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4日目【1月1日】
東北で迎えた日本の正月

唐桑→気仙沼→一ノ関→平泉→遠野



初日の出、初詣

 昨夜は遅かったが、六時には起床。初日の出を見られるようにと選んだ太平洋岸の年越し、見逃すわけにはいかない。昨日は、初日の出は微妙との予報が出ていたのだが、空を見上げれば雲には切れ目がある。望みを託して、ご近所で避難生活を送る自称「被災者」さんの車に乗り込んだ。道路は凍結している所もあるが、地元の方の運転ならば大丈夫だろう。

 十分ちょっとで、景勝地の折石に到着。海の中から蝋燭のように垂直に立った岩で、華奢に見えるが津波にびくともしなかった。長い歳月で築かれてきた自然景観が、一度の津波で変わってしまうことはないのだ。

 展望台には、すでに地元の方が二十人ほど集まっていた。海面近くに雲がただようが、最も赤く染まっている部分だけは雲が切れている。これならばと、期待をかける。太平洋の赤みは次第に増してきて、赤い点のような太陽が姿を現した。じわりじわりと登って行く太陽に、手を合わせ、一年の幸せと、一歩でも復興が前に進むように願った。

 YHの前を通過し、半島突端の御崎神社へ。さっそくの初詣で、新年早々すがすがしい気分だ。地元の若者も、歩きで大勢訪れていて、いい雰囲気。友人同士で初日の出を見て、初詣に行くのが習わしなのだろうか。大変な試練は経験したけど、何となくこの地の将来は大丈夫だと感じた。引いたおみくじの「中吉」という結果はともかくとして、『旅行』に「控えて吉 利なし」とあるのには参る。今まさに、旅行先にいるのだが。

 YHに戻れば、カズノコ付の朝ごはんと、焼き餅が待っていた。日本の正月だ。テレビではお笑い芸人が馬鹿騒ぎしているが、平和だからこそ許される娯楽である。平穏、平和がどれだけありがたく、どれだけの奇跡に支えられたものか感じさせられたこの二年だった。

 次のバスは九時四三分発なので、ゆっくりと準備。若きシンガーソングライターは、名古屋人氏の港掃除のボランティアに同行するとのことで、宿で長靴と道具を借りて出陣していった。夢を実現するまで、壁はいくつもあるのだろうけど、この行動力ならきっとかなえられるだろう。小さな背中を見送りながら、そう思った。


▲初日の出を、折石とともに


▲御崎神社で初詣


▲鹿折に残る震災遺構

▲カラーもそのままに復興支援中の都営バス


▲港町の活気は取り戻しつつある



▲こぎれいに改装された気仙沼駅

 蝦夷狩(すごい名前だ)から市内方面のバスは、都営バスの車両だった。車体だけでなく、色もグリーンの都営カラーのままである。三陸沿岸のバス会社は津波で多くのバスを流されており、都営バスの中古車が五十台、無償譲渡されたと聞く。昨夜は真っ暗で見えなかった車窓だが、穏やかな太平洋を眺めながらのバス旅になった。三陸の海の美しさは、どこも息をのむようだ。

 しかし鹿折地区に入ると、震災の爪痕が生々しく残る。津波だけではなく、その後の火災の被害も大きかった地域で、バス通り沿いの家々が消滅してしまっている。基礎が残る住宅街のど真ん中に居座るのが、津波に打ち上げられた大型漁船・第十八共徳丸だ。震災遺構の一つで、今日も車を止めて写真を撮る人の姿が見られた。ここも、保存と解体で意見が分かれている。

 バスは気仙沼駅前まで入らず、昨日と同じ魚町一丁目で下車。列車までは時間があるので、昨日歩いた街をもう一巡りしてみた。引き潮の時間になっており、街から水が引いた状態。「グラウンド0」と名付けられたモニュメントも、昨日は島のようになっていたのに、今日は地面の上だ。震災当日のニュースでも流れていた市営駐車場は、津波の衝撃で老朽化したのか、年度末を工期に解体工事が進んでいた。

 駅に向かう途中、東北のエリア誌「河北新報」の自販機があったので、正月版を買ってみた。昨年の正月版は各誌とも「復興元年」の字が飾っていたが、今年の河北新報は「防災元年」。「伝え、備え 報いる」とは、重くも大切な課題だ。東北だけでなく、防災モデルとして全国に訴えていってほしい。

 気仙沼からは大船渡線で、一ノ関に抜ける。大船渡線は、沿岸部の気仙沼〜盛間が不通だが、内陸を走る気仙沼〜一ノ関間は通常通り運行中。快速「スーパードラゴン」も走っている。十二月には観光振興の一環で「ポケモン列車」が走り始めたが、時間が合わず普通列車となった。車両は、キハ100系の一次型車両。最近の車両に比べて座席のクッションが厚く、お気に入りの車両の一つである。

 初めて乗る路線なので景色を楽しみたかったのだが、年越しの寝不足でうつらうつら。石灰の山が見える…ドラゴンレールとはよく言ったもので、大きく線路が迂回しているのか、太陽の位置が変わる…といった記憶が、断片的に残るだけの大船渡線だった。


神々のご加護か

 一ノ関では、約一時間の乗り継ぎタイム。ちょうどお昼時だ。御馳走ばかりで胃も悲鳴を上げており、ザキ共々「ふつうのご飯」を求めていたのだが、駅横のチェーンの居酒屋がランチ営業しているのを見て、飛び込んだ。ご飯に汁物とおかずという組み合わせに、ほっと一安心する。

 東北本線の下り電車に乗り、平泉へ。昨年は年を越した思い出の場所だが、昼に行けばまた違った表情を見られるかと思い、一年ぶりの再訪を期した。旅行シーズンには新幹線で来る人向けに、一ノ関〜平泉間に「平泉リレー号」が走っているのだが、初詣シーズンにはなぜか姿を見せない。一ノ関〜盛岡間の快速「ジパング平泉」号も、一日二往復に留まる。この調子じゃ普通列車は混雑するぞと思っていたが、定期の普通列車は、二両にも関わらず空席もチラホラ見られた。電車で初詣という習慣がないのか、それとも世界遺産ブームも落ち着いてきたのだろうか。

 平泉駅に着くと、中尊寺行きのシャトルバスが待っていたのは拾い物だった。平泉周辺を走るコミュニティバスは年末年始運休と聞いており、歩くほかないと思っていたからだ。ところが乗り込んでも、なかなか発車しない。列車に接続しているわけではなく、十五分間隔の運行なのだ。東北本線の列車はせいぜい一時間に一〜二本なのだから、例えば列車到着の五分後に出るといったダイヤが組めないものだろうか。

 さすが地元バス会社で、混雑する国道ではなく裏道を経由して、渋滞の影響を受けずに中尊寺の入口に到着。電車は空いていたが、さすがに人出は多く、本堂への道は大混雑だ。今年も天気に恵まれたのは幸運で、凍った足元に注意しながら山を登った。木々の間からは、日本の原風景のような田園風景。去年は闇の中で、勝手に山奥のような景色を想像していただけに、正しい風景に修正できてよかった。

 本堂に手を合わせた後は、今年二度目のおみくじを引いてみる。結果、末吉。あまり多くを望んではいけない一年のようだ。五百円也の拝観料を払って、金色堂へ。去年は年明けすぐということで無料拝観だった代わりに、四十分待ち、二十秒参拝という、ジャイアントパンダかモナリザの観覧を思い出す展開だった。今年は有料だったけど、急かされることなくじっくり対面。道沿いのお店で買った弁慶餅をほおばり、東北の新年を味わう。

 駅に近い毛越寺へは、渋滞にはまりそうなバスを避けて、タクシーを捕まえた。二人旅だと、タクシー代の負担も分け合えるのはありがたい。地元に通じたタクシーだと、観光ガイドを聞くこともできる。

 毛越寺は無料拝観になっていて、本堂から大泉が池を散策。もう寒さには慣れたのだが、凍てつく大泉が池を見て、今自分が零下の世界にいることを実感する。隣接する舞鶴が池を見ていれば、山は夕陽に赤く染まり始めた。とはいえ時間はまだ四時。東北の冬、昼間はかように短い。


▲中尊寺


▲凍てつく毛越寺の池


▲お正月は拝観料無料


▲ヨーロッパの田舎の駅のようと評される遠野駅


▲こんなかわいい手作りの飾り付けも



▲お値打ちだった「あえりあ」のコース料理
 駅に戻れば初詣から帰る人も増える時間帯で、電車も座れるか気を揉んだが、四両編成だったおかげでゆっくり座れた。ちなみに一時間前には、窓を向いた座席が特徴の快速「ジパング平泉」号も走っており、この電車に乗るようプランニングしていたのだが、世界遺産への初詣をゆっくり過ごすことを優先した。昔の僕ならば絶対に列車優先にしたと思うが、思考と嗜好の変化だろうか。ジパング号のポスターを見たザキは「これ、乗りたかったっすね!」と言っている。もう立派な鉄っちゃんだ。

 花巻で釜石線の快速「はまゆり」に乗り換え。二〇〇二年までは急行「陸中」として走っていたが、車両はそのままに快速格下げになったおかげで、僕ら格安きっぷ派にも身近な存在になった。急行向けのリクライニングシートに乗ってみたくて、指定券五一〇円を投じたが、自由席も同じ座席だった。キハ110系はJR世代の車両とはいえ、もう二十年選手。創生期の車両らしく、座席やトイレの造りの「ごつさ」に少し国鉄臭さも感じる。「急行」という列車種別そのものも、過去帳入り目前である。

 リクライニングシートでくつろぐこと一時間、遠野着。今日の泊りは駅のプチホテル、フォルクローロ遠野である。石造りの重厚な駅舎の二階にあるホテルで、一度泊まってみたいと思っていた。ツインルームしかなく、シングルユースもシーズンは割高なので、今回のような二人旅の機会は逃せない。一泊朝食付11,760円は、この旅で一番「豪華」な宿である。ゆったりした部屋にベッド、窓の外には雪に覆われた駅前広場。居心地も環境も、すこぶる良好だ。

 正月の小都市とあって、飲食店はほとんど開いてないとの事前情報を得て非常食は買っておいたが、ダメもとで街へ出てみた。深夜の装いのような駅前通りを歩いていると、山へ灯篭の明かりが続いているのが見える。吸い寄せられるように登った先は南部神社で、人っ子一人いない夜の神社の雰囲気も、静かな遠野の夜景もよかった。

 光に吸い寄せられたおかげで、麓の高級ホテルのレストランを見つけたのはめっけもの。バックパッカーまがいの男二人組が歓迎されていないのは分かったけど、旅の恥はかき捨てである。しかし二千百円のコースは、地元の食材を使ったもので、地酒の濁り酒も交えて満足できた。これも神のご加護だろうか。

 広めのベッドに倒れこみ、二〇一三年の初日は更けていった。

▽5日目に続く
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