▲TOP ▲鉄道ジャーニー  1日目2日目3日目4日目5日目6日目7日目8日目


5日目【1月1日】 台北→内湾線→新竹→台中
最新鋭の新幹線と、ゆったり急行列車の旅


台湾高鉄35分の旅


▲地下の台北駅で出発を待つ“新幹線”


▲5列座席も新幹線ゆずり



▲新しいビルが立ち並ぶ高鉄新竹駅

 1月1日、旅の5日目。昨日までは台北を拠点に近郊を巡ってきたが、今日からは4日間かけて台湾をぐるり1周する、旅の第2幕のスタートである。第一ランナーの8時発の新幹線に乗るため、5時間睡眠で7時に起床した。部屋は寝静まっていたが、101の足元まで行こうと誘ってくれた兄さんは起きていたので、お礼の気持ちを改めて伝えておく。本当にいい経験だった。

 地下道をくぐり、高鉄台北駅へ。台鉄と同様、地上と地下の2ヶ所に切符売り場と改札が分かれている。有人窓口と自動券売機の双方で、指定券を買えるのも同様。機械音痴ではなく、漢字も読めるのであれば、さほど難しくなく並ぶ必要もない券売機の利用が便利だ。

 指定席が基本の台鉄と異なり、高鉄は日本の新幹線と同様、自由席と指定席で構成されている。ただ運賃制度は日本と異なり、指定席の運賃も距離ごとに比例していくので、短距離の指定席利用でも割高感はない。最初の目的地は台北から35分の新竹だが、指定席(315NT=1,170円)にしてみた。

 ホームに上がると、見慣れた700系新幹線が待っていた。高鉄の車両は、日本の新幹線がベースである。厳密に言えば、線路や信号は諸外国の方式を取り入れているので、車両とシステムがパッケージされた「新幹線」とは別物。正確には『新幹線の車両が走る高速鉄道』ということになるのだが、一般人の目から見れば、新幹線以外の何物でもない。

 普通車の車内も、3―2列の座席が展開しており、新幹線そのもの。台湾の鉄道では一般的ではない、座席の背面テーブルも踏襲しており、テーブルにプリントされた車内案内のデザインも酷似している。色使いはJR東海とも西日本とも異なる爽やかなグリーンの配色で、車端部に荷物置き場があるのも日本との違い。大いに活用されており、本来は日本でも望まれている設備なのではなかろうか。

 日本のどこかで聞いたような、軽快な発車メロディに乗せて扉が閉まった。地下のトンネルを、小気味よい加速感で速度を上げていたが、ほどなく減速に移った。8時発は停車駅が多いタイプの列車で、板橋、桃園とこまめ止まり、乗客を拾っていく。品川、新横浜と停車して乗客を集める東海道新幹線と同様、始発駅に乗客が集中しているわけではないようだ。空港に近い桃園からは、日本人の団体さんも乗ってきた。

 桃園を離れれば「新幹線」の本領発揮で、高架の線路を300km/hで飛ばす。日本の700系は285km/hがmaxなのだが、欧州規格の頑丈な路盤に支えられ、飛ばすことができるようだ。沿線のビルは途切れず、東海道メガロポリスを走っているような錯覚に陥る。

 席を温める間もなく、66km離れた新竹駅へ、わずか35分で到着。小ぶりな空港のような、吹き抜け空間を持った駅舎が出迎えてくれた。駅周辺には真新しいビルが並び、副都心を形成し始めていた。

 注意すべきは、新竹という単純な名称の駅ながら、台鉄の同名駅とはまったく違う場所にあること。さらに高鉄新竹には台鉄も乗り入れているのだが、こちらの駅名は六家駅である。分かりにくいが、新幹線と在来線は同じ会社という日本の先入観を捨てれば、合点がいかないわけではない。日本でも、新幹線駅に私鉄が乗り入れる形態の駅だと、JRの東海道新幹線・岐阜羽島と、名鉄・新羽島はまったく別の名前である。

 六家駅のある六家線は、内湾線の竹中から1駅間別れた盲腸線で、2011年に開業したばかり。ただ電化区間は新竹~竹中までと六家線のみで、内湾線の竹中~内湾は非電化で残されている。運転系統も新竹~六家間の直通電車が中心で、「本線」であるはずの竹中~内湾間が支線のような扱いになっていた。内湾線・六家線共通の1日乗車券も発売されており、82NT(300円)。まずはガラガラの電車で、竹中へと出た。

 竹中駅で下車。台湾の通勤電車を見ていて気になるのは、車掌さんがドア扱いを客用扉から行っていること。ドアの上には別箇にドア扱いをできるスイッチがあり、他の扉を閉めてから安全確認をした上で、最後に1つのドアを閉められるようになっている。ただ窓から顔を出しての安全確認は行えないわけで、「引きずり」の事故がないものか、気になるところだ。

 竹中駅は六家線開業を期に改良が行われており、高架のこざっぱりした都会的な駅になっていた。高架下は駐輪場になっており、バイクがずらりと並ぶのはお国柄だ。バイクはきわめて整然と並んでいて、マナーがいい。

 竹中始発の六湾行きに乗り換え。平渓線と同じ、軽快型のディーゼルカーが活躍している。本数こそ六家方面の半分程度しかないのだが、4両編成の座席はさらりと埋まっていた。祭日の観光客の他、学生や用務客の姿も目に付き、日常の足として活躍している。最後部まで座席が並んでいるのも平渓線と同じで、後ろ向きに流れる車窓を楽しんだ。 日常に根付いたローカル線の雰囲気は、日本の大都市近郊のローカル線や、第三セクター鉄道の路線に通じるところがある。ホームに上屋を設けただけの簡易な無人駅には、悠悠カードのリーダーが置かれ、きちんとタッチしているか車掌が監視していた。

 次第に都市圏の空気は薄らぎ、色付く木々が目立つようになってきた。合興駅には、旧型客車が展示されており、駅の利用者だけではなく、ドライブの休憩場所にもなっているようだ。列車にカメラを向ける人も多く、鉄道趣味が一般に浸透している様子が伺えた。



▲出発確認は客用扉から行う


▲片面ホームの無人駅ながら上屋は立派


▲旧型客車がレストスペースになった駅も


ローカル線の終着駅、内湾散策


▲RC造の末端ターミナル駅


▲吊り橋を渡って対岸へ



▲雰囲気の良いカフェが並ぶ

 川沿いを走るようになり、トンネルを抜ければ内湾着。僕の乗っていた最後尾の車両はがら空きになっていたのだが、前の方に乗客は固まっていたようで、ホームに降り立った観光客の数は「大勢」といっていいものだった。内湾駅は小ぶりなRC造の駅舎だが、ローカル線のターミナルらしい雰囲気が感じられる。

 駅周辺にはハイキングコースがあるとのことで、歩き出してみたのだが、出発前に見た地図はうろ覚えで、方角が掴めない。日本や韓国だと、駅の観光案内所で地図を受け取ったり、地図がなくとも道路標識を頼りに散策できたりするのだが、台湾ではそのどちらもないシーンが多い。道行くおばさんへ「南坪古道」と筆談で効いてみたら、無愛想ではあったけどきちんと教えてくれた。

 吊り橋を渡り、清流の対岸へ。こぎれいな温泉施設があり、列車までの小一時間、山間の温泉もいいなと思ったのだが、個室湯専門で1,000NT(3,700円)からといい値段だったので断念。周囲には雰囲気のいいカフェも点在しており、陽気の中木々を見ながらのコーヒーにもひかれたが、10時過ぎとあって、どこもまだ準備中だった。

 山へ分け入る、南坪古道へ。「古道」のいわれはよく分からないのだが、歩く分には気持ちのいいハイキングロードである。植物をよく見れば、日本とだいぶ異なるようではあったが、違和感はなかった。聞いたことのない野鳥の声が聞こえてきて、季節を忘れそうである。背中が、次第に汗ばんできた。

 古道を歩いていくと展望台があるようだが、かなりの距離があるようなので、わずかに眺望の広がったところで断念。山の空気を吸って、引き返した。道には、ところどころに木製の橋がかかっているが、踏板が抜けたままの所が何箇所か見られた。台湾では、安全に対し「自己判断」が求められるシーンが多いような気がする。

 内湾の駅前はいわゆる「老街」で、店がひしめき合い、短い祭日を楽しむ人で溢れている。猪の腸詰を買うとニンニクの切れ端を付けてくれて、交互に食うとうまいんだよと教えてくれた。臭くなった口は、フレッシュジュースでリフレッシュ。駅の土産屋を冷やかしつつ、列車の時間まで気ままに過ごした。

 11時の列車で、竹中へとバック。ローカル線のワンデイトリップから帰るにはまだ早い時間で、列車はガラガラ。冷房の効いた車内でくつろげた。しかし竹中で乗り換えた台鉄新竹方面の電車は、街へ出かける人で混雑。六家線の開業と電化とともに大増発された区間で、いわゆる「捷運化」されて日が浅いのだが、すっかり地元に根付いているようだった。

 新竹駅着。鉄骨造の跨線橋には、電車を降りた乗客が溢れた。新竹駅は、日本統治時代に建てられた立派な駅舎が今も現役。柱に囲まれた狭い改札の間口もそのままだが、自動改札は遠慮気味に、1台ずつ設置されていた。

 新竹は、台湾のシリコンバレーとも呼ばれるIC産業の集積地だが、産業団地は高鉄駅周辺に立地しているようで、台鉄駅のまわりは昔ながらの地方都市の駅前といった風情だ。唯一近代的な威容を誇るのは「太平洋そごう」。そごうと言えば日本では落日の百貨店というイメージだけど、台湾では輝いている。駅前広場の公園には、円形に線路がひかれていた。豆汽車を走らせているわけではなさそうで、モニュメントらしい。

 新竹駅でも、コンコースのスタンドで駅弁を売っていた。日本のように郷土色豊かな弁当があるわけではないけど、汽車旅には欠かせないアイテムで、嬉しい。売り子のおばちゃんの笑顔も良くて、カメラを手に「写真撮っていい?」とジェスチャーしてみたら、顔を覆って拒否されてしまった。



▲内湾駅前の老街


▲帰路の列車はゆったりと


▲新竹駅前公園には線路が巡る


台湾鉄っちゃんとの出会い


▲歴史ある駅舎と無骨な機関車


▲14系テイストな急行型客車



▲クリーンエネルギーの開発進む海岸

 新竹駅からは、在来線長距離列車の旅のはじまりだ。無骨な電気機関車に引かれて入線してきた列車は、高雄行きの莒光号。台中の南の彰化駅を目指す。指定席券は、2週間前の発売時には即時に売り切れたのだが、台湾に上陸してから何度か自動券売機でトライして、確保することができた。

 台鉄の指定制の優等列車は「対号列車」と呼ばれ、自強、莒光、復興の愛称が付いている。愛称が個別の列車を呼び分けるものではなく、列車種別を示しているのは韓国と同じ。どれがどの日本の列車種別に相当するかは諸説あるが、自強=特急、莒光=急行、復興=準急とするのが定説のようだ。全席指定が原則で、満席時には「無座」と呼ばれる立席券を買えば乗れる。

 14系テイストの折戸は手動。誰も閉めなければ走行中は開け放しで、日本では数十年前、韓国でも消滅した懐かしの汽車旅風情である。重い扉を開ければ、座席2列に1つの窓が並び、これまた14系客車のよう。足置き付きのゆったりしたシートは、国鉄時代のグリーン車の座席を思い出す。急行としては、上々の居住性である。

 機関車からの衝撃が伝わる、客車列車独特の乗車感が今となっては新線。さっそく新竹駅で買った駅弁を開ければ、十年以上前の汽車旅の気分である。
 台湾西部を縦断する通称・西部幹線は、九州なら鹿児島本線に相当する主要幹線である。しかし竹南~彰化では、内陸を走る山線、海沿いを走る海線に分かれ、四国の予讃線・内子線の関係と同じく、山線がメインルートである。主要都市の台中を通らない海線はローカル線の位置づけだが、今回はあえて、本数の少ない海線の列車をセレクトしてみた。

 しかし、ローカル区間とはいえ幹線は幹線。電化区間は続き、一部区間は立派な高架になっている。もっともさして大きな街ではなく、なぜ高架なのかは疑問符の付くところ。有力な政治家でもいたのだろうか。地上で残る区間には、日本時代からのものと思われる、平屋の木造駅舎も見られた。

 海線という通称からは、予讃線の海線区間のように、海岸沿いをつかず離れず走る車窓を期待するが、実際は一部で水平線を望むだけである。台湾海峡に面して風は強い地域のようで、風力発電の風車が無数に回っている。どこでも冷房がガンガン効いていて、省エネには無頓着なのかなと思う台湾だが、クリーンエネルギーの活用も進んでいるようだ。

 山線と合流し、彰化駅着。手動のドアを開けてホームに降りると、駅員さんから何やら注意された。列車が止まりきる前に降りたことを咎められたのかと思ったが、どうやら様子がおかしい。列車の両側にホームがあったようで、進行方向左側のホームに降りれば階段の昇降なしに出られたということのようだ。僕につられて降りた数人が、無用の上り階段に苦しめられた。

 南に下るに従って少しずつ季節も変わってくるようで、日差しが強くなっていく。海線を経由したため通らなかった台中に戻るべく、区間車の切符を買った。

 ホームに降りると、側線には貴重な旧型の自強号電車が停車中だった。EMU300型と呼ばれる電車は、1989年製造のイタリア生まれ。美しい外観が特徴…という程度の知識は持っていたので嬉しく、バックの旧型客車も絡めてカメラを向けた。

 すると、同じように隣でカメラを向けていた少年から声を掛けられた。こんな時のために覚えていた言葉で筆談。「我 日本 鉄道迷」…僕は日本の鉄っちゃんです、という意味である。後はたどたどしい英語と筆談。趣味を同じくする者同士だけに、意思疎通はどうにかなる。

 台中へ向かう電車は、4両編成で大混雑。広島や仙台のような地方都市圏の、シティ電車を思い出す活気である。かの少年のお仲間さんからは、記念切符を見せて頂いた。何でも彰化にある扇型機関庫が修復工事を終え、今日から一般公開を再開したとのことで、各地から鉄っちゃんが集結。切符の即売も行われたのだそうだ。記念切符も朝から行列して手に入れたものだったそうだが、記念にと手渡して頂いた。鍾先生、謝謝!

 鍾先生は台中の北にお住まいのようで、台中駅で降りる僕はお別れである。降り際にFace Bookのアドレス交換をした。台湾ではFBの浸透度が高いようで、台湾での友達作りのためにはFBにつなげるようにしておいた方がいいと、友人からもアドバイスされていたが、さっそく役立った。

 台中駅も日本時代の面影を残す、小ぶりな赤レンガの駅舎だった。台北では、日本よりも日本時代の建築物が大切にされている印象を受けてきたが、地方の駅舎とて例外ではない。

 台中では宿の予約をしていなかったが、目星を付けていた駅前ホテルに飛び込みでチェックイン。600NT(2,200円)と、台北のドミと同額だった。部屋は質素で窓もなかったが、値段を考えればまずまず立派なものである。火災時の二方向避難もきちんと確保されていたが、避難経路図には1経路しか書かれておらず、2つ目の避難経路を目視でよく確認しておく。

 部屋に荷物を置き、郊外の亜州大学を目指した。無料シャトルバスがあるとの事前情報を得ていたのだが、バス乗り場をいくら探しても見つからず、一般路線バスも分かりづらかったので、最終手段のタクシーへ逃避。亜州大学と筆談すれば、即でOKしてくれた。

 大学までの距離感は掴めていなかったのだが、郊外へかなり走り、メーターも50NT単位で順調に上がって行く。広い道を飛ばし、すっかり街を抜けた。大学に近付くと畑には菜の花が咲き乱れ、菜の花がりをする人の姿も見られる。結局タクシー代は邦貨で千円を超え、いい客だったことだろう。



▲古き良きターミナルの雰囲気が残る彰化駅


▲古豪の特急電車が待機


▲デザインもユニークな記念きっぷ


▲亜州大学に近付くと、菜の花畑が広がった


これから大切にされていく日本建築


▲市民に親しまれる亜州大学現代美術館


▲階段には三角形の天窓から光が落ちてくる


▲解放感とのメリハリ



▲身近な憩いの場があることはうらやましい。台中公園。

 遠い亜州大学まで来たのは、昨年10月に開館した話題の亜州現代美術館を訪ねるためだ。日本の建築家、安藤忠雄氏の設計で、台湾では初めての作品である。三角形を微妙にずらし、三層に重ねたような平面が特徴だ。17時の閉館まで1時間というタイミングだったが、短い祭日の夕方を過ごす人でエントランスは賑わっていた。ガラス張りの吹き抜けで入場券(100NT=370円)を購入。

 建物の外周にはトラス状の構造体が巡り、中心部は三角形の壁がコアを構成する。地震国の台湾では日本と同水準の耐震性を求められるはずで、構造計算はさぞ困難を極めたのではないだろうか。氏の設計の特徴の一つである、打ち放しコンクリートの精度は高い。施工はかなり難しかったんじゃないかと思わせる収まりも随所にあり、困難な工事に取り組んだ台湾の技術者の腕も、また確かである。

 外部の光の取り込み方もまた美しく、三角形の階段室に降りてくる三角形の光は、明るすぎず暗すぎず。展示室の暗さに対して南面は開放的で、順路に沿って展示を巡る間、心のメリハリが付いていく気がした。

 もちろん美術館なので写真撮影は制限され、僕も写真が大丈夫な場所でのみシャッターを切っていたのだが、地元の方はあまり気にせず、展示室内でもカメラを向けていた。職員さんも、特に咎める風でもない。

 観覧客は地元の普段着の人々が中心で、大学内の美術館としては敷居がだいぶ低い雰囲気である。現代に生まれた台湾の日本建築は、統治時代の建築物と同様、これから百年以上は大切にされていくのだろう。

 市街地から郊外に行くバスは分かりにくいけど、郊外から市内なら勘でどうにかなるのは、どこも同じ。亜州大学から市内へは100系統が頻発しており、新市街地に向かう急行便も1時間に数本、さらに今日からは高鉄台中駅方面への便も走り始めたようだ。ひとまず100系統に乗り、市内へ。台中周辺の台鉄は悠遊カードのエリア外だが、バスでは使うことができた。いくつもの副都心的な街を通過し、その度に乗り降りがある。タクシーで飛ばしてまっては分からない、街の構造が見えてくる。

 ホテルに戻って7時のニュースを見ながら一休みして、そのまま寝てしまいたい気持ちに喝を入れ、再び外へ。明日も朝の出発なので、台中の街を見るには今夜しかないのだ。勘を頼りに繁華街方面のバスに乗ったつもりだったが、バスはあさっての方向へ向かってしまった。これはいかんととっさに降りた場所、そこは台中公園だった。

 池の周囲に散策路が巡り、周囲にマンションが立ち並ぶ都心の公園は、福岡の大濠公園を思い出す。東屋や橋はライトアップされており、水面に映し出されていい雰囲気。涼しくなってきた夜風に吹かれ、いい気分でいると、若い女性に声を掛けられた。素敵な出会い、ではなく日本でも有名な某新興宗教への勧誘だったのは残念。後ろから現れたもう一人の女性は流暢な日本語を操るので驚いていたら、千葉からやってきた日本人とのことだ。いやはや、ご苦労なことで・・。

 改めて繁華街へ向かおうと、バス停の路線図を解読。乗るべきバスは分かったのだが、肝心のバスがなかなか停まってくれない。一昔前までの沖縄のように、こちらから乗るアピールしない限り停まらないのである。しかし瞬時に系統番号を班別してバスへ突進するのは、外国人にとって困難を伴う。

 やっと来たバスを逃すという悔しい経験を何度も繰り返し、諦めかけた頃に地元の人が現れ、バスを停めてくれた。謝謝。乗るや否や運賃がいくらか運転士に聞いて、慣れぬ小銭をジャラジャラさせるとなるとまた一仕事なのだが、ICカードはそのバリアをやぶってくれるのがありがたい。

 繁華街へのメインストリートは、片側2車線に加え、街路樹を挟んでもう1車線が並行する、昔ながらの幹線道路。昔は久留米でも見られたスタイルだ。ただ一部区間ではBRT(バス高速輸送システム)対応の道路への改修が進んでおり、数年で近代的な姿に生まれ変わりそうである。

 やはり輝いている「そごう」前で下車。この界隈にある、「台中のシャンゼリゼ」と呼ばれる精明一街は、オープンカフェがならび、地方都市としてはなかなか洗練された雰囲気があった。周辺にもイタリアンやバーなど、ちょっと敷居が高そうなお洒落な店が並んでいる。ただ賑わっているかというと、そうでもなく、地方都市ゆえだろうか。

 おしゃれな繁華街では一人で入れるような店もなく、空腹を抱えたまま台中駅方面のバスを捕まえた。同じようにメインストリートを戻るのだろうと思っていたら、一方通行の狭い道に入り、ぐんぐんと飛ばしていく。スリリングな車窓を楽しみつつも、本当に台中駅に向かっているんだろうかと不安になり始めた頃、路上で停車しゾロゾロと乗客が降り始めた。続いて降りてみれば、そこが台中駅前のバスターミナル前だった。

 台湾では鉄道に並び、バスも主要な交通機関。バスターミナルは会社ごとに分かれているため、小ぶりになっているターミナルには、中・長距離バスを待つ人々が列を成す。

 それはいいがハラ減ったと思いつつ、路地裏を歩いていると、オープンな食堂を見つけた。白飯・小菜・清粥の字が並び、要は定食屋らしい。おばちゃん店主に、翻訳アプリで「魚の夕食」と表示させてみたら、ワゴンの前に連れて行かれ、野菜を3品、魚を1品選ぶように言われた。

 ご飯と汁も出てきて、アラカルト定食が完成。薄味だったが、なかなか美味しい。後から入ってきたおじちゃん連中は、ご飯と一緒にお酒も楽しんでおり、なるほどこういう所で酒を飲むのか。ただ酔っぱらっている風でもなく、お酒に節度ある印象は変わらなかった。

 いくらなのか聞いてもいなかったが、求められたお金は70NT(260円)。飛び込みの食事に満足はしたのだが、お腹はまだ満ちてはいない。セブンイレブンでおでん(台湾では関東煮と称する)と、日本では見ないBar(KIRIN)とGOLD(SUNTRY)なるビールを買い込み、宿で台湾のコンビニ飯を楽しんだ。



▲夜も堂々と輝くそごう


▲こじゃれた雰囲気の精明一街


▲オープンな食堂に飛び込む


▲260円の夕ご飯


▼6日目に続く
inserted by FC2 system