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2日目【9月28日】 裏磐梯→猪苗代→相馬→塩竃

どこまでも うつくしま、ふくしま


磐梯に飛ぶ


▲湖面静かな桧原湖


▲もやの立つ柳沼



▲コイ泳ぐ毘沙門沼

 朝6時20分、目覚ましで目覚めると、すっかり上がった陽に磐梯山が輝いていた。せっかく景色のいい場所に来たのに、惰眠をむさぼってはもったいない。身支度を整えて、朝の散歩に出発である。

 裏磐梯には、美しい湖が点在する。中でも五色沼はその名の通り、五つそれぞれが違う色に見えるという、神秘的な沼だ。沼巡りの散策コースは片道1時間強かかるので、片道はバスを利用するのが賢い観光ルートである。

 早起きのバスを捕まえ、裏磐梯高原「駅」バス停へ。車窓にはペンションやコンビニ、土産屋が流れ、一大観光エリアであることが分かる。それでも道路沿いにケバケバしい空気を感じないのは、きびしい景観条例の効果もあるようだ。京都市街地あたりだと、チェーン店も看板の「色」の面積を小さくしたり、彩度を抑えていたりしているのだが、裏磐梯では色そのものが変わっている。

 「駅」で降りると、目の前には桧原湖が広がった。裏磐梯でも最大の湖であり、静かな湖面を眺めているだけで、来てよかったと思える。ツーリングの名所でもあるようで、一人旅のライダーが缶コーヒーを傾けていた。

 五色沼探勝路に入ると、まず出迎えてくれるのが柳沼。早朝の裏磐梯は、9月にも関わらず吐く息も白くなるほどの冷え込みで、湖面ももやが立っていた。探索路に立つ「熊注意」の看板に、熊への免疫がない九州人は震えあがってしまう。

 弁天沼には小さな展望台が立っていた。国立公園では、除草も好き勝手にできるわけではないらしく、沼の景観は草むらに阻まれがち。一段高い展望台はありがたい。青い湖面にもやが立ち、やはり青い空には飛行機雲が交錯する。

 沼だけではない。木々の間から差し込む朝陽や、散策路の下を流れゆくせせらぎ、鳥の声。めぐるめく景色が美しくて、ついつい足を止めてしまう。…ふと時計を見ると、時間は8時近く。あまちゃんが始まるじゃないか!という俗世間な理由で散策路をショートカットし、急ぎ足で宿に戻った。

 すでに朝ご飯は用意されており、散策で空かせたお腹においしく満たしつつ、「あまちゃん」の最終回を見た。福島と北三陸市、もとい久慈ではだいぶ距離があるが、半年に渡る放送の最終回を東北で見届けられ、満足した。

 気を取り直して、再び散策に出発。毘沙門沼の湖畔にはホテルがあり、売店でホットコーヒーにありつけたのは幸いだった。沼を望む展望台で飲むドリップコーヒーは、どんなカフェにも勝る。早起きのバスツアー客も立ち寄り、無数に泳ぐ鯉と遊んでいた。

 宿に戻り、チェックアウト。郡山からマイカーでわざわざ出てきていただいた、Sさんと合流した。2年前の災害支援で郡山に派遣された際、大変お世話になったご縁が、今もこうして続いている。実は昨年末もご自宅に招いて頂いたのだが、一年も経たずしてまたお世話になってしまった次第だ。

 昨夜はバスで登ってきた道を戻り、表磐梯へと回り込む。沿道の田んぼでは米が深く首を垂れ、豊かな実りの秋を実感するが、この米が適正な値段で流通するのか、その行く末がどうしても気にかかる。

 山道を登り、猪苗代スキー場へ。もちろん9月のスキー場はシーズンオフだが、雪のない時期はパラグライダーのメッカだ。ちょうどフライトに飛び立つ一団がワゴン車に乗って登って行くところで、20分も経つと山の上から次々に飛び立ち始めた。麓に立つパラグライダースクールの講師の先生が、無線で厳しい指導を飛ばす。二輪免許の講習みたいである。

 今日は絶好のコンディションとのことでフライト時間は長く、うまい人は上昇気流に乗って、磐梯山の高さを越えて裏磐梯まで見通せるとのことだ。大空に独り飛び立つ度胸は僕にないけど、まさに「風になる」感覚はうらやましい。

 最初に降り立ってきたのは、広島から相馬に派遣中のFさん。Fさんは郡山での「派遣仲間」だったのだが、一旦本拠地の広島へ戻られた後、現在は2年間、相馬へ出向中である。膨大な復興関連事業の中、平日は激務だと思うのだが、貴重な休日はアクティブに過ごされている。

 着地という、なかなかない形での再会を喜んだ後は、もう1フライト。僕も風になることはできないけど、その絶景に少しでも近付きたいというわけで、自分の足を頼りにスキー場を登ってみることにした。

 単独飛行するのはもちろん中級以上の方々で、初心者はゲレンデで練習中。始まって数時間だというのに、すでに地面から足が離れていてビックリである。

 下から見ていたら、大した高低差にも距離にも見えなかっただが、実際に自分の足で登ってみれば想像以上の急傾斜。登山は好きだけど、今日は普通のスニーカーなので足元がすくわれる。息が上がり、朝の寒さが信じられないほどの暑さに汗をかきつつ登ること30分。眼下には、猪苗代湖の絶景が待っていた。

 ちょっとした達成感はあるが、この景色を見下ろしながらのフライトはさぞかし気持ちいいだろうし、スキーもたまらないことだろう。


▲磐梯山をバックに舞うパラグライダー


▲練習数時間で地から離れる


▲ゲレンデ頂上から見下ろした猪苗代湖


2年ぶりの一杯


▲ツルっとおいしい十割蕎麦


▲白樺の林を行く



▲気軽な千m級登山

 山を下り、Fさんが舞い降りてくる頃には、お昼時。猪苗代町を福島市方面へ抜ける道の途上にある、お蕎麦屋さんに立ち寄った。もともと茅葺だったんじゃないかと思わせる農家風の家で、蕎麦は十割なのに白い。ほどよい弾力は、たまらない食感だった。

 福島へは国道115号線、土湯バイパスが近道なのだが、磐梯吾妻スカイラインに入った。日本の道百選にも選ばれていると聞いては、見逃せないし、通り逃せない道路である。115号線より30分ほど時間がかかるそうだが、Fさんも相馬からフライトに向かう際は、よく通っているのだとか。また沿道には野趣あふれる温泉も多いらしく、Sさんもよく訪れる地域とのことである。

 もとは有料道路だったのでゲートがあるのだが、今年7月に無料化され、フリーパス。急カーブの上り勾配をいくつもクリアし、高度が上がるにつれて、植生が目に見えて変化してきた。緑の中に白樺の木々が立ち、九州では馴染みのない風景だけに、遠くに来た感もひとしおだ。山の上の方では紅葉も始まっており、一足早い秋を満喫である。

 浄土平で休憩。ドライブインのようでもあるが、ビジターセンターを併設しており、登山や湿原散策の拠点にもなっている。中でも周囲500m、深さ70mの火口が圧巻の吾妻小富士へ、たったの10分で登れてしまう散策コースは見逃せない。

 標高1,707mの山に、サンダル履きやラフなシャツの人々が大挙登って行くのだから、なかなかシュールな光景である。今回はパスしたけど、1時間かければ火口の「お鉢周り」も可能なのだとか。振り返れば、噴煙を上げる一切経山の雄姿も。九州だと、こんな山に登ろうと思ったら相応の装備が必要なものだけど…恐るべし、福島!

 浄土平を出ると、火山性ガスのため窓を開けられない区間に差し掛かった。硫黄の崖は崩れやすいものと思われ、防護の鉄柵が張り巡らされているが、それらも赤く錆びついている。ここに道を通した先人の努力や、そもそもここに道を通そうと思った想像力に脱帽。さて、バイクが通行する時はどうするんだろう?

 深い谷を渡る、不動沢橋でも一休み。一度架け替えを行っているようで、旧橋の橋脚だけが残っていた。目もくらむ高さの谷を越えたのは、1955年のこと。先人たちの努力で開通したスカイライン、維持管理も大変だろうし、無料で通っては申し訳ない気もする。橋の向こう側には、福島市の市街地が見えてきた。

 福島市に降り、中通りから浜通りへは、中村街道を山越えになる。浜通り、中通り、会津と「縦割り」で地域を分かつのが独特な福島県だが、浜通りから福島市へは、高速道路や幹線クラスの鉄道路線がない。浜通りから県庁所在地に出るのは大変そうで、流動も南は首都圏、北では仙台に向いているようだ。現在は相馬方面に「復興道路」の建設が急ピッチで進んでおり、完成の暁には県内移動が劇的にスムーズなることだろう。

 そして福島第一原発から郡山、福島の方向は線量が高い地域にあたり、避難区域外でも除染作業が続く。それと分かるのは近年流行の、何の作業をしているのか分かりやすく説明した工事看板に『除染をしています』という、何の除染なのか説明するまでもない、ストレートな文言があるからだ。福島の自然の美しに見惚れた後だけに、くまなく大地を汚してしまう原発事故の罪深さに、心が重くなる。

 磐梯から相馬まで2台で来たが、Fさんのアパートに立ち寄って1台に合流。国道6号線を下り、仙台東部道路を飛ばすこと1時間で、塩竈市へとたどり着いた。

 塩竈では、これまた2年前の「派遣仲間」であるYさんと合流。郡山から本拠地の島原に戻られ1年半で定年退職した後、今は塩竈で復興支援の仕事に携わっておられる。のんびりした老後を放棄し、家族とも離れて尽力される姿に、塩竈には足を向けて眠れぬ気持ちを持っていた。

 塩竈といえばお寿司だ!Yさんに抑えて頂いたお洒落なお寿司屋さんで、新鮮なネタに舌鼓。とろける味わいである。さらに塩竈といえば、地酒の裏霞。昨年の大晦日、気仙沼でぐいぐい飲んだ思い出の酒だけど、地の魚に地酒はやはり合う。

 2年前の思い出話と、今のそれぞれのお仕事の話に花を咲かせていたが、早起きもたたり、不覚にもいつしか電池切れを起こしていた。まあ明日もありますしということで11時、はやばやと宿に引き上げた。

 余談だが、この宿を抑えるのが難関だった。もともと復興需要で宿が取りづらくなっている東北の太平洋沿岸だが、なぜかこの日は塩竃のみならず、仙台市内や名取にまで手を広げても、まったく宿が見つからなかったのだ。ネットだけではなく、タウンページを頼りに片っ端から電話を掛けても全敗。一計を案じ、それぞれの宿の予約ページをブックマークして、1日に何度かチェックするということを繰り返して数日、ようやく出たキャンセルを抑えることができた。列車の指定券と同様、やはり粘りが肝心である。


▲除染の作業が続く福島の山中


▲復興道路の建設が進む


▲上品に味わう塩竃のお寿司


▼3日目に続く
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