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3日目【5月4日】
生まれ変わった青春の鉄路

東大門→春川→仁川空港→弘大→富川



生まれ変わった「青春の鉄路」


▲ハイカーが列をなす京春線のりば


▲旧京春線の線路が眼下をよぎる



▲車内には自転車スタンドも

 前日は早起きでもあったので、今日は9時半に行動開始。連泊なので、身の周りの荷物だけ持って、身軽になって街に出た。今日最初の目的地は、ソウルのお隣、江原(カンウォン)道の春川(チュンチョン)だ。

 まずは、東廟前から地下鉄1号線に乗る。ソウルの地下鉄では、週末に自転車の持ち込みが認められるようになったのだが、都心ともいえる東廟前にもサイクリストがいるのには驚いた。前回訪韓時にもあったルールなのだが、実際に持ち込んでいる人は見かけず、掛け声だけなのかなと思ったものだが、定着しつつあるようだ。

 回基(フェギ)駅で、中央線の電車に乗り換え。こちらも数台の自転車が見られた。中央線沿線も、線路改良で廃線となった線路跡にサイクリングコースができており、人気を集めていると聞く。ただ本数も限られる電車だけに混雑も激しく、無制限な自転車の積み込みを今後も認めるのかは、要検討課題かも。

 上鳳(サンボン)駅で再度、乗り換え。春川行きの京春(キョンチュン)線の始発駅である。他線とは異なり、白く塗装され青の流れるようなラインが巻かれた車体が爽やかだ。京春線の電車の先頭車には自転車の固定台があるのだが、それに収まりきれない数の自転車が乗っていた。沿線は自然豊かで、休日のサイクリングを楽しむ人が集まっているようだ。

 上鳳を発車した電車は、真新しい高架の上をすべるように快走する。ソウル近郊らしく、押しも押されぬ宅地化の波が沿線にも押し寄せてきている。京春線は2010年、1時間に1本のムグンファ号が走る「汽車」の路線から、事実上の新線建設で「電車」の路線に生まれ変わった。不動産業界からも一時、熱い注目を浴びた路線なのである。

 ただ車内の雰囲気は、汽車時代と変わらず和やか。日常の足として電車を使っている人は2〜3割といったところで、アウトドアウェアに身を包んだハイキング客が主役。通勤電車スタイルだけど、車内の雰囲気は浮足立っている。床に座り込む様子も、この路線に限っては自然で、溶け込んでいる。

 僕自身も、2001年の2度目の韓国旅行で、この京春線に揺られて春川を訪ねた。往路はムグンファで2時間、帰路は鈍行の統一号で2時間40分を要したけど、忠実に北漢江をトレースしながら走る車窓は素晴らしく、終点・春川で食べたタッカルビの味も合わせて、素晴らしい思い出になっている。そしてあの日の京春線も老若男女入り混り、お出かけの楽しさをいっぱいに載せていた。陽性の雰囲気は、あの頃と変わらない。

 2010年の京春線の新線切り替えの際には、「汽車の京春線」が事実上消え去ってしまうということで、マスコミでも惜別の思いを伝えるニュースが目立ったものだ。鉄道=単なる輸送機関ととらえられがちな韓国にあって、異例の扱いだったと言える。ハイキング姿のおじさん・おばさんたちにとって、学生時代にはサークルやゼミの旅行で汽車に揺られた、追憶の路線なのである。線路も電車も変わってしまったけど、首都圏の人々にとっては今も新たな思いでを紡ぎ続ける。

 金谷(キムゴク)を過ぎると、車窓は緑の色が濃くなってきた。眼下には、単線の旧京春線の姿がところどころで見える。線名こそ同じ京春線とはいえ、まったく別の路線だ。区間によっては、レールバイク(軌道上を走る自転車)のコースとして活用され、手頃な観光地として人気を博しているとのことだ。

 混んでいた電車も、途中駅で多くの乗客を降ろし、だいぶ余裕が出てきた。街の駅で乗客が減るのではなく、自然豊かな駅の方でどっと降りて行くのが面白い。眼下には北漢江沿いにサイクリングロードがあり、サイクリングを楽しむ人の姿も。自宅から、京春線に載せてきたのだろうか? 手頃なレジャーであることは、間違いなさそうだ。

 一旦空いた電車も、春川に近付くにつれて再び乗客が増えてきた。春川は江原道の道庁所在地で、それなりの市街地を有してもいるので、こちらへの流れもあるようだ。

 終点の一つ手前、市の中心部に近いという記憶のあった南春川駅で下車。上鳳から1時間20分の道のりだった。各駅停車ながら「汽車」時代は2時間かかった区間であり、短絡化とスピードそのもののアップで、大幅な時間短縮を実現している。旧京春線のローカル線的な雰囲気への思いは尽きないが、交通機関としては間違いなくレベルアップした。旧線跡の活用も進んでいるようだし、これからも親しまれる京春線であってほしいと思う。

 高架駅で、汽車時代とは似ても似つかぬ都会的な駅に生まれ変わった南春川駅。駅前に止まっていたタクシーに乗り込み、中心部を目指した。中心商店街には「ヨン様」のノボリが揺れる。春川は、冬ソナの舞台としても有名だ。

 メインストリートの明洞通りから入った路地が、名物のタッカルビ横町である。ずらりと並ぶ店の中で、入ったのはもちろん一番混んでいるお店。2001年は1人前で7千ウォンだったが、今回は1万ウォン。京春線の開業ブームで一時は強気の商売に出ていたと聞くが、韓国内の物価上昇を考えれば、まあこんなものだろう。

 甘辛く味付けされたタッカルビを無心にむさぼり、前回はお腹いっぱいで到達できなかったシメの焼き飯までしっかり味わった。本場の味に大満足である。

 食後は腹ごなしに、街をぶらぶら。江原道という名峰の多い地域らしく、アウトドアウェアの店が並ぶ一角があったので、のぞいてみた。日本に比べて高いのか安いのか、よく分からないまま靴下を購入。次回の登山で役立つのは間違いないだろう。


▲レールバイクのコースとして活用されている区間も


▲すっかり「都会の電車駅」になった南春川



▲なにはなくとも春川に来たらコレ、タッカルビ


準高速列車の実力と課題


▲春川駅で並ぶitx。週末昼間は30分間隔の運行


▲2階席の狭い窓


▲デッキ部は通勤対応

 市街地から、今度は春川駅へ。タクシー代は、南春川駅からの半分以下だった。春川駅は市街地から近いのだが、間に米軍基地があるため迂回せねばならず、南春川の方が便利という記憶だったのだが、それは10年前の常識だったようだ。今は基地の跡を突っ切り、市街地からストレートに春川駅に行けるようになっていた。

 春川駅は電化と同時に面目を一新、カフェやコンビニも入るやはり都会的な駅舎に生まれ変わっていた。駅前には基地の壁が広がり、駅前には米軍相手の「夜の商売」の店が連なっていた風景も、過去のものである。

 帰路のソウルへは、準高速列車「itx青春」の指定券を抑えておいた。本当は往路も乗りたかったのだが、韓国に到着した木曜日の時点で、満席状態だったのだ。帰路のソウル方面も、15時以降はほぼ売り切れ状態である。ちなみに電車区間を走るitxは、KRパスの適用範囲外になっている。

 発車20分前には、すでにステンレス製のitx青春がホームに据え付けられていた。どこかずんぐりした外観で軽快な風貌ではないが、時速180kmの高速性能を誇る。

 車内に入るとまずロングシートと吊り革が並んでいるが、これは立席券の利用者用。一部の車両では自転車置き場にもなっている。自動ドアをくぐり車内に入れば、リクライニングシートが並ぶ。セマウル号のゆとりにはかなわないが、KTXよりは快適だ。1時間内外の乗車時間を考えれば、充分だろう。

 車いす対応の広いトイレや自販機など、短距離特急としては申し分ない設備。車内販売も回ってくる。もっとも注目すべきは、中間に2両つながれた2階建て車両。将来的にはグリーン車扱いにする構想もあるとかだが、今は一般の指定席で早いもの勝ちである。ただ窓は狭く、せっかくの2階建ての眺望が生かされない気がした。

 春川を出発して、南春川で同じくらいの乗客を乗せればグングン加速。普通電車も、ソウル市内の地下鉄に比べれば相当早いのだが、itxはさらに上をいくスピードである。従来の特急の、半分の時間で走破してしまう。。

 途中駅では、追い抜く普通電車とホームを挟んで停車し、相互の乗り換えも便利にできている。日本では当たり前だが、従来の韓国にはあまりなかった接続スタイルである。

 しかし、普通電車は地下鉄と共通運賃制を採る一方、itxは従来の特急と同様、まったく別の運賃体系になっているのはややこしいところ。日本のように、普通乗車券に特急券を買い足しても乗れず、普通電車の切符やカードでitxに乗ってしまったら、即不正乗車の扱いになってしまう。

 他線では、普通電車と長距離列車は改札・ホームとも分かれているのだが、京春線では同じホームに発着するのが難しいところ。駅に停車する度に、間違って乗らないよう注意する放送が何度も流れていた。ドアのまわりにロングシートと吊り革が並ぶ様子は、日本人の目だと私鉄の特急のようにも見えてしまうので、くれぐれもご用心。


 駅に着く度に乗り込んでくる乗客は多く、後半はほとんど立席券での乗車のようだった。普通電車に比べて3〜4倍の運賃になるとはいえ、早いし、市内への乗り換え回数が少ないことも人気を集めているようである。

 「汽車時代」の春川線の始発駅だった清涼里には、春川からジャスト1時間で到着。2/3程度の乗客が降りて行った。itxはさらに、漢江沿いの地上を走る京元(キョンウォン)線を経由して、KTXの始発駅の龍山まで直通する。清涼里〜龍山間の京元線は、都心にありながら30分に1本しか電車がない裏ルート的な存在だったのだが、中央線の電車乗り入れで本数が増え、itxの乗り入れまで始まり、表街道へ躍進しつつある。

 しかしスピードは裏ルート時代のままで、さきほどまでの高速走行は嘘のようなゆったりした走りになる。渋滞する漢江沿いの道路を横目に、週末のレジャーを楽しむソウル市民の姿を見ながら走る車窓は悪くないのだが、準高速列車の速達効果が削がれるのは残念なところ。長期的には、スピードアップを目指してほしい。

 終点、龍山駅着。普通電車用のホームドアが付いているのだが、itxの乗車口のみのドアを開けており芸が細かい。

 普通電車用のホームに着いたitxだが、このまま地下鉄に乗り換えたい場合にはどうするのか?現金なら、下車駅でitxの切符を見せて精算という流れになるのだろうが、カードの場合は、ホーム上の「交通カード処理端末機」にかざして、龍山駅で乗車した扱いにする。下車客のほとんどは電車に乗り換えるようで、少ない端末機の前には行列ができた。現行の方式では複雑で、手間もかかる。itxに限っては、日本式の「普通運賃」+「特別料金」という体系にできないものだろうか。少し課題の残るように思えた、itxだった。


▲併走する電車の屋根は眼下に


▲龍山駅ではホームドアの一部を開けて対応


▲乗り換え客が群がる乗車処理端末機

市内直結!都心から空港まで40分台


▲頭端式のホームで発車を待つKTX山河


▲海岸の車窓は遠ざかった



▲エスカレーターを何台も乗り継ぎ空港鉄道乗り場へ

 僕も龍山駅ホームの端末機にカードをかざして、1号線に乗り換えソウル駅へ。ガラス張りの立派な駅舎を抜け、横にならぶ旧ソウル駅を訪ねてみた。

 日本統治時代に作られたソウル駅は、東京駅にも通じる赤レンガ駅舎。KTXの開業までは現役で、僕にとっても馴染みある、ソウルの玄関口のイメージが強い駅舎だ。だが新駅に移転後は、保護の方針を巡って国と鉄道公社が対立。その狭間で放置され、ホームレスの寝床となってしまっていた。

 対立も終わり、2011年には都心の複合文化空間として再オープン。この日2階では無料のレゴ展が開かれており、自由に入ることができた。天井が高く、ゆったりした空間は近代建築ならでは。暖炉やシャンデリアも健在で、ドーム状の吹き抜けを見下ろすと、初めてソウルに降り立った日のことを思い出す。

 竣工当時のレンガ壁を展示した部屋もあり、東京駅内のステーションホテルにも同じコンセプトの空間があることを思い出した。規模は違えど、兄弟駅ともいえる東京駅とソウル駅。奇しくも1年差で面目を一新した両駅が、21世紀にも愛されていくことを願うばかりだ。

 ソウル駅からは空港鉄道に乗って、韓国の空の玄関口・仁川空港に向かう。船で往復する今回の旅行では空港に用はないのだが、それでも行く理由はただ1つ。全線開業した空港鉄道に乗ってみたいからである。

 仁川空港へのアクセス鉄道・空港鉄道は2007年の開業以来、批判にさらされてきた。少ない乗客、国による巨額の赤字補てん、それにしては華美に過ぎる施設…開業当初は金浦空港から仁川空港間の部分開業であり、市内へは乗り換えが必要とあっては利用が少ないのも当然といえば当然だった。しかし巨額の赤字に耐えられず、現在はKORAIL傘下の子会社となっている。

 苦節3年半が過ぎ2010年末、ついに空港鉄道は全線開業。ソウル駅まで直通運転となり、ソウルの都心から仁川空港まで、ノンストップの直通列車で最速43分となった。バスでは早くても1時間かかっていたのに比べると、大変便利になった。

 空港鉄道の乗り場は、巨大なソウル駅のコンコースの端にある。案内は随所にあるのだが、ハングルを解さない人は、IBK(企業銀行)の看板を目印にした方が分かりやすいかもしれない。

 コンコースからは、長いエスカレーターを乗り継ぎ下る。同じ駅内とは言っても、KORAILの長距離列車からの乗り換えには、15〜20分くらい見ておいた方が良いかもしれない。東京駅で例えるなら、新幹線から総武線に乗り継ぐ感覚だろう。

 これが地下鉄1、4号線からの乗り換えだとさらに遠い。直通で地下同士を結ぶ通路がないため、混みあうソウル駅のコンコースに一度上がらねばならないのだ。地下鉄駅からソウル駅の通路はいつもさらに混んでいて、荷物が多いと辛いかもしれない。ソウル駅周辺からならばともかく、市内からならば、多少遅くとも路上から乗れるリムジンバスがラクかもしれない。

 仁川空港まではノンストップの「直通」と各駅停車の「一般」があり、改札口はフロアで分かれている。直通に乗る際は、オレンジ色のサインを目印にエスカレーターの列を左に折れる。

 直通列車の案内カウンターの奥には都心空港ターミナルがあり、飛行機への手荷物はここで預けることも可能。旅行の最終日はまず荷物を預け、身軽になって観光に繰り出すのが賢い利用法らしい。

 KORAIL傘下とはいえ、空港鉄道はKRパスの適用範囲外。直通列車は全車指定席だが、切符は自動券売機で購入できる。切符はICカード式。入場時はタッチし、出場時は改札口に投入する。切符は回収され、何度も利用するシステムである。裏面には座席番号が記載されているのだが、何度も使ううちにすり切れるのか、券面はなんとも見にくくなっていた。

 直通電車の空港までの運賃は、13,800ウォン。15,000ウォン前後のリムジンバスより早くて安いのだが、利用が低迷しているのか現在は8,000ウォンの特割運賃になっている。

 エレベーターを降り、専用ホームから直通列車の乗り込む。リクライニングシートが並ぶ直通電車の乗車率は、2割といったところ。金浦空港始発の頃とは比較にならないほど乗ってはいる。しかし都心直通となった今、土曜日で、日本はGWであることを考えれば、少し寂しい気もする。

 ソウル市内は、ほとんど地下で駆け抜ける。駅間距離は従来の地下鉄に比べて長く、一般列車でも「急行」的な使い方ができそうである。初めて地上に出るのは、漢江を渡る時。広大な漢江を渡る際、工費節減のため地上に出る地下鉄路線が多いが、空港鉄道も「伝統の流儀」に従っている。

 再びトンネルに入って、主に国内線が発着する「ソウルの羽田」こと金浦空港も通過し仁川へと急ぐ。車窓にはライバル、空港座席バスの姿も。「直通」と互角のスピードで走る。長らく、アクセスはバスだけという状態が続いた仁川空港。もともとバス網が発達している韓国だけに、バスの利用が定着してしまっている。シェアの切り崩しは、容易ではない。

 やがて空港鉄道は、海上橋を渡り永宗(ヨンジョン)島へ。広大な干潟がどこまでも広がる、雄大な車窓になる。空港鉄道では、シーズンには空港から先の車両基地に臨時駅を設け、海岸まで行楽客を誘う「海列車」も走っている。

 ソウル駅から43分で、巨大なガラス張りドームの仁川空港駅着。東京都心から成田空港までのスカイライナーより早く、仁川空港にも世界レベルの安定したアクセス体系が確立された。ただそれにしては、あまり利用されていない印象も残る。今年末にはKTXを迎える計画もあり、ホームの増設工事が進んでいた。この時こそが、第3の開業といえるだろう。


▲直通列車はオレンジ色のサインを目印に


▲狭めのリクライニングシートが並ぶ直通電車


▲雄大な車窓が広がる


眠らない街で眠らない


▲帰路は一般列車に乗って市内へ


▲空港鉄道でも自転車積載OK



▲一見日本か?と思わせる看板も多い弘大の街

 仁川空港でも直通と一般の改札は分かれており、ターミナルから右手のオレンジの改札が、直通列車の目印である。直通の運行間隔は30分で、時間によっては先発する一般に乗ってしまった方が早いのだが、せっかくの旅行なら、くつろげる直通をおすすめしたい。

 仁川空港には何度か訪れたことがあるので、見物もそこそこに空港駅へ引き返した。帰路は青の改札口を目印に、一般列車に乗り込む。席を温める間もなく、空港から2駅の雲西駅で降りた。ちなみに自転車の積み込みは、空港鉄道でもOK。島の海岸サイクリングを楽しんだであろうご夫婦が、次の電車を待っていた。

 雲西は永宗島内の街なのだが、さすが鉄道で陸続きになると、「島」らしい風情には乏しくなる。高層ビルが立ち並ぶ、ありふれたソウル郊外の街だ。

 雲西からの電車は混雑しており、席にありつけなかった。ガラガラのイメージがあった空港鉄道だが、全通効果だろうか。ただ夕方のソウル方面は空港勤務者がメインのようで、身軽な服装の乗客が目立った。仁川市内に住む人が多いようで、仁川メトロとの接続駅の桂陽(ケヤン)で降りる人が多かった。

 ゆとりのできた一般列車には金浦空港で乗ってくる人も少なく、地下鉄他線に比べて、空席も目立つままソウル市内へ。僕は弘大前駅で下車した。土曜日の夕方、繁華街のこの駅で降りる人も多く、空港アクセスとしてだけでなく、普通の地下鉄としての利用も多い様子が見て取れた。

 弘大前では、留学生時代にお世話になった韓国人の先輩と合流。弘大の街へと繰り出した。弘大はその名の通り、弘益大の学生街なのだが、社会人も訪れる一大繁華街になっている。韓国留学経験があるとはいっても、留学先はソウルから2時間離れた地方都市。ソウルには、有名どころでも行ったことがない街があちこちある。弘大前も今回、初の訪問だった。

 土曜の夕方とあって、弘大の街はどっと賑わっていた。学生たちが主役ではあるけれど、僕ら30代らしき姿も少なくはない。明洞と違って、日本人の存在感が打ち消されるほどの雑踏だが、それでも果敢に街歩きを楽しむ日本人の姿も多く見られた。路地裏まで、人であふれている。

 目に付くのは、日本語の看板の数々。それも中心部でよく見かける、なんちゃって日本語ではく、「金のとりから」や「丸亀製麺」など、本物の日本のチェーン店である。丸亀製麺は路上パフォーマンスが繰り広げられるメインストリートに面しており、満を持しての出店なのだろう。

 先輩曰く、日本留学の経験や日本滞在歴がある人が増え、日本にいた頃を懐かしんでリアルな日本食を求める人が増えてきているとか。例えばこれまで、韓国では商売にならないと言われてきた とんこつラーメンの店も、弘大あたりだと経営が成り立つようになってきたそうである。

 メインストリート沿いに、店先でジョン(韓国風お好み焼き)を焼く食堂兼居酒屋があり、ほぼ満席だったが2階の窓側に滑り込めた。ハイレベルな路上パフォーマンスを見下ろすことができて、お値段以上の価値がある店である。メニューはいろいろとあるが、店のジョンすべてを少しずつ載せた「なんでもジョン」というメニューがあり、個性的な味を楽しんだ。僕は、きのこジョンが気に入った。

 合わせる飲み物は、日本でも人気が出たマッコリ。キンキンに冷えたヤカンに出てくるのが、韓国流である。ジョンにもよく合うし、甘くて飲みやすい酒なのだが、悪酔いするので要注意である。生涯でもっとも悪酔いしたのは、何杯もマッコリをあおった夜だった。

 店を出て少し離れると、静かな界隈に出てきた。韓国ではあまり見ないイタリアンの店やオープンカフェが並び、そこはかとない高級感がただよう街だ。先輩は、デートでよく使ってた街とのことである。

 そんな街の一角に広がるのが、日本家屋風の4階建て建物が向き合う光景。「東京焼き」と「居酒屋京都」である。京都は人気店のようで、韓国ではあまりない、食べ物屋の行列を経験することになった。刺し盛りや日本酒など、メニューは充実。日本より高かったけど、醤油やわさびも日本からの輸入品のようで、今まで韓国で食べた中では、一番日本の味に近かった気がする。

 もう12時近いが、ソウルの夜は長い。朝まで遊ぶなら、先輩の住む富川が安くていいというので、地下鉄2号線の終電と市外バスを乗り継いだ。富川までは電車も通じているのだが、週末は12時前に終わってしまう一方、バスは深夜まで走っているそうだ。最終の地下鉄を降りた人波も、タクシー乗り場ではなく、道路中央のバス乗り場へ向かう流れが太かった。

 ちなみに東京ではバスの24時間化が検討されているが、ソウルでは市内の路線ですでに実証試験が始まっている。東京では深夜1時間間隔とのことだが、ソウルは40分間隔と頻度も高い。もともと朝まで飲む人が珍しくない韓国、眠らない街の土壌はでき上がっている。

 朝まで宣言はダテではなく、富川で最後の店を出た時には、さわやかな朝風が頬を撫でていた。始発電車どころではない、3番電車の時間である。


▲「なんでもジョン」に大満足


▲窓の外にはパフォーマーの姿


▲不思議な雰囲気漂う「東京焼き」と「居酒屋京都」


▽4日目に続く
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