▲TOP ▲鉄道ジャーニー
0日目1日目2日目3日目4日目5日目6日目7日目8日目9日目

1日目【12月29日】
茨城と福島・新旧BRT乗り比べ

南千住→茨城空港→水戸→棚倉→郡山



「かしてつバス」で話題の新空港へ

 昨日までの仕事疲れは抜けきれず、寝不足で六時二十分に目覚めた、実質的な一日目。高層マンションが並びながらも、日本家屋が密集し、路地裏には純関東スタイルの銭湯がある下町を歩いて、南千住駅へ向かった。時間に余裕ができたので、駅前のバーガーキングで朝食。韓国留学中は何度か行ったバーガーキング、一時は日本から撤退していたが、近年は本州、北海道で復活してきているらしい。珍しさから入ってみたが、朝マックの方が好みだった。

 駅の自動券売機で、この旅行のうち七日間お世話になる切符を買った。その名も「東日本&北海道パス」。普通列車限定の乗り放題きっぷで、特急券を別買いしても特急には乗れないのは「青春18きっぷ」と同じである。青春18きっぷのように日付をバラして使えない代わりに、七日間で一万円と安い。自動改札機が使えたり、一部の私鉄にも乗れたりといったメリットもあり、昨年に続き二度目の利用になる。

 トップランナーの常磐線快速は、僕は一時間半、別行動で先を目指すザキは二時間超の乗車になるので、グリーン車をおごってみた。休日料金七五〇円で確保できる、快適な時間である。二階席に座り、少し高い視線で車窓を楽しむ。茨城県に入ると、屋根にビニールシートをかけた家が目立ち始めた。昨年よりだいぶ減ったように感じるが、瓦不足はなお続いているようだ。
 「レンコン畑ですね」。
 車窓に映る畑を見て、ザキが言う。あまり僕の視線が向かない対象で、二人旅だと新鮮な視点が手に入る。
 「あ、巨大なセブンイレブン!」
 ザキよ、セブン&アイの「アイ」が意味するところを知ってるかい?

 関東圏の普通列車のグリーン車にはアテンダントが乗っていて、グリーン券の発券や車内改札を行っているのだが、多くの乗客はグリーン車Suicaシステムを使っているので、検札を行うことは少ない。余裕のある時は車内販売も行っていて、普通列車といえども旅行気分が盛り上がる。讃岐うどんの車内販売が回り、なぜかと思っていたら、到着した駅が佐貫(さぬき)。洒落がきく常磐線である。

 ザキを残し、僕は石岡駅で下車。鉾田へ向かう鹿島鉄道が分岐していたのも今は昔、二〇〇七年に廃線となって約五年が経過した。ところが鹿島鉄道の廃線跡の一部は石岡市の手で舗装され、二〇一〇年にバス専用道に変わった。専用道を走るバスは、通称「かしてつバス」と呼ばれている。

 かしてつバスは旧鹿島鉄道の代替バスだけではなく、話題の新空港・茨城空港へ分岐する路線があり、石岡九時一五分発の空港行きに乗り込んだ。新空港行きながら、木の床の懐かしい雰囲気のバスである。格安航空会社が就航する空港なので遠方からの利用も多く、Suicaは使えないのか、運賃は前払いではないのかと運転士さんは質問攻めにあっていた。元よりバスカードもなく、僕は千円なりの一日乗車券を買った。茨城空港まで単純往復するだけでモトが取れる。

 駅を出て踏切を渡ると、すぐに専用道の入口があり、遮断機が開いた。ゆるやかなカーブを描き、切り通しで突っ切る一車線の道路は、単線鉄道の雰囲気そのままである。ただ速度は三〇〜五〇キロ程度と、そんなに早いわけではない。ところどころに離合スペースがあり、一旦停止してバスがすれ違う。一時間あたり二〜四本のバスがあり、ローカルバスとしては頻度が高い。

 不思議なのは道路との交差部分、鉄道流に言えば踏切で、ほとんどの踏切で一般道側が優先になっている。バスは一旦停止を繰り返し、スピードは上がらず、乗り心地も悪い。この調子なので、石岡〜小川間では鉄道時代より五分、所要時間が伸びている。



▲すっかり新車に置き換わった常磐線快速


▲グリーン車でくつろぎのひととき


▲かしてつバス専用道の入口


▲離合スペースですれ違うバス)

▲茨城空港は震災で落下した天井を撤去したまま


▲石岡南台「駅」バス停


▲跨線橋には「みんなのバス」のキャッチ、工事看板にはBRT


▲上屋工事中の南台「駅」にバスが来る

 四箇村駅で専用道は終わるが、線路跡は続いていており、この先小川駅までの延伸計画があるとのこと。一般道に入ったバスは、水を得た魚のごとくスピードを上げた。これなら最初から一般道を走った方が早いのではと思うが、朝夕の渋滞はかなり激しいらしく、専用道はかしてつバスの定時性向上に大いに役立っているとのことだ。走りが快調なのはいいけど、制限速度四〇キロの狭い小川駅前通りを、五五キロで飛ばすのはどうかと…。さらにバスの利用調査を行っているのか、運転士さんが乗降客数をメモしていたのだが、運転しながらメモをしているものだから、バスがふらついて怖さを感じた。

 立派な空港道路を走り、石岡駅から三十五分で茨城空港着。当初は本数の少なさが話題になった空港だが、現在は千歳、神戸への毎日各二便に加え、上海線も一便があり、帰省ラッシュの時期とあってターミナルは賑わっていた。国内線はスカイマーク、上海線は春秋航空と、格安航空会社の専用空港という趣である。ビル内の中国語表記が充実しているのはもちろんだが、ハングル表記も目立っており、LCCが競う韓国線の就航も目論んでいるのかもしれない。ターミナルビルはコンパクトで、地方都市のターミナル駅といった規模だが、乗客にとっては歩く距離が短くありがたい。

 帰路のバスは、都バススタイルのバスだった。僕一人だけを乗せ、空港を出発。途中のバス停で若い男性が乗り込んできたのだが、整理券を取らなかったものだから、運転士さんが「券取って!」と注意した。男性はキョトンとした様子で、たどたどしい日本語で「僕、ベトナム人で…」と語る。語学力がないのは雰囲気で分かるのに、
 「ベトナム人かなんか知らないけど、整理券なきゃどこから乗ったか分からないでしょ!」
 とひどい言い方だ。まったく通じていないようなので、出入口に行って整理券を取り渡してあげたのだが、本来運転士さんがすべき仕事をやった僕に対しても、一言もなし。言葉に不自由な外国人旅行者も多い路線だろうに、こんな接客では茨城、いや日本の印象に関わってしまう。

 専用道上のバス停、石岡南台駅で下車。駅跡に設けられたバス停には「駅」の名前を残しており、ユニークだ。一九八九年開業と比較的新しかった駅の施設は立派で、ホームやRC造の跨線橋が残っている。ホームの一部を壊して上屋を設置する工事が進んでおり、工事看板に記載された発注者は石岡市長。道路は行政の持ち物で、運行は民間の関鉄グリーンバスが担う、いわゆる「上下分離」の方式を取っているのである。関鉄グリーンバスは、かしてつバスをBRT(バス高速輸送システム)と称していないが、工事名称は「H24BRTバスシェルター設置工事」となっていた。

 「駅前」に広がる南台団地は、道路の歩車分離が図られており、計画的に作られた住宅団地である。駅も団地の玄関口として計画されたはずで、街の顔ともいえる場所に公共交通機関が来なくなったのは痛手だっただろう。南台周辺は並行する道路と離れていて、バスを団地に寄らせても時間がかかるし、かといって団地方面のバスを別系統で運行するほどの需要もなかろう。団地と駅をストレートに結ぶルートを確保することも、専用道整備の動機だったに違いない。

 後続のバスは鹿島鉄道の代替系統で、低床・銀色ボディの新型バスだった。新しいバスシステムにふさわしいデザインだが、シンボルマークには平仮名の「か」をあしらっていて、親しみやすい印象を受けた。

 石岡駅着。まずは順調に運行されているようで、BRTのよき先行事例となりそうだったけど、バス道路の優先化で、もう少し早く走れないかなとの印象は残った。改良を重ねて、よりよいバスに成長するように願っている。できれば、接客の面でも。


奥久慈清流ラインを上る

  石岡から水戸までは三十分なので、普通席で我慢。ロングシート、4扉の車両は山手線のようで、旅気分が削がれてしまう電車ではある。十一両と長く、まだまだ東京の通勤圏らしい勢いはあるのだが、本数は三十分に一本と、さほど多いわけじゃない。

 水戸駅では時間もないので、ホームの立ち食い蕎麦を昼食にした。この店、去年も同じ日に来ており、店員さんもお客さんも感じのいい人が多かったことを覚えているのだが、一年を経ても同じ印象だった。

 水戸からは水郡線に乗り換え。非電化のローカル線だが、新型気動車のキハE130系は、新型電車と同じ造り。車掌乗務の列車でも放送は自動で、黒いつり革がぶらさがる車内は、東京圏の通勤電車の雰囲気である。三両ながら立つ人も多く、ローカル線らしくない。多くの人に頼られているのは、喜ばしいことではあるのだが。

 上菅谷駅では、向かい側のホームに止まっていた常陸太田行きに乗り換え。路線名は同じ水郡線で、支線の位置づけである。郡山方面からの列車からでも、構内踏切を通り上下移動なしで乗り換えられて、親切な構造。相互の接続は良好だ。

 小さな峠を越え、橋を渡りたどりついた終着駅は、バス路線も集うターミナル駅だった。自治体主導で整備したと思われる駅舎は明るく、清潔。本数が少なく待ち時間が長くなることも多い路線だが、待合室はお洒落な雰囲気だ。駅前広場も大きく、街の玄関として気合いを入れて整備した様子が伺える。駅前にこれといった見どころはなかったが、新しい銀行が明治時代のレンガ造建物を連想させるデザインになっていて、歴史的建築物を建て替えたものだったのかと想像した。地域経済の中心地だったのだろう。

 折り返し列車で上菅谷に戻り、郡山方面の列車に乗り換え。ひたちなか海浜鉄道に乗り、那珂湊の街と海鮮丼を楽しんできたザキと合流した。混雑は続き、ロングシートでじっと耐える。

 水郡線には、奥久慈清流ラインという愛称が付いており、下小川を出ると、その名の起源となった久慈川が路線に絡み始めた。清流の名に違わず、鮎の釣り場として有名で、沿線にはキャンプ場も見られる。滝や温泉なんかもあるようだ。山々は落葉樹ばかりで、向かいの席のおじさんによれば、紅葉も美しいとのこと。今日は乗り通すだけになったけど、季節を変えて乗って、沿線を歩いてみたい。

 車内の混雑は収まらず、帰省ラッシュ中とはいえ、ローカル線が頼りにされている姿は心強い。水郡線は貨物輸送も現役のようで、無害車の列とすれ違った。常陸大子では、三両のうち二両が切り離される。大子で降りる人が多いにしても、残り一両では全員座れないのではないかと気を揉んでいたが、急きょ駅で切り離しを一両に短縮し、二両が郡山まで行くことになった。現場判断だったようだが、臨機応変な対応に拍手を贈りたい。

 福島県に入り、磐木石井を過ぎる頃には車窓に雪が映り始めた。残雪のようだが、気候が内陸側に移ったことが分かる。昨年の福島県は雪が降り続いていたことを考えると、今年は比較的暖かい年末のようだ。

 再びザキを残して、磐城棚倉で下車。バスの営業所とパチンコ屋があるくらいの静かな駅前だったが、駅はみどりの窓口が稼動していて、地域の中心駅のようである。乗り継ぎのバスまで一時間弱あるので、棚倉城址の亀ヶ城公園まで歩いてみた。交換手を通していた時代そのままの、三桁の電話番号を掲げた店が多く、栄えた街だった名残を感じる。

 棚倉城のお堀は凍てついていて、気温の低さを物語っている。城址には、小さな町立図書館が建っていた。藩主の詰めた場所では今、子どもが勉学に勤しんでいるというわけだ。城跡の前の家屋は、玄関に向かって塀が倒れたまま放置されており、主を失っていた。人的被害こそなかったものの、ここもまた、震度6強の揺れに見舞われた被災地の一つだ。報道に現れない町でも、広範囲に渡って大なり小なりの被害を受けている。放射能の懸念も、抜けきらないことだろう。


▲水戸駅の乗り場案内は「仙台方面」が消されたまま


▲常陸太田駅はおしゃれなカウンター付き待合室完備


▲上菅谷駅では3方面の気動車が集う)


▲清流を何度もわたる

元祖BRT・白棚線


▲専用道はバス優先


▲田んぼの一本道を行く



▲途中のバス停は交換駅の雰囲気を残す


▲新白河には遅れて到着

 磐城棚倉からは、JRバス関東の白棚線で、東北本線の新白河駅へ抜ける。白棚線は、BRTなんていう言葉が生まれるはるか昔、一九五七年に開業した古い歴史を持つ専用道バスである。もとは国鉄白棚線という鉄道路線だったのだが、一九四四年に戦争の激化で不要不急路線として線路を撤去。戦後、鉄路としての復旧を断念し、バス専用道を走る「白棚高速線」に生まれ変わった。

 バスは、2分遅れでやって来た。 ドライバーは女性で、女性ならではと言ったら怒られるのだろうけど、やさしい運転と丁寧な案内に好感を持つ。 乗客は僕を合わせても三人と、少ない。

 駅を出るとすぐ、左手にバス専用道が分かれていくのが見えたが、バスはそのまま国道を直進した。国道の整備に伴い、専用道から国道への載せ替えが進んでいるらしい。一般道も山中だと信号が少なく、スムーズに進む。戦後すぐの頃だと、国道といえども砂利道が多かったはずで、舗装された専用道の優位は揺るがなかったろうが、時代の流れだ。下羽原を過ぎ、ようやくYの字状に分かれる専用道が現れ、「元祖BRT」の旅が始まった。

 狭い舗装道路だが、田んぼの中をゆるやかなカーブで走り抜けていく感覚は、まさにローカル鉄道線。かしてつより速度は高く、時速六十キロを維持して走る。一部に「国鉄高速度自動車道」の看板が残る交差点では、ほとんどでバス側が優先になっており、走りは快調だ。 ただ国道経由でも、所要時間に大差はないだろう。かしてつの石岡南台駅のように、旧駅跡にバスを直通させることが、専用道の主たる役割かもしれない。

 バス停ではバス交換ができるようになっており、向かい合う乗り場は、ローカル線の交換駅の雰囲気を伝えている。途中の磐城金山駅には一九九六年まで「駅舎」があり「駅員」もいたというが、この前後のみ国道経由に切り替わってしまっている。

 震災の影響か、専用道の路面には亀裂が多く、バスの揺れは国道区間よりも大きい。かしてつと異なり、白棚線の専用道はバス会社の自前管理であり、舗装や除雪の費用も一般路線にはない負担ではあるだろう。東日本大震災の際にはがけ崩れで専用道が埋まった、知られざる「被災路線」の一つでもあり、震災後八ヶ月は一部で国道への迂回運行になったそうである。今もごく一部だが、温泉口付近では一般道に迂回する区間があった。

 専用道は関辺で、国道に呑み込まれる形で終わる。後は新白河まで国道を一直線と思っていたら、
 「ただいまバスは七分遅れで運行しています」
 とのアナウンスがあって、驚いた。出発が二分遅れた以外は順調に来ていたのだが、何が遅れにつながったのだろう。丁寧と思えた運転は、遅すぎだったのだろうか。

 新白河からは東北本線の普通に乗り継ぐ予定で、郡山では人と会う約束もあったので、時計とにらめっこしながら間に合うかハラハラだった。もし白棚線が鉄道だったら、数分遅れまでなら接続を取ってくれるのだろうが、ローカルバスではかなわぬ話である。それがJRバスであっても、鉄道代替バスであろうとも。

 東北本線の電車にはバタバタと乗り換えることになり、ぎりぎりで間に合った。いくら“BRT”といえども、やはり鉄道並みの存在感と安心感は示しえない…混雑する電車の車椅子スペースで、立ったまま息を切らしつつ、実感したのだった。


郡山市の今

  一向に混雑の収まらない東北線電車に揺られること四十分、郡山着。福島県最大の都市であり、駅も駅前も賑わいがある。地元久留米と人口規模は同じなのだが、繁華街が駅前の狭い範囲に固まっている分、賑わいは強く見える。青く輝くイルミネーションに見送られ、福島交通のバスで市役所方面に向かった。今夜の宿は、市役所近くのビジネスホテルである。バスの車窓に流れる風景が懐かしい。

 内陸部の郡山市は津波被害とは無縁だったが、東日本大震災の数分に渡った震度六弱の揺れで、二万戸もの建物が被災した。戸数でいえば仙台、いわき、石巻に次ぐ多さである。また、福島原発事故に伴う環境放射能の値は未だ高く、様々な形で街の活気に影を落としている。「震」後の「災」が続く街の一つだ。

 二〇一一年七月、僕はこの街へ復興支援の仕事に派遣された。震災から三ヶ月という時間は経過していたが、まだまだ街には壊れた建物がいたる所に残っていた。福岡西方沖地震の際の福岡市のように、周辺都市の力を郡山に全力集中できれば早く元通りにできるのかもしれないが、広範囲に渡る東日本大震災の被害。資材も人も足りない状況が察せられた。 わずか一週間という短期間でのお手伝いではあったが、市内をくまなく回り、仕事を通じて郡山の多くの方の苦悩を聞き、もう「ヨソの街」とは思えない場所である。

 昨年末の旅でも二時間ばかり立ち寄り、馴染みになった場所を巡ってみたが、半年が経っても復旧が進まない現状に、胸を痛めた。でも、更に一年が経過した今回は、だいぶ落ち着きを取り戻したように見えた。

 駅から遠いホテルを選んだのも、派遣の際に一週間を過ごした思い出の宿だから。先に来ていたザキと合流、ひとまずチェックインして電話を待った。派遣中、お世話になったSさんのお宅にお招き頂いたのだ。街中で一杯やれればと思ってご連絡していたのだが、ぜひどうぞということで、初対面のザキ共々図々しくもお邪魔することになった。

 連絡を受け、ロビーで一年半ぶりに再会したSさんは、変わらない笑顔だった。昨年度末で定年を迎えたそうだが、まだまだ震災復興の仕事は山積みで、立場を変えて引き続き仕事に当たっておられるとのことだ。復興需要に伴う建設ラッシュの中で、技術が伴なわない建設業者が多く、苦労されているとのことである。

 Sさんの車で、市街地から少し離れたSさん宅へ。今の郡山は、なかなか進んでいなかった被災建物の解体が進み、日に日に馴染んだ景色が変わっているとのこと。再建がかなわないビルの跡にコンビニが立つケースが多く、開店ラッシュでもあるそうだ。土地の所有者としては、手っ取り早く収益を上げる手段になっているのかもしれない。東北全体でコンビニは増えつつあると聞いたことがあるが、いろんな背景がありそうである。

 Sさんのお宅では、奥様と帰省中の息子さんともども歓待して頂き、会津の地酒もドンと一升瓶で出てきた。僕とザキは飲める口で、しかも大の日本酒党。今回の旅も、東北日本酒紀行になるかなとの予感があったのだが、一日目から大物の登場である。あまり飲めないSさんに、今日は空けてもらうからねと冗談とも本気とも取れる言葉を頂いたのだが、本当にほとんど二人で空けてしまった! 九州人は、遠慮を知らぬというイメージになってしまったかもしれない。いつか九州にお越しいただいた際には、ザキ共々うまい焼酎で歓待せねばなるまい。

 二時間経つ頃には、Sさんをつぶしてしまったような状態になってしまい、奥様の運転でホテルまで送って頂いた。どこまでもご迷惑をお掛けし、申し訳ない。でも夏場の一週間、仕事の汗を落としてくれた大浴場に浸かり、一年半前と今夜のことを思い返していると、郡山という土地がますます好きになっていった。


▲東北本線で一定勢力を保つ701系


▲駅前はイルミネーションできれい


▲郡山市のキャラクター「がくと君」


▲スターホテル横のボウリング場はあの日のまま

▽2日目に続く
inserted by FC2 system