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4日目【12月29日】 台北→北投温泉→台北
HIGH跨年・FUN元旦


台湾に根付き生かされる日本の建築物


▲勧銀は台北博物館に再生


▲太古と近代化の時代に触れながらの朝食



▲吹き抜けの地下駅は解放感がある

 いよいよ年も押し迫った大晦日、旅の4日目の始まりである。今日は台北市内を巡り、夜は台北101のカウントダウン花火を楽しみに行くという大雑把な計画。朝起きる時間を気にしなくていいのは全日程中、今日が唯一で、9時まで惰眠をむさぼってみた。こんな日を1日くらい挟まないと、長旅の体力が持たない。

 それでも周りのルームメイトよりは早起きで、身支度を整えて街歩きに出発。昨夜散歩した台北駅南側の、昼の顔を伺いに行ってみた。空は澄み渡り、台湾上陸4日目にして初めて恵まれた晴天である。今風な街並みの中に、日本時代の近代建築が点在し、朝の陽に輝いていた。

 国立台湾博物館前の三叉路には、角地のシンボルとして、1922年竣工の旧三井物産ビルが立つ。近代文化遺産として残されているわけではなく、今もオフィスビルとして使われているようだ。ただ日本が作った建築物ながら、2階部分が道路に張り出す台湾スタイルになっていた。

 隣り合う台湾博物館の土銀展示館は、1933年竣工の旧第一勧業銀行台北支店。通りに面して、美しく列柱が並び、天井には精巧なレリーフが飾られている。入場無料だったのは嬉しい。

 銀行の窓口があった吹き抜けの空間には、恐竜の化石が展示され、3階のカフェからは化石を眺めながらサンドイッチを食べられた。なかなか優雅な朝食だ。カフェにはオープンテラスもあり、シースルーのエレベーターも設けられていたが、建物の裏側の目立たない位置で、外からの景観を壊さないよう配慮されている。

 金庫室は銀行時代の資料館になっており、時代の変遷とともに歩んだ建物の歴史を知ることができた。大切に使われているのは日本人として嬉しく、書き置きコーナーに感謝の言葉を綴っておいた。

 二二八和平公園を通り抜けて、総統府へ。玄関前に設けられたステージでは、歌や踊りが繰り広げられていたが、ギャラリーはほとんどなし。なにがしかの、政治的なイベントだったのだろうか。カメラを向けようとしたら、警備員に制止された。自由を謳歌している印象がある台湾だが、やはりこの界隈はどこか窮屈だ。裁判所や中正記念堂など、界隈には威厳ある建築物が並び、霞が関を歩いている気分になる。

 中正記念堂駅から、捷運・小南門線に乗り込む。台北駅の混雑緩和のために建設された路線で、始終点を含めてもわずか3駅のミニ路線。乗り換え客で込み合う台北駅を経由しないで済むのはメリットだが、乗り換えが1回増えることもあってか、ガラガラだった。西門駅では同方向の電車を同じ階に発着させており、上下移動がないよう工夫されているのだが。

 板門線に乗り換え、国父記念館駅で下車した。市政府周辺の新興繁華街を形成するエリアで、ショッピングゾーンだけではなく、2017年のユニバーシアードに向けドーム競技場の整備もまさに進んでいるところだ。工事現場の仮囲いが緑化されているのは、景観上も好ましいし、ヒートアイランド抑制にも効果があるのではないだろうか。仮囲いの周囲には仮設トイレがずらり。台北101から近く、このあたりも年越し花火の観覧スポットになるようである。

 駅から歩いて5分の、松山文創園区へ。75年前に作られ、15年前まで現役だった煙草工場を再生した複合文化施設である。

 古い建築を利用した新しい施設ではあるが、リノベーションと呼べるほどの手は加えられておらず、床のひび割れはそのまま。トイレは便器こそ最新式になっていたが、時代がかったモザイクタイルの床や腰壁は昔のままだった。外部に面した窓の多くはアルミサッシに変わっていたが、それとて状態のよいものは木製のまま。ピンポイントに的を絞った、リニューアルのレベルである。

 館内には「台湾設計館」があり、「設計?図面の博物館かな?」と思っていたが、英訳は「Design Museum」。なるほど、中国語では設計=デザインなのか。展示室は文創園区内に点在しており、入場料100NT(370円)を払うとリストバンドを巻かれ、それを見せて各展示室に入るというシステムである。

 展示室では、世界と台湾の工業デザインの変遷史が、一同に会する。戦後の台湾製品にも多くの日本語が見られるのは、興味深いところだ。今も台湾製品のパッケージには、デザインとして多くの日本語が見られるが、「日本語=信頼の証」という図式は、近年のものではなさそうである。

 そしてデザインミュージアムの館内も、施された装飾は床に敷かれたカーペットと、壁・天井への塗装くらい。近代建築物の再生を行おうとすると、日本ではフルリノベーションされる事例も多いのだが、古いものも極力古いまま、磨きこんで使うのが台湾流のようである。

 別棟の機械修理工場は、琉璃工房(ガラスアートギャラリー)のギャラリー兼ショップに生まれ変わっていた。レストラン「小山堂」も併設しており、最低消費額300NT(1,100円)はなかなかの値段だが、解放感ある空間でくつろいでみたくて、おひとり様を決め込んだ。ランチに選んだ中洋折衷メニューの角煮リゾットは、かなりのボリューム。美味しかったのだが、少しもたれた。

 食後のコーヒーは、デザインミュージアムに戻り、ミュージアムカフェでゆったり。この日は1日、いい天気に恵まれたのだが、結局朝から昼過ぎまで、日本時代の近代建築物の中で過ごしたことになる。日本の手を離れ60年、これらはしっかり台湾の地に根付き、台湾の建築物として活躍する姿を頼もしく思ったのだった。



▲工場建築の面影を残す松山文創園区


▲最小限、手を加えられた工場建築


▲工場もおしゃれなレストランに


台湾流温泉情緒に浸る


▲地獄の風景を楽しめる心に共感


▲台湾の思う日本の姿が見えた百楽涯



▲昔ながらの台湾式高層建築も温泉旅館

 火山帯に属する台湾では、時に大地震の辛酸をなめることもあるが、温泉という大地の恵みも受けている。首都・台北近郊でも例外ではなく、特に北投温泉は捷運でアクセスできる手軽な観光地だ。大晦日の夕方は、4日間の旅の疲れを一旦リセットすべく、温泉を目指すことにした。

 信義線から淡水線に乗り継ぎ、民権西路からは地上区間を走る。車窓には古びた集合住宅が並ぶが、隣り合う建物の間隔が数メートルしかない。窓からの日当たりなど、真夏でも皆無ではないかと思うが、暑い国だけに日当たりはこだわらないのかもしれない。

 北投駅で降りると硫黄臭が漂ってきて、温泉地が近いことをまず嗅覚で感じる。温泉は一人で行っても寂しいので、ルームメイトさんと新北投行きの電車内で合流。示し合わせたわけでもないのに、たまたま時間が合い落ち合うことができた。

 ちなみに淡水線は、新店線・信義線の2線から直通運転されているが、淡水まで直通する新店線に対し、信義線は北投止まり。どうせ北投で折り返すなら、新北投に直通すればいいのにと思っていた。しか新北投支線の3両編成の区間電車は、派手にラッピングされた特別仕様。車内にはタッチパネル式の情報装置があり、温泉の情報を仕入れることができる。この観光電車を走らせたいわけか。

 高架をゆっくり走ること3分、あっという間に新北投駅着。駅自体はありふれた高架駅だったが、駅前から川沿いを遡って行くと、日本の温泉地に通じる風情が沸いてきた。高層ビルのホテルが林立しており、秘湯というよりは熱海や別府といった、大規模温泉旅館街の趣である。

 入場無料の地獄谷まで登ると、青い湯からもうもうと湯気が立ち込めていた。湯量も豊富なようで、川へと大量の温泉が流れ込んでいく。川も充分に温かいのだろう、足湯を楽しむ人々の姿が多く見られた。温泉旅館からの廃湯も流れ込んでいるので、あまり推奨はされていないようではあるが。

 さて、どの温泉に入ろうか。ガイドブックを見ると、その名も熱海大飯店の値段がお手頃なようなので、川の左岸を歩いていると、熱海の横に百楽涯温泉酒店なる新しい温泉旅館ができていた。聞いてみれば、大浴場は台湾式の水着着用ではなく、裸で入れる日本式ということで即決。280NT(1,040円)となかなかいい値段ではあるが、この界隈では安い方である。玄関は唐破風、ホールには鎧兜が飾られ、これが台湾の人の思う日本のイメージなのかなと思う。

 2階の浴室に入ると、脱衣所と浴室の仕切りがない。台湾の温泉の多くはこのスタイルとのことだが、別府の共同湯や沖縄の公衆浴場でも見られる。ただどこまでが土足で、どこまでが裸足の床なのかが分かりにくく、湯上りの時には足のよごれが気になるかもしれない。

 温泉そのものは、湯の浴槽が2つに、水風呂とミストサウナがあるだけのシンプルさ。壁には浮世絵が掲げられていて、日本「ぽさ」を演出していた。白濁した湯は、温泉成分がふんだんに入っている感じだ。温度はやや熱めでよく温まり、疲れもすっと抜けていくようだった。

 台湾の温泉は日本以上にマナーに厳しいらしく、例えば浴槽の中で顔をぬぐったり、縁に腰かけて足だけ浸けたりしていると、地元の方から厳しく指導が飛んでくることもあるとのこと。しかしこの温泉では、足湯をする人も見られ、それが咎められる雰囲気でもなかった。外国人のお客が多いのかもしれない。前を隠す人がいないのは、韓国と同じだ。

 湯上りに火照った体で、川沿いをぶらぶら。日本時代の遺産である温泉博物館は、残念ながら閉館時間を過ぎていた。その背後に立つのは、日本から進出してきた純日本式旅館「加賀屋」。かなりのお値段らしいが、ちょうどチェックインの時間とあって、次々に部屋に明かりが灯っていた。加賀屋で年越しとは、台湾でもだいぶ贅沢な部類に入ることだろう。

 川沿いには市立図書館の北投分館も立ち、木をふんだんに使った、窓の大きい居心地の良さそうな図書館だ。対照的にあえて低く抑えられた天井が、落ち着きを演出する。館内では飲み物を飲めるようで、コーヒーを片手にしゃれた空間でくつろぐ市民の姿は、武雄市図書館を思い出しした。


▲日本時代の面影を残す滝乃湯


▲温泉博物館の背景には明かりが灯る加賀屋


▲「開」と「狭」が巧みに心地よさを作る北投分館


高い民度に支えられる年越しイベント


▲JR東日本の広告電車


▲警備員も現れ、混雑に備える台北駅



▲カウントダウンを前に輝く101


▲人は多いが、押し合うわけじゃない

 捷運で台北駅へバック。午後6時を過ぎ、ぼちぼちカウントダウンイベントへの移動が始まる時間のようで、昨日までの同時刻とは比べ物にならない混雑になっていた。昨日までは見かけなかった「トイレはここ」「ここに留まらないで」という吊り看板も設置されている。ホーム整理の駅員も多数出ており、これからどれほどの混雑になっていくのか、ちょっと怖い気もする。年越しに向けて、街はざわつき始めた。

 年越しに向け体力を温存すべく、7時前に一旦ドミの部屋に戻ると、皆同じ考えのようで、全員の顔が揃った。部屋の窓には、昨日までもやに隠れ見えなかった台北101の姿が映る。年越しに向かって、30分ごとに電飾が灯っているのが見えた。

 秋葉原ビルの屋上も解放されるとかで、さきほどの駅の混雑に恐れを成し、ここから見ようかなと心動きかけた。しかし、昨年も行ったというルームメイトさん曰く、近くまで行っても思ったほどは混まないし、台湾の人たちと同じ空気で迎える年越しはいい思い出になるとのこと。意を決して、同室のメンバーのうち4人とともに、街中へと乗り込むことにした。

 夜9時、タクシーを捕まえ街中へ。なるほど意外と道は混んでおらず、歩道を歩く人波を横目に、市政府駅まで乗りつけることができた。周囲は車がシャットアウトされており、広い道は歩行者で埋め尽くされている。ただ押し合いへし合いするわけでもなく、道に座り込んでその時を待つ雰囲気は、思いのほか和やかだ。騒ぐ若者も、酔っ払いもいない。昨日までの寒さはだいぶ和らぎ、凍えずに済むのはありがたいことである。

 さてどこから見ようかとキョロキョロしていたら、通りから1段上がった位置にある市政府の公開緑地が、通りから目に付かないようで意外と空いていた。2時間前、やや出遅れた時間かなとは思ったが、特等席を確保である。

 大勢の人が集まるイベント会場は、企業にとってはまたとない販促の機会。飲み物やラーメンなど、試供品のテントが並ぶ。ラーメンは体が温まりありがたかったが、炭酸飲料はトイレが近くなっても困るので、カバンにしまっておいた。
 23時、再び101が金色に輝く。あと1時間ではあるのだが、日本では既に新年を迎えていることだろう。時差のある場所で年越しを迎えるなんて、初めてのことだ。僕にとっての2013年は365日と1時間、逆に2014年は364日と23時間ということになるわけだ。来年も台湾で年を越せば、ちょうど365日になるわけだが。

 残り1時間、座り込んでひたすらにその時を待った。テレビ局のイベントステージに行けば次第にボルテージが上がって行ったのだろうが、遠巻きに眺めていた僕らにとっては、唐突にカウントダウンがスタート。ビルのてっぺんの電飾部分の数字が「3、2、1…」となった瞬間…

 なんじゃこりゃ! 想像していたよりも、何倍ものスケール感の「横向き打ち上げ」花火が始まった。派手なだけではなく、ビルの外周を螺旋状に打ち上げたり、ビルの電飾と組み合わせたりと、魅せ方は芸術的だ。

 『HAPPY NEW YEAR 快楽 台北101 敬祝 新年』。ビルに現れるメッセージに、周りの台湾の人々とともに新年を迎えた喜びを共にして、4分間の一大エンターテイメントは幕を閉じた。

 台北101に隣接して高層ビルが立つ計画があり、来年以降は開催するとしても、規模の縮小は避けられないと言われているカウントダウン花火。しかし隣接のビルと協力して、今以上の花火を演出することも不可能ではないはずだ。その時はきっとまた、見届けにきたい。

 終了の瞬間、拍手に包まれた会場周辺だったが、それも止めば周囲の人々は一斉に帰路につき始めた。しかし焦った雰囲気はなく、時々101をバックに写真を撮りつつ、イベントの余韻を楽しんでいるようだ。整然と帰る人の流れに混乱もよどみもなく、警備にあたる警察官すらほとんど見られない。

 台北の街並みはきれいという印象を持ってきたが、さすがにこの日は路上に多くのゴミが残されていた。それらを集めるのは、黄色いベストを来た高校生たち。ボランティアとはいえ、深夜に未成年を働かせていいのかとは思ったが、危ないことはないのだろう。新年早々、心が気持ち良くなる光景だった。

 周辺の交通規制は続いていたが、北側の永吉路まで出れば、タクシーの空車が群がっていた。最初に声を掛けた車は1人あたり200NTとかなりの額をふっかけられたが、2台目で親切なタクシーにあたり、定価の180NTで台北駅へと走ってくれた。ドミに戻った時間は1時前、思っていたよりはるかにスムーズだった。

 部屋に戻ると、シャワー室から音が聞こえてきた。もうシャワーを浴びているとは、ビルの屋上からでも花火を見たのだろうか。風呂上りに聞いてみたら、なんと101の真下まで行って帰ってきたところとのこと。終了後、すぐに捷運の駅に行ったら、電車を2本待って乗れたとのことである。大混雑でかなり待つと聞いていた捷運だが、信義線開通のお陰で、昨年よりだいぶスムーズになったようだ。

 翌日のニュースでは、毎年恒例ともなっている駅の名物誘導員が、今年は半澤直樹の「倍返しだ!」のパロディで誘導している姿が流れており、和やかに大輸送作戦が行われたようである。今年は116万人の人出だったというカウントダウン花火だが、最小限の警備でスムーズに終わり、驚愕という他ない。花火そのものももちろんきれいでだったが、台湾の人々の高き「民度」を見られたことも、ある意味衝撃的な思い出になった。

 年明けの興奮の中、早寝するのもなんだか惜しく、部屋では2時頃まで盛り上がった。2014年の幕開けとともに、僕の旅も第2幕へと移る。



▲美しくプログラムされたカウントダウン花火


▲ビルにメッセージが現れればファイナル


▲残煙を流し輝く101


▲奉仕活動を行う高校生の姿に気分よくなる年明け


▼5日目に続く
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