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8日目【1月5日】
東京おぼのりさん

→都内→川崎→大倉山



また味わいたい朝食


▲食堂車での朝食、いい気分


▲主の消えたロイヤル個室



▲上野駅到着

 夜汽車の朝は早い。六時には食堂車の朝食営業が始まる。昨夜はだいぶ飲んだが、早いうちに食堂車に行こうと約束したようで、六時半頃にはゴソゴソ起きだした。飲んだ割にはスッキリした目覚めで、前回四年前に二日酔いで苦しんだのとはだいぶ違う。これを成長と呼ぶのかは知らないが。

 食堂車の朝食メニューは和・洋の二種類で、毎回同じではあるのだが洋食をオーダー。四年前に乗った時は和・洋とも同じ内容のプレート一枚(和はご飯・洋はパン)になっていて「手抜きになったな」と感じてしまったのだが、今回は一皿ずつに戻っていた。食後のコーヒーも付いて一六〇〇円。流れる朝の車窓を眺めながらの味は、プライスレスだ。一昔前なら九州ブルートレインでも、瀬戸内海の海を見ながら楽しめた食堂車での朝食だが、今思えばとんでもない贅沢だった。

 デザートが来る頃には、昨夜の遅れを取り戻すことなく、郡山着。一週間ぶりの駅だが、鈍行列車乗り継ぎで眺めた景色とは、どこか違って見える。電源車に雪がこびり付いているとのことで、叩き落とす作業のためさらに遅れが広がった。飛行機なら一時間少しで着いてしまう距離を、のんびり一晩かけていこうという列車を選んだ乗客に、文句を言う人はいないだろう。

 昨夜買っておいたカードで、朝シャワーを浴びてさっぱり。朝になってもカーテンを閉ざしたままの下段寝台は困ったもので、宇都宮で空いたB寝台の区画に居場所を求めた。ロイヤルの乗客のうち、一人も宇都宮で降りた模様。寝台料金は高いのに、もったいないなと感じる。列車に乗ることそのものを目的にしてない人なんだろうねと、勝手に推測。余計なお世話である。

 山々にこそ雪を頂いているものの、平野部には雪もなく晴天。一晩眠れば、まったく違う気候の中にいる。不思議ながらも楽しい感覚を味わえるのも、夜汽車の魅力の一つだ。駅を重ねるごとに、すれ違う電車が増え、ホームで待つ人が増えていく。北関東から首都圏へ、ごとりごとりと運ばれていく。

 三十三分遅れで、上野駅着。先頭につながれていた機関車は、新鋭機・EF510形だった。客車には少し疲れが見えるが、新型の機関車を投入したということは、まだまだ走ってくれるということなのだろうか。北海道新幹線で新函館に行けるようになっても、北斗星の旅が続くことを心から願っている。


はとバスで東京ぐるり一巡り

 上野駅では、寝台特急「はやぶさ」車内で出会って以来五年のお付き合いになる「沼津の親子」と合流。僕は明日の飛行機で帰るが、ザキは一足はやく午後の便を抑えている。あと数時間で終わる旅のフィナーレとして、沼津のお父さんのご案内で「東京おんぼりさんツアー」に繰り出した。

 京浜東北線で東京駅へ。昨年末、復元工事が完了した東京駅丸の内駅舎と初対面した。我が郷土の偉人、辰野金吾氏設計の丸ドームは、なるほど以前よりも威厳ある姿に変わっていた。内部から見上げたドームも、細かな彫刻が荘厳な雰囲気。よくよく見てみれば、復元された三階部分のレンガが少しきれいではあるのだが、遠目に見れば違和感のない姿になっている。スカイツリーよりも費用がかかったという復元事業だが、それで民間企業がペイする仕組みが整っているというのも、豊かな国の証だと思う。

 高架下のターミナルから発着するのが、東京名物「はとバス」。観光の手段としてはあまりにも安直すぎる気がして、今まで乗ったことがなかったのだが、食わず嫌いはよくないというわけで今回初搭乗となった。屋根のない、二階建のオープントップバスで、気温八度では極寒だが、北海道の零下八度に比べればどうということはない。

 東京駅を離れたバスはまず、警視庁から国会議事堂、霞が関の官庁街を走り抜けていく。この界隈は地下鉄で来て、一度歩いたことがあるのだが、車窓の見えるバスで来ると、それぞれの距離感がよく分かる。脱原発テントに見送られつつ、東京タワーへ。スカイツリーが竣工してもなお、東京のシンボルの地位は不動である。普通のバスならタワーまで来ても足元しか見えないというが、オープントップなので足元からてっぺんまで見渡せる。大迫力のパノラマで、一番オープンバスの意味を感じた眺めだった。

 首都高速に入り、ビル街を快走。道路標識が、頭のすぐ上を飛んでいく。レインボーブリッジを渡り、お台場のユニークなビル群を眺めつつのウォーターフロント・ドライブ。まことに爽快な気分ではあるが、さすがに寒くなってきた。遠くにスカイツリーを眺めれば首都高区間も終わりで、名残惜しいような、ほっとしたような。

 築地や銀座の雑踏もテレビで見たままで、人の多さに圧倒されつつ、ちょっと感動。定刻なら一時間のコースだが、道路がスムーズだったこともあり、東京駅に戻ってきたのは五十五分後だった。いろんな街を巡ったのに、走った距離は想像したほどではなく、『東京』の範囲は思ったよりも狭いものだと実感できた。


▲オープンバスでめぐる東京


▲東京タワーの足元を行く


▲銀座の雑踏を横目に


▲国際線ターミナルを発つモノレール


▲原宿駅の皇室ホームを観察



▲韓国より遠い日本の韓国、新大久保

 そろそろザキもタイムアップだが、沼津のボウズ君が東京モノレールに乗りたいというので、羽田まで見送りに行くことに。往復とも同じじゃ面白くないということで、片道は品川から京急に乗った。京急の空港アクセスといえば、十月に京急蒲田付近の立体交差化が完成したばかり。物議をかもした蒲田通過のエアポート快特に乗ってみたかったが、やってきたのはノーマルの快特だった。上下線が重層になった蒲田高架の全容は一瞬では分からず、明日再訪してみよう。

 羽田空港着。まだまだ帰省ラッシュの時期とは思うのだが、空港の混雑は思ったほどではなく、保安検査もスムーズなようだ。九日間も友人と旅するのは初めてのことで、どうなるか不安でもあったのだが、大きなトラブルもなく無事にフィナーレを迎えられた。ありがとう、また明後日に仕事場で…。

 旅の相棒と解散した後も、東京おのぼりさんツアーは、まだまだ続く。空港内循環バスで国際線ターミナルへ。オープン当時は話題のスポットになったものだが、本来の空港に近い姿になってきた。和のテイスト満載の食堂街で、つけ麺をランチに。食後はデッキで、遠き異国を結ぶ飛行機を眺めて過ごした。

 モノレールの空港快速で浜松町に戻り、山手線で新大久保へ。韓流ブーム以来、すっかり聖地と化したコリアンタウンだが、九州人の僕にとっては韓国より遠い韓国。日本ナイズされた韓国の姿が興味深い。「江南スタイル」なる流行に乗った韓流グッズの店に入ってみたが、若い女性だらけで居心地が悪い。十年前には、想像も及ばなかったような光景である。

 街をぐるり一回りして、一品六百円均一というお安めの韓国料理屋へ。値段が値段だけにどんなものかと思っていたが、メニュー豊富で味もよく、お客さんも日韓で半々といったところだった。わざわざこの街に来たのは、僕が韓国語を使うところを見たいという親子のリクエストがあったから。店員さんも韓国人だったのでオーダーは韓国語でやってみたのだが、なんだか気恥ずかしかった。


高層ビル夜景三連発

 「おのぼりさんツアー」の締めは、高層ビル夜景三連発。新宿へ移動して、東京都庁を目指した。都庁に行くのは、中学二年生の貧乏旅行以来だから、十八年振りだ。あの時は地下鉄サリン事件の直後で、阪神大震災から二ケ月余りというタイミングでもあり、どこか街全体に影をひきずっていたっけ。展望台行きエレベータは、韓国や台湾の格安ツアー客が多く、入場無料とあって人気があるようだ。

 展望台からは、どこまでも街の灯りが続く。東京は、どこまで行っても東京という、誰かの言葉を思い出した。隣り合うビルの高層階には、暖かなレストランの光が漏れる。無料の展望台から、羨望のまなざしを向けた。

 続いて、お隣のNSビルへ。中央部の吹き抜けのボリュームが壮大で、二十九階にはブリッジがかかっている。僕は高所恐怖症ではないけど、さすがにこの高さのブリッジは足がすくむ。ボウズ君は、へっちゃらな顔で飛び跳ねていた。

 最上階の三十階は立ち入り自由ではなく、食堂街の二十九階も展望台はないが、ところどころに設けられたガラス窓から新宿の夜景を眺められる。驚いたのは食堂街で、パスタ屋のランチは五百円、とんかつ屋の定食も千円程度と、九州人の僕から見てもお手頃。新宿の、しかも高層ビルの展望食堂という立地を考えれば、激安といえる。それでも空き店舗が多く、駅から遠い立地が影響してるのだろうか。穴場といえる展望スポットで、今日はお腹いっぱいだけど、今度はご飯を食べにこようと思った。

 山手線で浜松町に戻り、駅から雨でも濡れずに行ける世界貿易センタービルへ。こちらは六二〇円の有料だが、それだけの価値はあった。展望台は、どこかのバーかラウンジのような雰囲気。ソファやカウンタチェアが並べられ、ゆっくりくつろげる空間になっている。飲み物をオーダーすればどれだけの値段になるだろうと思うが、何か飲みたければ自販機で買う他なし。地上と同じ定価で、リーズナブルである。

 展望台から広がる夜景の主役は、何といっても東京タワー。目の前、視線の高さにそびえる鉄塔は、見るものを安心させる安定感だ。ライトアップで闇夜に浮き立つ姿が美しい。この日はライトアップイベントで、刻々と姿を変えていた。お台場の夜景も見渡せて、鉄っちゃんにとっては眼下の浜松町に展開する鉄道夜景も魅力なのだが、東京タワーの圧倒的な存在感にかき消されてしまった。

 かように美しい夜景スポットだが、ビル自体の老朽化により解体の運命にあるのだとか。展望台はリニューアルを行ったようで、古さはまったく感じないのだが、築年数でいえば四十三年も経過している。おそらくは見納めになるである夜景を、しっかり焼き付けておいた。


▲都庁から高層ビル街を望む


▲NSビルの吹き抜けを見上げる


▲WTC展望台は雰囲気づくりに気を配る


▲ライトアップのない東京駅舎


▲サンライズには見送りの風景があった


 沼津の親子は、寝台特急「サンライズエクスプレス」に乗って沼津へ帰るので、二十一時過ぎには東京駅へ。九州ブルートレインが次々発車していた東京駅も、発着する定期の夜行列車は今やサンライズのみ。ずいぶん寂しくなってしまったが、残る一本の人気は高く、今宵も早くから入線を待つ人の姿が見られた。親子は以前、車内で自民党幹事長・石場茂氏に遭遇したことがあるそうだ。

 二一時四六分、丸みを帯びた車体つややかに、十四両の二階建て電車が滑り込んできた。登場十五年を経て、古さを感じない。僕も二度乗ったことがあり、いつもは沼津のお父さんに見送られる側だったのだが、今夜はうらやましく指をくわえるのみだ。いつかまた乗ってやるとの決心を胸に、電車らしく鋭い加速で遠ざかって行ったサンライズと親子を見送ったのだった。

 山手線で目黒へ抜け、さらに東急目黒線と本線を乗り継いで川崎市の大倉山へ。横浜で働く妹の住む街だ。交通至便で、落ち着いた雰囲気ながら、遅くまで空いている飲食店が多く、首都圏にしては物価も安め。いい街に住んでいるものと思う。今日も仕事、明日も早番らしいが、せっかくだからということで近所の居酒屋で杯を合わせた。

▽9日目に続く
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