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8日目【1月4日】 瑞穂→花蓮→淡水→台北
去りゆく時間を惜しむ最後の夜


監獄跡も自由の象徴へ


▲温泉は鉄分たっぷりの茶褐色


▲工事現場の中にある瑞穂駅ホーム



▲自強号もゆったりした車内

 1月4日、瑞穂温泉で目覚めた旅の8日目。最終日になる明日は、ほとんど日本へ帰るだけという日程なので、今日が実質的に台湾での最終日と言える。夜まで、めいっぱい楽しんでおきたい。

 昨夜から降り始めた雨は上がっておらず、テラスからもやに包まれた温泉街を見下ろしながら、優雅な気分で朝食。件の大陸からの観光客は朝早くに立ったようで、静かな朝になった。

 宿のおばさんに頼んで、8時20分に呼んでもらっておいたタクシーをロビーで待っていると、昨夜僕の後にチェックインしにきた日本人男性二人組がやって来た。聞けばこれから駅まで出て、同じ列車に乗る予定とのことで、タクシーもちょうど今呼んだところとのことだ。相乗りで行ければ安いので、あわてておやじさんに取り消してもらった。

 タクシーで駅まで行く道すがらお聞きすれば、お一人はもう何度も台湾を訪れている台湾フリークで、昨日は台東の離島、緑島でバイクを借り散策したとのこと。最近日本で、離島めぐりに目覚め始めた僕だけど、台湾の離島というのもそそられる場所だ。8日間も旅したが、まだまだ行く場所は尽きず、早くも再訪を期す。

 瑞穂駅着。駅舎は電化に合わせて大改良されるようで、看板には大都市近郊の駅のような新駅舎のパースが描かれていたけど、のどかな田舎町では浮いた存在になりそう。現在の駅はほとんど工事現場のようで、ホームの屋根は骨組みしか立ち上がっていない。立ち入り場所を区切る仮囲いなどなく、黄色い規制線がはられるだけだ。おおざっぱなように見えるが、日本が過保護なだけなのだろうか。

 8:57発の、台北方面の自強号に乗車。お二人は直前に切符を買い求めていたのだが、週末の上京列車とあって満席だったとのこと。この列車も、2週間前の発売時には即時売り切れになり、一昨日高雄駅で買った時には空席ができていたのだが、また埋まってしまったようだ。台北まで3時間半の「無座」は、なかなか辛い道中だろう。

 指定された席に行くと先客がいたが、券を見せる素振りを見せただけで立ち去って行った。優等列車は全席指定が原則で、満席時には立席券を発売、空席があれば席の主が現れるまで座っていていいというルールは、韓国と同様である。

 どことなくキハ20系に似た面構えのDR2008形は、1981年にデビューした日本製車両である。乗っている車両は1990年モデルで、長期間に渡って増備が続けられたことが分かる。日本では、国鉄の分割民営化の前後にあたる時期にあたり、窓廻りのデザインには、同じ時期にデビューしたキハ185系気動車に通じる部分も見られた。昨日、台東~玉里で乗ったDR3100形より一世代前の車両に当たるが、ビリビリした振動が気になったDR3100形よりも、乗り心地は良好。エンジン音を聞きながら、山懐に続く田園風景を眺めていると、「ゆふ」で久大本線を走っている気分になってきた。

 9:43、花蓮着。6日前の12月30日に台北から訪れているので、ひとまず台湾一周を達成である。6日前はツアーで、街を見物する余裕がなかったので、改めて街歩きに出てみた。駅前には太極拳をやっているおじいさんがいて、台湾というか中国らしい光景にしばし見入る。

 花蓮駅前には、「租車」という看板を掲げた店が並ぶ。粗末な車という意味ではなく、レンタカー、レンタバイクのことで、太魯閣方面はここまで列車で来てレンタル車を借りるのが定番コースのようだ。異国のドライブ、ツーリングも楽しそうだが、太魯閣の隘路へのドライブは、ちょっと自信がない。

 花蓮駅も台東と同様、路線改良の際に郊外移転した駅で、旧市街までは2kmほどある。歩けない距離ではないので、散策がてら歩いていると、自由広場なる公園に行き当たった。公園自体は新しいが、周囲を廻る壁は古く、公園のそれとしては異様に高い。監視小屋もあり、案内看板には「昭和12年(1937年)に設けられた台北刑務所花蓮港支所…」との説明があった。刑務所というあまり明るくない遺産も、塀だけとはいえ昔のまま残しながら活用するとは、思わず唸る。解説看板の年号表記が、戦前は昭和(西暦を括弧書きで表記)、戦後は民国表記になっていたのも、考えさせられるものがあった。

 駅は街外れだったようで、歩いていくほどに街がにぎやかになってきた。30分ほどで、目指す旧花蓮駅跡の「花蓮鉄道文化園区」にたどり着いた。園は2つのエリアに分かれており、まず訪れたのは工務部があったエリア。土曜の朝市が立っており、買い物客で賑わっている。鉄道の名残が、今も身近な場所として活用されているのは、鉄道ファンとして嬉しい光景である。

 隣り合うのが、メインエリア。指令などが置かれていた場所で、建物は駅舎そのものだったわけではないのだが、駅のような雰囲気で展示が作られている。改札口を模したゲートには芳名録があり、昨日の来訪者には福岡からの名前もあった。

 1980年に台北~花蓮間が開通するまでは、西海岸の路線とは独立したナロー(狭軌)の路線だった東海岸の路線。長い路線ゆえ、高速のディーゼル特急や寝台車まで走っていたと言う。その時代の車両を見られるのではないかと楽しみにしていたのだが、実物の車両の展示がなかったのは残念だ。車両が展示されていた「跡」のような場所はあったので、なおさらである。

 園区の周辺は、もう港湾エリアである。かつては海から陸への交通結節点として賑わったのだろう、レトロな「ビルヂング」が点在しており、全盛期の面影を伝えてきた。


▲レンタバイク屋が集まる花蓮駅前


▲監獄跡を再生した自由広場


▲駅の雰囲気を醸し出す花蓮鉄道文化園区


▲館内にも駅らしい仕掛けが


台湾版白いかもめでひとっとび


▲増備が続く普悠瑪号は車体傾斜方式


▲太魯閣はフルスペックの振り子式列車



▲車内はどことなく885系テイスト


▲車両間で大きく食い違う傾き

 ランチは、街中のマクドへ行ってみた。台湾に来てまでわざわざマクドと思うことなかれ、世界的ファーストフードの価格帯や味の違いを見てみたかったのだ。

 韓国のようなご当地系メニューはなく、日本とほぼ同じメニュー展開。ただ値段はだいぶ安く、例えば日本で600円程度になるダブルチーズバーガーセットは109NT(400円)で、ランチタイムはさらに安く79NT(290円)だった。屋台のジュースがやたら量が多いのと同様、ドリンクはビックサイズで、ポテトにケチャップが付くのは韓国や沖縄と同様。味はもちろん、日本と何ら変わりはなかった。

 駅→街へのバスは分かりにくいけど、街→駅のバスだとなんとか乗れる。そこで花蓮駅までは路線バスで戻ろうと思っていたのだけど、不思議なことに、街中でほとんどバスを見かけない。バス停を聞いている時間もないので、ホテル前に停まっていたタクシーを捕まえた。地方都市とはいえ観光地だけに、おばさんドライバーは外国人の相手に慣れている感じがした。

 花蓮から台北へは、台鉄ご自慢の振り子式電車特急・太魯閣で一気に戻る。列車種別としては自強だが、車両の愛称として「太魯閣」と呼ばれている。日本製の車両で、JR九州の「かもめ」「ソニック」で活躍する885系の親戚にあたる列車だ。先頭の造形こそ「水戸岡デザイン」された885系とはだいぶ違うけど、白い塗装なので通じるものはある。

 日本製だけあり、車内のインテリアは日本人から見て違和感がないが、885系と比べてみればだいぶ違う。ダウンライトが印象的な885系に対し、太魯閣は間接照明が直線的に延びる。座席も885系の革張りシートは引き継がれず、一般的なモケット張り。トイレには「和式」が健在だ。一方でインアーム(肘掛内蔵)テーブルは日本式で、台湾では初めて見た。車内妻面の鏡面仕上げのステンレスの欄間は日本でもよく見られる意匠で、どこかで見たことがあるようなのに見たことがない、日本人の鉄っちゃんには不思議な感覚にとらわれる列車である。

 小ぶりな四角い窓は、885系ゆずり。885系の窓は、ちょっと小さすぎるんじゃないかという感想を持っているのだが、暑い台湾の気候にはマッチしているかもしれない。台湾では優等列車はともかく、通勤電車の窓はかなり小さ目である。

 12時15分発の列車とあって、弁当を持ち込んでいる乗客が多い。発車前から駅弁の包みを開く人も多く、駅弁文化の定着度は、日本をもしのぐ印象を受けた。

 他の自強号が3時間近く要する花蓮~台北を、2時間余りで結ぶ太魯閣号の人気は高く、ほぼ満席になって花蓮を離れた。客車列車やディーゼルカーとは異なるするどい加速で、数分でトップスピードに達する。

 ほどなく太平洋沿岸に飛び出し、カーブの続く線路も「振り子」を作動させスピードを落とすことなく通過していく。885系の親戚に乗っているのだから、なおさら日豊本線に乗っている気分になってくる。

 車体を5度も傾斜させてカーブを高速で走れる振り子式特急は、座っている分にはよいのだが、立って歩くと揺れに翻弄される。座席に備わる取っ手は、揺れに備えてのものだ。かような車両なので、他の列車のような立席乗車の扱いはなく、無座券で乗った際には問答無用で不正乗車として扱われるので要注意だ。

 ちなみに太魯閣号の増備は打ち切られており、現在は2012年デビューの普悠瑪号が着々と増備中。最近の日本での流れと同様、高価で維持費もかかる振り子式ではなく、傾斜角度が1度の「車体傾斜式」にランクダウンしている。しかし最高速度は10kmアップの140km/hとなり、太魯閣号並みの所用時間を誇る。日本製ではあるが、赤基調の車体とインテリアは日本離れした感じで、今度はこちらに乗ってみたい。台東電化時には、大増発が予定されている。

 花蓮から台北まで、わずか2時間15分。旅情と言う面では今一つだったけど、快適・快速な太魯閣号の旅だった。台湾一周鉄道の旅も、これでピリオドである。

 4日ぶりに戻ってきた台北の街に、どこか「帰ってきた」感を抱きつつ駅前へ。最終日の宿は、5日目までを過ごしていたEasy Stay 台北に、再度お世話になることにした。五鉄秋葉原ビルの本館は満員とのことで、少し離れた別館へと案内された。

 雑居ビルの3階にある別館は、通りから3階までストレートに続く階段上にあった。難儀でもあり恐怖でもあり、大荷物だったら大変だろうと思う。ただ外への心理的な距離感は近く、機動力の良さはメリットだと感じた。

 荷物の整理もそこそこに、街へ出た。今日は最後の日である、時間を無駄にはしたくない。まずは明日の出発が早朝なので、空港行きのバスが出る、台北西站へ乗り場の確認に行った。地下街を歩きバスターミナルに出てみれば、入口にはミニラバーダックが飾られていた。基隆行きのバスも発着することからPRに勤めており、黄色いラッピングバスも走っているようだ。台鉄もラッピング電車を走らせており、観光輸送にしのぎを削っている状況なのだが、肝心のアヒルちゃんが爆発したのでは気合いも入るまい。

 台北駅周辺は、田舎を巡ってきた目には、きらびやかな「首都」の玄関口に映る。これが韓国のソウル駅だと、駅前がホームレスのたまり場になっていたり、地下鉄の入口には物乞いが何人もいたりと、都会の光と影を映す場所にも見えるのだが、台北駅は明さの方が勝っていて、東京駅の雰囲気に近い。ただ物乞いの姿は滞在中、台北駅でも一度だけ見かけていて、決して豊かな側面だけではないのだと思い知った。その物乞いがハーモニカで吹く曲が、爆風スランプの「さよなら文明」で、何とも不思議な気分に陥ったのだった。



▲トイレの設備も充実


▲ゲストハウスの分館へは長い階段が結ぶ


▲お洒落な地下街に都会へ帰ったことを実感


最後の夜は台北ぶらぶら歩き


▲都会のオアシス、淡水河


▲淡水駅は古城風


▲飛行機に乗るわけでなくやって来た松山空港


▲試食コーナーで微熱山岡自慢のケーキを味わう

 地下にもぐり、もうすっかり乗り慣れた捷運の淡水線に乗った。土曜日の夕方とあって、お出かけ帰りの風情の人々で電車は混んでいる。

 約40分で、淡水駅に到着。レンガ調の高架下に、伝統建築テイストの上屋がかかった駅舎は、都心の駅とは違った気合いが入っている。淡水河のゆるやかな河口に抱かれた街並みは風光明媚で、手軽な観光地として人気がある。

 「老街」には、ぶらぶらと街歩きをする人でいっぱい。道ばたに、ペインティングで銅像になりきるパフォーマーがいたり、プロ顔負けの生演奏をするシンガーがいたりと、芸術の香りが感じられた。

 淡水河を渡る渡し船に乗り、対岸の八里へと渡ってみた。おじさん係員が案内する素朴な渡し船ではあるが、オープンデッキの船は新しく、悠遊カードも使える先進性も併せ持つ。やはりこの季節の台北周辺の天気はすぐれず、美しいと言われる夕焼けは望めそうもないが、川の上から望む霞んだビル群も、また違った都会の景色だった。

 対岸の八里に到着。淡水側には立派な浮き桟橋があり、安全に乗り降りできたが、八里側は斜めの岸壁に横付けする方式。なんとも素朴な乗り降りの仕方だけど、その傍で乗船客がICカードをタッチしている姿は、いいミスマッチ感だ。

 八里に渡るのも淡水の観光コースの一つになっているようで、こちらの老街も盛況である。河を見ながら巡れるサイクリングコースがあり、台北っ子の手ごろなデートスポットでもある。僕もフルーツジュースを飲みながら、ふらりと散策した。

 夜が迫り、ネオンが灯り始めると、人出は一層増してきた。土曜日の夜、これから川沿いをそぞろ歩く人も多いようだ。人波に逆らうように、捷運に乗り込んだ。

 市内に戻り信義線に乗り換え、さらに大安で文庫線に乗り換え。他の路線と違って、日本流に言えば「新交通システム」に分類される、無人運転のゴムタイヤ電車である。高架なので、流れる夜景を楽しめるのは旅行者にとって嬉しいところだ。ただ他線との乗り換えには、地下と高架を行き来することになるため、いきおい高低差は高くなる。

 松山空港で下車。主に国内線が発着する空港で、東京で言えば羽田に相当する空港になる。近距離国際線のシャトル便が発着するのも羽田と同じで、羽田~松山線もある。台湾で会った東京の人は、ほとんど松山から入ってきたと言っており、30分少々で市内へアクセスできる空港を使えるのは、うらやましい限りだ。

 さて飛行機に乗るわけでもないのに、わざわざ松山空港を訪ねたのは、今朝瑞穂で会った兄さんに聞いた、おすすめのパイナップルケーキを買い求めるため。空港から歩いて約15分の、「微熱山丘」という店である。12月には日本の青山に出店した人気店だ。漢字で見ると意味不明な店名に映るが、英訳するとSunny Hillsで、ニュアンスは掴める。おしゃれな店構えでお客も上品な感じの人が多く、入るのにはちょっと躊躇した。

 店に入れば流れるようにレジに案内され、ただ今10個セットのみの販売です、3箱ですね、では…と、流れ作業的に買わされそうになったが、ちょっと待った。この店の売りは、まず席で試食してから買えることではなかったの?

 買った後に試食もないものだが、お願いしたら1個食べさせてくれた。カフェのような席でお茶と共に頂いたケーキは、パインの香りが口の中に広がる、上品な味。後日、お土産に渡した友人、家族からも大好評だった。その分、かなりいい値段ではあるのだが。

 店の周辺も清楚な雰囲気の街並みで、街路樹にしゃれた店が並ぶ様は、福岡のけやき通りを思い出す。微熱山丘にも高級車で乗り付ける人が多かったし、お金持ちが多い界隈のようだ。通りに面した牛麺屋もきれいな店構えで、カフェのよう。食べてみたら、日本人にも馴染みやすい味だった。

 さて、また空港まで戻るものおっくうである。けやき並木の通りには台北駅と表示された路線バスが走っていたので、思い切って飛び乗ってみた。清潔感のある最新鋭のノンステップバスで、捷運と同様、車内飲食は厳禁である。

 南京東路に入ると、バスレーンとバス停が道路中央に移った。名古屋では基幹バスとしてお馴染みの方式で、韓国・ソウルでも近年、大々的に取り入れられている。ただソウルのように、バス停に追い越しレーンが設置されておらず、ラッシュ時には数珠つなぎになるのではなかろうか。また交差点でも専用レーンの立体交差化はなされておらず、名古屋やソウルと同様、「BRT」=バス高速輸送システムと呼ぶには至らないものだと感じた。

 台北駅に入り、今度は自分へのお土産選び。まずは台鉄のグッズショップ・台鉄夢工場で、台北駅の駅名板を模したマグカップや電車型のLEDライト、絵葉書や鉄道趣味誌なんかを一通り購入。飲食物や交通機関は安い台湾の物価だが、「モノ」に関しては日本水準かそれ以上で、お土産品も決して安いわけではない。太魯閣・普悠瑪号型の酒瓶など、5399NT(2万円)もするシロモノで、885系かもめ焼酎の10倍の値段である(中身の酒の価値が違うのかもしれないけど)。だた800形電車のデフォルト模型や台鉄萌えキャラのコースターなんかをオマケしてもらえて、嬉しかった。店員さんもフレンドリーだ。

 地下に移り、今度は捷運のグッズショップへ。捷運路線図(信義線開通対応!と大書きしてあった)のバンダナは、2月に台湾に行くという友人へプレゼントする予定だ。黒地の捷運Tシャツは都会的なデザインで、夏には活躍してくれそう。

 ドミに戻ると、同室の兄さんからご飯に誘われた。こちらも牛肉麺1杯では足りず、最後の夜にもう少しブラブラしたいと思っていたところなので、ちょうどよかった。西門町方面まで歩き、街外れながらもどっと人で溢れていた麺屋に飛び込んですすってみる。今日2杯目の麺類だったが、これもなかなかおいしかった。

 土曜の夜とあって賑わう西門町を、もちもちのタピオカティーを吸入しながら、ぶらぶら歩き。麺二杯でちょうどいいくらいだったのだが、タピオカのボリューム感は案外大きく、お腹にたまってきた。素直に寝るには名残惜しい夜で、宿に帰ってからも兄さんの東南アジア各国の話を聞きつつ、台湾からさらに遠き地に思いを馳せた。

 32歳、何にでも果敢にチャレンジしようというには、なかなか辛い歳になってきた。でも言葉のできない台湾でなんとかなったし、デタラメ英語をぶつける度胸もだいぶ付いて、見知らぬ地で乗り越えられるだけの元気はまだ残っているのかなと分かった。まだまだ世界は広い、いろいろ飛び出してみたい。2014年の幕開けは、新たなる扉を開けたような気がしたのだった。

 眠りたくない夜だったけど、さすがに明日は4時台起きとあっては床に就いた方がよさそう。12時過ぎ、ベッドの明かりを落とした。



▲基幹バス方式を取る台北市内の路線バス


▲車両は最新鋭の低床車


▲人気店でずるりと麺をすする


▲夜中まで賑わう西門町


9日目【1月5日】 台北→福岡→久留米
日本の2014年が始まる


▲路地裏のネコに見送られ


▲アメリカンスタイルのリムジンバス


▲おっちゃんには気恥ずかしくなる自動チェックイン機

 最終日の1月5日は、もはや日本に向かうだけの時間しか残されていない。エバー航空の福岡行きは、桃園空港8:10発という早朝便である。手続きのため2時間前に空港に着くことを考えれば、台北駅発5:05のバスがリミットだ。自動的に起床は4:30となった。日本時間にならせば5:30になるのだが、9日間も滞在すれば、体内時計はすっかり台湾時間に切り替わってしまっている。第一、5:30だとしても充分に早起きだ。

 ルームメイトには、4:30に目覚ましが鳴るのでご勘弁をと断っていたが、やはり気を使うもので、アラームを即刻で止めて起床。昨夜のうちにまとめておいた荷物を手に、静かに街へ出ると、新聞配達の人々がまめまめしく動いていた。エネルギッシュな都会の静かな時間は、それでもそれなりに活動的である。バスターミナルへ向かう道には、僕のような大荷物を持った人々が何人も歩いていて、同じような境遇なのだろう。バスも待たねばならないのかと、初日の悪夢が頭をよぎったが、列の長さはさほどでもなかった。

 行きのバスよりも古く見える、アメリカンスタイルの国光客運のバスに乗り、まだ眠りの中にある台北の街を離れた。台湾のバスは、走り始めると照明を落としてしまうので、寝るにはうってつけである。リクライニングを倒し、空港までの約1時間は短い睡眠時間の補充に充てた。

 6:05、桃園空港着。早朝とはいえ、同じように朝の便を目指す人々で、ターミナルは混雑していた。2階の土産物屋エリアは空いており、最後の買い物タイムに充てる。台湾各地の地名が入った道路標識型のマグネットがあったので、「平渓」と「淡水」を買い求めてみた。

 エバー航空カウンターに行くと、ここもキティを前面に押し出している。預ける荷物がない場合は自動チェックイン機も使えるのだが、ピューロランドの入場券売り場かと思わせるほどのピンクの空間になっていた。おっちゃんだと、使うにはちょっと気恥ずかしい。

 9日前、台湾に降り立ったときは緊張感を持って通過した審査も、今はもう大丈夫。ドキドキもなく、すんなりパスすることができた。ゲートを通過すれば、すぐさま商業ゾーン。ずらりと並ぶ飲食店や、早朝で開いていなかったが視覚障がい者のマッサージコーナーもあり、待ち時間も退屈せずに過ごせそうである。搭乗口まわりには、台湾の自然や伝統工芸、少数民族の紹介コーナーもあり、トランジットの合間にも台湾の文化を学ぶことができる。今回はトランジットでも、次回の来訪につなげてほしいという願いだろう。

 帰路の便も、キティジェット。数週間前に窓際の席を予約していたのだが、隣の席に座った子どもと保護者の方が一緒に座りたいということで、席を替わってくれないかと乗務員さんにお願いされた。せっかく抑えた席だけど、台湾で受けたたくさんの親切を思い出し、席を譲った。

 帰路の機内食は日本風の焼うどんだったが、往路の肉飯の方が美味しかった。サービスの台湾ビールを最後に流し込み、台湾とのしばしの別れとする。窓からの景色を楽しめずに残念などと思っていたが、満腹感とアルコールは睡魔を誘いた。

 2時間のフライトを終え、日本時間の11時15分、福岡空港着。今から家に帰れば、9日分の洗濯物を処理し、ゆっくり静養して、明日から始まる怒涛の通常業務に備えられる。

 しかし、そうはならないのが僕の旅のフィナーレ。わざわざ出迎えに来てくれた旅の仲間とともに、まずは空港内のカフェで乾杯。再び台北へと帰って行くキティジェットを見ながら、旅の思い出話に花が咲く。さらにオーストラリアから帰国した旅仲間とも合流。国内線ターミナルに移動して、ターミナル端にある居酒屋へ。本当に普通の居酒屋のノリで、こんな店が空港内にあるだなんて知らなかった。お互いの旅の報告と、お土産を物々交換したのだった。

 年始早々、長丁場の飲み会を終え、午後7時前にお開き。高速バスで久留米に帰った僕を出迎えたのは、束になった年賀状の山だった。輪ゴムをほどきつつ知る、各地の友人・知人の近況。僕の2014年の日本は、この時に動き出したのだった。



▲帰路もキティ―ジェットに乗って


▲機内食はなぜか焼うどん


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