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1日目【8月3日】 久留米→大分→豊後竹田→阿蘇

もう一つの九州横断線を行く


途絶えた線路がつながる日


▲今回の旅のルート(クリックで拡大)


 福岡、熊本に大きな打撃を与えた昨年七月の九州北部豪雨では、JR九州の鉄道各線も大きな被害になった。中でも久大本線、日田彦山線、豊肥本線の三路線は被害が大きく、雨が上がった後も列車の汽笛は帰ってこなかった。

 久大本線は由布院観光の書き入れ時でもある夏休みに「ゆふいんの森」が長期運休に追い込まれ、経営的な打撃も少なくなかった模様。懸命な復旧作業の結果、日田彦山線は7月27日、久大本線も8月25日と、比較的早期の復旧を果たした。

 しかし、豊肥本線の被害はけた違い。大分、熊本両県側から少しずつ線路を伸ばし、9月3日には宮地〜豊後竹田を残し復旧したのもの、それ以上の復旧見込みは立たなかった。

 豊肥本線はたびたび大雨の被害を受けており、豊肥本線の急行「火の山」や特急「あそ」が途中駅止まりになったのを見たのは、僕の記憶の中だけでも今回が3度目のことである。1990年には今回と同じ区間が1年3ヶ月、1993年には豊後清川〜緒方間が8ヶ月に渡って不通になっている。

 中でも1990年の被害は大きく、もともと赤字ローカル線だったこともあり、このまま廃止になるのではとの噂も上がったほどだ。今回の被害はそれをも上回るものだったが、復旧作業にはJR九州の全力が投じられ、わずか1年余りで復旧にこぎつけた。苦労の末に結ばれる日の喜びに、ぜひ立ち合いたい。

 せっかくなので、久留米から大分、阿蘇を巡り久留米に帰ってくる一周コースをつくろう。久大本線の観光特急「ゆふいんの森」はご無沙汰しているし、「あそぼーい」の営業運転にも乗ったことがない。最近大きく変化しているという、大分駅周辺も要チェックである。

 8月3日朝11時前。久留米駅で「久留米→久留米」の乗車券を「大人買い」して、ゆふいんの森の発車する三番ホームへと降りた。ホームの待ち人には新幹線からゆふ森に乗り継ぐのか、韓国人観光客10人ほどの姿が。他の列車の発着ではあまり見かけないシーンだ。今日は乗り換えだけかもしれないけど、次の機会にはぜひ久留米の観光にもいらして頂きたいものである。

 別府行きのゆふいんの森3号は、さすがに夏休み中の週末とあってほぼ満席だが、空席もちらほら。売り切れのはずなんだけどと思っていたら、日田からも外国人観光客が大挙乗り込んできた。日田の夜を楽しんでから、由布院に向かうようだ。日田〜由布院は指定席特急券を買うには短い距離にも思えるが、ほとんどは九州内乗り放題のレールパスの持ち主だろう。うらやましい。

 天瀬付近の慈恩の滝では、徐行運転とともに客室乗務員の車窓案内がある。案内放送も日本語に英語が続き、国際特急の雰囲気に。さすがに中韓の放送はなかったけど、簡体字とハングルの案内文は持ち歩いていた。外国人が増えていると聞いていたゆふ森だが、聞きしに勝る変化である。ただ外国人に配慮されていたのは慈恩の滝くらいで、あとは日本語の放送オンリーだった。韓国語の堪能なビートルのスタッフに乗務してもらうのも、一考ではなかろうか。

 今回の指定席は、JR九州のネット予約で抑えておいた。家で買える、変更自由といったネット予約ならではの便利さとともに、JQ-CARDの会員なら指定席でも自由席並みの値段で買えるのがメリットだ。シートマップで好きな席が選べるのも鉄っちゃんには嬉しく、かぶりつき席を確保!…は残念ながら、旅行計画の立ち上がりが遅くかなわなかったが、最後尾の席を抑えて、後ろ向きに流れゆく景色を楽しんだ。夏の緑と川が、輝いている。

 12時も過ぎ、間もなく由布院駅到着。降りる準備を始めるほとんどの人を尻目に、頃合いよしと二号車のビュッフェに出かけた。ランチのお弁当を買い、隣のサロンへ。木のぬくもりがある空間で、天井まで広がった窓が気持ちいい。由布院の名物が詰まった弁当で、降りられなかった由布院を口だけで感じた。

 お弁当を食べているとちょうど、列車は由布院に到着。ぞろぞろ降りて行き、車内は閑散とした。客層が変わろうとも、これだけは「ゆふ森」デビュー時から変わらない現象であり、三往復のうち二往復を由布院折り返しにしているのは理にかなっている。ガラガラの車内はくつろげて、別府まで乗るならばお昼ご飯は由布院発車まで我慢するのがツウだ。


▲外国人観光客の姿も目立った久留米駅「ゆふ森」乗車口


▲余裕のできた車内でランチタイム


▲サロンの窓から由布岳を望む


ガラリと変わりつつある大分駅界隈


▲様変わりした高架駅に着いた「ゆふ森」


▲コンコースの天井はななつ星テイスト



▲商店街は七夕飾りで賑やか

 庄内の里山の風景に目を奪われているうちに、列車は次第に平野へと降りて行く。豊後国分を過ぎれば大分市の通勤圏で、家が立て込んできたと思ったら高架に上がった。大分駅も高架に生まれ変わっている。降り立ってみれば、学生時代になじんだ地平のホームも駅舎もすっかり消え去っており、浦島太郎の気分だ。改札には、SUGOCA対応の自動改札がズラリと並び、福岡都市圏のようである。

 新大分駅は、新しいだけではない。コンコースはフローリング貼り。自由通路の天井も、寝台列車「ななつ星」の天井よろしく木の装飾が施されている。大きな土産屋通り「豊後にわさき市場」は、新幹線の通る熊本駅にも勝るとも劣らない賑わいだった。学生時代たまに行ってたロッテリアとミスドは、新駅舎でも健在。コンコースを見下ろす席もできて、すっかり垢抜けた。

 自由通路には、土日限定でロードトレインも走っており、博多駅屋上のミニ列車を彷彿させる。実際、2015年に完成する駅ビルの屋上では博多駅ばりにミニ列車が走るそうで、そのプレイベントという位置付けなのかもしれない。大分駅ビルには、アミュプラザに東急ハンズも出店予定と聞き、九州では博多駅に次ぐ充実ぶりになりそうだ。ホテルや温泉施設も併設するというから、多彩さでは博多駅をしのぐかもしれない。

 実は大分駅、JR九州の一駅あたりの乗降客数では博多、小倉、鹿児島中央に次ぐ、第四位を誇っている。新幹線の通らない駅としてはナンバーワンだ。大分は熊本や鹿児島と違ってサブターミナルといえる駅がなく、一駅に利用が集中するのも理由ではあるけど、四方向に伸びる充実した路線網も集客に大きく貢献している。JR九州としても駅ビル開発で稼ぎたい駅のはずで、高架化の完成を待ちに待っていたことだろう。

 「府内中央口」に出ると、駅前は相変わらず若者で賑わっていた。パルコは天神に召し上げられる形で消えてしまったけど、駅ビルはそれ以上の賑わいを呼んでくれることだろう。

 そしてまちなかは、七夕の飾り付けで賑やかな雰囲気。昨夜、今夜は駅前通りも歩行者天国にして、盛り上がっているようである。せっかく大学四年間を大分市で過ごしたのに、街中のお祭りには一度も行かず仕舞だった。祭りに「参加」する楽しさを知った今となっては、何とももったいないことをしていたと思う。

 さて変わりつつある駅北に対して、大きく姿を変えたのが駅南。名前も「上野の森口」と爽やかなものに変わったが、それ以上に景色は一変した。10年前の学生時代は失礼ながら、それこそ「なにもない」場所といったイメージだったのだが、大きく開けた。

 まずは大分駅そのものが、「運転所の事務室」といった雰囲気だった旧駅舎が清楚な高架駅に変身。隣接して、立体駐車場とテナントが入った駅ビルも立ち上がっている。駅前広場には噴水が上がり、子どもたちの歓声が響いていた。

 そして、この七月にできたばかりのホール&生涯学習センター「ホルトホール」も賑わいの中心地へ。ホールだけでなく、会議室やボランティアセンター、市民図書館まで備えた複合施設である。図書館はもともと街中にあり、クルマのなかった学生時代の僕には重宝する存在だったのだが、ますます充実した。久留米でも新しいホールの建設が進んでいるが、こんな賑わいになってほしいものである。

 馴染みの景色が消えたことに衝撃を受けつつ、今後に期待しながら、ふたたび久留米発・久留米行きの切符を手に自動改札をくぐる。豊肥本線の列車は、赤いキハ200系の二両編成。キハ200系気動車が「新型車両登場!」と華々しくデビューしたのは、僕が大学を卒業する直前の2002年のことだった。大分では画期的だった都会派気動車もデビュー11年、すっかり当地に根付いたようである。

 二駅目の敷戸駅で下車。国鉄末期に設けられた質素な駅舎時代は変わっていないが、SUGOCAのカードリーダーが置かれたのは変化の一つ。県内のバス三社ではnimocaを導入しており、JRとバスで相互利用できる福岡水準のカードサービスが展開されている。

 敷戸は、四年生の八月まで住んでいた街。大分大学駅がなかった入学当時は、大学の最寄駅でもあった。駅前のコンビニ・スパーは「大分からあげ」の店に変身。揚げたてのからあげが激安でうまく、最近大分県内で店舗を増やしているようだ。学生時代に存在していたら、すっかり「依存」していたことだろう。友人らが住んでいた周辺のアパートもほとんどが健在。ただ留学から戻って卒業までの七ヶ月間を住んだトイレ・風呂共同のアパートは、ついに見つけられなかった。だいぶ古かったし、取り壊されてしまったのだろうか。

 母校の大分大学はというと、建物はそのままながら、ほとんどが大規模に改修され、見違えるようにきれいになった。キャンパス内にはコンビニもできて、土曜日の今日も「麓」に降りずとも買い出しができる。寮も図書館もきれいになり、快適な施設で学べる今の学生さんがうらやましい限りだ。工学部の建物と建物の隙間には、いろんな小粒の建築物が増えていた。


▲南口も「上野の森口」になり面目を一新


▲ポルトホール前はゆとりの芝生広場


▲母校も大変身


最終日の代行バスに乗る


▲豊肥本線はいつしか赤い気動車が優勢に


▲竹田駅前通りは夜市の準備が進む



▲駅前広場の隅で静かに発車を待つ最終日の代行バス

 大分大学前駅から、再びキハ200系に乗る。目的地は豊後竹田だが、列車は途中の三重町で終点であった。乗り換え列車まで時間があったので、駅前をブラブラ。豊後大野市の中心地、三重町には、サークルの先輩に連れられよくドライブに来ていたものだが、駅に降りたのは初めてのことだ。教会風の、かわいい駅舎である。

 三重町からの列車は、キハ220系の単行気動車。所定ならば宮地行きの列車なのだが、今日までは豊後竹田止まりである。もともと香椎線で走っていた車両のようで、通勤対応のロングシートなのは残念だが、ハイパワーのエンジンを武器に、坂道も軽々と登って行く。満員近かった列車も、緒方でかなり降りてガラガラに。終点、豊後竹田まで乗ったのは数人だった。

 豊後竹田駅に降りると、ホームから駅舎の下、向かいの道路まで、ずらりと下がった黄色いてるてる坊主が出迎えてくれた。全線復旧を祝う『元気、快晴!プロジェクト』の一環で、地元の幼稚園児も頑張って作ったものだとか。一つ一つに、再開を祝うメッセージが書かれている。

 駅前広場に出れば、前夜祭に向けてステージの準備が進んでいた。駅前通りにも、復旧を祝う横断幕が掲げられている。今夜は子ども夜市が開催されるとのことで、今夜から明日にかけて竹田はお祝いムードに染まるようだ。

 一方、一年間に渡って重責を担ってきた代行バスは、今日でひっそりと運行終了になる。最終日ではあるがお名残りムードとは無縁で、発着場所の駅前をイベント会場に譲り、横の駐車場でひっそりと発車準備を進めていた。大分バスの分離子会社、大野竹田バスが委託を受けて運行している。

 東北の津波被災各線の代行バスでは、案内や切符の確認が徹底していたけど、こちらでは案内・確認ともなし。地元の利用者ばかりだったということだろうか。時間のかかる各駅停車便だったこともあってか、乗客は僕を合わせても、わずか3人という寂しさだった。

 出発したバスは国道を阿蘇方面に走り始めたが、すぐに脇道へ入り玉来駅に立ち寄った。駅に寄るため時間のロスが多くなるのは代行バスの弱みで、常磐線では代行バスより、一般の急行バスが混んでいたのを思い出す。ただ速達サービスも行われており、一部の便は豊後竹田〜宮地間をノンストップで結んでいる。玉来駅には、黄色いてるてる坊主がずらりと並び、明日を待っていた。

 豊後荻駅にかけては、線路に並行した細い山道を駆けて行く。長らく休止になっていた路線ではあるが、明日に向けて何度も試運転が行われたのだろう、路盤に草はなく、線路は輝いている。豊後荻駅では明日の復旧イベントに向け、駅前広場を封鎖して準備が進んでいた。地元高校生はこの駅で下車、残ったのは僕と、旅行者風のおじさん一人になった。

 滝水駅へは、比較的ストレートに結ぶ鉄道に対し、バスはやや迂回気味。大雨の被害もところどころに残り、離合もままならない箇所もある。ただ数少ない地元の車も慣れたもので、きちんと離合できる場所で待機していた。この苦労も、今日までである。

 やはり乗降客ゼロの滝水駅を出ると、すぐの踏切が警報機を鳴らして閉まった。待つことしばし、黄色いキハ125系の試運転列車が竹田方に向かって駆けて行く。沿線自治体はイベントの準備に精を出しているが、当事者のJRも、明日の復旧に向け最後の準備を進めていた。
 
 九州最高峰の波野駅は、滝水駅と同様に飾り付けはなし。黄色いてるてる坊主は、大分県側だけのキャンペーンだったのだろうか。波野でも乗降はなく、駅前広場で折り返して、県道へ。走ることしばし、国道57号線に出たバスは、立派な二車線道路を快調に飛ばし始めた。

 滝室坂は数キロに渡って続く急な坂で、下り線にはブレーキがきかなくなった時のための避難帯が、あちこちに設けてある。しかし路面とタイヤの粘着力に頼る道路と、同じだけの勾配を豊肥本線も上り下りするのだから、鉄道にとっては一層険しい道のりだ。その分景色は開け、カルデラの絶景が眼下に広がる。

 そして57号線も、鉄道と同様に豪雨で大きな被害を受けた。まだ仮橋での復旧になっている区間もあり、引き続き本復旧工事が進められている。豊後竹田〜宮地間の直通バス代行輸送開始も、道路の仮復旧が完成した災害約二ヶ月目まで待たねばならなかった。

 竹田から1時間15分、宮地駅着。熊本県に入って黄色いてるてる坊主を見かけていなかったが、宮地駅には大分県側と同様、無数に飾り付けられていた。イベントの準備も進んでいるようで、熊本県側でも広がる祝賀ムードに少しほっとした。


▲地元の車も隘路の代行バスに慣れた雰囲気


▲軽やかに駆けて行った試運転列車


▲ループを描く国道も一部は仮橋で復旧


日帰りばかりの阿蘇も泊まってみれば


▲宿までは急行バスで


▲和傘が出迎えてくれたゲストハウス



▲温泉だけは豪華リゾートホテルにお邪魔

 豊肥本線は、不通区間での接続は考慮に入れず、それぞれ東西の区間でほぼ災害前の時刻で運行が続いている。もちろん足の遅い代行バスでは鉄道並みのスピードは出せないので、代行バスを待たずして列車は立ってしまう。

 宮地から今夜の宿泊先、阿蘇方面への列車は時間が空いていたので、並行する路線バスに乗って阿蘇駅方面へと抜けることにした。大分〜熊本間の都市間急行バスなのだが、一般路線バスの扱いなので一部区間でも利用できるのだ。

 しかし待つこと五分、十分…バスは現れない。高速バスサーチで検索してみたところ、二十分近く遅れているようだ。豊肥本線が不通の今、大分〜熊本を直行で結ぶ唯一の公共交通機関なのだが、定時性ではやはり鉄道に分がある。

 ようやく現れたバスは、高速バス並みの3列シートで快適だが、「唯一の公共交通機関」の割には空いていた。阿蘇駅を経由し、カドリードミニオン前で下車。夕食はまだだったので熊本ラーメンの店に入ってみると、テーブルに座っていた四人グループはみな韓国人だった。日本語も流暢だ。

 お腹を満たし、今夜の宿へ。昨年できたばかりの新しいゲストハウスで、その名を「阿蘇び心」という。1泊2000円+空調代200円と激安だが、日本家屋の古さを生かした居心地のいい空間が身の上である。

 同じタイミングでチェックインしたのは、こちらも韓国人の一人旅の女性だった。ヘルパーさんからのオリエンテーションは、ゲストハウスの使い方から、周辺の味処までゆうに30分近くかかり、この種の宿で最長記録。ゲストハウス初心者でも、戸惑わずに安心して利用できることだろう。

 宿としてはライバル関係のはずだが、歩いて五分の大型観光ホテルの温泉にも割引料金で入ることができて、これは予想外の贅沢。行き帰りの道も、下界の熱帯夜を忘れてしまいそうなほど爽やかだ。

 宿に戻れば、談話スペースは盛況になっていた。バーコーナーで、阿蘇の水と米でできた焼酎を、やはり阿蘇の水で割れば最高の味わい。明日の晴れを願って、杯を重ねたのだった。



▼2日目に続く
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