▲TOP ▲鉄道ジャーニー  1日目2日目3日目4日目5日目


0〜1日目【9月26〜27日】 久留米→岡山→東京→日光→裏磐梯

サンライズから日光へ


日差し輝く東北に行きたい

 2013年9月末、使い残した夏休みの旅行先は、東北に進路を定めた。2011年以降、二度の年末年始は東北で過ごしてきたけど、季節を変えて訪れてみたいと思っていたのが第一の理由。冬の凍てつく東北は、九州人にとって異世界であり魅力的なのだが、そのイメージばかりというのも、ちょっと違うと感じていた。夏の名残りを感じられる季節のうちに、東北の山と海に抱かれてみたい。

 それに相馬と塩竈では、震災復興で僕と同じ時期に郡山に派遣されていたお二人が、引き続き尽力されている。遠い地で日々汗を流してどのような仕事に携わっておられるのか、この目で見てみたい。そのために、帰省シーズンではない時期に行きたかったのだ。ひさびさにご一緒に美味しいお酒も飲めれば、御の字だ。

 さっそく各地の皆さんに連絡を取り、往復の切符を抑え、何より大事な仕事の段取りを整えて、遅い夏の旅は走り始めた。


▲今回の旅のルート(クリックで拡大)




「サンライズ」の最上級個室でくつろぐ


▲久留米から岡山まで、乗り換えなしで結ぶ「さくら」


▲黄色が席巻する岡山駅構内



▲出雲との連結準備を行うサンライズ瀬戸

 九州から遠き地、東北までの旅。帰りはスカイマークの仙台〜福岡線を早割で抑え、時間短縮と費用節減を図ったのだが、往路は移動そのものも旅として楽しみたい。そこで少し贅沢しながら、陸を這って行くことにした。まずは九州から東京まで、寝台特急の個室の旅を満喫である。

 あれ、九州と東京を結ぶ寝台特急は廃止になったんじゃ?と思われるかもしれないが、東海道・山陽筋の寝台特急は、高松・出雲市発の「サンライズエクスプレス」が残っている。岡山で新幹線と乗り継げば、今でも九州〜東京間の夜の旅は可能なのだ。

 というわけで9月26日木曜日、いつも通りの仕事を終えた僕は、久留米19時23分発「さくら572号」に乗り込んだ。博多までは1両に数人という空き具合だったが、博多から先の山陽区間は7割以上の乗車率に。とはいえ「さくら」は4列のゆったりシートなので、ぎっしり詰め込まれた感じはしない。お弁当を広げる人も多く、のんびりしたムードに包まれている。

 山陽路の闇を疾走すること2時間余りで、岡山着。政令市の岡山市だけど、駅前は何やらガラの悪い若者で騒がしく、こんな些細なことでも街のイメージはぐんと下がってしまう。それでも、「岡電式」と呼ばれる独特のパンタグラフを載せた路面電車を見て、岡山に来たことを実感。街をぶらぶらしたい衝動に駆られるが、そんな余裕もないので、駅前のチェーン店の食堂でお腹を満たして夜汽車の長旅に備えた。

 夜行列車出発前の喧騒も味わいたくて、早めに在来線ホームへ。はやる気持ちは誰しも同じようで、発車十数分前には、旅行者風の人々が集まっていた。ジャパンレールパスだと宿泊費を浮かせられることから、外国人の姿も目立つ。在来線に発着する近郊列車は、黄色い色の電車が席巻。経費節減が目的の単色塗装、だいぶ広がってきたようである。

 22時22分、「線路は続くよ」のメロディに載せて、まず高松からのサンライズ瀬戸が入線。ホーム前寄りに停車した列車は幌を出して、連結に備える。続けて22時29分、出雲市からのサンライズ出雲が到着。大勢のギャラリーに見守られながら、ゆっくりと連結された。

 さて僕の今夜の根城は、A寝台個室「シングルデラックス」である。サンライズは3度目の乗車だが、過去2回はいずれもB寝台個室「シングル」止まり。今回は、最上級個室を奮発してみた。久留米〜東京間の運賃・料金総額は約3万5千円にもなり、LCC全盛の今では、かなりの贅沢の部類に入るだろう。

 2階建の車両のうち、1階は2人用B個室「サンライズツイン」、2階が「シングルデラックス」という構成。狭い階段を上がり、しっかりしたしつらえの扉を開けて「チェックイン」する。シングルデラックスは、「富士」で同クラスに乗ったことがあるが、独房とも称された富士のものに対して、こちらは広々。ベッドの他に、ライティングディスクや洗面台も備わる。椅子に多少の痛みが見られるのは残念だが、登場15年の車両としては清潔に保たれていることに好感である。

 シングルデラックスにはアメニティグッズも備わり、シャンプー、リンス、髭剃りだけでなく、洗顔フォームや化粧水まで入っており、シティホテル水準。他のクラスでは有料(300円)になるシャワーも、車内改札の際に無料でシャワーカードが付いてくる。さっそく、仕事の汗を流してさっぱり。揺れる車内でのシャワーや湯上がりのホカホカ感も、楽しい体験の一つだ。

 サンライズは住宅メーカーが設計に参画しており、木質感が重視された内装が落ち着いた雰囲気を作る。A個室車の廊下の壁は、木造住宅の柱や梁をモチーフにデザインされており、鉄道屋にはない発想である。

 しかし車内を巡ってみれば、廉価版の指定席「ノビノビ座席」車が4割程度の乗車室。B個室車も同程度で、一部にはカラに近い車両すらあり、これまで切符が入手困難な週末にばかり乗ってきた印象とはだいぶ異なる。もともと定員の少ない列車だけに、乗車率を8割程度はキープしないと赤が出そうで、行く末が不安になってきた。

 列車の個室の良さは、照明を消して夜の車窓を楽しめること。特に2階部屋では、屋根まで回り込んだ窓から、ベッドに寝転がったまま流れる風景を見ることができる。岡山から姫路にかけては県境の闇を走って来たのに、明石海峡大橋から阪神間にかけては、街が急速に明るくなってきた。日付も変わろうかと言う時間なのに、ホームには人が溢れ、電車は満員。時計の針が、少しずつ戻されていくような不思議な感覚にとらわれた。

 深夜0時半、大阪着。このまま京阪間の街並みも眺めていたいのだが、明日も1日みっちりのスケジュールである。カーテンを降ろして、短い眠りに就いた。


▲ベッドにテーブル、洗面台も備わるシングルデラックス


▲アメニティグッズも充実


▲照明を消した窓に、夜の街が流れてゆく


バブル組の特急電車に乗る


▲太平洋のサンライズに迎えられる


▲天井まで広がる窓からは、ビル街の車窓も思いのまま



▲時代がかった施設が都市機能を支える、銀座線上野駅

 5時半、セットしておいた目覚まし時計のアラームで目覚めた。まだ寝ていたい時間だが、カーテンを開けて白む空の光を取り込む。こんな時間に起きたのは、熱海から根府川にかけての、太平洋から登る朝陽を見たかったからだ。差し込むオレンジ色の光に包まれて、サンライズエクスプレスの朝は始まる。

 首都圏の朝は早い。併走する通勤電車には、早朝出勤の人々の姿が目に付く。満員とは言わずとも、さらりと席を埋めるだけの乗客があるのは さすがだ。あちらから車内への視線を感じ、寝癖が付いたままの髪を直す。

 身だしなみを整えたところで車内を一巡りしてみると、ぐっと乗客が増えた印象だ。瀬戸編成で6割、出雲編成で7割程度の乗車率になっていた。深夜の三ノ宮や大阪で乗り込んだ人も、多かったようである。二大都市間を結んだ寝台急行「銀河」は過去のものとなったが、バスではない夜行の交通機関を求める需要も、ゼロではないようだ。

 東京に近付くにつれて、少しずつビルの高さが増し、建物の密度が高まり、ホームの人が増えてくる。飛行機や新幹線でダイレクトに都心に入ってしまっては分からない、都市の中心に向かう臨場感を味わえるのも、在来線の旅の楽しさである。汐留の高層ビル群も、個室2階の天井まで広がった窓のおかげで、てっぺんまで見通せる。

 東京駅着。かつて多くの夜行列車が発着した東海道本線・在来線ホームに到着する夜行列車も、今やサンライズを残すのみである。でも朝焼けがモチーフのサンライズに、そんな感傷は似合わない。乗客たちは長旅の疲れも見せず、ゆったりした夜行列車の旅のリズムもなかったことかのように、それぞれの目的地へ足早に去って行った。

 さて僕も、実質的な旅のスタート地に立った。最初の目的地・福島へは、順当に行くならば東北新幹線、安く行くなら東北本線の普通電車か高速バスが一般的なルートだろう。しかし会津方面ならばもう一つ、東武鉄道〜野岩鉄道〜会津鉄道〜JRの4社を乗り継ぐ、魅力的なルートがある。

 サンライズを降り立った僕は、山手線ホームへ。上野駅から浅草へは、日本初の地下鉄・銀座線で移動した。鉄骨むき出しの構造物の中を走る電車は、歴史を感じる都市風景の一つであり、お気に入り。「黄色い電車」の復活で、その魅力は一層増したように思う。ノスタルジーなだけではない。初期の地下鉄はトンネルが浅く、上下移動に手間がかからないという実用性もある。


 階段を上がり、地上の東武浅草駅へ。昔ながらの正統派「私鉄ターミナルビル」といった いでたちの駅ビルは、スカイツリー開業に合わせてきれいにお色直しされていた。駅の有人窓口で、会津若松までの4社連絡きっぷを購入。切符をその都度買う手間が省ける上に、途中下車が自由になるのが何よりのメリットだ。

 壮大な切符を感慨なく自動改札機にすべりこませ、ホームへ。さすがは広大な特急ネットワークを持つ東武、優等列車用ホームには中間改札があり、JRの上野や新宿のようだ。事前にオンラインで購入していたモバイル特急券をケータイに表示させ、画面を見せて入場した。

 ホームに待っている鬼怒川行き特急電車は、観光特急「スペーシア」。90年デビュー、「オレたちバブル走行組」の特急電車である。優美で大柄な特急電車だが、ホームの先端は狭く窮屈そうだ。

 さすがはバブル世代特急で、1号車は1両まるごと個室車両。ゆうに6人は入れそうなほどの空間だが定員は4人で、テーブルは大理石なのだとか。平日の早朝とあって、浅草発車時点での乗客は1組だったが、昼の列車では人気が高いようである。

 さすがに、ひとり旅で個室なんて贅沢は許されず、僕は普通車を抑えている。しかしこちらもシートピッチは広めで、くつを脱げる足置きも完備。JR特急の4列グリーン車をしのぐサービス水準で、ゆったりとくつろげる。大型のヘッドレストにはスピーカーが埋め込まれており、イヤホンなしで音楽サービスを楽しめる…と、それこそバブル期のテレビ番組で見た記憶があるのだが、こちらは撤去されて久しいようだ。

 午前8時ジャスト、きぬ103号は鬼怒川へと走り始めた。カーブで車輪をきしませつつ ゆっくりと駅を離れれば、さっそくスカイツリーが車窓を飾った。最寄り駅のとうきょうスカイツリーは特急停車駅に昇格したが、早朝の列車は通過する。車内はだいぶ空いていたが、各方面からのアクセスが便利な北千住で大勢乗り込んできて、半分を超える乗車率になった。


▲レトロな浅草駅ターミナル


▲長距離列車が並ぶ浅草駅ホーム


▲プレート1枚からも豪華な雰囲気が伝わる個室車


今しか見られない日光を歩く


▲ビュッフェは車販準備室としてしか機能していない


▲終着駅、日光に並ぶクリスシート車



▲世界遺産めぐりバスは、最新型の低床バス

 車内をひとめぐり。3号車には立派なビュッフェカウンターが備わっており、これもバブル特急らしいといえば、らしい。だが現在は、車販準備室としてしか機能していないようで残念だ。国際観光地への特急電車ということで、先代の電車ではジュークボックス付きのサロンが備えられ、英語が堪能な「スチュワーデス」が乗り込んでいたというが、現在のサービス水準は一般特急レベルのようである。

 JR、私鉄問わず、列車のサービスは簡素化の方向にあったけど、近年は小田急が「走る喫茶室」サービスを復活させたり、近鉄が供食サービス付きの特急を走らせたりと、高付加価値の列車が復権しつつある。スカイツリー観光を期に飛躍しようとしている東武でも、全盛期に立ち帰ったサービスはウケると思うんだけどなあ…。

 ただ「国際観光特急」の面目躍如だなと思えたのは、韓国語の車内放送があり、それも本国の車内アナウンスのような自然な言い回しだったことである。声そのものも聞き覚えのあるもので、韓国鉄道公社の駅構内アナウンスと同一人物ではなかろうか?英語や中国語アナウンスの中身も検証できればいいのだが、残念ながらそれらを解する力はない。

 春日部駅に停車。観光特急にはあまり似合わない、スーツ姿の乗客がぞろぞろと降りて行った。もともとは特急停車駅ではなかったそうだが、近距離客の掘り起こしと言う課題のもと、近距離特急券の設定とともに停車するようになったようである。大きな駅ながら石積みのホームで、改札口はホームと同一レベルにあり、昔ながらのミニマムな私鉄駅といったたたずまいが好ましい。

 都心から1時間も走れば、ビル街も住宅街も脱し、稲穂垂れる田園地帯へ。どこまでも続く青空が気持ちいい。会津へはこのまま鬼怒川方面へ抜ければスムーズなのだが、日光に立ち寄るため、下今市で日光行き区間列車に乗り換えた。数分遅れで到着したのに乗り換え時間は1分しかなく、乗客は焦り気味だったが、接続列車でもあるのでゆっくり待ってくれた。

 日光行き普通電車は、6050系の2両編成。片側2扉の乗降口は両端に寄っていて、座席はボックスシートが主体と、どこか国鉄の急行型に通じるレイアウトである。特急電車からおおぜい乗り換えてきて、2両に収まるのかとも思ったが、座席の多さがモノを言い、全員着席できた。

 万一立ったとしても苦にはならない所要時間であり、わずか8分で日光着。頭端式のホームは鉄骨の上屋が覆い、こちらも昔ながらのターミナルの雰囲気を伝えてくれる。さっそく観光案内所に飛び込み、ざっとおすすめのコースを聞いて、そのコースを巡れるバスの1日乗車券を買い求めた。

 さっそく世界遺産めぐりバスに乗車。低床の最新型バスである。秋晴れに山が映える、気持ちい天気の中を走って行く。

 まずは輪王寺の本堂へ。現在は鉄骨の立派な覆屋に覆われ、修復工事中である。ただ覆屋からは解体・修復中の様子を見学することができるし、反対側に目を転じれば日光の街中を一望することができる。通常は決して見られない風景であり、期間限定の名所とも言える。修復工事中で残念と思うか、貴重な光景を見られたかと感じるかは、見る人次第だろう。

 一方、東照宮も陽明門が工事中。修復工事を終えたばかりの御本社は、きらびやかな姿を見せてくれた。境内には、それこそ そこらじゅうに修学旅行生が溢れている。僕らにとって、小学校の修学旅行先といえばまず長崎なのだが、こちらの人たちには、共通の幼き日の思い出の地なのだろう。山形県東根市の小学生から声を掛けられ、手作りの街の紹介リーフレットを貰った。全国から来る観光客に、私たちの街をPRしよう!という課題のようだ。

 寺社仏閣の他に日光で見たかった建築物が、JR日光駅。こぶりな洋館風の駅舎である。以前は無粋な駅名看板が掲げられていたというが、今はずいぶん控えめになった。コンコースはゆったりした空間で、二階ホールのシャンデリアも見事。規模は違えど、門司港駅に通じる部分も感じる。

 JRには普通列車しか走っておらず、観光輸送はもっぱら東武が担うものの、ジャパンレールパスが使えることから、外国人観光客の割合が高いように見受けられた。歴史ある駅舎と、サブターミナルながらにきれいに整備された駅前は、国際観光都市・日光のもう一つの玄関口の役割を担う。

 昼食時間のことも考えずに歩き回っていたら、いつしか時計の針は十二時半を回っていた。日光の名物でもある湯葉蕎麦・湯葉料理を、あえて「ありません」と掲げる蕎麦屋にひかれ、暖簾をくぐる。天そばをすすっていると、テレビでは「あまちゃん」の昼放送、通称「昼あま」が始まった。明日は最終回。旅行中に放送される2回は帰ってから録画を見るつもりだったけど、思いがけず今日の放送を見られたので、明日の最終回も見逃すまい。


▲復元作業も貴重な光景


▲きらびやかな御本社


▲外国人観光客の姿も見えるJR日光駅


3セク2社を乗り継ぎ、福島県へ


▲天を貫く高架橋


▲この下に露天風呂があった!



▲AIZUマウントエクスプレスは快適なクロスシートだが

 13時25分の電車に乗り、日光を出発。下今市では乗り換え時間が20分ほどあったので、日光杉並木を見に行った。道の両側に立つ並木と聞けば街路樹のイメージなのだか、しゃんとそそり立つ杉が並ぶ様は、延々と街中に続く森のようである。

 下今市からは、鬼怒川方面の電車に乗り換え。テーブルに飲み物を乗せ、広めのボックスシートに座れば、気分は急行列車である。勾配が続く、単線の細道。下今市までの車窓とは打って変わって、「分け入っていく」ようである。箱根温泉、高野山、吉野…関東・関西の大手私鉄に見られる、どんづまりの観光路線の一つだ。鬼怒川温泉駅では、特急を待つ観光客の姿が多く目に付いたが、温泉街は荒れるに任せた廃ホテルが目立っていた。

 さらにカーブや勾配がきつくなり、登り詰めた先が東武線の終点、新藤原駅だった。もうこれ以上は進めないといった最果ての駅だが、技術はその先にまで線路をつなげた。同型車両の、野岩鉄道の列車に乗り換えである。

 野岩鉄道は1986年開業の第三セクター鉄道で、高規格な線路が特徴。山はトンネルで、谷は目もくらむ高さのコンクリ―ト橋で越える。ところどころで見える車窓には、谷間に身を寄せ合う温泉街が映る。そんな湯本温泉の玄関口、川治湯本で下車した。高架上にあり、温泉街へは谷を降りること15分の道のりである。見上げれば、今通ってきた線路が天空を貫いていた。

 温泉旅館でのんびりする財力もないので、立ち寄り湯の「薬師の湯」でひと浴び。かけ流しのいい湯ではあったけど、露天という割に川は良く見えなかった。火照った体を冷ますべく、川沿いを歩いていたら、野趣満点の混浴露天風呂を発見。こちらも薬師の湯の一部らしいが、館内の案内には見当たらず気付いていなかった。ぜひこっちにも入ってみたいが、電車の時間も迫っているので泣く泣くパス。下調べも、時には必要だと感じた。

 電化されている野岩鉄道だが、今度の快速はディーゼルカー。4社直通で日光から会津へ直通でロングランする、「AIZUマウントエクスプレス」である。かつては名鉄「北アルプス」用の中古車両が活躍した列車だが、2010年で運行終了。今は一般車両での運行になっている。

 2両の真新しい気動車は、転換クロスシートで快適。車内も空いていてくつろげるのだが、特急車両のリクライニングシートを恋しくも思う。マウントエクスプレス向けにリクライニングシートに換装した車両もあるのだが、真っ赤な彼は車庫でお昼寝中だった。

 ディーゼルカーは、野岩鉄道区間の高規格路線を快走。湯西川温泉駅は、トンネル内にある。通路はLEDでライトアップされていて幻想的だったが、乗り降りした人はいなかった。

 会津高原尾瀬口からは会津鉄道の区間になるが、電化区間は途中の会津川口まで続き、複雑な関係である。川口では7分停車となったので、ホーム上で伸び。2時間の旅路で、貴重な休息時間である。

 会津鉄道は国鉄規格の路線なので、会津鉄道よりも「地に足を付けて」走る。のどかな田園風景を快走したと思えば、「○○温泉駅」が続く区間も。湯野上温泉駅は茅葺屋根の駅舎に足湯があり、温泉地の雰囲気満点の駅だった。今日は先を急ぐけど、ローカル線が結ぶ山間の温泉地の雰囲気にはひかれ、フラフラと降りたくなる。ただ列車の乗客は観光客より、用務客と学生が中心である。

 西若松駅からはJR只見線へ。秘境ローカル線のイメージがある只見線だが、西若松駅はこざっぱりした、都会の郊外の駅のようなたたずまいだ。下校の高校生が大挙乗り込み、皮肉にも最混雑区間はJR線内となった。

 すっかり日が暮れた会津若松からは、磐越西線の電車に乗り換え。4両の電車は、通勤・通学客でぎっしり混雑していた。でもクロスシートなので、酒と肴を楽しむ出張中のお二人もおり、ちょっとうらやましい。

 猪苗代駅で降りて、磐梯東都バスに乗り継ぐ。真っ暗な山道を行くバスに揺られること30分、裏磐梯に到着した。バス停から今宵の宿まで さほどの距離はないのだけど、真っ暗で道も分からないだろうということで、宿の迎えに来て頂いた。

 当初の予定では、同じ裏磐梯のユースホステルに泊まる予定だったのだが、今夜は貸切利用が入っているとのこと。ホームページでは誤って明日から貸切と書かれていたので、丁寧なお詫びのメールと、代わりの民宿の案内が届いた。YHの魅力は見知らぬ旅人との語らいなのだが、民宿を紹介されたのも何かの縁と思い、ご提案を受け入れた次第である。

 少し古びた民宿の名は「高原の宿」。今日の宿泊者は僕だけで寂しくもあるが、おやじさんがあれやこれや話し相手になってくれた。猪苗代周辺の民宿も、2年半前の震災の際には避難所として活躍したそうで、「高原の宿」では大熊町の方々を受け入れたとのこと。仮設住宅に移った今も、時々訪ねてこられる方がいらっしゃるそうだ。

 ロビーに置かれた数日分の地元紙は、1面がすべて原発のニュース。これは2年前に災害派遣で来た時と、変わっていなかった。

 夜の裏磐梯には何もなく、九州とは段違いの寒さに震える。宮城まで北上したら着込むつもりだったパーカーをさっそく着込み、外に出て見上げた秋晴れの夜空には、無数の星がまたたいていた。


▲トンネル駅はLED照明が飾る


▲会津川口駅で7分の小休止


▲「ザ・民宿」な高原の宿


▼2日目に続く
inserted by FC2 system