志布志行きは都バスの中古車のようで、1列のシートは都会のラッシュ対応型。志布志までの1時間40分の旅には、ちょっと辛い仕様ではある。この路線は旧国鉄大隅線の代替バスでもあり、線路跡らしき道路も並行していたが、どこが駅だったのかは判然としない。大隅線の最後の開業区間、海型温泉〜国分は開業わずか15年で廃止の憂き目にあっており、「駅前」が形成される暇すらなかったのかもしれない。
沿線最大の都市・鹿屋は、ドラッグストアの裏に回り込んだ場所にバス停があった。以前は、ドラッグストアの位置にバスセンターがあったのではなかろうか。待合室はなくなり、10万都市の玄関としてはさみしい。資産を切り売りせねばならない、バス会社の厳しい懐事情が察せられる。
志布志着。市の中心部たる役所前で降りてみたのだが、つぶれたスーパーがさみしい雰囲気だ。交差点ごとに散策ルートを示す看板が出ており、手軽に街歩きを楽しめるようになっていたのは、一見の旅行者にはありがたい配慮だった。
志布志に来たらぜひ一度見てみたかったのが、志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所である。市町村合併で生まれた「珍名所」だが、あえて「志」の文字をずらりと並べた看板を掲げており、町おこしのセンスを感じた。役所そのものは、支所とは思えぬ立派なもの。志布志市でありながら志布志が支所なのは門外漢には奇異にも見えるのだが、街には「本庁を志布志に」なる旗も掲げられており、合併新市の主導権争いは続いているようである。
志布志に来たのは、高校2年生以来15年ぶりのこと。夜に降り立ったこともあって、志布志駅前には「何もない」というイメージしか残っていないかったのだが、駅前にはまっすぐ伸びるシンボルロードが貫通。サンポートしぶしアピアなる、立派なショッピングセンターができていた。ただ空きスペースは多く、2階は場外舟券売り場になっていて、あまり明るい雰囲気ではない。
一方の志布志駅はというと、国鉄時代は3方向の線路が接続するターミナルだったのも今は昔。盲腸線と化した日南線の、どんづまりの終着駅になっている。駅としては無人駅の扱いなのだが、市の観光案内所が入っており、案内員さんが常駐しているのでどこか安心感がある。
一本だけになってしまったホームには、単行のキハ40系が、静かに乗客を待っていた。昼下がりの列車の乗客数は10人ほどで、さきほどのバスと同程度である。半端な時間の、末端のローカル線にしては乗っている方だとも言える。駅は無人駅ばかりだが、地域を代表する駅として立派な構えの駅舎も多く、賑わった時代を感じさせる。太平洋を眺めながらの、のんびり鈍行列車の旅に、気分は晴れやかだ。
列車は油津駅までで、待っていた普通列車に乗り換えた。わざわざ系統を分割するくらいだから、接続列車は2両編成なのだろうと思っていたが、こちらも単行。なぜ乗り換えを強いるのか理解に苦しむが、トラブル時にダイヤの乱れを波及させないための工夫だろうか。黄色の塗装が印象的な日南線カラーの列車だったが、車内は特にオリジナルと変わらなかった。
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▲志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所
▲1本きりのホームに停まる1両きりの列車
▲無人駅も立派な構え
▲油津で乗り換えた列車は日南線カラー
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