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ハッピーバースデー九州パスで
5つのグリーン車乗り比べ



1日目【1月18日】 久留米→鹿児島→志布志→宮崎→臼杵
南九州の豪華な旅路


「九州グリーン豪遊券」の再来、ハッピーバースデー九州パスを手に

 九州新幹線開業以来、「乗り放題」系のきっぷがあまり売り出されなくなった九州。しかし近年では、新幹線の乗客の伸びが鈍化してきたこともあって、折に触れてフリーきっぷが売り出されるようになった。中でも2013年度に設定された「ハッピーバースデー九州パス」は、ひさびさに登場したグリーン車が使える乗り放題パスである。

 誕生月限定ではあるが、新幹線まで含めてJR九州内の列車が3日間乗り放題。6回までグリーン車の指定券を取ることができて、お値段は2万円ポッキリである。かつて2003年9月まで売られていた「九州グリーン豪遊券」に近い設定で、思い出のきっぷの再来とも言える。

 そこで僕の誕生月である1月の18日と19日、九州内のグリーン車を乗り比べる旅に出ることにした。現在、九州内の列車でグリーン車を連結している車両は5車種。残る1回分の権利は、グリーン車並みの設備を誇る観光列車に乗ってみよう。

 本当は、有効期限の3日間をめいっぱい楽しみたかったが、どうしても休みが取れずに1日分は放棄。それでも充分にモトは取れるはずだ。せっかくなのであちこちに寄り道もして、行きつくしたと思える九州を再発見する旅ともなった。


N700系「さくら」
あこがれの新幹線のグリーン車だったが

 1月18日の朝7時半、自宅最寄の久留米駅に立つ。トップランナーには、九州新幹線の「さくら」を選んだ。しょっぱなから、新幹線のグリーン車という贅沢である。九州新幹線のグリーン車は、開業日の2011年3月12日に乗り試して以来のことだ。あの日も同じ時間帯の列車で熊本まで下ったのだが、東日本大震災の発生直後だったこともあり、あまり印象に残っていなかった。

 東海道・山陽新幹線だと、16両編成のうち3両をも占めるN700系のグリーン車だが、山陽・九州新幹線では8両編成のうち半室に留まる。800系新幹線に至ってはグリーン車そのものがなく、富裕層の移動が少ないのかと勘ぐってしまう。もっとも九州新幹線は普通車指定席(800系では自由席も)でも4列座席で、単に快適さを求めているのなら普通車でも充分という事情もある。

 半室グリーン車のため、デッキもグリーン車専用というわけではないのだが、グリーン車側のデッキの壁は重厚な色でまとめてあり、普通車との合造車ながらに豪華さを演出していた。ドアを開けるとそこに広がるのは、日頃なかなか足を踏み入れられない空間である。

 藍色の座席は、電動リクライニングシート。床の文様は佐賀の名産・鍋島緞通をイメージしたものだ。妻面には安っぽい広告ではなく、寄木細工のレリーフが掲げられている。全体的に彩りを抑えたシックなトーンの室内は、重役室のような雰囲気。N700系の普通車は、しばしばグリーン車のようだと形容されるが、その中での正真正銘のグリーン車だけに、調度には意を注がれていた。

 ただ中間車なので、グリーン車とは関係のない人の通り抜けがしばしばある。九州からもグリーン車の車内サービスが消えて久しいが、早朝の列車とあって車内販売すら乗っておらず、飲み物を手に入れようと思えばデッキの自販機まで出向かなくてはならないのも残念だ。

 さらに家族連れの子どもが騒ぎ、携帯ゲームの音もけたたましく鳴らすのには参った。公共の場での過ごし方を教えない親も、困ったものだ。ただ家族水入らずの旅行を気兼ねなく楽しめる個室車があれば、皆がハッピーなはず。かつての「ひかりレールスター」や、在来線特急「つばめ」には備えられていたのに、2つの列車をドッキングさせた「さくら」に個室が設けられなかったのは残念である。

 おかげで、グリーン車らしい気分はさっぱり盛り上がらない。熊本以南は各駅停車になるタイプの「さくら」ではあったが、それでも新幹線は早く、わずか1時間20分で鹿児島の地を踏むことができた。

 鹿児島中央駅の大階段は既に過去のもので、駅ビル別館の工事が進捗中。数か月ぶりなのに、景色は大きく変わっていた


▲久留米駅に滑り込むN700系「さくら」


▲どしりしたシートは新幹線G車の身上


▲妻壁には寄木細工のレリーフが


▲N700系は指定席のレベルも高い


よりみち その1
旧国鉄大隅線の足跡を走る


▲バス感覚だが船体は立派な垂水フェリー


▲桜島は自らの噴煙に包まれ



▲ホテルアザレアは早くも菜の花畑の中に

 鹿児島からは、はやくもグリーン車乗り比べの旅から脱線し、大隅半島経由で宮崎を目指す。まずは駅前から、鹿児島交通のバスに乗り25分、鴨池港へ。先行して同じ行先の市バスも走っていたが、会社の枠を超えてバス時刻を検索できる「九州のバス時刻表」で調べると、鹿交が市営を追い抜くダイヤだったので鹿交を選んでみた。手持ちの「いわさきICカード」をタッチさせ、乗り込む。

 低床の最新鋭のバスだった市営に対し、鹿交は2段ステップの古いバス。鹿児島市内を走る鹿交のバスには、「官より民です、がんばります」と市バス・市電に対する露骨な対抗心が書かれており、古いバスも「補助を受けない企業努力」の姿勢の表れにも見える。早いはずのバスは渋滞でじりじり遅れ、結局市バスに続いて鴨池港に到着。港のまわりはニュータウンになっていて、意表を突かれた。高層の住宅団地からは、桜島がよく見えそうである。

 鴨池港からは、垂水フェリーで垂水へと渡る。垂水は大隅半島上の街なのでもちろん陸路でも行けるのだが、錦江湾をショートカットするフェリーが近道で、利用者も多い。

 所用時間35分の立派なフェリーとはいえ、感覚的には渡し船のようで、乗船名簿もなければ切符もない。無札のまま乗船し、垂水港の運賃箱に現金を支払うという手軽さである。バス並みにICカードも使えて、440円と安い運賃が、さらに40円割引されてお得だ。

 桜島を望みつつ錦江湾を渡る時、何はなくとも食べたくなるのが うどん。鹿児島市営の桜島フェリーと同様に、垂水フェリーにも うどんの食堂が備えられている。窓の外に広がる景色は、何よりの調味料。短い船旅も、ぐっと豊かなものになる。桜島はもやに隠れてはっきり見えなかったが、霞やPM2.5ではなく、桜島自体の噴煙に隠れているようであった。錦江湾内は船の大通りで、南西諸島方面の船に旅心を掻き立てられる。

 35分で、垂水港に到着。港のターミナル前には広大な駐車場があり、車を乗せずとも鹿児島市側へ渡れる。今は大隅半島側へ桜島の噴煙が流れる季節、舗装されていない駐車場には火山灰が舞っていた。

 接続のバスはすぐにあったのだが、のんびりしたくて、港の対岸にあるホテルアザレアの温泉へ日帰り入浴した。ヌルっとした、いい湯である。ただ垂水港から歩くと10分少々かかり、次のバスまでの50分の間に入るのには、ちょっとバタバタだった。桜島を眺めながら入られるのは女湯だけのようで、うらやましい。

 さっぱりして、港からの志布志行のバスに乗り込んだ。三州自動車なるバス会社だが、いわさきグループの一員で、ICカードも使える。いわゆる分離子会社というもののようだ。一時、いわさきグループは大隅半島からの撤退を打ち出したこともあり、そうした流れの中での子会社化でもあったのだろう。

 志布志行きは都バスの中古車のようで、1列のシートは都会のラッシュ対応型。志布志までの1時間40分の旅には、ちょっと辛い仕様ではある。この路線は旧国鉄大隅線の代替バスでもあり、線路跡らしき道路も並行していたが、どこが駅だったのかは判然としない。大隅線の最後の開業区間、海型温泉〜国分は開業わずか15年で廃止の憂き目にあっており、「駅前」が形成される暇すらなかったのかもしれない。

 沿線最大の都市・鹿屋は、ドラッグストアの裏に回り込んだ場所にバス停があった。以前は、ドラッグストアの位置にバスセンターがあったのではなかろうか。待合室はなくなり、10万都市の玄関としてはさみしい。資産を切り売りせねばならない、バス会社の厳しい懐事情が察せられる。

 志布志着。市の中心部たる役所前で降りてみたのだが、つぶれたスーパーがさみしい雰囲気だ。交差点ごとに散策ルートを示す看板が出ており、手軽に街歩きを楽しめるようになっていたのは、一見の旅行者にはありがたい配慮だった。

 志布志に来たらぜひ一度見てみたかったのが、志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所である。市町村合併で生まれた「珍名所」だが、あえて「志」の文字をずらりと並べた看板を掲げており、町おこしのセンスを感じた。役所そのものは、支所とは思えぬ立派なもの。志布志市でありながら志布志が支所なのは門外漢には奇異にも見えるのだが、街には「本庁を志布志に」なる旗も掲げられており、合併新市の主導権争いは続いているようである。

 志布志に来たのは、高校2年生以来15年ぶりのこと。夜に降り立ったこともあって、志布志駅前には「何もない」というイメージしか残っていないかったのだが、駅前にはまっすぐ伸びるシンボルロードが貫通。サンポートしぶしアピアなる、立派なショッピングセンターができていた。ただ空きスペースは多く、2階は場外舟券売り場になっていて、あまり明るい雰囲気ではない。

 一方の志布志駅はというと、国鉄時代は3方向の線路が接続するターミナルだったのも今は昔。盲腸線と化した日南線の、どんづまりの終着駅になっている。駅としては無人駅の扱いなのだが、市の観光案内所が入っており、案内員さんが常駐しているのでどこか安心感がある。

 一本だけになってしまったホームには、単行のキハ40系が、静かに乗客を待っていた。昼下がりの列車の乗客数は10人ほどで、さきほどのバスと同程度である。半端な時間の、末端のローカル線にしては乗っている方だとも言える。駅は無人駅ばかりだが、地域を代表する駅として立派な構えの駅舎も多く、賑わった時代を感じさせる。太平洋を眺めながらの、のんびり鈍行列車の旅に、気分は晴れやかだ。

 列車は油津駅までで、待っていた普通列車に乗り換えた。わざわざ系統を分割するくらいだから、接続列車は2両編成なのだろうと思っていたが、こちらも単行。なぜ乗り換えを強いるのか理解に苦しむが、トラブル時にダイヤの乱れを波及させないための工夫だろうか。黄色の塗装が印象的な日南線カラーの列車だったが、車内は特にオリジナルと変わらなかった。


▲志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所


▲1本きりのホームに停まる1両きりの列車


▲無人駅も立派な構え


▲油津で乗り換えた列車は日南線カラー


キハ125系「海幸山幸」
ホンモノの木の列車は、傷さえも味わい



▲繊細な石垣が目を奪う飫肥の街並み


▲飫肥城址は杉木立に


▲木の外観が特徴的な海幸山幸

 城下町として名高い、飫肥で下車。駅前の観光案内所でレンタルサイクルを借りて、ぶらり1時間の街並み散策に出かけてみた。平地なのでその要はなかったのだが、電動自転車しかないとのことで、500円とちょっとお高めである。2,000円で借りられるミニ電気自動車もあったのだが、見せ物になってしまいそうなので、遠慮しておいた。

 飫肥のメインストリートには電線がなく、頭上にはすっきりした空が広がる。裏通りでも電線の地中化工事が進行中で、緻密に積み上げられた石垣が並ぶ景観も、よりしっくりしたものになることだろう。

 飫肥城址は杉木立の中にあり、天守跡はそのものが杉林になっていた。ほどよい間隔で並ぶ杉の木は、まさに城の主が自然へと還ったような感覚に囚われる。

 落ち着いた雰囲気の街並みは、車よりも自転車、自転車よりも徒歩で、少し歩く度に変わる風景を楽しみたい街である。たった1時間のサイクリングではもったいない気がして、再訪を期す。

 飫肥からは、日南線の観光特急「海幸山幸」の指定券を抑えておいた。デビュー当時は、週末のチケットは入手困難だった列車だが、デビュー4年を経てブームもだいぶ落ち着いてきたようである。それでも2両編成に8割近くは乗っており、1号車は青島まで乗る団体さんが占めていた。

 海幸山幸のキハ125系、もとは高千穂鉄道でトロッコ列車だった車両だが、日南線への転用にあたっては見違えるようにリニューアル。特に、外装に木を使うという大胆なデザインは、多いに話題になった。デビューから4年間、外気にさらされた木材には ひびも見られるが、古くなったというよりは、歳月に落ち着いた風合いになったように見えた。

 飫肥杉を多用した車内も、床にはだいぶ傷が入ってきている。ただ薄いフローリング在ではない本物の床板なので、研磨すれば新品の美しさを取り戻すのではないだろうか。列車のリニューアルといえば内装ごと取り換えてしまうのが常だが、そうでない事例として、数年内には磨きこんでみてほしいものである。

 座席は3列のゆったりしたもので、グリーン車並みの幅があるが、ゆとりはそれだけではない。九州の観光列車の御多分に漏れず、定員外のフリースペースが随所に設けられている。海幸山幸も例外ではなく、木で作られた大きなソファが配されていた。自由席は2号車にわずか9席分しかないだが、こうした場所で過ごすという方法もある。

 海幸山幸は、運行開始間もない3年前にも乗ったことがあるが、車窓案内の内容や車内イベントにはより、磨きがかかっていた。例えば、九州最長の直線区間の案内は、前回はなかったもの。九州人の鉄っちゃんながら、まさか日南線にそんな長い直線区間があるとは知らなかった。アップダウンやトンネルを挟みつつもまっすぐに続く線路は、前後から見ていると確かに面白い車窓である。

 奇勝、鬼の洗濯岩は日南線随一の車窓ポイント。その前後では、客室乗務員による海幸山幸伝説の紙芝居上映が行われるようになった。子どもにとってはちょうど退屈になってくるタイミングを狙ったのだろうが、車窓を見るのか、紙芝居を見るのか、目はちょっと忙しくなる。

 夕暮れ迫る宮崎平野を、海幸山幸はラストスパート。線路沿いには小さな波の絵の看板が続いており、海岸では高波注意の標識かと思っていたのだが、宮崎平野に入っても続いているのを見るに、津波浸水想定区域を示すもののようだ。南海トラフ地震の際には大津波が想定されている宮崎平野の風景は、福島の新地、山元や仙台市の沿岸部に重なり、万一への備えは大きな課題である。沿線には高いビルがなく、山も遠い場所もあり、もしグラリと来たらどう逃げようか、土地に慣れない観光客としては答えは出ないままだった。

 宮崎空港線を右に分け、大淀川を渡れば、高架の終点・宮崎駅に到着である。青島から乗ってきた、旅慣れた風の韓国人おじさんグループにシャッターを頼まれ、韓国語で合図を送ると、
 「日本語うまいですね!」
 と、日本語で驚かれた。驚き方はちょっと間違っていたが…

 1993年の高架化で面目を一新した、高架の宮崎駅。上下線で改札を分け、高架下で線路並行方向の歩行者動線を確保したのは画期的だった。当時のJR九州の「流行」にのっとり、ビビッドな色使いの内装も特徴的だったのだが、これは近年の流行にならい、白ベースに改装されている。

 夕方5時半をまわったが、列車の旅は続く。宮崎名物、椎茸弁当を買い込み、次なるグリーン車を待った。


▲車内も杉材を多用


▲どこまでも続く直線区間


▲大きな窓に広がる鬼の洗濯岩


787系「にちりん」
客室乗務員も添乗、往年の輝きは健在だが



▲「つばめ」そのままの姿のにちりんシーガイア


▲グリーンを超えたグリーン「デラックスグリーン」


▲個室の主は現れなかった

 次なる列車は、「にちりんシーガイア」。山中をショートカットして3時間台で結ぶ高速バスに対して、東海岸の街を結び6時間かけて福岡と宮崎を結ぶ特急である。かつての「にちりん」は、東回りで福岡と鹿児島をロングランしたものだが、今や福岡〜宮崎の直通すら1.5往復しか残っていない。

 そんな中でも、夕方の博多行きは6両編成の787系。日豊本線の特急には4両編成の787系、5両編成の783系も活躍しているが、その中でも最も豪華なのが6両編成の787系である。大分止まりの「にちりん」にも2往復が入っており、快適に旅したいなら見逃せない編成だ。

 新幹線の開業までは博多〜西鹿児島の「つばめ」で活躍した編成で、グループで気兼ねなく過ごせる個室や、普通車の料金で乗れるボックスシート、旧ビュッフェ車のゆったりシートなど、多彩な設備が楽しい。同じ編成は他の列車でも使われているが、「きらめき」だと1時間、「かもめ」でも2時間程度で、何だかもったいない感じがある。にちりん系統では4時間を超える旅路を味わえ、「つばめ」を追体験できる列車だ。

 そしてバースデーパスのお得感がもっとも発揮される編成でもあり、グリーン車を超えるグリーン車、デラックスグリーンも乗ることができる。デラックスグリーン料金は、グリーン料金よりさらに5割ほど高いのだが、パスでは追加料金はなしで利用できるのが嬉しい。

 デラックスの名前は伊達ではなく、電動のリクライニングはほぼフルフラットにまで倒れる。フットレストも備えられており、完全に倒せばベッドのようだ。お隣の席の方は福岡まで行くようだが、さっそく席を倒して安眠の体制に入っていた。デラックスグリーンが登場したのは九州新幹線開業後の2005年だったが、既に過去帳入りしていた夜行特急「ドリームつばめ」として乗ってみたかった座席である。

 ただ昔は、飲み物に加えクッキーのサービスまであったのに、グリーン車の飲み物サービス廃止と同時になくなってしまったのは、残念なところ。せめてデラックスグリーンは、別格の扱いにしてほしかった。客室乗務員も乗り、あれこれ気を使ってくれるのだから、なおさらである。使い捨てスリッパのサービスだけは、健在だった。

 宮崎〜大分間は高速道路が未整備で、鉄道がほぼ独占している区間。特に高速化が行われている延岡までは鉄道優位で、2枚・4枚きっぷの割引率も微々たるものなのだが、乗客は多い。しかし延岡から北の乗客は数えるほどになり、1両に数人が乗っているだけというさみしさである。一時は廃止された車内販売が復活したのは奇跡のようだが、いつまで続くか心配にもなる。

 一時は2時間に1本にまで減った本数も、近年では1時間間隔化とテコ入れが行われているが、来年の東九州道全通の際には、どのような局面を迎えるのだろうか。「つばめ」の追憶体験は楽しいのだが、行く末が気になる「にちりんシーガイア」。臼杵で下車したのは、僕ともう一人だけだった。

 今夜は、石畳の城下町・臼杵泊まり。大手サイト経由で、3,500円の「喜安屋旅館」を抑えている。値段が値段だけに何も期待していなかったのだが、お願いもしていないのに駅まで迎えに来て頂き、嬉しかった。宿に着いても、荷物を運んでくれたり、お茶をついでくれたりと、旅館並みのおもてなしである。

 昭和初期のものというの建物も立派で、2枚の格子をスライドさせて使う目隠しなんてアイデアも見られる。おかみさんも愛着ある建物のようで、関心を示していると、あれこれ案内してくれた。

 街まで飲みに出ると言うと、また車を出してくれて大助かり。5年ぶりにカフェ「エカメナ」の扉を明けた。研究で訪れた学生時代には、主宰氏にはずいぶんお世話になっていたのに、かなりのご無沙汰だった。だいぶおっちゃんになったねと冷やかされつつ、懐かしい時間を過ごしたのだった。


▲旧ビュッフェ区画は、特徴的な天井が残る


▲グループにはうってつけのボックス席


▲深夜の臼杵の街並み
▼2日目に続く
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