧時にも活躍した車両で、一番列車の花を持たせるにはふさわしいかもしれない。

 車内の壁には、NHKの連ドラ「あまちゃん」のポスターが大きく飾られていた。僕も、「北三陸鉄道」として毎朝オープニングを飾るディーゼルカーに、親しんでいた一人だ。久慈と三鉄への貢献も、絶大なものだったと聞く。テレビの中の「北鉄」も、きっと今日、全線開業を迎えていることだろう。

 一番列車の乗客は、鉄道ファンと沿線の人々で、半々といったところ。報道関係者の姿も多く、東北の地方紙、河北新報の記者さんからインタビューを受けた。九州人の鉄っちゃんの率直な思いとして、「普賢岳の災害から復旧ながら、10年で廃止された島原鉄道のようにならないよう、遠くからも応援したい」と答えたけど、伝わっただろうか。

 2両編成だったおかげで、僕らも先頭車の海側のボックス席を確保できた。運転席まわりには、マスコミ各社が陣取っている。運転士さんからは、発車を前に乗客へ、再開までの支援を感謝するメッセージが伝えられ、胸が熱くなる。

 6時8分、汽笛を鳴らして宮古駅を出発。その瞬間、車内は拍手に包まれまた。ホームや駅のまわりでは、沿線の方々が手を振って見送る。制服姿でお祝いの横断幕を持つのは、都営地下鉄の運転士さんたち。向かいの席の夫婦は、東北にまで来て都営の制服を見るとはと驚きの声を上げていた。多くの人に見守られての、第二の開業である。


▲6時を前に行列ができていた三鉄宮古駅


▲改札が開く時を待つ


▲久慈行き一番列車は三鉄開業時の車両


▲田老で宮古行き一番列車と交換


▲ふるさと会の横断幕に迎えられ田野畑到着



▲今日は静かな田野畑の入り江

 宮古から田野畑までは、震災9日後に運行を再開した区間。がれきの中を走る列車の姿は、驚きでもあり、三鉄の底力を見せつけてもいた。その後1年間は徐行運転を続ける代わり、「復興支援列車」として割引運賃で走っていたが、いまは路盤も安定し、最高速度で走っている。

 とはいえ、万里の長城とも呼ばれた巨大防波堤をもってして守られなかった田老の街並みは、爪痕が深い。田老集落を見下ろすホームで待つことしばし、遅れてやって来た宮古行と交換した。復旧区間を通過してきた正真正銘の一番列車だが、こちらよりも空いているようだ。乗り移ってくる人も見られ、車内は早朝の列車とは思えない熱気に包まれてきた。

 昨日までの終着駅・小本駅では、小旗を手に見送る人の姿が多く見られた。駅前には県北バスが何台も留め置かれており、このうち何台かは昨日限りとなった代行バスのはずである。この先は、昨冬もその前の年も乗れなかった区間。駅を出てすぐの家の窓には、「三鉄全線再開おめでとう!」というメッセージが張り出されていた。

 南リアス線と同様、今回の復旧区間は最徐行。高規格の長いトンネルだが、ゆっくりゆっくりと踏みしめるように走って行く。トンネルを抜ければ、島越駅。頑強な高架橋は集落もろとも押し流され、北リアス線ではもっとも工事の規模が大きくなった区間でもある。まだ7時前という時間だが、大漁旗を手に見送る地元の方々の姿があった。

 さらにトンネルを抜け、やはり昨日までの終着駅だった田野畑駅で下車。震災から約3年1ヶ月、ついに線路は通じた。ホーム横の擁壁には、地元と自治体に加え、東京田野畑会の横断幕が。川にかかる橋にも、「開通おめでとう」の文字がある。サクラに飾られた立派な駅舎は朝陽に輝き、どこか誇らしげに見えた。足元には雪が残るが、暖かな日差しに迫る春が感じられた。

 次の列車までは1時間近くあり、駅前散策に出てみた。海への水門は三鉄の車両を模しており、同行者は昨年初めて見た時、津波で打ち上げられた車両なのかと勘違いしたほどの出来である。津波を受けたことには間違いなく、管理小屋への出入りのドアはひしゃげたままだ。

 海岸まで出れば開業日の喧騒とは無縁で、海はもちろん、そこへそそぐ川の水の透明度にも目を見張った。山の木々は多くが落葉樹で、腐葉土から流れ込んだ水が、栄養度の高い海を作るのだと何かで読んだことがある。豊かな海の恵みを受けるための水産加工場は、プレハブで復旧されていた。


島越復興への第一歩

 駅の待合室を早めに開けてくれたのは幸いで、温まりながら列車を待った。今度は上り列車に乗り、島越駅までバックする。単行だったが、ゆったり席に座れるほどの乗り具合だ。田野畑村の皆さんが、やはりここでも大漁旗で見送ってくれた。

 トンネルを抜け入り江を渡り、島越駅へ。もとは集落を渡る高架橋の上にホームがあったのだが、復旧にあたって久慈側のトンネル近くに移設された。駅舎の復旧も全線開業に間に合わせる予定だったものが、資材と人手の不足で今なお工事中である。震災前は海を望む喫茶がある瀟洒な駅だったというが、素敵な駅舎に仕上がってほしいものと思う。

 時間も下り、駅前にはさきほど通過した時より、多くの人が集まってきていた。島越の集落は崖上の2軒を残し流されてしまっており、避難先から集まってきた地域の方々のようだ。仮設パイプで列車を見送るための展望台が設けられており、「LOVE三鉄」の垂れ幕とともに、行き交う列車に大きく手を振る姿が印象的だった。

 もとの駅跡に行ってみたが、ロータリーのような道路に名残りを留めるのみ。残されたのは9段目までの階段と、宮沢賢治の歌碑だけだった。それらは遺構として、今も残されている。復旧に当たっては、線路は高架から築堤に作り替えられ、集落を津波から守る頑強なものに変わった。元の集落も整地が進んでおり、いずれ再建が進むに違いない。今の環境では島越駅の利用者もごく限られた人数になるだろうが、地域の復興とともに本領を発揮してくれることだろう。

 島越駅前すぐの海岸は砂浜で、海水浴客のために駅には更衣室とシャワー室が備わっていたという。海岸は荒れており、残された砂浜はわずかとあって、今年再開する海水浴場のリストには上がっていない。海水浴のできる駅の看板をまた掲げるには、もう少し時間が必要だ。

 ホームには、「復興の始発駅」という力強いメッセージが掲げられている。地域の方手作りの、三陸鉄道のイケメンキャラ「鉄道ダンシ」を描いた記念の小旗が配られていた。

 8時45分発の下り久慈行きは、約10分遅れで到着。頂いた小旗を振って、歓迎した。田野畑駅までの間では、島越から積み込まれた村からの記念品が配られた。ワカメにシイタケにマッシュルーム…牛乳サブレは、朝から何も食べていない腹にはありがたい。新鮮な地元の食材に、感謝!


▲田野畑駅でも大量旗の見送りを受ける


▲島越の高架は、頑丈な築堤として再建


▲旧駅舎跡に作られた「見送り台」


▲田野畑村からの記念品が配られた


▲ピカピカのレトロ車とお座敷車が連なる記念列車



▲夏ばっぱが旗を振った海岸

 田野畑駅では、レトロ車、お座敷車、一般車の3両を連ねた、久慈発の記念列車と交換。もちろんこの列車の抽選にも応募したのだが、残念ながらこちらもハズレ。せめれ列車の雰囲気だけでも感じようと、最後尾の一般車に乗って宮古に戻り、宮古駅前の記念式典を見学しようとプランニングしていた。しかし田野畑駅で見たポスターで、同じ時間帯に久慈でも地元主催の式典を行うことを発見。オフィシャルな式典は昨日見たので、今度は地域主催の式典を見ようと、急きょ久慈へ行くことにした次第である。

 田野畑〜陸中野田間は、昨春に再開された区間。なのに普代から乗り込んでくる団体さんがおり、オヤと思う。全線再開に関係なく、普代〜久慈間を体験乗車するツアーなのだろう。一部区間の体験乗車は、今や地方三セクの大きな収入源である。右手の車窓には立派な三陸道が映り、「命の道路」としての重要性は認識しながらも、三鉄への影響を心配する。

 相変わらずトンネルは多いのだが、谷を渡る高い橋梁では太平洋の大海原の景観が広がった。「あまちゃん」でも夏ばっぱが、旅立つアキを大漁旗で見送った名シーンのロケ地でもある。ドラマでのシーンそのままに晴れ渡った空が、また印象的だ。遅れは回復しておらず、久慈で接続の八戸線の列車も待たせている状況だったが、橋上での観光停車を予定通り行ったのは興味深い。観光客なしでの活性化はあり得ない、三鉄の今を映してもいる。

 あまちゃんでは袖が浜駅として描かれた、片面ホームの無人駅・堀内でも案内放送が流れ、観光客はざわつく。ドラマでは北三陸駅の1駅隣で、袖が浜集落の上にある駅という設定だが、実物の久慈駅までは4駅あり、袖が浜のロケ地である小袖海岸ともまったく別の場所だ。また震災直後に復旧した区間は、ドラマだと北三陸〜袖が浜間だったが、実際はもう少し久慈寄りの、久慈〜陸中野田間である。ただ震災5日後に再開させた執念は、事実に忠実である。

 松原と堤防で、海までの視界がさえぎられていた野田村は、今も海が見えるまま。しかし堤防の復旧工事は、着実に進んでいる。車掌からは野田村の案内とともに、これまでの支援を感謝するメッセージが流れた。

 陸中野田から久慈までは内陸を走り、海岸に比べれば平凡な車窓である。しかしここもまた、「あまちゃん」のオープニングで毎日流れた場所であり、劇中でもよく登場したシーンの一つでもあった。


手作りの式典は30年前の再来

 北リアス線の北の始発駅、久慈駅に到着。久慈駅のイベントはまさに始まったところで、司会は地元NPOの代表の方がとっていた。格式ばった感じがなく、市民手作りといった雰囲気のイベントである。まずは縁起もよろしく餅まきから。何歳になっても楽しい行事で、夢中で手を伸ばしていた。

 イベントの合間には、三鉄のお座敷列車内にも登場する「なまはげ」…ではなく「なもみ」が、包丁(もちろんイミテーション)を手に「悪い子はいねえか〜?」と会場内をぐるぐる。傍で見ている大人は大うけだが、子どもはもちろん、大泣きである。

 久慈駅の出入口がイベントステージに早変わりして、朝ドラ「あまちゃん」で、久慈駅ならぬ北三陸駅の大吉駅長・吉田副駅長を演じた、杉本哲太さん、荒川良々さんが登場。駅前広場を、まさに「群衆」が埋めた。「北鉄の駅長としても、ほんとうにうれしい!」と叫んだ杉本さんに対し、荒川さんは「名誉駅長は一人で岩手県のCMやってます。一緒にやろうと誓ったのに、裏切者です!」という全線復旧とは無関係なコメントで、笑いを誘っていた。

 お祝いの儀式は、「つながるんだるま」の開眼。だるまへの目入れを公式の場で見ることは減ったけど、アンオフィシャルな式典ならではだろう。片目は一昨春の田野畑再開の時に入れており、全線再開時にもう片方を入れることになっていたそうだ。駅前をぎっしりと埋めた市民から、大きな拍手が上がった。

 北リアス線の再開記念列車とは別に、今日はイベント列車として「大吉駅長・吉田副駅長と行く!!!『北三陸満喫号☆』」も運転されており、久慈駅の出発式はこの列車の出発に合わせて行われる。一般市民も整列してホームに入ることができて、こ線橋も周囲も人でいっぱいになった。くす玉は、あまちゃん劇中の開業式典と同じ場所に掛かっており、ドラマの中に入り込んできたようだ。ただ人出はテレビの中の3倍とも、5倍ともいえる人数で、30年前の三鉄開業以来の人出になったのではないだろうか。

 満喫号は、「10両編成にでもできれば、応募者を全員乗せられた」というほどの申込みがあったとのこと。幸運な参加者と駅長・副駅長も乗り込み、くす玉を割って再開を祝った。駅長、副駅長は車掌室に乗り込み、本職さながらに出発合図。ホームに詰めかけた人々とタッチを交わしつつ、地元ブラスバンドの奏でる「銀河鉄道999」のテーマに乗せて、出発して行った。

 全線再開しても、なお厳しい状況に置かれている三鉄。今日の賑わいが黒字経営を達成していた頃のような、沿線の「マイレール」の気持ちの再興へとつながることを、願わずにはいられない。


▲群衆が埋めた三鉄宮古駅前


▲「つながるんだるま」も完成


▲ホームの人々とタッチを交わす大吉駅長


▲「北三陸観光協会」のあった駅前デパートは消えゆく運命


▲あまちゃんハウスも大盛況



▲水族館に再現された北三陸駅

 さて、久慈での残る時間は2時間ちょっと。小袖海岸まで足を伸ばす余裕はなさそうで、駅から歩いて行ける範囲を徒歩観光した。

 駅前のレトロな「駅前デパート」は、劇中では北三陸観光協会が入っていたビル。今も「北三陸鉄道」の大きな看板が出ていて、ドラマの世界を演出していた。ただ駅前再開発の波に呑まれ、解体の予定にあるのは残念だ。

 商店街には空き店舗に、「あまちゃんハウス」がオープン。喫茶リアスの看板や、北三陸鉄道の列車に付いていたヘッドマークなど、ドラマに出てきたアイテムが展示されていた。北三陸観光協会がコツコツ作っていた北三陸市の模型も、実物が置かれている。

 駅前の「もぐらんぴあ まちなか水族館」は、沿岸部で津波被害にあった水族館を、まちなかで再建した施設である。入場料は何と無料。あまり外に向けてアピールされてはいないが、こちらも「あまちゃん」関連の展示がてんこ盛りだ。

 2階には北三陸鉄道の北三陸駅待合室まで再現されており、精巧に作り込まれたセットを、ついつい見入ってしまう。切符売り場には、北三陸鉄道開業25周年記念入場券セットまで「売られて」おり、恐れ入った。ドラマでは畑野駅となっているはずが「北三陸鉄道田野畑駅」になっていたり、袖が浜駅が見当たらなかったりと、突っ込みどころがないわけではなかったが、ご愛嬌だ。

 道の駅に行って見れば、観光客でいっぱい。大型観光バスで出入りしているのを見ると、特に三鉄の全線復旧とは関係なく、日頃からのコースのようだ。朝ドラのブームは長続きしないのが常で、ここまでの賑わいを続けるのは難しかろうけど、豊かな自然に恵まれた土地であることは確か。地道にPRを続けていってほしいものと思う。僕自身、小袖海岸は行き残してしまったし、再訪することになるだろう。

 道の駅で、「開運丼」を食べてみたら、おそろしく「標高」の高いかき揚げが。おいしかったけど、夕ご飯も必要ないほどに満腹になった。


2つの観光列車で華やぐ復活路線・八戸線

 僕は明日、月曜日に代休を当てているけど、同行者は出勤日。ぼちぼち、東京に帰らねばならない時間である。しかし鉄道旅行派たるもの、帰路も「往路」の気分で楽しみたい。そこで三陸までを夜行バスで倹約した分、帰りはちょっと贅沢してみることにした。

 久慈駅に進入してきたのは、八戸行きの団体列車・東北エモーション号。肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」に続き、昨年10月にデビューしたレストラン列車である。料理を沿線レストランからケータリングしてくる「おれんじ食堂」と異なり、車内に調理設備を備えた本格的食堂車。八戸発はランチ、久慈発はデザートビュッフェを味わいつつ、移動を楽しめる列車である。

 団体列車のため乗車券は一般販売されておらず、JR東日本の旅行センター「びゅう」の旅行商品という扱いである。しかし片道乗車のプランもあり、久慈→八戸間はデザートビュッフェ付きで4,000円と、比較的お手頃に楽しめるのはいい。

 1号車は個室車、3号車はオープンダイニング車。テーブルにはすでに食器がセッティングされ、乗客の登場を待っていた。2号車の調理室は「ライブキッチンスペース」で、車内からはもちろん、車外からでもコックさんの調理の様子を伺い見ることができる。

 ホームにはレストランよろしく赤い絨毯が敷かれ、出入口にはサンシェードがかかる。はやる気持ちを抑えて、さっそく乗り込む…ことができないのが残念!ぜひ乗りたかったのだが、2ヶ月前にはすでに満席になっており、キャンセルも出らず、ついに切符を入手できなかったのだ。直前にキャンセルがあったかもしれないが、三陸沿岸各駅の「びゅう」は土日休みばかりで、再チャレンジすらかなわなかった。いつか乗ってみたい。

 隣のエモーションをうらやましく眺めつつ、僕らは後続のリゾートうみねこ号に乗った。1両だけの指定席も早くから埋まっており、改札に早くから並んで、眺めのいい海側の自由席を確保。窓が大きく、席を外に向けて座ることができる展望重視のジョイフルトレインだが、普通乗車券で乗ることができて、かなりお得感のある列車である。

 ただリゾートうみねこは、もう3度目の乗車。隣の東北エモーションを眺めていると、やっぱりあちらに乗りたかったと改めて思う。エモーションのデザートビュッフェの代わりに、道の駅で買い込んだ地酒を開けて、出発進行だ。

 僕らと同じく、三鉄全線開業に立会いに来た帰路の人も多いようで、指定席・自由席とも満席状態だ。八戸線は、太平洋とつかず離れず走る絶景路線で、それだけに津波の被害も大きなものだった。他の路線と違いわずか1年で全線復旧できたのは、移設を伴わない現地復旧だったから。代わりに万一への備えには万全を期し、列車には避難ハシゴ、沿線には高台への避難階段が整備されている。

 海辺に並べられたドラム缶には「ありがとうJR」の文字が書かれており、沿線の人々の気持ちが伝わってきた。午前中は晴れていた空も、青森県に入ると曇り空に。ウミネコ島が見えてくれば、八戸市内である。


▲東北エモーションを待つスタッフたち


▲ライブキッチンではデザートの準備が進む


▲海岸に並んだ「ありがとうJR」の文字


▲八戸駅に同時進入する上下のはやぶさ


▲輝く扉の向こう側に広がる…



▲魅惑の空間・グランクラス

 八戸市の人口は約23万人。合併前の久留米と同じくらいなのだが、新幹線八戸駅の規模は久留米をはるかに凌駕する。2面4線のホームは、大きな雪覆いに囲われた広大な空間にあり、ヨーロッパの駅のようだ。八戸という街の拠点性の高さはもちろん、新青森延伸までは終点だったことも影響しているだろう。

 屋台村で一杯やってから帰路につきたい気持ちを振り切り、東北新幹線で一気に東京を目指す。東北新幹線もすっかり世代交代が進み、盛岡以北はメタリック・グリーンの塗装がスタイリッシュな、E5系はやぶさ号の独壇場となった。最高時速320kmで東京〜新青森を最速2時間台で結ぶ「はやぶさ」だが、28号は盛岡以北が各駅停車となる準速達タイプ。それでも八戸〜東京間は3時間ちょっとである。

 乗り込んだのは、最後尾の10号車。そう、昼間の座席車としては国内最高クラスの特別車両「グランクラス」である。東北新幹線に長い距離を乗ることも滅多にないので、大枚9千円を払ってみた「たまの贅沢」だ。

 デッキに足を踏み入れれば、両端が照明で輝く金色の扉。しずしずと開いた自動ドアの向こう側には、鉄道車両とは思えない空間が広がっていた。ずしりとしたシートはシェルで覆われ、窓回りは間接照明で妖しく光る。お子様はお断り!の、大人な空気。JR九州の観光列車の内装に驚かされてきたが、それとはまた一味違った、ゴージャスさが漂っていた。

 普通車ならば5列が並ぶ空間なのに、グランクラスに並ぶ座席はわずか3列。シートピッチも広々としており、これだけの空間を占有できるだけでも、9千円の価値はあるかもしれない。隣のグリーン車も普通車より1列少ない4列なのだが、グランクラスから来ると、普通車に見えて仕方がなかった。ただトイレはグリーン車とグランクラスの共用だけに、ウォシュレット付きの豪華版である。

 しかしグランクラスの何よりの魅力は、専任アテンダントによるおもてなし。昼に久慈で食べた大盛り丼がきいていたので、軽食はひとまず後回しにして、まずはドリンクからチョイス。アルコールも含め、道中はフリードリンクになる。

 ビールを頼むと、さすがはグランクラス、スーパードライゴールドが出てきた。紙コップではなく、きちんとしたグラスが贅沢な気分にさせてくれる。おつまみはお馴染み、亀田製菓のものだが、グランクラスオリジナル。ただパッケージのまま渡されてしまうのは残念で、こちらもきちんとした皿で出てくれば、もっといい気分だったろう。


グランクラスで過ごす充実の3時間

 いわて沼宮内を出る頃には一杯目のビールも飲み干してしまい、2杯目に、青森県産リンゴを使ったシードルをお願いしてみた。口の中に、リンゴの甘酸っぱさが広がる。口の中は青森県、目で見る山は岩手山。東北のめぐみを感じながら、グランクラスにひとときは流れて行く。

 盛岡駅では、秋田からの「こまち」とドッキング。東北新幹線が青森まで伸びても、盛岡での併結は、後からやってくる秋田新幹線を東北新幹線が待つのは変わらない。秋田新幹線も世代交代が完了し、近付いてきたのは赤い矢のようなE6系だった。E5系の色合いとも相性が良く、どこか野暮ったかったE2+E3系ペアから、デザイン面でも大きく進化した。

 「こまち」併結を見物している間に、ガラガラだったグランクラスも満席になった。盛岡から本番といった空気である。前の席には、昨日釜石駅の記念式典で拝見したクウェート大使夫妻が。宮古での式典からの、帰路のようである。遊び気分で乗ってしまった僕らだけど、このようなVIPこそ、グランクラス本来の乗客といえるだろう。

 盛岡までは最高速度260km運転で、動いたことも気付かないほどのなめらかな乗り心地だったが、盛岡以南は320km運転。揺れが大きくなり、下り坂ではフワっとした感覚に包まれる。どっしりしたグランクラスの椅子に座っていても、乱気流の中を飛ぶ飛行機のようで、どこか落ち着かない。窓の外を見れば、今まで感じたことのない速度感で景色が飛んでいく。ワクワク感が、ないわけでもない。

 ぼちぼち小腹も減ってきたというわけで、軽食をオーダー。同行者と和食、洋食で分け合ってみた。僕の洋食はサンドイッチセット。ビニールで包まれた包装は安っぽく、自分ではがさなくちゃいけないのは情けない。はいだビニールも持って行き場がなく、テーブルにちらかったままである。本格的な食器は無理でも、せめて手をわずらわせずに食べられる状態で出してくれたらと思った。

 小さなパッケージだが、見た目よりはボリュームある内容。味もよく、特にミニハンバーグがおいしかった。ワインもオリジナルの瓶で、気分が盛り上がる。内容的には、和食の方が色とりどりで楽しめそうな気がした。

 軽食を食べ終わる頃には、もう仙台である。夜の帳も降り、山麓にはテレビ塔だろうか、鉄塔が妖しくライトアップされていた。グランクラスの車内は落ち着いた雰囲気だが、こと「はやぶさ」は仙台くらいにしか止まらないので、乗り降りのざわつきもない。飛行機のようなひと時が過ぎて行く。


▲盛岡で緑と赤の矢がドッキング


▲軽食を頂く


▲あっという間に仙台市内へ


▲いつかは乗ってみたい「こまち」


▲靖国の桜はすでに葉桜へ



▲水面を桜ながるる中目黒

 食後にはコーヒーと茶菓をお願いすれば、食前酒からはじまるちょっとしたコース料理が完成。貧乏性なのでちょっと欲張ってしまったが、おかげで大満足のひとときだった。頻繁に乗るわけにはいかない値段だが、「たまの贅沢」と思ってまた乗ってみたい席である。今回は昼からの飲みすぎがたたって飲めなかった、日本酒も味わってみたいものである。

 2線が集う大宮で1/3の乗客を降ろせば、埼京間をラストスパート。住宅密集地の区間なのでスピードは抑え目。320kmの時短効果が相殺されてしまうようで、もったいないような気がする。左手に併走するのは、埼京線の電車。北斗星の個室から通勤電車を眺める気分と同じで、これは悪くない。

 3時間という時間は決して短くなかったが、名残惜しくも終点・東京へ。同行者は日常に帰ってきてしまったとゲンナリした表情だが、高層ビルの明かり灯る東京は、僕にとってまだまだ非日常である。

 東京駅からは地下鉄大手町駅へと歩き、門前仲町の友人宅へ。三陸ではまだ桜の季節は遠いものだったが、東京の公園はすでに葉桜。「はやぶさ」は季節を突き抜け、駆け抜けたのだった。

 翌日は、滅多にない機会だからと靖国の桜を見物。靖国神社と言えば敷居の高いイメージがあったのだが、酒を飲みながら夜桜見物もできる庶民的な側面もあったのは新鮮だった。

 午後は川崎に住む妹と合流して、中目黒の桜を楽しんだ。中目黒といえば日比谷線と東横線の接点と言うイメージしかなかったが、近年は東京でも名だたる桜の名所とのこと。平日というのに、のんびりとそぞろ歩く人で賑わっている。川の水面には、無数の花びらが流れていた。散り際の、この時期だからこその桜である。

 東京モノレールで羽田へ抜け、B787で福岡へ。一時は安定しなかった機種だけど、最近は順調に飛んでいるようで何よりである。大きな壁を乗り越えた三鉄も、愛され頼られ、走り続けられますように。遠き福岡・久留米の地から、そう願わずにはいられない。

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