六時半に起きて、前夜かけていた洗濯乾燥機から洗濯物を出して整理していたところ、オーストラリアの三人組は早くもニセコに出発していった。こちらはゆっくり、ロビーでパンとコーヒーを頂き、八時に出発。世間では仕事始めになった一月四日、地下鉄は通勤客で混み合うが、僕とザキはお休みを頂いている。慌ただしく動き出しているであろう職場を思い出し、少し憂鬱な気分になりつつも、雑念を打ち消す。
今日は、寝台特急北斗星に乗るまでフリータイム。まずは登別温泉を目指すべく、新千歳空港行き快速エアポートに乗り込んだ。帰省ラッシュの続きで空港行きの乗客が多く、北広島や千歳といった沿線都市の足ともなるエアポートは、いつも混んでいる印象がある。最高時速一三〇キロと足は速く、のびやかな大地をすべるように駆けていく。飛行機に頼らざるを得ない旅行でも、札幌〜新千歳間で充分に北海道「らしさ」は感じられると思う。
恵庭駅の名にザキが反応、駅名板をシャッターに収めた。なんでも恵庭事件なる、判例が有名な事件があるらしく、法学部卒のザキとしては聞きなれた地名らしい。判例から全国各地の地名は明るいのだろうが、それが具体的にどこかまで知っている必要はないようで、「ここがあの恵庭か!」という気持ちになるもののようだ。
南千歳駅で、苫小牧行き普通電車に乗り換え。防寒対策としてデッキ付きが常識の北国の列車にあって、三扉、ロングシートという純通勤型の車両だ。登場時は話題を振りまいたものだが、今や札幌通勤圏の重要な輸送力列車になっている。ただ東北で見られるような、ボタン式のドア扱いが見られないのは腑に落ちない。扉が開いている時にはエアカーテンが作動するものの、それとて万全ではない。仙台都市圏でできることが、札幌都市圏でできないことはないと思うのだが。
苫小牧からの普通列車は、キハ141系気動車だった。昨年までは学研都市線で活躍していた車両なのだが、同線の電化開業とともに苫小牧〜室蘭間に移籍してきた。以前は「赤い電車」こと711系が走っていて、汽車の香りがする好きな電車だったのだが、置き換わってしまった。電化区間なのに、電車をディーゼルカーに置き換えるとは逆行したような形だが、JR北海道全体で節電の効果はあるかも。三両から二両に短くなり、ワンマン運転も始まっている。
とはいえこの車両も、50系客車にエンジンを載せた通称PDCと呼ばれるユニークなもので、狭い二重窓は北海道の車両らしさも感じる。一大勢力を築いた50系客車自体も、オリジナルの車両は現存せず、原型に近いキハ141系は貴重な存在といえるかもしれない。
左手には穏やかな太平洋、右手には牧場が広がり、穏やかな風景に悪天候の予報を忘れてしまいそうだ。苫小牧駒沢大は平原の中にあり、これはスポーツに打ち込むしかないなどと、失礼なことを語り合う。萩野駅前にそびえるのは、日本製紙の工場。匂いが少し車内に漂ってくる。社会科の教科書で学んだことを実地で復習するのも、旅行の楽しみだ。
登別駅で下車。昔ながらの大きな駅といった雰囲気で、ホーム上には洗面台の跡が残る。北海道に来ると、古きよき時代の香りが残る駅が多い。そこに「特急」ではなく、「特別急行」などと時代がかった表現の放送が流れてくるのだから、ステンレスの特急気動車の方に違和感を覚えるほどだ。
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▲札幌とも24時間でお別れ
▲通勤電車から望む雪原
▲札沼線から移籍してきたPDC
▲古き良き雰囲気残す登別駅ホーム
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