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2日目【6月22日】
硫黄島3湯を踏破

鹿児島→硫黄島



村営航路、4時間の船旅


▲わりと立派な三島方面待合所


▲次々に生活物資が積み込まれていく


▲テープの見送りを受け、感激の出航

 いつまでも寝ていたい気持ちをこらえ、気合いを入れて7時半に起床。3,800円の朝食がどんなものか、期待半分、怖いもの見たさ(食べたさ)半分だったが、お寿司屋さんの出す和食の朝ごはんは期待以上の味だった。二日酔い気味なのにモリモリ食べられたのだから、間違いないだろう。

 荷物をまとめ、8時半に出発。港までの途上で、3,800円以下の宿が何軒か見つかったけど、まあ次回以降の参考ということにしておこう。徒歩10分少々で港湾地区へ。種子島や屋久島方面へは立派なターミナルもあるのだが、三島、十島(としま)方面航路は別棟の、小さな待合所が向き合っていた。窓口で、往復の2等乗船券(7千円)を求める。JRの硬券を横長にしたような体裁で、乗船時に鋏を入れられた。

 三島村への航路は村営で、三島発限定の往復割引があるあたり、生活航路としての役割が大きいことを物語る。船体には三島の名前に加え「M"LINE」と大書きされており、マルエーフェリーの「A"LINE」に通じるが、「パクリ」ではなかろうな。

 船内は3層になっており、2等船室は2・3層に分かれているが、3層は宗教団体の貸し切りになっていた。通常の利用客は2層の船室に押し込められた格好だが、混雑しているわけでもない。

 4層には甲板があり、後方に大きく広がる景色を楽しめそうだ。岸壁を見下ろせば、生活物資を積み込むフォークリフトが慌ただしく動く。見送りの風景もあちこちで見られる。島の生命線として活躍する様子を垣間見るもの、離島航路の旅の醍醐味である。

 9時半、出航の時間を迎えた。離れて行く船と岸壁を結ぶテープに、交わされる「行ってらっしゃい」「行ってきます」のエール交換。誰がどこに行くのかも分からないが、部外者にも胸熱くなる見送りの風景だ。ボードで作った巨大な「手」を振る親子もおり、行ってらっしゃいの声はその姿が見えなくなるまで続いた。

 離島航路だけではなく、桜島や大隅半島を結ぶ航路も多い鹿児島港。港内は、高速線やフェリーが錯綜し、賑やかで活気を感じるが、船長は緊張の連続でもあるだろう。南西諸島に下る時に見送ってくれる桜島は、今日は雲に隠れたままだった。

 心踊る南の島への船旅だが、寝不足を補いたくもありウトウト。起きればすでに12時前だった。船内に食堂の設備はなく、2等船室も飲食禁止なので、テーブルのあるサロンスペースで買ってきたコンビニめしをパクつく。売店にも食べ物は少ないし、自販機の食べ物もカップ麺くらいなもの。食べ物の持ち込みは必須である。

 おにぎりを食べ終わる頃には、第一の寄港地、竹島が近づいていた。港とはいってもターミナルがあるわけでもなく、小さな待合所が一つあるだけで、集落も離れているようだ。港の海は、海底まで見通せるほど透き通っている。曇り空なので海の色も沈んでいたが、晴れていれば美しさもさぞかしであったことだろう。

 港には「ようこそ」の横断幕を掲げた子どもたちが待っていた。三島村には一定期間、村民の里親宅から島の学校に通う「しおかぜ留学」なるプログラムがあり、その新入生の出迎えだったようだ。となると、鹿児島港でのテープ投げも「留学」の見送りだったに違いなく、長期間 子どもを送り出す親御さんたちの気持ちが響いてきた。島に降り立った二人の子どもの背中からは、不安の気持ちも伝わってきたのだが、数年の留学でたくましくなるに違いない。

 30分の帰航時間は慌ただしく過ぎ、硫黄島に向け出港。20分ほどで、目的地の硫黄島が近づいてきた。活火山の硫黄岳は雲に覆われ、その雄姿を見せてはくれない。海岸線には、人工物がほとんど見当たらなかった。

 港に近付くと、海が茶色に染まってきた。大雨で流れ出た土砂などではなく、港内の海底から沸く硫黄分が染めたものである。茶色なのは海面近くだけらしく、スクリューでかきまぜられた船の軌跡は、青い海だ。

 船が接岸の準備を進めていると、賑やかなリズムが近づいてきた。明るく軽快な、ジャンベのリズムで歓迎してくれているのだ。こちらも しおかぜ留学の子がいるのかな?と思ったのだが、後から聞いたところでは、入港の度に行われている歓迎の儀式なのだとか。島での、楽しい時間を期待させてくれた。

▲竹島でのしおかぜ留学生の出迎え風景


▲雲に覆われた硫黄岳の姿


▲硫黄島はジャンベで歓迎


坂本温泉・フナムシの大群とともに


▲島宿ほんだの談話スペース。缶ビールも300円でセルフ販売


▲時に迷わせられる案内看板



▲中腹から噴煙を上げる硫黄岳

 荷物を置くため、さっそく宿へ向かう。今回お世話になったのは、「島宿ほんだ」。港から徒歩1分の好立地である。1泊2食、1人1部屋で7,500円。

 荷物を整理し、ペットボトルに水を補給。島内には集落がひとつしかなく、離れれば飲み物もまず手に入らないからだ。まずは港から峠を越えて4km、島北部の坂本温泉を目指す。公共交通機関などない島なので、頼れるのは自分の足のみである。

 集落もすぐに抜け、山道へ。茂みからは、甲高い孔雀の鳴き声が聞こえてくる。かつてヤマハが島内のリゾート開発を手掛けた際に持ち込んだものとかだが、なかなか姿を現してくれない。声だけで孔雀と分かるのは、かつてJR久留米駅で飼われており、電車が到着する度に鳴いていたからである。

 島内の分かれ道には、主な見どころを示す立て看板があちこちにあり、これを頼れば地図なしでも迷わず行けそうな気がする。しかし肝心な分かれ道で案内が出ていないところが何箇所かあり、標識通りに行くと迷うか、とんでもない遠回りを強いられることになる。地図は必携、逆に標識になくても地図を信じて歩くことである。

 峠道を登りきると、雲の切れ間から硫黄岳が姿を現した。頂上付近までは煙に覆われており、雲だけではなく、中腹のあちこちから上がった噴煙も姿を隠しているようである。

 峠を越えるとケータイも通じなくなり、家一軒ない道を一人ぼっちで歩いていると、少し孤独な気持ちになってきた。虫や爬虫類が苦手なタチなので、藪の中から「ガサッ」と音がすると、つい身構えてしまう。飛び交うアブを刺激しないように歩く。

 寂しい気分も、水平線が見えてくると爽快感に置き換わってきた。坂道を下り海岸に出た所にあるのが、干潮時にのみ現れる海岸の野湯、坂本温泉だ。潮が満ちてくると海水が混じり、天然の温水プールになるというユニークな温泉で、この日の午後3時台は、干潮から少しずつ潮が満ちてくる時間に当たる。まず坂本温泉を目指したのは、この潮汐表を見たからだ。

 さっそく湯船に向かうと、おびただしい数のフナムシが僕を避ける。例えるなら、となりのトトロで一斉に逃げる「まっくろくろすけ」のイメージだ。中には今までに見たこともない大きさのフナムシもおり、虫が苦手な僕はふたたびひるんだ。しかし虫なぞ恐れていては、野湯を楽しめない。服を脱ぎ捨て、湯船に飛び込んだ。

 ヌルッ!底のヌメリに足を取られそうになる。慎重に歩いて湯に浸かれば、聞こえるのは海鳥と波の音。いつしか雲も切れ、空を見上げれば青空である。あまりのワイルドさにひるみかけたが、海と一体になった気分は爽快だ。

 二つの湯船が並び、狭い方の湯船の底からお湯が沸き、少し冷めた湯が広い方の湯船に流れ込んでくる。狭い方の湯船はヌメリもなく きれいに見えるのだが、とても熱くて入られなかった。

 湯船の周りはコンクリートの岸壁で囲まれており、湯船から海は見えない。パイプを通して海につながってはいて、満潮に向かうこの時間、少しずつ海水が流れ込んできていた。30分も過ぎる頃には膝が浸かるくらいに満ちており、月の営みも見える温泉である。さらに満ちて湯船を覆えば温泉プールになる按配で、うまく考えたものだ。はて、プールの状態になった時は、裸で入るのだろうか?

 一人の時間を満喫していたら、軽トラに乗って、案内人らしき島のおじさんと、記者さんらしき人がやってきた。船や港で、一眼レフを持っている僕に「名古屋の記者の方ですか?」と声を掛けてきた人が二人おり、その御本人のようだ。記者さんはワイルド系の温泉が苦手なのか、湯に手だけ触れて帰って行った。まあ、誰しもが入れるものでもないか。

 のんびりすること30分、湯上りの時間を水平線を見ながら過ごしていたら、電気工事屋さんの社名を掲げた軽トラがやってきた。島での仕事を終え、ちょっと観光にでもと訪れたのだろうか。車を降りた作業着姿のおじさん二人、しばし温泉を眺め絶句、そのまま引き返して行った。

 僕はマイペースに徒歩行軍。峠を越え、途中で左折、島の東海岸を目指す。なにやら虫が群がっていたので近づいてみれば、なんと孔雀の轢死体。美しい羽が散らばっていたが、無残な姿であった。こんな姿で、硫黄島孔雀に初めてお目にかかろうとは…。

 中腹では硫黄岳へ伸びる道が別れて行くのだが、現在は火山活動が活発なため立ち入り禁止になっているとか。かつては展望台もあり、噴煙を上げる様子も見られたとのことだが、自然の営みとあっては逆らえない。そして相変わらず雲に覆われ硫黄岳は、全容を現してくれない。

 坂本温泉から歩くこと1時間、東海岸の水平線が見えてきた。


▲峠を越え、ようやく海が見えてきた


▲一応整備はされているけどワイルドな坂本温泉


▲硫黄岳への登山道は閉鎖中


東温泉・波打ち寄せる秘湯へ


▲荒波に対峙する東温泉


▲海へこぼれる温泉に、波が打ち寄せる



▲きれいに整理整頓された、開発センター温泉

 海岸に出て岩場を歩くこと約5分、波打ち際の野湯「東温泉」にたどり着いた。海面と同じレベルにある坂本温泉と違って、こちらは少し高い岩場にあり、海から波が打ち付けてくる。温泉にまで届かんばかりの波しぶきに少したじろいだけど、まあ大丈夫だろうと飛び込んだ。爽快!

 お湯はかなり強い酸性のようで、顔をぬぐったら、目がヒリヒリした。少し口に含んでみたら、ものすごく酸っぱい。郡山の中ノ沢温泉や、久住の赤川温泉の酸味にも驚いたが、それらを上回る味である。ニキビや水虫は、一発で治ってしまうんじゃないだろうか。

 不思議と東温泉にフナムシの姿はなく、温泉も透明できれい。底は海藻と砂がたまっているだけで、ヌルヌルもない。脱衣のための岩の囲いもあり、野湯としては坂本温泉より「ハードル」が低い温泉である。港からも30分で来られるし、時間がなかったり、歩きに自信がなかったりすれば、ひとまず こちらを訪れるだけでも充分と感じた。

 一人、念願の温泉でご機嫌な気分になっていたら、坂本温泉で会ったおじさんと記者さんがやって来た。満潮(しかも大潮)に向け、次第に高くなる波は大丈夫なのかと聞いてみれば、決して海を背にせずに波と向き合い、高波が来たら体が持って行かれないように潜るようにとの忠告を受けた。恐ろしいことを、さらっと言いなさる!

 ともあれ大自然に抱かれる気分は、格別。東温泉に魅せられ、何度もやって来る人がいるというのも頷ける思いがした。

 帰路は、海岸沿いに港まで続く道を歩いた。峠道と違ってところどころで水平線を望め、南の島に来た気分も高まってくる。ガードレールは茶色だが、景観条例を順守したからではなく、単に錆びたからのようだ。崖は大雨で崩れたままになっており、さらに崩れないよう信じて歩くかは、自己責任の世界である。

 集落の手前にあるピンク色のRC造2階建ての建物は、島への到着の時に歓迎の音を奏でてくれた生徒たちもいる「ジャンベスクール」だ。西アフリカの伝統楽器のリズムは島の気質にもマッチしたのか、今ではすっかり名物になっているようである。

 二つの野湯に浸かったものの、体は洗えていなかったので、港から二分の場所にある立派な開発センターへ。島民向けの福利厚生施設として温泉があり、無料という大サービスぶりである。記者さんに三度出会い、「よく歩かれますね!」と労われた。

 浴室に入ると、みなさんから「こんんちは」と声を掛けてもらい、小学生君などは出て行く時には「失礼します!」と挨拶していくほどの礼儀のよさ。洗面器や椅子もきれいに片づけられており、マナーのよさは驚くほどである。

 浴室はタイル張りの素っ気ないものだが、広い湯船でくつろげる。泉質は、東温泉とも坂本温泉とも違っていて、刺激は少な目だった。、ワイルドな温泉はちょっとという人にもおすすめだ。ただし入浴できるのは、火・木・土の14時〜19時半に限られる。

 開発センターの裏手にはキャンプ場があり、草は刈られ、炊さん場もきちんと整備されていた。集落には近すぎるけど、目の前は海だし断崖絶壁も迫っているし、それなりに自然に恵まれた環境でキャンプできそうだ。今の時期ならば快適に過ごせそうだが、時期によっては虫に悩まされることになるとか。

 開発センターのまわりには孔雀が闊歩していて、ついにその姿を見ることができた。孔雀の声も姿も見慣れた久留米市民ではあるのだが、いきなり出くわすと面喰う。

 夕ご飯まで少し時間もあったので、集落をぶらぶら。雑貨屋さんらしきものはあるのだが、空いている気配はない。コカコーラの自販機も「空白」だらけでホントに動いているの?といぶかしんだが、お金を入れたらちゃんとアクエリアスが出てきた。島で見かけた自販機はこの他、民宿ガジュマルの前にあった1台のみだったが、こちらはサントリーのもので、選択肢はかろうじて2つある。

 他に飲食店やコンビニがあるわけでもないが、駐在所や郵便局が並び、島の中心地であることを物語る。行政機関はといと、三島村の役場は三島のどこでもなく、鹿児島港近くの鹿児島市内にある。島相互の行き来は不便だし、県との折衝を考えれば、船の拠点となる市内が適地ということらしい。島の出張所は港にあるが、「支所」のイメージとはほど遠い、小さなものだ。

 郵便局裏の三角屋根の白い建物は喫茶兼居酒屋だったらしいが、商売にならずたたんでしまったらしい。結果、島に外食産業はなく、旅人は民宿の食事が頼りだ。キャンプの際にも、必要な食材は100%持ち込むようにしたい。集落の路地と言う路地に、通りの名が付いていたのはほほえましかった。

 宿に戻れば夕食の時間。島特産の「亀の手」やタケノコが並び、炊きたてご飯もおいしく、モリモリ食が進む。僕は飲まなかったけど ちゃんと生ビールも置いてあり、大き目のグラスで300円は安い。村内限定販売の焼酎(島内で醸造というわけではなさそう)「みしま村」なんてお酒もあって、左党でも寂しい思いをせずに済むのはありがたかった。

 焼酎を傾けつつ、同じく一人旅の方と意気投合。スーパームーンだったこの日、月明かりが輝く岸壁に出て、夜風に吹かれつつ焼酎を酌み交わした。暑くもなく、寒くもなく。晴れていてばさぞかしきれいな星空だったのだろうが、代わりに圧倒的な存在感を示す月明かりを肴に、チビチビと…。静かで、満ち足りた時間が過ぎて行った。

▲島を自由に闊歩する孔雀


▲小さな路地にも名前が付く


▲港に浮かぶ満月


▼3日目に続く
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