▲茨城空港は震災で落下した天井を撤去したまま
▲石岡南台「駅」バス停
▲跨線橋には「みんなのバス」のキャッチ、工事看板にはBRT
▲上屋工事中の南台「駅」にバスが来る
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四箇村駅で専用道は終わるが、線路跡は続いていており、この先小川駅までの延伸計画があるとのこと。一般道に入ったバスは、水を得た魚のごとくスピードを上げた。これなら最初から一般道を走った方が早いのではと思うが、朝夕の渋滞はかなり激しいらしく、専用道はかしてつバスの定時性向上に大いに役立っているとのことだ。走りが快調なのはいいけど、制限速度四〇キロの狭い小川駅前通りを、五五キロで飛ばすのはどうかと…。さらにバスの利用調査を行っているのか、運転士さんが乗降客数をメモしていたのだが、運転しながらメモをしているものだから、バスがふらついて怖さを感じた。
立派な空港道路を走り、石岡駅から三十五分で茨城空港着。当初は本数の少なさが話題になった空港だが、現在は千歳、神戸への毎日各二便に加え、上海線も一便があり、帰省ラッシュの時期とあってターミナルは賑わっていた。国内線はスカイマーク、上海線は春秋航空と、格安航空会社の専用空港という趣である。ビル内の中国語表記が充実しているのはもちろんだが、ハングル表記も目立っており、LCCが競う韓国線の就航も目論んでいるのかもしれない。ターミナルビルはコンパクトで、地方都市のターミナル駅といった規模だが、乗客にとっては歩く距離が短くありがたい。
帰路のバスは、都バススタイルのバスだった。僕一人だけを乗せ、空港を出発。途中のバス停で若い男性が乗り込んできたのだが、整理券を取らなかったものだから、運転士さんが「券取って!」と注意した。男性はキョトンとした様子で、たどたどしい日本語で「僕、ベトナム人で…」と語る。語学力がないのは雰囲気で分かるのに、
「ベトナム人かなんか知らないけど、整理券なきゃどこから乗ったか分からないでしょ!」
とひどい言い方だ。まったく通じていないようなので、出入口に行って整理券を取り渡してあげたのだが、本来運転士さんがすべき仕事をやった僕に対しても、一言もなし。言葉に不自由な外国人旅行者も多い路線だろうに、こんな接客では茨城、いや日本の印象に関わってしまう。
専用道上のバス停、石岡南台駅で下車。駅跡に設けられたバス停には「駅」の名前を残しており、ユニークだ。一九八九年開業と比較的新しかった駅の施設は立派で、ホームやRC造の跨線橋が残っている。ホームの一部を壊して上屋を設置する工事が進んでおり、工事看板に記載された発注者は石岡市長。道路は行政の持ち物で、運行は民間の関鉄グリーンバスが担う、いわゆる「上下分離」の方式を取っているのである。関鉄グリーンバスは、かしてつバスをBRT(バス高速輸送システム)と称していないが、工事名称は「H24BRTバスシェルター設置工事」となっていた。
「駅前」に広がる南台団地は、道路の歩車分離が図られており、計画的に作られた住宅団地である。駅も団地の玄関口として計画されたはずで、街の顔ともいえる場所に公共交通機関が来なくなったのは痛手だっただろう。南台周辺は並行する道路と離れていて、バスを団地に寄らせても時間がかかるし、かといって団地方面のバスを別系統で運行するほどの需要もなかろう。団地と駅をストレートに結ぶルートを確保することも、専用道整備の動機だったに違いない。
後続のバスは鹿島鉄道の代替系統で、低床・銀色ボディの新型バスだった。新しいバスシステムにふさわしいデザインだが、シンボルマークには平仮名の「か」をあしらっていて、親しみやすい印象を受けた。
石岡駅着。まずは順調に運行されているようで、BRTのよき先行事例となりそうだったけど、バス道路の優先化で、もう少し早く走れないかなとの印象は残った。改良を重ねて、よりよいバスに成長するように願っている。できれば、接客の面でも。
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