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2日目【8月3日】 阿蘇→豊後竹田→宮地→熊本→久留米

祝!全線復旧


笑顔あふれた復旧一番列車


▲阿蘇駅に入線する単行の復旧一番列車


▲子ども達が迎える宮地駅ホームへ


▲テープカットで復旧を祝う

 明けて8月4日、全線復旧の日。5時半に早起きして、集落から田んぼの真ん中へと散歩に出てみた。雨の予報で気を揉んでいたが、曇り空の隙間からところどころで晴れ間も見える、ほどよい天気である。爽やかな空気に包まれつつ、外輪山に囲まれた風景に阿蘇の朝を感じた。

 宿に戻ると、早朝ではあるが他の宿泊客もごそごそ起きだしてきた。毎週第一日曜日は、阿蘇マルシェの開催日。朝7時からオープンする月に一度の「市場」なのだが、激安の朝ごはんも名物なのだとか。開催日にはゲストで連れ立ってモリモリ食べに行くのがお決まりとのことで、うらやましく眺めつつ僕は阿蘇駅へと歩き出した。来月、改めて来てみようかとも思う。

 歩くこと15分、阿蘇駅着。山小屋風の駅舎は、いつの間にか改装され、駅前にも「道の駅」が完成してずいぶん開けた印象だ。ただ早朝6時台とあって、列車を待つのは僕一人。全線再開の日にしては寂しい姿だが、阿蘇駅は不通区間の駅でもないし、こんなものか。駅員さんいわく「宮地駅はすごい人出だよ」とのことである。

 宮地→豊後竹田間の復旧一番列車となる2421Dは、熊本からの直通列車。肥後大津までの電化以来、普通列車のほとんどが大津で系統分割されたのだが、朝夕を中心に何本か直通が残っている。しかも2421Dはキハ125系の単行。通常ならこれで充分なのだろうが、すでに多くの「鉄っちゃん」風の乗客でほぼ満席の状態である。車掌も乗っておらず、多くの乗客が乗るであろう宮地から先は大丈夫だろうか。

 次のいこいの村駅では、練習試合でもあるのか、制服の高校生が大勢降りて行き、少し車内に余裕ができた。宮地駅着は6時53分。復旧記念式典は6時40分から始まっており、ホームは大勢の人でぎっしり埋まっている。我らが1番列車に乗り込んでくる乗客も多いが、見送りの人が多く、車内はぎっしりといった混雑にはならなかったのは幸いだ。鉄っちゃんは前後に集結したおかげで、お年寄りの乗客は座ることができた。

 ホームの式典には、子どもたちの姿が目立つ。夏休みということで、6時30分からは駅前広場でラジオ体操大会も行われたとのこと。大人たちからは「第二までやったの、何年ぶりだろ?」という声が聞こえてきた。

 今日の全線復旧の記念出発式は豊後竹田や大分でも行われており、JR九州唐池社長は大分駅の式典に出席。宮地駅には熊本支社長が参じていたが、プロの司会者による進行、ステージもしつらえられたしっかりした式典である。祝辞の後には、沿線自治体トップらによるテープカットが行われた。発車までは5分ほど間があり、阿蘇市長はホーム側の席に座る乗客ひとりひとりに、いってらっしゃいと声を掛けていた。

 6時54分、前方で小学生の一日駅長による出発合図が送られ、小さなキハ125系は長いタイフォンを思いきり鳴らした。復旧一番列車、出発進行。来賓を始めホームに詰めかけた沿線の人々の見送りを受け、1年ぶりの豊後竹田駅への道のりを歩みはじめた。

 賑やかな車内ではさっそく、マスコミ各社のインタビューが始まった。ターゲットはやはり、鉄っちゃんよりは一般の方々。地元紙の記者さんのインタビューは、どこか世間話のような雰囲気である。頭上にはヘリコプターが舞い、特別な日であることを伝えている。

 宮地までの道のりを、昨日は国道の急こう配で下ったが、豊肥本線も当然、同じレベルの高低差をクリアせねばならない。JR世代のハイパワーな新型気動車といえども、長く続く25‰の勾配にスピードも落ちて行く難路である。その分、眼下に広がるカルデラの風景も、ゆっくりと楽しむことができる。

 宮地駅からの厳しい道のりを登りきり、18分で九州最高所の駅・波野駅に到着。歓迎式典も飾り付けもなかったが、地元の方が大勢出迎えに出てこられていた。上りの一番列車となる豊後竹田発、熊本行き普通列車とはこの駅で交換。キハ47系の二両編成で、竹田に泊まらない限り乗れない列車でもあるためか、かなり空いていた。この駅で折り返す地元の人も10人近くいて、ホームの駅員さんが発車を待つよう制していた。

 次の駅、滝水にも飾り付けはなかったが、地元の方が日の丸の旗を振りながら出迎えてくれた。手製の横断幕も掲げられ、降りてきた人はちょっとしたVIP気分だったかもしれない。出口近くに立っていたおばさま方にカメラを向けると、きれいに撮ってよと表情をキメて頂いた。素朴ながら、地元のよろこびが伝わってくる駅だ。

 復旧を果たしたとはいえ、沿線には大きな被害の爪痕が随所に残る。被災箇所は201箇所にも上り、真新しいバラスト・重い軌道と、ローカル線らしいか細い草生した線路が交互に現れる。沿線に道路が見当たらない箇所も多く、復旧作業は困難を極めたことが、素人目ながらにも伝わってきた。

 大分県に入り、豊後荻着。あそぼーいと交換する。通常は熊本〜宮地間を折り返す「あそぼーい」だが、復旧2番列車として竹田から団体列車として運行されており、車内には子ども達の姿であふれている。カメラを構えると、くろちゃんの描かれた記念の旗を、こちらに向けてくれた。

 豊後荻駅は特急停車駅でもあり、待望の全線復旧だったのだろう。ホームに立つ人は、宮地駅以外のどこよりも多かった。ただこの時間の歓迎隊は、ほとんどが「あそぼーい」の見送りのため反対側のホームにいたようで、下りホームの人は少なかった。

 玉来駅へ。小さな無人駅ながらに飾り付けは華やかだったが、見送る人は他の駅に比べればわずかだった。既に上り1番列車が出発して1時間、さらに「あそぼーい」も通過したとあっては、もう「1番列車」という感覚ではないのかもしれない。

 宮地駅から45分。各駅停車とはいえ、ノンストップの代行バスをも圧する早さで、終点の豊後竹田駅に到着した。ホームで出迎える人は少なかったが、一日駅長を務める地元タレント・首藤健二郎さんが歓迎。到着の式典もないが、写真を撮る人、インタビューを受ける人などなど、初日らしい雰囲気には包まれていた。駅前広場では準備の作業が進んでおり、復旧記念行事は、これからが本番のようである。



▲一番列車同士がすれ違う波野駅


▲滝水駅は日の丸で歓迎


▲あそぼーい!も華を添えた豊後荻駅


▲無事に全線復旧!


待望の特急列車を迎えた人々


▲黄色の染まった九州横断特急1号のホーム


▲玉来駅にも大勢の見送りが



▲記念品が配布され車内もお祝いムード

 豊後竹田に着いた後は、1時間ほど街をぶらぶらしてみた。全線復旧の日らしい雰囲気を感じられたのは駅前だけで、街中に出れば静かな日曜朝の田舎町である。喫茶店のモーニングにでもにありつけないかとの淡い期待を抱いていたが、もろくも崩れた。そして天気も崩れ始めてきた。

 駅に戻ると、お揃いの黄色いシャツを着た人が次々に集まってきていた。時ならぬ大雨に、狭い軒下は人であふれるが、みな楽しそうな雰囲気だ。どうやら九州横断特急の復旧1番列車に向けた、歓迎・見送りイベントのために集まって来られたようである。「○○町の皆さん、ホームに上がりますよ」の声につられ、僕も券売機で300円の特急券を買い、ホームへ上がった。

 発車時刻が近づくにつれて、ホームは黄色に染まってきた。「今でしょ!!たけた」なんて今風の横断幕を持つのは、今時の若者たち。「元気です!たけた」の横断幕は、おじいちゃんが持つ。「笑顔は つづくよ どこまでも」の横断幕を小さな手に持つのは、幼稚園児たち。老若男女、しかし復旧を祝う気持ちは一つだ。

 別府から熊本経由、人吉行きの九州横断特急1号が到着。真っ赤な列車に向かって、黄色いシャツの皆さんが、黄色い風船を振って出迎える。横断特急は、別府と阿蘇という名だたる観光地を結ぶ観光特急だけに、外国人観光客の姿も多数。時ならぬイベントに、興奮気味にカメラが向けられた。一瞬の停車時間ではあったけど、車内と車外は暖かい気持ちで結ばれる。僕も見送りを受けながら、ディーゼルカーのデッキを踏んだ。元気な子どもたちに見送られ、竹田を離れて行く。

 いつもの2両ワンマンから、車掌乗務の3両編成に増結された横断特急は、さほどの混雑ではないが華やいだ雰囲気。マスコミ各社の取材合戦はこちらでも繰り広げられている。

 以前の豪雨で架け替えられた、まだまだ新しい鉄橋を渡り、沿線に「特急復活」をアピールしながら快走。さきほどの下り一番列車ではほとんど人のいなかった玉来駅には、どこから来たの?というほどの人が集まり、黄色いシャツと風船で通過する横断特急を見送る。車内からは、歓声が上がた。

 車内では地元観光協会が、米やお水などがぎっしり詰まった記念品を配布し始めた。開業日ならではの光景で、楽しみに構えていたのだが、一眼レフを振り回していた僕は「関係者」と見なされてしまったのか、もらえなかったのが残念である。同じく記念品を配っていた和服姿のお兄さんからも「マスコミの方ですか?」と聞かれる始末。もう少し、格好を考えた方がよかっただろうか?

 豊後荻までの13分間はあっという間。この駅も、ホームは黄色いシャツで埋め尽くされていた。JRのホームページでは歓迎イベントの告知はなかったけど、地元からのお祝いの気持ちだったようである。和服のお兄さんは、歓迎隊と言葉を交わして再び列車に飛び乗った。僕はホームに降り、くろちゃんの旗を振る地元の方々と共に、横断特急を見送った。

 さて現在の行政区域上は竹田市域となっている荻だが、元は独立した自治体。今も観光協会は独自の組織を持っているようで、お祝いの横断幕はしっかりしたものが何枚も作られていた。ホールでは、被災状況の写真展示も行われており、徹底的に破壊された線路を、よくぞ1年余りで復したものだと感心する。

 こんなことでもないと降りない駅でもあるので、次の列車の到着までは周辺をぶらぶらと散歩。街灯には「桜町商店街」の文字も見られるのだが、店は少ない。トマトが名産の農業地帯である。

 次のお出迎え・見送りは別府行きの「九州横断特急2号」。車内では荻の観光PRも行うようで、特産のトマトが山のように準備されており、積み込みも大変なことだろう。見送りは、向かい側熊本方面ホームから行う。車内の人もほとんどがこちらに手を振っており、僕も「にわか地元人」になって笑顔の交換。車内には人吉からのキャラバン隊も乗っており、つながった線路で人も行き交い始めた様子が伝わってきた。

 次の宮地方面の普通列車までの時間を手持無沙汰に過ごしていると、先ほどの和服のお兄さんが、駅内食堂のご飯に誘ってくれた。宮地から折り返してこられたようで、荻の町の人とも親しげに言葉を交わしていたので、この時までは荻の観光協会の方かと思っていた。

 しかしご飯を待ちながら素性を聞いて、驚いた。熊本出身、京都在住のまったくの個人の方で、手作りのタオルや絵葉書で、沿線の方にお祝いの気持ちを届けているのだそうだ。それだけ聞くとマニアな感じがするかもしれないが、そのような雰囲気は微塵もなく、到着10分ですっかり荻の人の輪に溶け込んでいた。

 本当は駅の食堂も、イベント準備のため臨時休業していたらしいのだが、お兄さんに心動かされ、ありあわせの材料でご飯を出してくれたようだ。舌代にはない、野菜たっぷりのちらしずしだった。ご飯を食べていると、「支所長がぜひお礼をしたいと言っているので、連絡先を教えて頂けないか」と市役所の方が来られたのだが、お兄さんは、丁寧に辞退されていた。

 見送りイベントは九州横断特急向けで、2号の発車で解散になっていたのだが、名残惜しく残っていた人に お兄さんも交えて、宮地行き普通列車に向けても行うことに急きょ決定。ほんの十数分前に仲良くなった人たちなのに、急に寂しくなってくる。笑顔に見送られ、さわやかな気分で豊後荻駅を後にした。


▲豊後荻駅も黄色に染まる


▲今日はお祝いの日


▲「有志」に見送りを受けた普通列車


快走、二年目のあそぼーい!


▲一部区間では真新しい線路が続く


▲資料館の展示は充実していた



▲阿蘇のニューフェイスもすっかり定着

 宮地行きの普通列車は、JR四国式のクロス・ロングシートの千鳥式配置が特徴的な新型キハ220系。車内には立ち客も多く見られ、乗車率は120%といったところだろうか。周りからは、いつもこれくらい乗っていればという声も聞かれた。

 宮地駅到着。雨は降り続いていて、お昼を食べに出るのも億劫だ。おあつらえ向きにぶっかけ蕎麦の出店(500円)が出ており、地元産そばを味わうことができた。

 駅舎内には、災害復旧資料館がオープンしていた。昨年の北部豪雨だけではなく、1990年の被害についても詳細に解説されている。トンネルに流れ込んだ鉄砲水で押し出されてきた線路の実物も、前代未聞の被害を伝える証人として展示されていた。

 宮地駅からは特急「あそぼーい」で熊本へ。SLあそBOYの後釜として登場した観光特急も、登場から2年。今朝は団臨として早朝から活躍していたが、その後は通常通りのダイヤで観光客輸送に当たる働き者である。鉄道記念館で開かれた展示会で車内を見学したことはあったが、営業運転する列車に乗るのは今回が初めてのことだ。

 宮地駅からの乗客はわずか。阿蘇駅から大勢の乗客が乗り込み本領発揮ではあるが、昼の熊本行ということで最終的な乗車率は3〜4割に留まった。列車のメインターゲットである親子連れの姿が目立ったが、乗客には女子旅グループや出張サラリーマンの姿も。女子旅4人衆は列車のキャラクター「くろちゃん」にかわいいを連発しており、若い感性の琴線に触れる列車のようだ。

 オランダ村特急、ゆふいんの森、シーボルト、ゆふDXと何度も改造を重ね、一昨年5度目の改造を受けたキハ185系気動車。車内は「ゆふDX」時の内装がベースになっているが、座席そのものは、オランダ村特急時代から変わっていない。JR世代の車両とはいえ、今から見ると時代がかったデザインだ。あの頃は当たり前だった靴を脱いでくつろげる足置きも、今や少数派である。

 しかし、以前の姿が想像もつかない程の大変身を遂げたのが、「メイン車両」といえる3号車である。親子シート「白いくろちゃんシート」に木のボールプール、絵本広場など子どもが楽しめる仕掛けが満載。ボールプールでは、子どもたちが大勢遊んでいた。

 カフェは子ども向けメニューばかりというわけではなく、大人向けの軽食類もいろいろと揃う。僕はロールケーキとコーヒーのセットを席に持ち帰り、雨に煙る阿蘇の山を見ながら甘い味わいを楽しんだ。雨脚は強まり、徐行規制がかかる。

 もったいないなと思うのは、2号車に4ボックス設けられたボックスシート。向い合せの座席には大きなテーブルがあり、グループや家族旅行にはうってつけだと思うのだが、この日の乗客はゼロだった。4人グループの乗客は普通の席に収まっており、売り方が下手なのかなと思う。

 SL時代と変わらぬ列車のハイライトが、立野駅のスイッチバック。外輪山から平地へと行きつ戻りつ下って行く車窓は、何度見ても圧巻である。スイッチバック途中の引き込み線は、クルーズトレイン「ななつ星」の長い編成の乗り入れに備えた延長工事が完了。夢の豪華列車の運行開始も、いよいよ秒読み段階である。

 思えば今回の復旧が予想以上の早さで進んだのは、「ななつ星」の運行開始が10月に迫っていたことも背景の一つにあるだろう。1泊2日コースも3泊4日コースも豊肥本線がコースに組み込まれており、豊肥本線が不通のままでは、すでに予約受付済みのコースを大幅に見直すことは避けられなかった。豪華列車の運行が地域の足の復活を後押ししたのであれば、これはこれで意義深いことだと思う。

 熊本着。久留米へは、時間に余裕もあるので快速で帰るつもりだったのだが、大雨の影響で運転見合わせになっていた。運行再開の見込みも立たないということで、泣く泣く新幹線特急券を購入。混んでいる大阪直通「さくら」を避けて、ガラガラの熊本〜博多間区間「さくら」で久留米へと戻った。

 8月4日は、久留米にとっては盛り上がる夏祭りの日である。残念ながら雨の影響で、この日行われる予定だった昼のパレードは中止に。しかし夕方には止み、一万人のそろばん総踊りは予定通り参加できた。雨も大きな被害を与えるには至らず、何よりである。


▲カフェには乗務員の手作りメッセージが


▲ボールプールは楽しげな雰囲気


▲スイッチバックも「ななつ星」の受け入れ準備完了


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