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7日目【1月4日】
北の大地に飛び出す

札幌→苫小牧→登別→室蘭→



北国の地獄を歩く

 六時半に起きて、前夜かけていた洗濯乾燥機から洗濯物を出して整理していたところ、オーストラリアの三人組は早くもニセコに出発していった。こちらはゆっくり、ロビーでパンとコーヒーを頂き、八時に出発。世間では仕事始めになった一月四日、地下鉄は通勤客で混み合うが、僕とザキはお休みを頂いている。慌ただしく動き出しているであろう職場を思い出し、少し憂鬱な気分になりつつも、雑念を打ち消す。

 今日は、寝台特急北斗星に乗るまでフリータイム。まずは登別温泉を目指すべく、新千歳空港行き快速エアポートに乗り込んだ。帰省ラッシュの続きで空港行きの乗客が多く、北広島や千歳といった沿線都市の足ともなるエアポートは、いつも混んでいる印象がある。最高時速一三〇キロと足は速く、のびやかな大地をすべるように駆けていく。飛行機に頼らざるを得ない旅行でも、札幌〜新千歳間で充分に北海道「らしさ」は感じられると思う。

 恵庭駅の名にザキが反応、駅名板をシャッターに収めた。なんでも恵庭事件なる、判例が有名な事件があるらしく、法学部卒のザキとしては聞きなれた地名らしい。判例から全国各地の地名は明るいのだろうが、それが具体的にどこかまで知っている必要はないようで、「ここがあの恵庭か!」という気持ちになるもののようだ。

 南千歳駅で、苫小牧行き普通電車に乗り換え。防寒対策としてデッキ付きが常識の北国の列車にあって、三扉、ロングシートという純通勤型の車両だ。登場時は話題を振りまいたものだが、今や札幌通勤圏の重要な輸送力列車になっている。ただ東北で見られるような、ボタン式のドア扱いが見られないのは腑に落ちない。扉が開いている時にはエアカーテンが作動するものの、それとて万全ではない。仙台都市圏でできることが、札幌都市圏でできないことはないと思うのだが。

 苫小牧からの普通列車は、キハ141系気動車だった。昨年までは学研都市線で活躍していた車両なのだが、同線の電化開業とともに苫小牧〜室蘭間に移籍してきた。以前は「赤い電車」こと711系が走っていて、汽車の香りがする好きな電車だったのだが、置き換わってしまった。電化区間なのに、電車をディーゼルカーに置き換えるとは逆行したような形だが、JR北海道全体で節電の効果はあるかも。三両から二両に短くなり、ワンマン運転も始まっている。

 とはいえこの車両も、50系客車にエンジンを載せた通称PDCと呼ばれるユニークなもので、狭い二重窓は北海道の車両らしさも感じる。一大勢力を築いた50系客車自体も、オリジナルの車両は現存せず、原型に近いキハ141系は貴重な存在といえるかもしれない。

 左手には穏やかな太平洋、右手には牧場が広がり、穏やかな風景に悪天候の予報を忘れてしまいそうだ。苫小牧駒沢大は平原の中にあり、これはスポーツに打ち込むしかないなどと、失礼なことを語り合う。萩野駅前にそびえるのは、日本製紙の工場。匂いが少し車内に漂ってくる。社会科の教科書で学んだことを実地で復習するのも、旅行の楽しみだ。

 登別駅で下車。昔ながらの大きな駅といった雰囲気で、ホーム上には洗面台の跡が残る。北海道に来ると、古きよき時代の香りが残る駅が多い。そこに「特急」ではなく、「特別急行」などと時代がかった表現の放送が流れてくるのだから、ステンレスの特急気動車の方に違和感を覚えるほどだ。


▲札幌とも24時間でお別れ


▲通勤電車から望む雪原


▲札沼線から移籍してきたPDC


▲古き良き雰囲気残す登別駅ホーム


▲凍結した道を事もなげに走るバス


▲センターで長靴を借りた



▲白く覆われた北の地獄

 登別駅から登別温泉へは道南バスが頻発しており、公共交通の旅にも便利だ。中国人観光客の姿もあり、北海道の中国人旅行者といえば団体のイメージだったのだが、個人旅行へシフトしているのかもしれない。九州における韓国人も同様だ。コチコチに凍結した道を、こともなげに快走する北国のバス運転士の技量には、毎度感心させられる。登別温泉を前に民謡が流れ始め、観光地らしい雰囲気を盛り上げた。

 登別温泉の観光案内所で日帰り入浴のできる施設を尋ねれば、午後からというところが多く、ではまず昼ごはんと観光だ。蕎麦屋やレストランがいくつか開いていたが、昨日の一杯で札幌ラーメンを判断していいものかという迷いから、ラーメン屋に入った。観光地だけにさしたる期待もしていなかったが、ここは口に合った。

 間欠泉を横目に、湯澤神社にも立ち寄って、地獄谷へ。レストハウスで、雪道用の長靴を貸してくれるというので、素直に甘えた。これが大正解で、すべらないし温かい。多賀城で買っては早すぎただろうが、もう少し北までがまんして、長靴を買えばよかったかなと思う。明日、明後日の東京で恥ずかしい思いはしただろうけど。

 「地獄」は九州各地にもあるが、雪景色の地獄は新鮮でもあるし、地獄らしい荒々しさを覆い隠してるとも感じられる。高台に登れば踏む人のない新雪が広がり、長靴の威力で遠慮なく踏みしめた。冬のソナタのようだが、隣にいるのはチェ・ジウなんかではなく、ザキである。

 冷え切った体を温めるべく、ホテルゆもと登別へ。千円の入浴料はいい値段だが、新春特別企画で一二〇〇円のランチ・入浴セットの看板が出ていたのを発見した時には、あちゃあな気分であった。サッポロビール園といい、正月にサービスしてくれる土地だ。行きにも歩いたはずの場所だが、注意力が足りなかった。

 札幌ラーメンのイメージを修正できたからいいよねと自分を慰めつつ、冷え切った体を温めれば細かいことを忘れ、極楽極楽。硫黄泉と酸性泉の二種類の源泉があり、まったく性質の異なる温泉を同時に楽しめるのは、お得なような、不思議なような気分ではある。露天風呂はごく小さいものだったが、極寒の空気と温泉もまた気持ちよかった。


室蘭グルメを味わう

 帰路のバスは大混雑で、飲みかけのサッポロクラシックを手に、ドアの前で耐えた。登別での列車の接続は所定でも数分しかなく、バスが到着した時はすでに発車一分前。まず間に合わないと思ったが、列車の方が遅れており救われた。

 室蘭行きの列車はキハ40系で、これも国鉄の雰囲気が濃い車両。濃紺の座席に収まり、四十分ばかりの汽車の旅を楽しむ。室蘭着、十五時過ぎ。

 室蘭駅に来たのは十五年ぶり。古びた駅舎は、こざっぱりした新駅舎に移転していた。元の駅舎は元の場所に残り、観光案内所になっているとのことで、雪道を歩き訪ねてみた。風格ある駅舎はガランとしており、駅はやはり列車が発着してこそのものとは思うが、残してくれただけでも嬉しい。

 工業都市のイメージが強い室蘭だが、観光にも力を入れているようで、景勝地や、ブームになりつつある「工場夜景」を売出し中のようだ。とはいえ工場夜景には早いし、この寒さの中バスに乗って岬を目指すのもな思っていると、焼き鳥のポスターが。我が久留米は、焼き鳥屋の多さではトップレベルで「日本一宣言」までしたが、今治や室蘭ともその数を競っていると、以前聞いたことがある。さっそく案内所で焼き鳥屋マップのようなものはないのかと聞いてみたが、焼き鳥に特化したものはなく、ランチマップをくれた。このあたりは、久留米も似たようなものである。

 まだ焼き鳥にも早い時間なので、室蘭の街中をひとめぐり。中心部は東室蘭のようで、室蘭駅周辺は静かなものだった。アーケードも撤去されたようで、活気には乏しい。やはり歩くのも十分が限度で、雰囲気のいい喫茶店を見つけて飛び込んだ。よほど凍えた体に見えたのか、出る時には「温まりました?」と声を掛けて頂いた。北のカフェは、心まで温かくしてくれる。

 東室蘭までは、特急「すずらん」の格落ち普通電車に乗った。飴色の照明に包まれた紫色のリクライニングシートは、パスで乗るのが申し訳なくなるほどの豪華仕様だ。好んで普通列車の旅を嗜好しておきながら、特急電車に乗れると喜んでしまうのは、変だけど事実だ。

 東室蘭着。丸一週間に渡って活躍した東日本&北海道パスも、ここでお勤め終了である。よく働いてくれた成果を計算すると、通常運賃で乗ったとすれば二万八千五百円! 切符代の三倍近く乗ったことになる。もっとガツガツ列車に乗ればいくらでも「稼げる」のだろうが、沿線もしっかり歩いてこの成果なのだから、上々だろう。


▲国鉄形気動車で室蘭へ


▲観光案内所として残された旧室蘭駅舎


▲コンビニは節電営業中


▲東室蘭までは、大手を振って「すずらん」に乗車


▲零下8度近くまで下降



▲こちらもうまい!室蘭やきとり

 焼き鳥の前に、長い夜汽車の旅を楽しむアイテム…酒と肴を求めて、街へ歩き出した。北日本ではメジャーなツルハドラッグに入ってみたものの、めぼしいものはなし。凍えながら、中心市街地の中島地区に着くと、温度計が零下7・8度を示していた。もはや九州人の温感にはない域である。長崎屋に入れば、小樽や室蘭の「地ワイン」が並び、地元乳業のカマンベールや三袋で五百円という札幌の会社の乾き物もあって、充実した買い物になった。コアップガラナやサッポロリボン、いろはすハスカップと北海道限定の飲料も買い込み、しめて三六四四円。本当に全部、食べつくせるのだろうか。

 大変な重さになってしまったし、寒さに耐えられそうもないので、駅まではタクシーに乗った。初乗り四八〇円と安く、しかもメーターが上がらぬまま駅まで着いてしまったのだから、申し訳ないくらいだ。凍結した道でタクシーはお尻を振りヒヤリとするが、北国のプロドライバーにとって、振られるくらいは計算済みのようだった。

 重い買い物袋を手に、駅前をぐるりと回ってみれば、焼き鳥の看板がいくつか見えた。飲食店の数そのものが少ない駅前で、割合で言えば確かに焼き鳥屋が多い。しかしピンと来る店はなく、駅まで戻りかけたところで、北国らしい丸い切妻屋根の建物に灯る「焼きとり 鳥きよ」の看板を見つけた。ザキとも間違いなかろうと目を合わせ、扉を開けた。

 まず目に入ったのはカラオケで、カウンターの中には「ママ」が待っていて、店を間違えたかなと思ったが、よく見れば炭火が焚かれてて、間違いなく焼き鳥屋らしい。スナック風になっているのはここくらいで、室蘭の標準的な焼き鳥屋スタイルというわけではないそうだ。

 お通しは、ボリュームある煮つけ。豚バラを焼き鳥と称するのは久留米と同じで、五本五百円という値段も、久留米の安い店並みである。急に親近感が沸く。しかし秘伝という甘めのタレが、久留米とは一味違って、こちらもおいしい。サッポロ黒とも、よく合う。ラムも、独特の匂いが臭味ではなく風味と感じられ、よかった。

 室蘭の観光案内所では市内の有名店の名を挙げていたが、カウンターのキープには市長や観光協会会長の名前もあり、知る人ぞ知る店のようだ。わずか一時間だったけど、室蘭という街が好きになり、北斗星さえ運休になればゆっくりできるのにと思うほど。また来ますと、千五百円ずつを置いて雪の街に歩き出した。

 丸二日、予定も想定もない自由時間だったが、思いのほかたくさんの収穫と、発見の喜びがあった。長旅には、こんな時間も必要である。


「呑み鉄」二人旅

 駅に戻ってみれば、北斗星は二十分遅れとのことで、それじゃあもう少しゆっくりすればよかったとは思うが、何事も余裕が肝心である。駅の自由通路は線路を見渡せるようになっていて、鉄っちゃんには楽しいが、さすがに冷えている。

 予告通り二十分遅れで、重連のディーゼル機関車に引かれた「北斗星」が入線してきた。ロビー室や食堂車の温かい光が流れ、旅心をくすぐられる。僕にとってはあまりない二人旅なので、デュエット個室を取ろうと頑張ったのだが、あえなく敗北。旅行中もキャンセルを狙いずっと窓口に通い続けていたのだが、ついに取れることはなかった。B寝台の上段だが、乗れるだけでもよしとしなければ。

 下段寝台はすでにカーテンが引かれていて、上段の僕らは居場所がない。せめて宵の口まではカーテンを閉めず、座れるようにしておくのが下段のマナーでもあると思うのだが。

 まずは車内をひとめぐり。隣の車両は苦戦の末取れなかった個室デュエットで、空いている部屋が多い。このまま空いているのなら、車掌に頼み込んで引っ越したいところだが、函館から乗ってくる人が多いのだろう。B寝台と同じ料金ながら、自分の空間が確保できて、B寝台上段より居心地はよさそう。マサキさんが取りたかったのは分かる、取れなかったのも分かると、ザキは適切な評を下した。

 最上級個室のロイヤルも、主のいない一室があり、ザキは羨ましそうにのぞく。ソロやツインデラックスなど個室の種類はバラエティがあり、JR北海道と東日本所属の車両が半々に分かれていることから、同じ種類の個室でもかなりレイアウトが違う。シーズンオフなら、好みに合わせて選ぶのもいい。食堂車ではディナータイムが始まっていて、雰囲気を壊さないよう、明朝使うシャワーカードを静かにクルーから買った。

 ごっそり買い出した「燃料」はロビーで飲もうと思っていたが、あの大きな買い物袋を提げて食堂車を通るのも申し訳ない、せめて目方を減らそうと、まずは一次会を上段寝台で催す。いや、焼き鳥を一次会にカウントすれば二次会か。サッポロクラシックで乾杯、札幌の会社の帆立燻製と鮭フライを空けた。新鮮な北の幸で作っただけあり、うまい気がする。寝台車での酒宴も、夜汽車の醍醐味だ。


▲東室蘭駅に「今宵の宿」が入ってくる


▲乗れなかったデュエット個室


▲ロビー室は車内の社交場


▲函館停車中の食堂車


▲食堂車のパブタイムメニュー



▲ニッカを傾けながら

 ワインとチーズなら、食堂車を通り抜けてもいいだろうという勝手な基準で、メインディッシュ中の食堂車を抜けてロビー室で三次会。前回乗った四年前には常連さんと意気投合して、食堂車からどんどんワインを買ってきて空けた、思い出の車両でもある。室蘭ワインはカマンベールとよく合い、地酒でもワインでも、やはり地のものに合わせるべきと思う。流れる駅の夜景がなによりの御馳走で、ラウンジ北斗星の時間はゆったりと過ぎていった。

 二十一時を前に、ロビーには人が増えてきた。二十一時を過ぎてしばし、隣の食堂車からパブタイム開始の声がかり、これを待つ人たちだったのだ。ロビー室は食堂車の待合室でもあり、車内放送での呼びかけを前にロビーに声を掛けるのが「お約束」なのだろう。ディナーは予約制だが、パブタイムは予約不要。アラカルトはもちろん、コース料理もある。食堂車で食べる前提で夕食を抜いてきてもよかったのだが、列車が満席では食事にありつけない可能性もある。飢餓列車になってはかなわないので、きちんとお腹は満たしてきた次第。実際のところは、相席さえいとわなければ全員が席につくことができた。

 ニッカウヰスキーをチビチビ割りながら、温かいパスタやピザ、シチューを口に運ぶ。列車はいつしか函館に着いており、向きを変えて津軽海峡線へ。窓には、函館湾の向こう側に函館の夜景が広がる。クラシックの調べに、車輪の音が連動するのは食堂車ならでは。振動で、アルコールが心地よく回っていく。

 周りの席には、一人客も目立つ。一人用個室も多く、食堂車のお一人様でも浮かない北斗星は、一人旅の強い味方だ。二人用A寝台個室オンリーのカシオペアとは対極ともいえ、老朽化は見られるが末永く走り続けてほしい列車である。食堂車のクルーはフレンドリー。家族連れの子どもに「普通のおじさん」と何度も言われ、ショックだなあと言いつつ、笑顔を絶やさない。

 へべれけでロビー室に戻り、小樽ワインのハーフボトルで最後の五次会。青函トンネルの通過を見届けようと席を移ったようなのだが、ほとんど記憶にない。後からデジカメを見たら、ここが最深部だ、ここが海底駅だと大騒ぎする自分の声が残っていた。周囲にご迷惑を掛けていなかったか、今もって心配である。

▽8日目に続く
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