▲TOP ▲鉄道ジャーニー
0日目1日目2日目3日目4日目5日目6日目7日目8日目9日目

9日目【1月6日】
準国産機の飛躍を

大倉山→渋谷→蒲田→羽田→福岡→久留米



▲東横線と目黒線が同時入線する武蔵小杉


▲古き良きターミナルの匂い残す渋谷駅



▲蒲田駅から急カーブで分岐する空港線

 早くに出て行った妹を見送り、惰眠をむさぼってから朝の大倉山の街へ。駅前の喫茶チェーンでモーニングを食べて、長きにわたる旅行の最終日の始まりである。十二時半の飛行機までフリータイムだが、動ける範囲も限られているので、ひとまずは東横線の渋谷方面行きに乗った。

 武蔵小杉で一旦下車。東横線と目黒線が並行する複々線区間の駅で、目黒線にはメトロ南北線、本線にはみなとみらい線の電車も混じる。東横線と目黒線の併走シーンも見られ、見ていて飽きない。春からは東横線のメトロ副都心線直通化に伴い、西武線、東武線の電車も混じることになる。相互乗り入れが盛んな関東の私鉄は、車両のバラエティが豊かだ。

 特急に乗って渋谷へ。古びた急カーブの高架橋を走り、着いた渋谷駅は一昔前の私鉄ターミナルといった趣き。規模は違うが、ソラリアターミナルビル完成前の西鉄福岡駅を思い出す。地下鉄銀座線への乗り換えは階段がメインで、バリアフリーの考えも薄い。前時代的な姿で取り残されているのは、地下駅移転を前に投資が控えられてきたからと察する。どことなく懐かしさを感じる駅のただずまいを見られるのも、今回で最後だろう。

 山手線で品川に移動し、京急に乗り換え。混んでいる快特を避けて、かつては優等列車で活躍した1000形の普通電車に乗った。クロスシートからロングシートに改造されているが、座席はふんわりと柔らかく、最近の電車の硬質なそれとはずいぶん異なる。加速の良さは京急の持ち味で、こまめに加速、減速を繰り返しながら蒲田駅へ。高架化後の様子を観察すべく、下車する。

 京急蒲田は立体交差化で、下り線乗り場が三階、上り線が二階という構成になった。羽田空港行きの電車は品川方面から来たのか、横浜方面から来たのかで二、三階に別れる。さらに限られた敷地で、空港方面のホームと各駅停車の退避ホームを設けた結果、快特を待つ普通電車のホームが大きく離れることになっている。慣れればなんてことはなさそうだが、初めてならば大いに戸惑うことは必至で、案内所が設けられていた。

 空港方面への分岐は、地平時代そのままの急カーブ。電車の通過と同時に、車輪と線路が傷まないように散水する装置が設置されていた。ボトルネックとも言われた区間の重層複線化で、品川、横浜から空港へそれぞれ十分間隔という濃密なダイヤを確保している。蒲田通過のエアポート快特も設定され、モノレールとの競争ではだいぶ優位に立ったようだ。

 三階ホームから、エアポート快特に乗車。京成から直通の電車で、京急も車両のバラエティは豊富だ。所属会社は違えど加減速性能は高く、トンネルに入ればあっという間に羽田空港だった。


 早めにチェックインして、有料ラウンジでくつろごうと思っていたら、いつの間にかクレジットカードが期限切れになっており、なくなく断念。カツサンドをランチにしながら、フードコートでこの旅行最後の一杯を傾けた。

 羽田から帰路の便は、話題の新鋭機・B787機を選んだ。日本の技術を多用した準国産機で、機体は軽量化のため炭素繊維を用いているとか。炭素繊維って、建物の耐震補強で使うあの黒いやつだよね? 利用者に直接関わりのない部分とはいえ、あんなもので機体が作れるとは、想像のつかない技術だ。

 国内短離路線向けなのか、シートテレビはないタイプの機種だったのは残念。窓のカーテンは省略され、ボタン操作で暗・明を調整できるようになっている。一番暗くしても車窓が見えるのが嬉しく、何度か明から暗へ操作して楽しんでみた。ただこの機構に対するガイドはなく、明るいまま、つまりまぶしいのをそのまま我慢しているであろう席も多くみられた。

 機内の照明はLEDで、岡山上空を通過する頃にはレインボーカラーに変わった。LEDだから発色は自由自在なのだが、デモンストレーション用で営業では使わない演出と聞いていたので、この目で見られたことは嬉しかった。遊び心はあるし、乗り心地も快適そのもの。飛行機は嫌いだけど、787なら「指名買い」で今後も乗ってみたいと思うほど、満足のフライトだった。

 しかしご存知の通り、この翌日にはアメリカでトラブル発生。その後も787は、発煙による緊急着陸などトラブルが続出し、ついには運航停止に追い込まれてしまった。くわばらくわばらという気持ちもあるが、ぜひ一斉点検をクリアして、安全な翼として帰ってきてほしいものと思う。

 久留米行きの高速バスは満席近く、しかも中国人留学生の荷物が多くて遅れ気味。自宅最寄の久留米・縄手バス停に着いたのは、夕方五時前だった。長い旅行の余韻に浸る間もなく、明日は出勤である。


▲新鋭機に心ワクワク


▲照明がレインボーカラーに


▲ブラインド替わりの色つきガラス


あとがきに代えて


  二〇一一年三月十一日金曜日、僕はいつも通り年度末の仕事をこなしていました。ただ気分は、待ちに待った九州新幹線全線開業を翌日に控え、テンションは上がりっぱなし。浮かれてるやろ?と周囲に冷やかされる始末でした。

 ところが夕方を前に飛び込んできた、東日本大震災と大津波の映像。国家を揺るがす非常事態であることは明らかで、浮かれていた気分がスーッと覚めていった感覚は、今でもはっきり覚えています。翌日の新幹線全通も、日本の未来がどうなってしまうのか分からない状況を前に、目の前から霞んでいました。

 その後、ボランティアに行く機会もなかった僕ですが、仕事関係で福島県に派遣され、内陸部ではありましたが被害に苦しむ地域の一端を垣間見ることになりました。九州へ帰って日常生活に戻っても、「ヨソの土地」ではなくなった東北のその後は気になるばかり。その年の年末には茨城から青森へ、普通列車を乗り継ぎ沿岸部を訪ねました。

 ボランティアでもないのに、物見遊山で乗り込んでいいものかとの迷いもありましたが、宮古のように観光客を迎え入れるべく努力が続く地もありました。福岡からと言うと、遠方からの来訪を喜んで頂き、旅することも東北の元気になるのかなと思ったものです。

 今年の東北では、天候に恵まれた日が多かったこともあり、三陸の海の蒼さと豊かさに心を奪われました。陸地は一年七ヶ月を経て尚、津波の爪痕も生々しいのですが、海に目を転じれば、輝く海面に、漁船に、養殖イカダ。まぎれもない、恵みの海でした。幾度となく津波に襲われても、海とともに生きていく三陸の人たちの気持ちに、少しでも近づけた気がしました。

 気仙沼では、夏に泳ぎにおいでよというお誘いも受けました。復旧から復興、復興から福幸への道のりはまだまだ厳しいのかもしれませんが、三陸の海に、今後も通い続けたいと思います。 

▽もくじへ
inserted by FC2 system