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ハッピーバースデー九州パスで
5つのグリーン車乗り比べ



2日目【1月18日】 臼杵→博多→長崎→佐世保→久留米
北部九州の豪華な旅路


883系「ソニック」
大人へのリニューアルからも、はや9年


 臼杵「喜安屋旅館」で目覚めた、2日目の朝。電車大好きという宿のお子さんも同乗して、駅まで送って頂いた。歩いてもさしたる距離ではないのだが、気持ちが嬉しい。

 九州グリーン車乗り比べの旅、2日目の第一ランナーは、883系「ソニック」博多行き。日豊本線の特急は博多〜大分間がソニック、大分〜宮崎はにちりんという分担になっているが、朝晩はお互いのエリアに乗り入れる列車がある。ソニック16号もその一つで、ソニックのうち1日に2往復のみ、大分県南の佐伯まで乗り入れる。朝上り、夕下りの運行で、大分県南から福岡方面へのビジネスには便利なダイヤだ。ただ福岡から県南方面の観光客は使えず、呼び込みたい沿線自治体としては歯がゆいところだろう。

 大分着8時半と、大分への通勤にも便利な時間ではあるが、日曜日とあって総じて空いている。グリーン車の乗客も、僕一人だ。ソニックのグリーン車は革張りで、885系で注目を集めた革張りシートも実は、こちらが先輩格である。リクライニングは電動で、これもN700系と「デラックスグリーン」のみの装備である。少し華奢にも見えるシートだが、耳型のヘッドレストはしっかり頭を支えてくれて、振り子の揺れの中でも安定感がある。

 さてグリーン車の乗客の特権とも言えるのが、前面展望を楽しめる専用フリースペース「トップキャビン」。上り列車では後ろ向きの風景になるのだが、進行方向の変わる小倉〜博多間では先頭になるので、のちほどの楽しみにしておこう。ちなみに普通車側の運転台は「壁」で仕切られており、差ははっきりしている。

 ガラガラなので、大分までの間に車内探訪してみよう。普通車の座席は1995年の登場時、原色3色で塗られたヘッドレストが「衝撃的」な車内風景を作っていた。今も耳型のヘッドレストこそ健在だが、座席はブラウン系の落ち着いたものになっている。床もメタリックなアルミ材からフローリングに代わり、まったく別の形式のように見える。

 ただデッキまわりはリニューアルの手が及んでおらず、登場当時の雰囲気を残す。デビュー時のCMで流れていた、「ディスコじゃないよ、列車だよ!」というキャッチフレーズを思い出した。落ち着いた内装とチグハグな感じがなくもないが、800系新幹線でもデッキと車内の雰囲気をガラリと変えており、メリハリとも感じられる。


▲青一色の塗装も見慣れてきたソニック


▲黒いグリーン席は元祖革張り


▲普通車も落ち着いた色彩に変わった


▲展望席はグリーン車乗客の特権


▲ギャラリーコーナーには特産品が並ぶ


▲振り子を作動させ鹿児島本線を駆ける

 車体を傾斜させて、カーブを高速で通過する「振り子列車」でもあるソニック。傾斜させた際にパンタグラフが架線から離脱しないよう、台車とパンタは「櫓」で固定され、パンタだけは傾かない工夫がなされている。「櫓」の柱はデッキを貫通しており、広いデッキはそのためのものでもある。デッドスペースは、大分の特産品が飾られたギャラリーコーナーや、床までガラスが伸びたフリースペースになっており、うまく空間を活かす工夫がなされている。この思想は、のちのちのJR九州の特急に受け継がれて行った。

 デッキまわりでもトイレはリニューアルされていたが、床の汚れが目立ってきていた。女性には、ちょっと抵抗があるんじゃなかろうか。サニタリまわりを磨きこむのはJR九州の流儀だったはずで、念入りなメンテをお願いしたいところだ。

 小倉〜大分間の高速化とともに導入されたソニックだが、その効果を県南にも波及させるべく、大分〜佐伯間の高速化改良が県費で行われている。ただ単線のため、交換待ちで止まることがしばしば。ロングレール化も一部の区間に限られているようで、ガッタンゴットンのリズムを刻み「ソニック」の名に似つかわしくない。最高速度も110km止まりで、ソニックといえども大分以北並み、とはいかなかったようだ。

 大野川を渡れば高架に上がり、装いを一新した大分駅へ。高架化後に訪れたのは2度目だが、大都会の駅のように変貌した姿に、改めて目を見張った。ソニックもここからが本番とばかりに、ホームに行列を作る多くの乗客を迎え入れる。グリーン車も、半分の座席が埋まった。

 大分を出ると、日豊本線の車窓ハイライトともいえる区間。高崎山と別府湾、そして朝陽に輝く別府市街地を見ながら、カーブを描き快走していく。振り子も本格稼働、ロングレールの乗り心地はすべるようで、大分までとは、別の列車のような走りっぷりである。客室乗務員のサービスも大分からで、グリーン車ではおしぼりのサービスがあった。以前はさらに、メニューを手にドリンクの注文を取っていたものだが、なくなったのはやはり寂しい。

 ソニック16号は小倉まで中津、行橋にしか停車しない速達タイプで、杵築や臼杵といった主要駅も飛ばして、2時間8分で博多までを結ぶ。スイッチバックする小倉からはグリーン車が先頭になり、トップキャビンからの前面展望が展開を始めた。カーブにかかるとぐっと車体が傾き、線路そのものの傾斜よりも、かなり車体が傾いていることが分かる。カーブの多い日豊本線の高速化に貢献した「振り子」だが、福北間40分台の立役者でもある。

 ビル街が見えてくれば、臼杵から約2時間半で、博多着。わずか5分で、次なる振り子列車・885系の長崎行き「かもめ」に乗り継ぐ。どちらも同じ振り子列車なのだから、大分〜長崎を直通してくれれば、両都市間はもちろん、大分〜佐賀間や北九州〜長崎間の利用者にも便利だと思うのだが、博多で系統は分かれていることを恨めしく思った。


885系「かもめ」
有明海沿岸を翔ぶ、白い雄姿


 駅ビルが覆いかぶさり、暗い博多駅ホームにあって、885系は今もって新鮮な白い車体を輝かせていた。「ミレニアムエクスプレス」のキャッチフレーズの通り、2000年に登場した車両なので、はや14年選手だが、今もって新鮮さは失われてはいない。車体下部のラインが黄色い「かもめ」、青い「ソニック」と区別されていた885系も、今は共通運用になり、塗装もエンブレムも統一された。ただ先頭のエンブレムは「かもめ」のシルエットが残されており、2000年デビューの1次車であることが分かる。

 自由席まで革張りシートという、883系とは違う意味での衝撃があった885系だが、こうした車両ほどグリーン車で差別化を図るかに苦心するもの。その答えは、他に例を見ない完全独立3列シートである。進行方向右側の2列の距離は近いけれど、片方だけ回転させることができるので、3人グループでの利用にもうってつけだ。テーブルは床からそれぞれが独立して立っており、華奢にも見えるのだが、登場から14年故障もなく使われているのだから、それなりに丈夫なようである。

 先頭となるグリーン車は運転席とガラスで仕切られており、ソニックのような前面展望を期待するが、走り始めても、座ったままだと前を見通すことはほぼ不可能。半室グリーン車の「狭苦しさ」を解消するための、「見せる運転席」というコンセプトである。

 ちなみにこのガラス、事故の際の「衝撃的なシーン」を乗客が見なくて済むよう、非常ブレーキの作動時には曇る仕掛けがなされている。駅停車時に非常ブレーキをかけた際にも作動し、手品のような光景だった。

 グリーン車への入口右手には、雑誌や新聞、おしぼり等のサービス品が置かれたサービスコーナーがあり、携帯電話もここでと案内されている。木のカウンターの下には冷蔵庫があるが、中身はからっぽ。登場時にはフリードリンクサービスということで、缶入りの飲み物が置かれていたのだが、普通車から出張してきて拝借する不届きものが多かったらしく、ほどなく他の列車と同じ客室乗務員からのサービスに変わった。それも廃止され、グリーン料金は変わらぬままサービスダウンとなっている。

 色あせない885系だが、15年の時代を感じる部分もある。最近の特急では当たり前の設備になってきたコンセントは、2号車にこそ全席装備だが、その他は車端部にしかない。2号車の装備すら、登場時には先進的に映ったものだが、スマホ時代の今は全席に要請される設備になっている。883系でもグリーン車には全席装備だったが、これとてリニューアル時に取り付けられたものだ。鉄道車両の寿命に比べて、時代の流れは早い。


▲ソニックと共通運用になっても残る「かもめ」エンブレム


▲今もって新鮮な「書」のギャラリーコーナー


▲完全独立シートが並ぶグリーン車内


▲一部の座席はモケット張りに変化


▲フリースペースから眺めたい有明海


▲被ばく当時の学校を再現した救護所メモリアル

 長崎までを結ぶ「かもめ」だが、佐賀までわずか40分で結び、しかも4枚きっぷを使えば1,000円で利用できることから、近距離の利用もかなり多い。883系と同様フリースペースが多くとられ、木のベンチが設けられた区画もあるのだが、混雑時の立席スペースも兼ねている。輸送量に大きな段差がある列車における、一つの考え方ではあるだろう。

 佐賀を出るとだいぶ空き、車内を巡る余裕ができた。フリースペースのデザインは車両ごとに異なり、巡ってみるのも楽しいものだ。特に多目的トイレ回りの「書」は、今もって新鮮である。自由席では、一大特徴だった革張りシートが、一部で一般的な布モケットに張り替わっていた。入れ替わりの激しい自由席では、皮の痛みが早く進んでしまったのだろうか。

 長崎新幹線開業後の処遇で揺れる肥前鹿島〜諫早間では、波穏やかな有明海沿岸を走る。885系の客室の窓はこぶりで、快適なグリーン車を脱し、足元にまで車窓が広がるフリースペースからの車窓を楽しみたくなる。諫早湾の向こう側には、雲仙普賢岳が姿を現した。

 長崎トンネルに入ると、ご当地歌手・さだまさしの歓迎メッセージが流れてくる。客室乗務員さんが運転席に入って操作していたが、始まって間もない試みなのか、音量の調整に苦心されているようだった。結果的には、トンネルの騒音にかき消されてよく聞き取れなかった。ただ聞き逃しても、長崎駅のホームでも同じものが流れるのでご心配なく。

 頭端式の終着駅・長崎駅着。大波止まで、時間もあったので軽く「さるく」してみた。長崎はもう何度も来ている街だが、いつも路面電車とその沿線ばかりを巡っていたので、あえて電車通りから離れてみると新鮮な感じがする。

 2008年に開館した長崎市立図書館も、これまで訪れていなかった場所の一つ。壁面緑化がなされ、館内は広々とした吹き抜けが気持ちいい。原爆投下の際に救護所となった、新興善国民学校の跡地でもあることから、その様子を伝える「救護所メモリアル」という博物館も併設していた。原爆投下から70年、すっかり美しくなった街からは想像もつかない惨状に、しばし見入った。


よりみち その2
エネルギーの島は今・長崎市高島


 大波止はその名の通り、長崎から離島への船の発着場。コンクリート打ち放しのターミナルや、「黄色い玉」がシンボリックなプロムナード、フィッシャーマンズワーフなど、ウォーターフロントならではの施設が並ぶ。ただ今や、もっとも存在感を示しているのは、大型ショッピングセンターの夢彩都だ。買い物客で大賑わいだが、遠路はるばるの旅行者にとっては、あまり魅力的な景観ではない。

 13時55分発の高島行きの船に乗り込み、島へのショートトリップへ出発した。ポカポカと陽が差し、デッキに座っていると季節を忘れるような暖かさだったのだが、さすがに海上へ走り出すと肌寒くなってきた。

 長崎港のシンボル・女神大橋をくぐり、今や橋で陸続きになった伊王島へも律儀に寄港すると、目指す高島が見えてきた。全国区となった軍艦島(端島)に隣接し、1986年の閉山まで炭鉱の島として栄えた島である。端島ともども、日本一小さな自治体「高島町」を形成していたが、今は長崎市に編入合併されている。観光戦略には長けた自治体だけに、合併後、軍艦島は急速に観光地化が進行してきた。

 一方の高島は、炭鉱関連施設のほとんどが撤去されたこともあって、軍艦島ほどの注目は浴びていない。島民や釣り人、そしてわずかな観光客とともに降りると、大型の路線バスが待っていた。島の人口は約700人(2005年現在)の島としては奇跡のようで、ともかく乗り込んでみた。長崎市のコミュニティバスという位置付けで、運賃はわずか100円である。他の乗客はお年寄りばかりで、1、2つのバス停ですぐに降りて行った。

 島ながら道路はよく整備されており、対向車もめったになく、バスの走りはスムーズだ。昔の社宅と思われる高層アパート群を抜け、坂道を上り、展望台の入口で降ろしてもらった。さらに登り坂を歩くこと10分で、島を一望する展望台へ。炭鉱関連施設がなくなった跡の空き地が目立つが、人口に対して明らかに多い団地群が、華やかりし時代を伝えていた。

 バスの本数は多くはないので、歩いて山を下る。島唯一の小中学校は、土地に余裕もない中、斜面を利用して高層建築で建てられていた。ピーク時には小学校だけでも、児童数が3千人に迫る超過大規模校だったというが、今の児童数はどの程度なのだろうか。


▲明るい大波止ターミナル


▲展望台から俯瞰した高層住宅が並ぶ高島


▲ビーチはリゾート地のよう


▲新たなエネルギーを生み出す高島


▲セルフサービスの石炭資料館


▲夕暮れの長崎港に戻ってきた

 坂道を下ると、釣り公園に出た。手頃な釣りの名所として有名なようで、島のメインの観光地のようである。人工ビーチの海水浴場もあり、リゾート地のような海の色だった。

 港周辺の中心部に立つ家々は、市営住宅と、元社宅の高層アパートが多く、戸建ての家はほとんど見られない。市営住宅はマメに手が入っているようだが、高層アパートは老朽化が進んでいるように見えた。特に空き家となった部屋には、窓に板が打ち付けられているだけでなく、ベランダの柵まで撤去されている。落下防止のためなのだろうが、もうこれらの部屋が、新たな住民を受け入れることはないことを示唆しているようだ。巨大な建物に、点々と入居者が散らばるアパートでは、どんな暮らしが行われているのだろう。人よりも多く見かけた野良猫君たちは、何も答えてくれなかった。

 しかし炭鉱なき今も、高島はエネルギーの島だ。炭鉱関連施設の跡には、巨大なメガソーラー発電所が作られ、稼働していた。炭鉱と違って、雇用も生まれなければ、賑わいも生まれない施設ではあるのだが、日本のエネルギーを支えてきた自負が伝わってくるようだった。海岸に立つと、遠く軍艦島の雄姿が見えた。

 港の傍には「高島いやしの湯」なる、海水プールを備えた温浴施設がある。風呂は100円と激安だが、こちらは普通の真水である。プールの利用には1,00円かかるが、島外からの利用なら船とのセット券を利用するとよい。船の往復だけでも1,980円かかるのに、セット券だと2,000円である。いやしの湯ではなく海釣り公園の入場に使うこともできて、観光にはうってつけである。

 隣接する石炭資料館は入場無料で、管理人さんはいない。鍵は開け放れており、見学者は自分で照明と空調のスイッチを入れて見学するという、セルフサービスの施設である。このあたりは島ののどかさゆえで、大らかに感じられた。

 週末の島内で開いている店は「いやしの湯」しか見かけなかったが、船着き場に戻ると、往路では気付かなかったスナックコーナーが開いていた。せっかくなので、名物という鯛茶漬け(500円)をずるりとすすって、島を後にした。


783系「みどり」
軽快なステンレス特急にもバブルの面影


 このまま「かもめ」に乗れば、久留米に8時過ぎには帰って、明日から始まる1週間に備えられる。しかし自らに課したグリーン車全車種制覇の命題を果たすべく、まずは快速シーサイドライナーで佐世保方面へと向かった。

 車両は、キハ66・67系の2両編成を2つつなげた、4両編成。佐世保方2両は、ミレニアム記念で復元された国鉄色だった。ミレニアムからもう14年も経つのだが、今もってそのままの姿で運行されている。

 キハ66・67系は1974年デビューの国鉄形車両だが、転換クロスシートを備えているのが一大特徴。関西地区の新快速車両導入に向けた試金石だったとも言われ、その快適さは今もって健在である。ただ内装には疲れも見え、まだ使い続けるのであれば、抜本的リニューアルの時期ではあると思う。

 大村線は、昼であれば波穏やかな大村湾の車窓に癒される区間。豪華寝台列車「ななつ星」の1泊2日コースでは、ディナータイムを飾る車窓でもあるのだが、闇に沈んでいた。闇に輝くハウステンボスのイルミネーションが見えてくれば、佐世保線との分岐駅、早岐に到着である。

 早岐から鳥栖までは、グリーン車乗り比べのラストランナー・783系「ハイパーサルーン」のみどりに乗り込んだ。国鉄民営化後初の特急電車も、もう26年選手。特急型電車としてはベテランの部類に入るが、リニューアルされた外観は疲れを感じさせない。

 「みどり30号」は、博多方に「みどり」向け貫通型の4両、佐世保方には汎用型の非貫通型の4両が併結された、8両編成。グリーン車も2ヶ所に分かれており、僕の席は貫通型先頭車の5号車だった。貫通型とはいえ、ペアの4両編成が非貫通型先頭車のため、通り抜けはできなくなっている。

 貫通型車両は、2000年に783系が佐世保線系統に導入された際に改造された車両で、内装も明るい木目調にリニューアルされている。客室出入り口のドアや、窓割りがシートと合わないのは、改造車ゆえの宿命だ。


▲キハ66・67系の国鉄色編成


▲26年選手のハイパーサルーン


▲どっしりした座席はバブル仕様


▲フリースペースはカフェテリアだった場所


▲普通車の座席はもはやオリジナルではない


▲素っ気ないLED装置に現れる新駅の名前

 またオリジナルのグリーン車は、通路から座席が一段上がったセミハイデッカーの仕様になっている。高さの差はわずかでも、窓の高さが相対的に下がる分、迫力ある車窓を楽しめるのだが、この車両は普通の眺望に留まってしまうのは残念である。近年のJR九州の特急は窓が小さいが、783系はワイドな車窓を楽しめる貴重な存在。車窓を楽しみたい向きには、ハイデッカー構造の8号車自由席の方がおすすめである。

 座席は、他編成が半室グリーン車に改造された際に捻出されたもののようで、783系のオリジナルだった。この座席が、ステンレスの軽快な外観と対象的と言えるほどに、重厚感がある。今見れば、金属の質感丸出しの窓框や、飾り気のないLED情報装置など、質素な面も見られる783系。しかしグリーン車のすわり心地は、間違いなく花のバブル組特急電車だった。883系や885系よりもくつろげる位である。

 肘掛けの側面にはカバーがかかっており、これは登場時にはあったAV機器の名残りである。背面テーブルを出すと現れるくぼみは、テレビモニタの跡。飛行機のレベルへ追いつけ追い越せと、車内サービスの在り方にも試行錯誤が重ねられていた時代の面影が残っていた。

 一方の普通車は、シートはオリジナルのものではなく、廃車された485系のリニューアル編成から転用されたもの。靴を脱いでくつろげる足置きや、全席に備えられたオーディオ装置など、普通車としては破格の車内設備を誇った783系だが、その名残も探せなくなっていた。

 グリーン車にな結局、他の乗客は現れぬまま、鳥栖着。快速で久留米に帰れば、5つのグリーン車を乗り比べての九州一周を完遂した。

 ハッピーバースデイ九州パスは2月までの発売だが、今後も同じような企画きっぷに期待したい。その時はぜひ、めいっぱい3日間の「豪遊」を楽しんでみたいものである。

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