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2日目【3月1日】 平澤→鉄岩→汾川→天安

ダイヤも車両も面白ずくしの観光列車


中部内陸循環列車・O-Trainに乗る


▲「サンダーバード顔」も大変身


▲自然の中の雰囲気を演出した「エコ車」



▲カフェコーナーには止まり木も

 朝7時、平澤の友人宅のマンションで目覚めた。いつもの週末よりちょっと早起きさせてしまったらしく、申し訳ない。

 真新しい豪華なマンションの友人宅だが、慢性的な駐車場不足は、僕が留学していた10年前と変わっていない。日本で言う「車庫証明」の制度がないためで、マンションの駐車場はまったく足りていない状況である。区画線の外にも車が溢れており、他の車の進路を塞ぐ時にはサイドブレーキをかけずに停めて、塞がれた方が押してどかすという習慣も健在である。

 友人の愛車、KIAのモーニングに乗って西井里駅へ。1,000ccといえば日本だと「パッソ」クラスだが、韓国の規格だと軽自動車になる。軽自動車は蔑まれてきた韓国だけど、原油高と高まるエコ意識で、珍しいものではなくなってきた。乗り心地もいたって快適である。

 駅で友人夫婦と別れ、大田方面へ30分下った天安(チョナン)で下車。独立記念館で名高い街ではあるが、街中はありふれた衛星都市である。ここで、鉄道仲間の鋼男君と合流。僕のブログへの書き込みがきっかけで10年前に知り合った、韓国人の鉄道仲間である。5年ぶりの再会とあって積もる話もあるのだが、列車の時間も迫っているので、取る物も取りあえずホームに降りた。

 ホームにすべり込んできたのは、中部内陸循環列車「O-Train」。韓国内陸部の太白線・嶺東線・中央線の3路線を「環状線」に見立て、循環する観光列車である。1日2本が走り、ソウル発は中央線経由で、水原発は忠北線経由で堤川に同着。相互に接続をとって、それぞれが逆回りに「環状線」を2周して再び堤川で相互接続。始発地に帰って行くという、日本でも見られないユニークなダイヤを組んでいる。「環状線」内で途中下車したり、行ったり来たりしながらマイペースで観光ができる列車なのだ。

 ダイヤもユニークなら、車両もユニークだ。改造タネ車は、ソウルから温陽温泉方面に走っている特急電車「ヌリロ」。実は日本の日立製で、前面スタイルはサンダーバード、座席は白いかもめ、窓はJR東日本の特急電車と、日本のどこかで見た電車といった風貌である。それが、JR九州の観光列車も顔負けの大改造を施された。

 まずは、僕らの指定席である4号車。1号車とともに最も原型を留めている座席車で、真ん中のひじかけから取り出すテーブルは885系「白いかもめ」ゆずりである。「エコ室」と称し、座席は緑、内装は木目調にお色直しされ、自然の中に向かう列車が表現されている。ただホンモノの木を使うには至らず、木目調のシートを貼るに留まっていた。

 3号車は「家族室/お子様プレイルーム」で、ボックスシートと、パーテションで仕切られた半個室風の「カップル室」「ファミリー室」が展開している。ボックスシートにも大きなテーブルがあって、グループ旅行にはうってつけだ。おじちゃん・おばちゃんグループがさっそく朝から盛り上がっていたが、正しい楽しみ方だと思う。

 2号車は「カフェ室」。半分は座席車だが、座席を窓に向けて座れる「1人展望席」があり、ひとり旅ならではの楽しみ方ができそう。カフェコーナーはステンドグラス風の天井で飾られ、止まり木もあり、座席を離れて気分転換するにはもってこいのスペースである。軽食類はなく、菓子と飲料の販売が中心だった。さっそくコーヒーを求め、空いていたカップル室に座らせてもらって、車窓を楽しむ。多彩な車内設備に加え、駅や車窓のよい所では乗務員の案内放送も入り、JR九州の観光列車に乗っている気分になってきた。

 鋼男君とはもう10年来の付き合いで、日本と韓国で何度も会っている。ただ、お互いの旅行中の夜に合流して酒呑み(ちなみにお互い、呑みだすと止まらなくなる)というパターンばかりで、共に鉄道旅行というのは今回が初めてだ。車窓を肴に、鉄道談義とこの5年間の積もる話に、花が咲いた。

 京釜線から忠北線へは、分岐駅の鳥致院(チョチウォン)駅まで入らず、その手前にある短絡線の五松線を経由する。韓国の幹線同士の分岐点にはこのような短絡線が多く、いずれも線籍や、場所によっては独立した路線名を持っているところもあり、韓国の鉄道を全線乗りたい向きには大いなる障害となって立ちはだかる。O-Train以外では、五松線の定期列車は1日1本。O-Trainはもう一つの短絡線も経由するので、全線走破への効率もアップ!?

 忠北線は、10年前の留学先である忠州(チュンジュ・鋼男も同じ市内の大学だった)を経由する路線なので、通い慣れた道だ。ただ、古びた特急ムグンファや、さらに格下の急行「統一」しかない路線だったので、最新型の電車から見る車窓は別の路線のようでもある。車窓から見える母校・忠州大学にしても、鉄道大学との合併で「韓国交通大学」へ変身、巨大な校舎が完成していた。10年一昔である。

 しかしO-Trainはそんな感傷も知らぬげに、20万都市の玄関口・忠州駅を全速力で通過する。70万都市の忠北道庁所在地・清州(チョンジュ)すら通過する一方で、KTXとの接続駅・五松(オソン)は停車。首都圏がターゲットの観光列車らしいダイヤだ。ただ元市民としては、忠州も韓国一の温泉地・水安保(スアンボ)を擁しており、停まってくれてもいいのにと思う。


▲家族室とカップル室では水入らずの時間を過ごせる


▲僕の学び舎は高層ビルに大変身


▲主要駅たる忠州を通過


観光停車で、訪問困難な駅にもラクラク下車


▲ホームを挟んで並ぶO-Train


▲プレイルームもあって子連れの長旅も安心?



▲積み上がるセマウル客車

 中央線との接続駅・堤川(チェチョン)に到着。ホームを挟んで停車していた、ソウル発のもう一つのO-Trainに乗り換えた。水原発は反時計回りに回るのだが、時計回りで巡りたいのなら、堤川で乗り換えればいいのである。ホームを挟み同型の特急が並ぶ姿は、福知山駅のようだ。

 今度の列車は、1号車のエコ室が指定されていた。ソウル発の時点では満席で、一部の乗客は水原発に乗り換えて行ったが、それでも水原発より混んでいた。

 なおO-Trainの乗車券は、パッケージ商品としてではなく、一般の列車として発売されており、外国人でもKorailの英語ページからインターネット予約が可能である。ヌリロだとムグンファ号の運賃が適用になるが、O-Trainはさらに格上のセマウル号、それも特室(グリーン車相当)運賃の適用。ムグンファとの差額は、サービス料金といったところだろう。何度も乗り降りしたり、ソウルや釜山からアクセスしたりするのであれば、O-Trainパスがお得。1日券54,700ウォン(5,500円)、2日券66,100ウォン(6,600円)で、ソウルや釜山からのアクセス路線まで乗り放題になる。

 堤川からの太白線は韓国でも有数の山岳路線で、さっそくカーブとトンネルが続く線路になる。車内のテレビモニタでは前面展望が生中継されており、単線のトンネルを進む様子も案外面白い。ただ運転席と客席の間仕切りは透明ガラスにできるのに、曇りガラスのスイッチは入ったままだ。テレビ画面経由などより、生の風景を見せてほしいと思う。

 急こう配の区間に入ると、さすがの最新型電車のモーター音も、一段と高まる。ヌリロ本来の運行区間は平地ばかりで、都市型の電車で山岳地帯を行く違和感が面白いと意見が一致。そういえば九州の「ななつ星」も、8両の長大編成がローカル線を走るのが面白いんだよと、鉄談義も盛り上がってきた。カフェで手にしたHITEビールの効果でもある。

 トンネルを抜ければ、太白線は狭い谷を見下ろすように走って行く。谷底に、身を寄せ合うよう固まる小さな家々は、昔の炭鉱住宅だろうか。「産業線」の異名も持つ太白線の車窓はダイナミックで、韓国でも大好きな路線の一つである。

 石項(ソッカン)駅には、廃車になったセマウル号客車が2段に積み上がっており、目を見張る。階段が付いており、今はゲストハウスとして活用されているようだ。「列車ペンション」は韓国各地に誕生しているが、どこも地平に置かれ「列車」的な雰囲気を出しているが、ここはなかなかユニークな存在である。他の幾つかの駅でも任を解かれたセマウル号客車が転用されており、ステンレス車体で耐久性がよいからか、有効活用されているようである。

 ミンドゥン山駅(旧甑山駅)が近づくと、谷底を走る旌善(チョンソン)線の列車が見えてきた。本線規格の巨大な機関車に客車2両、電源車を連ねた編成で、半分は乗客が乗れない車両が連なる編成である。太白線ですら本数は決して多くないのに、そこから分岐する、さらに本数の少ない路線。韓国鉄道歴の長い僕でも、なかなか踏破できない路線の一つである。鋼男君は終点のアウラジ駅周辺で民泊したことがあるとかで、真っ暗な夜は恐怖だったそうだ。

 杻田(チュジョン)駅では10分停車。標高855mに位置し、目下韓国では一番高い場所にある駅として知られている。日本最高峰の野辺山駅に比べればだいぶ低いが、吹き付ける風は冷たく、駅の周辺には雪も残っていた。10分停車の理由は列車の交換待ちでも通過待ちでもない、純粋な「観光停車」。多くの乗客が、山間の駅でのひとときを楽しむために降りてきた。

 駅前には、最高峰の駅を示す石碑や、炭鉱列車で活躍したミニ機関車が置かれ、みな楽しそうにスマホで記念写真を撮っていた。展望台や自販機などの施設も充実していて、日頃はドライブイン的な機能も果たしているようである。テントでは地元の特産品を売っており、地元にとっても絶好の商売の機会になっているようだった。

 山間部最大の都市・太白(テベク)を出発して、太白線と嶺東線をショートカットする、太白三角線を通過。時刻表を見る限り、現在はO-Train以外の列車は走っていない路線である。これで韓国鉄道全線乗車にいくばかりか近付いたと思うが、鋼男君曰く、完乗タイトルに三角線を含めるのは厳しい見方ではないかとの意見だった。

 天安から約4時間、観光列車の旅をたっぷり楽しんで鉄岩(チョラム)駅に到着。鉄岩は炭鉱で活況を呈した街で、駅舎も3階建ての立派なビルである。しかし、観光列車以外で停車する毎日運転の定期列車は3往復のみ。駅前通りに出てみれば道路拡張のため、道路両側に並んでいた商店街の片方は失われていた。残っている建物にしても、開いている店は駅周辺に数軒のみである。


▲谷底を走る旌善線の列車


▲韓国最高峰の駅の碑


▲雪残る駅を散策する乗客たち


斜陽の炭鉱町、鉄岩を歩く


▲あまりおいしくないサムギョプサルをつつく


▲タイムスリップしたかのような街並み



▲文化空間としての再生が図られたようだが

 数十人の乗客が降りたったが、バスやレンタカーでそれぞれの目的地に散ってしまい、残ったのは数グループのみ。お昼時だが、選べるほどの店はなく、「技師食堂」に入った。技師とは「運転技師」、つまりタクシーやトラックのドライバーを差し、技師食堂の字を見ると、安くてそこそこうまい飯を食わせてくれることを期待させてくれる。

 客がいない店は、おばあさんが一人で切り盛りしていた。土間には石油ストーブが焚かれ、品切ればかりのメニューに、賑わった昔が想像される。とりあえずサムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉)で一杯やろうと頼んでみたが、肉の食感はゴムのよう。透明であるべき焼酎のショットグラスは、曇り切っている。なのにサムギョプサル1人前が9,000ウォン(900円)とは恐れ入った。もっとも、考えようによっては面白い経験だ!と、お互い不機嫌ではない。

 周辺もシャッターを降ろした店ばかりだが、ちょっと様子がおかしい。看板のフォントは、本の中で見たことがある古い物ばかりだ。実は鉄岩、大分の豊後高田市のように「レトロな街並み」として売り出す構想があるらしく、古い商店建築もギャラリーや展望台として活用が図られているようだ。ただ「店内」には人っ子ひとりおらず、計画がとん挫したのか、シーズンオフなのか。人の気配がない街は、ちょっと怖い。

 道路端の建物の一部は、道路拡張に備え立ち退きを迫られたようで、解体予定の建物には「撤去」の文字がペンキで殴り書きされていた。街のさびれた雰囲気をより強めている感があり、「割れ窓理論」を考慮すれば、すこし美観に気を配った方がいいかも。と思いつつ、記録としてカメラを向けた。

 「オイ、何で写真撮ってる?」
 背後から、罵声が飛んできた。昼1時というのに、泥酔状態で極寒のバス停にたたずんでいた若者2人、その片割れだった。彼の気に障った行動だったらしく、今にも殴り掛からんばかりの勢いだ。一緒の友人も泥酔状態ながら、僕らに敵意がないのは救いで、必死に友人をなだめてくれるのだが、怒りは収まらない。

 「抱き合いましょう」
 一瞬「?」だったが、どうやら仲良しのフリをしようということらしい。ああ、友よ!という感じでハグし合ったところで、友人は納得していなかったようだが、どうにかその場は収まった。肝を冷やしたし、鉄岩という街の印象が暗い物になってしまったのは確かな出来事だ。ただ過疎の街で、その街のもっとも汚れた部分に外の人間がカメラを向けていたら、そりゃいい気分ではなかったろう。炭鉱町に限らず、下町や離島のような生活空間に飛び込む時は、旅人として地元の人への気配りを忘れちゃいけないと、反省しきりだった。

 気を取り直して、街並み散策を再開。観光ガイドには、川を渡った山側の炭鉱住宅へのルートも示されてあり、路地裏へと分け入って行った。主を失った家は荒れて行くばかりで、すでに屋根が崩壊してしまったものもある。その真横には、生活の続く家があり、観光コースでありながら先程の件もあって、安易にカメラを向けられない。住人も、観光コースとされていることをどう感じておられるのだろうか。

 路地を登って行くと、鉄岩の市街地の街並みを俯瞰できた。川まで張り出したビルの数々に、土地が足りないほど栄えた日が想像される。今はそのほとんどが、空き家になってしまったが、街と駅の背後では、今も炭鉱施設が稼働を続けている。決してその価値を失ってしまった、過去の街ではない。

 路地の片隅には、生業に勤しんだり、座って休んだりする工夫の銅像。川の向かい側を見れば、手を振る妻の銅像がこちらを見つめていた。アートな空間として再生する構想もあったようで、壁面に絵画が描かれた廃屋もいくつかあった。3月初めの冬の週末に限れば、観光客が押し寄せる街ではないようだが、季節によっては賑わっているのだと信じたい。地域の再生に、O-Trainもきっと力になっているはずだ。

 行き場を失った僕らは、駅の待合室で惰眠をむさぼった。目覚めれば、次なる列車の時間まで30分。少し早すぎると思ったがホームに上がってみれば、赤い派手な列車が待っていた。もう一つの観光列車、白頭大幹渓谷列車「V-Train」である。O-Trainの合間を縫うように、鉄岩~汾川(プンチョン)間を3往復(平日は2往復、始終列車のみ永州始発)するので、O-Trainと組み合わせて沿線観光を楽しめる。

 白い機関車に連なる、3両編成の赤い客車は、側面から見ればほとんどが窓である。冬場の今は窓が閉められているが、夏場にはほぼフルオープンにすることができるようになっている。冷房装置はなく、暖房は石炭ストーブ。まさに韓国版トロッコ列車だ。

 自然の中を走るにふさわしい、まさに野趣満点の観光列車なのだが、履いている台車は乗り心地良好な優等列車タイプだとか。出入口は自動ドアで、黄色い開閉ボタンは「東北地方の普通電車みたいですね」。日本の鉄道に通じた韓国人鉄っちゃんがいると、何かと楽しい。

 残念ながら満席で指定券は獲れなかったが、O-Trainパスがあれば立席乗車できることを確認済み。最後尾の窓が大きく開けていたので、ここを居場所に発車時間を待った。どこから集まってきたのか、事前情報通り席は埋まってしまい、発車時刻を迎えた。


▲炭鉱とともにあった鉄岩の街


▲街中に座る工夫の象


▲人気者のV-Train


白幹大幹渓谷列車・V-Trainに乗る


▲大きな窓から広がる渓谷美


▲承富駅でのひとときを楽しむ乗客たち



▲両元駅はご飯が充実

 鉄岩駅を出発した列車は、ほどなく洛東江(ナットンガン)沿いへと歩み出す。洛東江といえば、京釜線で釜山を出発して左手に広がる大河のイメージなのだが、韓国中部の鉄岩では細い流れの渓谷だ。景色のよい区間では時速40kmに抑えて走るとかで、列車のコンセプトは北海道のノロッコに近い。石炭ストーブの匂いが漂ってくる冬場もよい雰囲気だが、窓を開け放して走る夏場の爽快感も最高だろう。

 V-Trainの運賃も、セマウル号の特室料金が適用になる。快適さを約束した特室とは真逆の列車だが、それを承知で乗った乗客らで満席だ。乗ることが目的で、乗ることが楽しい列車。鉄道はあくまで移動手段という考え方が根強かった韓国で、このような列車が人気を集めていることは感慨深い。

 歩いてしかたどりつけない、日本流に言えば「秘境駅」の承富(スンブ)駅で、7分間の停車。これも運行上の必要はない、純粋な観光停車である。やはりほとんどの乗客が降りて、なかなか訪れることのできない秘境駅でのひと時を楽しんでいた。「民泊」の看板もあり、何もない山間の村で過ごす一晩もいい経験だろうと思う。

 ホームの真ん中では、地元のおばさん方が、ドンドン酒(濁り酒の一種)をふるまっていた。1杯1,000ウォン(100円)で、「おつまみタダです!」の呼び込みに惹かれて一杯飲んでみた。ちょっとオレンジ色がかった珍しいドンドン酒も、おばさん方の手作りパジョンも、山間の空気の中でおいしさもひとしおだった。

 隣の両元(ヤンウォン)駅までは渓谷沿いにトレッキングコースが整備されており、V-Trainと組み合わせての体験も推奨されている。その両院駅では10分もの停車時間が確保されており、地元も出店を出して、歓待には一層熱が入っていた。テントでは軽くご飯も食べられるようになっており、わずか10分なのに一杯やりながら、いい気分になっているグループも…。

 両院駅の停車列車は1日上下2本ずつに過ぎず、駅を利用しての観光は極めて難しかった。まして駅前で観光客向けの商売をやるなど、考えられないことだったことだろう。観光列車の停車時間が、地域の元気につながる。日本でも見られる現象は、ここ韓国でも起きていた。

 蛇行する渓谷を、嶺東線は何度も鉄橋で渡っていく。鉄橋はそのまま崖に開けられたトンネルにつながっており、先頭から機関車越しに眺めていると、吸い込まれて行くような感覚にとらわれる。トンネル内では、蛍光塗料で天井に描かれた絵が浮かび上がり、幻想的な空間を演出していた。

 嶺東線は留学する前、13年前にも乗ったことがあり、景色のいい所だったという記憶はあるのだが、時速40kmの速度で改めて楽しむことができた。

 終点、汾川駅に到着。反対側のホームにはソウル行きのO-Trainが待っており、そのまま折り返していく人の姿も見られた。僕らも当初はソウル行きに乗り、夜は飲み屋街の鐘路(チョンノ)で一杯やろうと言っていたのだが、満席であえなく断念。さらに鋼男君は明日の休日出勤が入ってしまい、水原行きで天安へ戻ることになってしまった。約1時間後の列車まで、汾川駅周辺の散策タイムである。

 ソウル行きのO-Trainは出発していったが、V-Trainも同じ方向へ折り返すべく準備中。もう夕方5時を過ぎ、車窓に期待できない時間になっていくのだが、夜の列車は「星空列車」というコンセプトを掲げている。室内灯を付けず、渓谷の合間から星空を見上げるような嗜好だろうか。客室乗務員たちも、魔法使いのいでたちに変わっていた。

 駅周辺はV・O-Trainの運行開始を期に整備されたようで、芝生の広場が広がる構内は公園のよう。木造駅舎もこぎれいに改修され、すっかり観光地の装いである。

 駅周辺も、いくつもの食事処ができていて、街の規模としてはずっと大きい鉄岩よりも活気づいていた。古い家屋をリフォームした「ハイジのカフェ」はソウルの女性も喜びそうな内装で、都会人が大勢訪れる場所になったことが分かる。O-Train効果、まざまざだ。

 帰路も4時間以上列車で過ごすことになるので、ハイジのカフェで「昔弁当」、食堂でパジョン、そして雑貨屋では酒類をごっそり買い込み、長旅に備えた。

 帰路のO-Trainで指定されたのは、ボックスシートの家族席だった。JR九州では3人以上ではないと発売しないタイプの席だが、O-Trainではバラ売りされているようである。窓口では相席の可能性も示唆されたが、幸い向かい側の2席の乗客は現れず、ボックスを独占しての旅を楽しめた。

 買い込んできた食糧をテーブルに並べれば、居酒屋気分。店へ飲みには行けなかったけど、「呑み鉄」にはこの上ない環境だ。5年の間の積もる話も交えつつ、4時間という時間は楽しく過ぎて行った。

 天安到着。友人宅は、駅から離れた新市街地のど真ん中だ。5年前の学生時代に会った時には、「自炊房」と呼ばれる学生アパートだったが、今はオートロックのワンルームマンションである。窓の外に広がるのは歓楽街のネオンで、誘惑が多い環境だが、足元の街で遊びまわったことはないとのことである。

 就職してからも、韓国に来れば学生の気分に戻れる、と思っていたのだが、韓国の友人らももう社会人歴数年。ぼちぼち、あちこちから結婚の話も聞こえてきた。歳月の流れを感じずにはいられない。



▲2つの観光列車が行き交う汾川駅


▲「家族席」は大きなテーブルが備わる


▲「セルフ居酒屋」を仕立てて飲み続けた


▼3日目に続く
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