▲TOP ▲鉄道ジャーニー

名鉄・近鉄 全線乗車
3日目
愛知・三重の近鉄各線を走る

1日目2日目3日目4日目5日目 名鉄路線図近鉄路線図

「あの頃」の車両に会えるリニア・鉄道館

 昨日も早寝してぐっすり休めたので、朝8時には行動開始。商店街の人影は少なかったが、裏通りに見つけた名古屋名物「コメダ珈琲」に入れば、モーニングを楽しむお客さんで賑わっていた。珈琲代だけのモーニングセットを味わいながら新聞を読み、名古屋市民的な朝を楽しんだ。

 久屋大通公園まで歩き、見納めになるかもしれないテレビ塔の姿をシャッターに納めて、地下鉄で名古屋駅へ。近鉄名古屋駅ではなく、あおなみ線の名古屋駅へ歩みを進めた。近鉄週末フリーパスの旅をスタートさせる前に、話題の「リニア・鉄道館」へ行こうという魂胆だ。

 今日はちょうど、名古屋埠頭近くのホールでa-nationのライブが行われるらしく、駅は10代女子で溢れかえっていた。リニア鉄道館目当てのファミリーも多く混雑を極めたが、対応には慣れているようで、改札内の広いコンコースに無札で誘導し、カードタイプの往復乗車券を手売りしていた。

 地上ホームには、当地ではあまり見ない、箱型のシンプルな銀色の電車が待っていた。立ち客も大勢乗せて、新幹線と併走しながら名古屋を発車。そもそもは貨物線のあおなみ線、車窓には大コンテナターミナルが見える。かといって沿線人口が少ないわけではなく、駅ごとの乗り降りもそれなりにあった。

 終点・金城ふ頭駅に着いたのは、リニア鉄道館の開館6分前。入り口前には、ずらりと行列が出来上がっていた。じりじりと照りつける日差しの元、じわじわと進む行列で暑さに耐えること20分。ようやくゲートをくぐることができた。開館から5ヶ月が経つとはいえ、さすがはお盆。大変な賑わいである。

 リニア・鉄道館については、今さら多くのことを語ることもないだろう。これまでの鉄道博物館のように、鉄道の歴史を学べる展示も多いのだが、まだまだ現役の300系新幹線や、役割を終えたリニアの実験車両など、比較的近年の車両の実物展示が多いのが、一大特徴である。これらの車両に、今のところ歴史的価値はないとはいえ、数十年を経れば文化遺産になるはず。大いに評価していい。

 僕にとって涙モノなのが、100系新幹線の2階建食堂車が保存されていることである。ゆったりとしたテーブルに、屋根にまで回り込んだ大きな窓。高校生の頃、アメリカン・ブレックファーストを味わいながら、胸をときめかせて流れる車窓を楽しんだ時間が、蘇ってくるようだった。500系やE5系は新幹線として極めたかっこよさがあると思うけど、旅に彩りを与えてくれたという点では、今もって100系の右に出る新幹線車両はないと思う。

 ついに乗ることはなった0系の食堂車も、新製時を彷彿させるかのような、ピカピカの状態で残されている。車内の調度からは、どこか昔のデパートの食堂や喫茶店を思い出すようだった。381系「しなの」やキハ82系「ひだ」、117系「シティライナー」などなど、僕が鉄道に興味を持っていく過程で現役だった車両に、胸熱くなるようだった。


 


▲リニア・鉄道館前に続く大行列


▲100系新幹線は、永遠のヒーロー


▲高校生の思い出が蘇る2階建食堂車

観光路線というより地元の足・湯の山線

 あおなみ線で名古屋に戻れば、人波はさらに膨れ上がっていた。当初見込みより乗客が少なく、苦戦していると伝え聞くあおなみ線だけど、今日の様子を見る限りでは、とても赤字基調とは思えない。

 入場券を買って、JRホーム上の「きしめんスタンド」で遅めのランチ。今回はプレーンなきしめんではなく、夏にもおいしいぶかっけの「きしめん」にしてみた。ずるっとお腹に収める。

 午後2時も迫る時間だが、ようやく「近鉄の旅」をスタート。第一走者は、鳥羽行きの特急に四日市までの短区間、乗ってみた。全席指定席の近鉄特急だが、指定券は自動券売機で気軽に買うことができる。短区間の特急券は500円と、座席が保証されていることを考えればだいぶ安めだ。

 指定された名古屋方の車両は、黄色い昔ながらの近鉄特急だったが、鳥羽方は、おでこが広く丸みを帯びたスタイルの新型ACEが連結されていた。禁煙の流れの中、駅ホームの喫煙所や特急の喫煙車を残している近鉄特急で、はじめて全席禁煙に踏み切った車両でもある。しかしさすがは近鉄、窓の大きい広めの喫煙室を備えていた。「喫煙サロン」とでも呼びたい快適な空間で、利用者も多い。

 四日市で湯の山線に乗換え。3両編成の普通電車が行き交う支線だが、以前は定期特急の運行もあったのだとか。昨年から復活運行している臨時特急「湯の山サマーライナー」の運行も今年は終わっており、ロングシートに揺られ各駅停まって行くしかない。特に断りはなく車内灯が消されたことから、近鉄も車内消灯は「いつものこと」のようだ。

 田んぼの中を走るありふれた私鉄の郊外路線だった湯の山線だが、大羽根園から先の最後の1区間は勾配も急になり、温泉地を前にした山岳路線らしい雰囲気が感じられた。

 終点・湯の山温泉駅は、ラッチが多くバスも平面で乗り継ぐことが出来るようになっており、中継点型のターミナル駅といえそう。湯の山温泉街へはバス乗り換えになっているのだが、温泉行きのバスは無人で出発していった。

 駅周辺は温泉があるわけでもなく、山間の静かな街。足を伸ばせば温泉へ、さらにロープウェイに乗れば涼しい御在所岳も待っていて、後ろ髪を引かれる思いだが、今日は先を急ぐことにする。また改めて、ゆっくりと訪れたい。

 


▲喫煙サロンとでも呼びたいACEの喫煙室


▲タクシー、バスとの乗り継ぎもスムーズな湯の山温泉駅


▲少し歩けば山の緑。排水口からは湯気が。

小さくても大活躍・内部線

 四日市駅に戻り、改札を出て、もう一つの近鉄四日市駅へと向かった。本線の駅からは離れた場所にある、内部・八王子線の乗り場である。両線は国内でも貴重なナローゲージの鉄道路線で、12年前に乗ったことがあるのだが、ひさしぶりにあの乗り心地を体感してみたくなり、寄り道することにした。

 見てくれこそ普通だが、とにかく小さなナローの電車は、12年前と変わらない車両だった。冷房が付いていないのも相変わらずで、当たり前だが、暑い。三岐交通に移管された同じくナローの北勢線では、冷房化改造が行われているそうだが。ガラリと変わったのは塗装で、1両1両が異なるパステルカラーになっており、より「おもちゃの電車」に近い印象になった。

 3両編成とはいえ小さな電車なので、ワンマン運行でも不自然ではない。特徴的なのは両替機で、よく見る運賃箱と一体になった形ではなく、ゲームセンターで見かけるような箱型の大きな機械が、でんと運転席の後ろに居座っている。

 重々しい釣り掛けモーターのモーター音を響かせ、内部行き電車が発車。ロングシートに座ると、向かい側の席に足が付きそうである。遊園地の電車のようでも、立派な公共交通機関。お年寄りを中心に頼られている、地域の大切な足である。

 日永では支線の八王子線が分岐するが、上り四日市行きとこの駅ですれちがうことで、日永から内部までの乗り継ぎにも配慮されている。どれほど、そのような利用者がいるのかは定かではないが…

 交換駅の泊で、折り返しの四日市行きに乗換え、20分余りのナローのショートトリップは終了。赤字体質の路線で、いつまでも今のまま走り続けるのは難しかろうが、また乗りたい路線の一つである。

 ナローに乗った後だと、恐ろしく立派に見える本線の四日市駅に戻り、津方面の急行電車に乗る。3扉・オール転換クロスシートの5200系電車で、今や全国のJRの快速電車に広まっているこのスタイルの元祖ともいえる電車だ。席はゆったりしていてグレードが高く、窓と座席のピッチもぴったり合っている。長距離でも安心して乗り続けられる電車だ。ただ大混雑で、座席にはありつけなかった。

 


▲パステルカラーになったナロー電車


▲小さくてもたいせつな沿線の足


▲座れれば快適な5200系

伊勢鉄道と競う鈴鹿市へのメインルート・鈴鹿線

 伊勢若松で下車、急行にすぐ接続する鈴鹿線の電車に乗換えた。上りの普通電車からの接続にも配慮されており、私鉄らしいきめ細かに配慮されたダイヤだ。17時すぎで利用の多い時間とは思うのだが、座席はさらりと埋まる程度。3両のワンマン運行である。

 広大な田んぼの中を、快調に飛ばす。鈴鹿線をまたぐ立派な高架は第3セクターの伊勢鉄道で、鈴鹿駅の姿も見えた。市街地から遠い3セク鉄道の駅とはいえ、JRと直通し名古屋まで乗換えなしで結ぶので、近鉄にとっても強力なライバル。鈴鹿駅前は駐車場ばかりで、クルマとの乗り継ぎ客を取り込んでいた。

 伊勢鉄道に対し、近鉄鈴鹿線は市街地を走る点がアドバンテージで、本数の多さでは圧倒。鈴鹿市駅には、市の中心駅らしい「格」があった。終点・平田町は自動改札ではない有人改札。中京圏の駅にまで、くまなくPitapaリーダーを設置しているのは立派で、今後はmanaca・TOICAとの連携も課題になってくるだろう。

 今夜の泊まりは、JR関西本線の沿線。平田町から関西本線の駅まではバスの便もあるようなので、「抜け道」ルートとしての活用も考えたが、まだまだ陽は高い夏場なので、もう少し「乗り鉄」を楽しむことにした。折り返し電車で、伊勢若松に戻る。

 若松からは、再び本線の上り急行電車へ。時間帯によってロングシートとクロスシートにチェンジできる、近鉄独特の「L/Cカー」だった。やはり座り心地では「純正」のクロスシートにかなわないものの、複雑な機構のシートを導入してまでクロスシートを提供する姿勢は、大いに好感を持つ。「有料特急」という、出費を伴えば快適な移動時間を保証される列車が平行しているにも関わらずなのだから、なおさらだ。

 一度は降りてみたかった津で下車。平仮名で書いてもたった一文字、名実ともに日本一短い駅名である。駅名版も、どことなくユーモラスに映る。平行するJR線の駅でもあり、列車の本数では近鉄が圧倒しているのだが、駅ビルのあるJR口の方が栄えているようだ。例によって近鉄のホームに向けて、JRは安さを武器に広告看板をどんと構えていた。

 今日は「近鉄週末フリーパス」の旅を一旦切り上げて、JRの旅人になる。JR紀勢本線の亀山行き普通列車へ。3両とゆとりある編成のお陰で、夕方でも余裕でクロスシートを確保できたのはありがたい。紀勢本線は以前、特急「南紀」で一気に駆け抜けたことがあり、伊勢鉄道でショートカットしてしまう津~亀山間は未乗のまま残っていた。13年目にして、ようやく完乗である。

 低い稜線に沈んでいく陽に、1日の終わりを感じる。この列車の終点・亀山は、かつて関西本線と紀勢本線を分かつ交通の要衝だった駅。ワンマン列車ばかりが発着するようになった今でも風格は残り、旅気分が高まってくる。やっぱりJRもいいな、と私鉄にばかり3日間も乗り続けると思う。

 JR西日本のキハ120系に乗換え、関西本線を西へ。ローカル線のイメージがある関西本線だが、2両の普通列車は立ち客も出ていた。十数年前に乗った時もお盆の時期で混んでおり、たかだか2回の経験で遠方の旅行者は「混む路線」というイメージを抱いてしまう。

 


▲盲腸線の終着駅らしい雰囲気漂う平田町


▲「つ」の駅名版はユニーク、ライバル看板も主張


▲蔵づくり風の関駅

関での忘れられぬ夜

 わずか1駅とはいえ結構な距離を走り、関駅着。旧東海道の宿場町ということで蔵「風」の立派な駅舎ではあるが、無人駅である。現代の東海道こと国道1号線を渡り、北へ歩くと旧東海道へ出た。

 思わず、息を呑んだ。ゆるやかにカーブを描いた車1台分+αの道には、軒の通った家並みがずらりと並ぶ。電柱も電線もなく、昔ながらの家々が夕暮れにほんのり染まる。よく見れば新しい建物もあるのだが、景観に可能な限り気を配っていることが分かる。昔ながらの街並みは全国各地で歩いてきたが、本当にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ったのは、関が始めてだった。

 今夜の宿は、昔の医院だった町家をリニューアルした、和風ゲストハウス「旅人宿石垣屋」。30代の、甚平をいなせに着こなす宿主さんが出迎えてくれた。和室にごろ寝、の飾らないスタイルだが、手入れされた中庭も美しく、いい雰囲気。中庭から街道に吹き抜ける風は涼しく、エアコンなしでも快適だ。

 お風呂はない宿なので、歩いて10分少々の国民宿舎のお風呂を借りることになる。同宿の女性二人と、月に輝く夜の街道をトボトボ散歩。お一人は宿主さんと街に魅せられ2回目のお泊り、もう一人は初めてとのことだが、もうすっかり関に魅了されているようだ。その気持ちは僕も同じだ。

 坂道を上り、汗をかきかき国民宿舎「関ロッジ」へ。お風呂は温泉ではないのだが、歩きつかれた身体をサッパリ癒す。そしてこの「関ロッジ」は、20系ブルートレインを使った宿泊室があるということで、好き者には有名な宿だ。実は当初、こちらに泊まりたくて予約を確認していたのだが、満室でかなわなかった。しかし頼み込んでみるのもので、見学はOKしてくれた。

 外観こそ老朽化が進んでいるが、内部は廊下と寝台に扉を付けたくらいで、寝台車の雰囲気そのまま。寝台2区画をぶち抜いて大きめの和室にしてあるのだが、あえて寝台当時の区画を残している部屋もあり、ファン心をくすぐる。幅52cmの寝台はいかにも狭いが、今やここにしか残っていない貴重品だ。ただ、今夜は寝台車と同じ位魅力的な旧家の宿。実は寝台車にキャンセルは出ていたそうだが、寝台車体験は次の機会に託す。

 晩御飯は、街道沿いの居酒屋兼食堂にて。蔵の中にあり、すでに街の御仁でいっぱいだった。しかもお隣の方は筋金入りの鉄っちゃんで、
 「伊賀鉄道にはぜひ乗って」
 「伊勢志摩ライナーはいい列車だよ」
 と、ひとしきり地元の鉄トークで盛り上がった。

 宿に帰っても、男性部屋は酒宴で大盛り上がり。地ビールや、全国各地のゲストから持ち寄られた酒を片手に、東海道縦断自転車旅行やツーリングの話題で、話は尽きない。いつまでも語らっていたい気分だったのだが、疲れはあり、午前1時頃、縁側でバタリと記憶を失った。

 


▲タイムスリップした感覚に陥る関の街並み


▲こちらも泊まって見たい!寝台車の宿を見学


▲石垣屋さんで、中庭を眺めながらの酒宴

▼4日目に続く








inserted by FC2 system