▲気仙沼線の当面の終着駅、柳津
▲BRTは跨線橋を渡り、駅前から乗車
▲大きな被害を受けた気仙沼線は手つかず
▲おしゃれな新交通の駅といった雰囲気の志津川駅舎
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石巻線で来た道を戻り、石巻駅でザキと合流。津波被害からの復旧を終え、十一月に再開したばかりの石ノ森漫画館に行ってきたようで、漫画の持つ力の大きさを感じ、石巻の復興を確信したとのこと。僕は今回も見ることができなかったが、さらなるリニューアルの計画もあるようなので、再訪してみよう。
前谷地駅で、気仙沼線に乗り換え。一両のワンマンカーは、遅めの帰省客で混み合っていたが、途中駅で降りる乗客が多かった。現在の終着駅、柳津まで乗り通したのは、十数人といったところだ。
柳津〜気仙沼間は津波の被害を受けて不通になっており、長らく地元バス会社への振り替え輸送が行われていた。JRの代行バスに切り替わったのが八月。中古バスを使用し、一部区間の線路敷をバス専用道に変えての「暫定運行」という位置付けだった。
そして九日前の一二月二二日には、専用道の延長と低床バスの導入で、本格的に「BRT」としての営業をスタートさせている。地元自治体とJRの間では、沿線の復興計画がまとまり、鉄路による気仙沼線復旧がかなうまでの「仮復旧」という位置付けで合意されているが、さてどう走っていくのか。茨城、福島で見てきたBRTの状況と照らし合わせてみながら、気仙沼まで乗りとおしてみよう。
柳津駅は島式ホームで、駅前に発着するバスに乗るためには跨線橋を上り下りしなければならない。接続時間は三分。先々の復旧が確約された代行バスなら仕方ないかもしれないが、今後長きに渡るものと思われるBRTなのだから、スムーズな乗り継ぎができるような改善が必要だ。列車ホームの真横にバスが乗り入れられればベストだが、平面移動で駅前に行けるような通路を設けるくらい、すぐにでもできそうである。
真新しい赤いバスは、低床、ハイブリット式の最新鋭車両。車体には沿線自治体の「ゆるキャラ」が踊り、明るい雰囲気だ。低床バスだから乗降もラクで、車内には運行情報や最新ニュースを表示するテレビモニタも搭載されている。ローカルバスとしてはもちろん、都市のバスと比べても最先端のサービスと言える。ただ、各地の代行バスに比べれば座席数は半分にも満たず、乗りとおせば二時間かかる路線の車両として適当なのかとの疑問はある。
BRTといえども、専用道区間は五キロにも満たず、ほとんどは一般道を走行する。路盤は地震の影響ででこぼこの所が多く、運転士から注意を促す放送があった。
一駅目の陸前横山駅までは、特に変わったところが見られなかったが、二駅目の陸前戸倉駅付近からは、まだ山間なのに津波の痕跡がはっきりと残る。気仙沼線も築堤が流され、擁壁は倒れた状態のままだ。内陸奥深くまで、相当な破壊力を持って津波が侵入してきたことが分かった。
海沿いに出ればさらに悲惨な光景になり、気仙沼線も鉄橋そのものが流出してしまっている。高台に登れば、青空を映す穏やかな三陸の海。その繰り返しに、心も穏やかさとさざめきを繰り返す。
バスは南三陸町・志津川に入った。報道でも頻繁に接した、甚大な被害となった街である。ところどころに、鉄骨の骨組みだけをさらす建物が残るだけで、市街地と呼べるものはすべて流されてしまった。志津川駅も同様で、バスは駅前広場跡を通過して内陸に折れた。BRT化とともに駅の位置が変わったとのこと。仮設商店街の「南三陸さんさん商店街」の真横にある、新しい志津川駅に到着、下車する。BRTも、「東日本&北海道パス」を始め、各種フリーパスが通用する。
新しい志津川駅舎は、津波浸水域なので仮設建物という位置付けのはずだが、それとは感じさせない立派なものだった。円形、ガラス張りのデザインは近未来的で、低床バスが発着する様子は、新しい交通システムであることを感じさせる。空調の効いた待合室があり、駅員さんも常駐。改札口の上には運行情報が表示されている。JR東日本の意気込みが伝わると同時に、これで満足してほしいとの気持ちも垣間見えた。
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