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名鉄・近鉄 全線乗車
2日目
名鉄の名古屋以西を巡る

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朝夕限定の通勤専用 臨港線

 名駅で目覚めた2日目。昨日は早寝した分、今朝は早く目覚め、名鉄名古屋発7時18分の準急電車に乗り込んだ。常滑線の大江駅で下車。橋上駅舎に上がった僕の目に飛び込んできたのは、ずらりと並んだ通勤客の列だった。

 大江駅から分岐する築港線は、朝夕のみにしか運行されない、異色の路線。延長はわずか1.5kmで、駅は大江と東名古屋港の2駅のみ。築港線ホームへ降りる階段の前には、「東名古屋港駅の出場改札口です」と掲げられた改札口がある。東名古屋港駅での集改札は、大江駅で済ませてしまうわけである。

 行列とは、この改札口をくぐるためにできていたものだった。改札を抜けても、その先の階段も狭くて、少しずつしか進めない。もっと広く作っておこうよと思うが、1日のうちでもごくごく限られた時間しか使われない通路でもあり、最小限の施設に留まっているようだ。

 ホームに待っていた電車は、ステンレス車体の新3000系だったので、何となくだが意表を付かれた気がした。行き先表示のLEDには、何も表示されていない。代わりに、電車の最前部・最後部には、「大江←→東名古屋港」の表示がプラ板で掲げられている。どのドアも人でいっぱいで、どこから乗り込もうか思いあぐねていたところ、突然出発の合図が鳴り、急いで手近なドアに体をねじ込ませた。

 乗客のほとんどは臨港地帯にある工場勤務者のようで、間もなくに迫ったお盆休みの話題で車内は騒がしい。男性だけではなく、女性も2割くらいは乗っている。車内に案内放送は一切ないが、ほぼ全員が毎日乗っている人なので、その必要もないということか。電車のスピードは上がらず、草生した線路を「ゆらゆら走る」と表現するのがぴったりだ。

 わずか3分で、東名古屋港着。一気に吐き出された乗客は、ずらりと列を成して周辺の工場へと進み始めた。しかし全員が一斉に…というわけではなく、スモーカーは駅前のビルの前でたばこをくゆらし、満員電車に疲れた人は、エアコンの効いた電車内で折り返しが出るまで疲れを癒す。路線の環境も乗客の生態も、兵庫県のJR和田岬線にそっくりである。一見さんお断りな匂いのある築港線、こういう路線が好きだ。

 1本遅らせ、7時54分の電車で大江に戻る。大江駅に待っていた人の数は2本前と段違いに少なく、この電車だったら臨港線の真価は分からなかっただろう。早起きしてよかった、そして昨日の夜に乗ってしまわなくてよかった。

 


▲「東名古屋港駅改札」に向けて続く行列


▲LEDは真っ暗、プラ板が築港線電車の証


▲工場に向けてずらりと伸びる列

地下鉄直通で息を吹き返した小牧線

 金山駅の喫茶店で、コーヒー代だけでパンが付く名古屋らしい「モーニング」で一息つく。他都市からかなり遅れて、今年2月にようやく導入された名鉄のICカード・manacaだが、この喫茶店では電子マネーとして使えて、利用率は高かった。JRのTOICAとの共通化は来年春を目処に進めるとかで、今は3つのカードがバラバラだった一時期の福岡のような状態になっている。共通化を境に、また一気に普及が進むことになるだろう。

 地下鉄名城線に乗り、平安通へ。上飯田線への乗り継ぎ階段へ進むと、「小牧線」とPC出力で手作りしたサインが、あちこちに貼られていた。地下鉄上飯田線は次の上飯田までわずか0.8km、その先で相互乗り入れする名鉄小牧線は20.6kmで、「小牧線」の方が通りがよいのであろう。というか、地下鉄に独立した路線名など付けず「地下鉄小牧線」としては、だめだったのだろうか。

 小牧線は昼間15分間隔なので、上飯田線も当然15分間隔。「地下鉄」としては、いささか寂しい本数である。サクラ色の帯がきれいな名鉄300系電車は、昨日乗った新型車両と同様、一部転換クロスシートで快適だ。まずは純粋な「地下鉄」の区間の終点である上飯田駅で降りてみた。

 上飯田線の開業までは小牧線の終点であり、平安通りまで徒歩で移動するか、バスに乗り継ぐしかなかったという上飯田駅。2003年の地下鉄開業で事実上の通過駅になったわけで、地上に出てみれば、バスターミナルは閑散。駅ビルのテナントも空きだらけになっていた。新線開業につきものの、光と影である。

 上飯田駅からの電車は、2編成しかない交通局の7000系電車がやってきた。ちょっと角ばったスタイルは名鉄300系と異なる印象だが、車内は一部転換クロスシートと共通の仕様になっている。明らかに違っていたのは、車内の中吊り広告が一切ないこと。掲示スペースはあるのだが、1枚も広告が入っていないのだ。交通局としては0.8kmの距離しかなく、広告営業が難しいのだろうか。とにかく妙な光景ではあった。

 地上に出るとのどかな田園風景が広がったが、小牧口を前に掘削区間に入り、小牧駅は地下駅になっていて意表を付かれた。

 名鉄小牧駅に隣接しているのが、桃花台新交通の小牧駅「跡」。2006年に、開業わずか15年で廃止された新交通システムである。コンコースは通路として残され、駅名板も残っている。隣接する立体駐車場に登ってみれば、駅の施設や、団地まで続く軌道までそのままである。駅は将来の乗客増を見込んでいたのか、増設用のホーム跡があるのが余計に痛々しい。使わなければ痛む一方のはずだが、撤去にも莫大な費用がかかりそう。一体この後、どうするつもりなんだろう。

 小牧からは、再び名鉄300系。小牧から先は単線になり、名古屋へ出るにも犬山に出て犬山線に乗り換える動きが主になるようだ。300系には最近の流行りに乗っ取って、窓のカーテンを廃する代わりに熱線吸収ガラスになっているが、日なた側に座ると結構熱かった。

 


▲「小牧線」の掲示が目立つ地下鉄平安通駅


▲地下鉄7000系もクロス+ロングだが、一切広告がない


▲廃止から4年、いまだそのまま残る小牧駅

名鉄最後のローカル線? 広見線

 犬山で広見線に乗換え。地図で見ると近い犬山と可児だが、間には小さな峠があり、それぞれ独立した街として存在しているようだ。

 このまま乗り続けても新可児で15分待ちになるので、名前に惹かれて日本ライン今渡で下車してみた。駅名から観光地の玄関のような雰囲気を想像していたのが、上下線それぞれに駅舎がある、ごく普通の無人駅。駅前もただの地方の街で、日本ラインの乗り場も判然としない。

 木曽川の河原までは片道5分強。広々した川幅ながら、渓谷風の荒々しさもあるなぁと落ち着いて眺めている暇はない。暑い中をまた小走りで、駅まで戻った。

 広見線は新可児駅から先、ワンマン運行。名鉄には他にもワンマン運行の路線があるが、いずれも運賃収受は駅で行う「都市型ワンマン」。車内収受の「地方型ワンマン」は蒲郡線と、ここ広見線の末端区間のみで、名鉄に残った最後のローカル線と言えるかもしれない。チェックの強化のためか、御嵩方面乗り場の手前には中間改札が設けられている。

 2両編成の電車は、地元の乗客と鉄っちゃんで、パラパラと席が埋まる程度。車窓は「のどか」の一言で、なだらかな山と川が広がるが、住宅も途切れず過疎地帯というわけではなさそうだ。駅は簡易な風情なものが多いが、明智駅は平屋ながら歴史ありげな木造駅舎。かつては分岐駅だった名残だろうか。

 終点・御嵩着。山小屋風に仕立てられていたが、いい雰囲気の駅舎だ。すぐに折り返しの電車に乗っても良かったのだが、周辺は中山道の宿場町のようなので、観光案内所で散策マップを貰って、次の電車まで30分ばかりブラブラしてみた。

 駅前にある立派な大寺山願興寺。石碑をよく見てみると、東濃鐵道株式會社建立の字が見えた。大正9年に今の名鉄広見線を開業させた鉄道会社の名前である。御嵩駅前の街道は少し拡幅したようなのが残念だが、中山道みたけ館から先は昔ながらの狭い街道筋の雰囲気を残していた。特に沿道に残る商家竹屋は、奥行きのある平面が広がる旧家。明治10年の建築とはいえ、江戸時代からの様式をよく伝えていた。

 ようやく、少しは観光らしいことができた。「乗りつぶし旅行」であっても、少しでも駅で降りて歩く時間を持つだけで、ずっと豊かなものになる。

 


▲「乗って残そう」の字も見える御嵩駅


▲旧家も点在する旧中山道御嵩宿


▲ゆらゆらと御嵩駅に入ってくるワンマン電車

国宝と城下町を巡り、各務原線へ

 犬山まで戻り、犬山線を一駅、犬山遊園へ。99年に訪れた時は、車が走る横の路面を大型の特急電車が走るという、時代離れというか、日本離れした光景が見られた犬山橋も過去の姿。「ツインブリッジ」と名付けられた自動車専用橋が開通し、ごくありふれた橋へと変貌していた。時代が流れれば、「ツイン」の意味も理解されなくなりそうである。遊園駅ホーム上のモノレールも、同じくこの間に過去帳入りしている。

 前回は先を急ぐあまり登れなかった国宝・犬山城へ足を伸ばそうと、木曽川沿いを歩き出した。上り坂にかかると、汗が噴出す。タオルを濡らしつつ、上り坂から石段へ。さらに入場券を買って木の急な階段を上がり、一気に天守閣のてっぺんへと登りつめた。さっきまで歩いていた木曽川沿いは、はるか眼下。低い欄干がスリリングだ。木曽川の悠々とした流れと犬山の街、いいアクセントになる赤い電車の列を眺めながら、しばしの殿様気分。

 城下町は、「観光地」として重ねてきた歴史も長く、味のある街並みが続いていた。古いままではなく、活性化に向けていろんな方面からの取組みがなされているようだ。コミュニティFMのガラス張りスタジオが旧家の中にあるのは、違和感があるようであり、なんだか微笑ましくもあった。

 まちづくり会社の運営する、こちらも旧家を活用した「弐番屋2号館」にある蕎麦屋がいい雰囲気だったので、飛び込む。蕎麦関係の本があちこちに並び、店主はさぞこだわりの激しい、職人かたぎのおやじさんだろうと思っていたが、その招待は若夫婦。奥様は赤ちゃんをおんぶしていて、いい雰囲気だ。あまりの暑さに、「とりあえず生」と口にしてしまいそうなところをぐっと我慢し、そばランチを頼んだ。そばの味は、申し分なし。最後に出てきたそばゼリーが、またほのかな甘みで絶品だった。

 汗をかきつつ城下町の風情を楽しみ、集合住宅を取り込んだ犬山駅へ。犬山線から各務原線直通の、岐阜行き普通電車に乗る。急行用電車ながら、広めの転換クロスシートが並ぶ5300系電車だった。狭い集団離反型クロスとは段違いのゆとりがあり、岐阜までのほとんどを熟睡の中で過ごした。

 


▲「普通の橋」になった犬山橋


▲赤い電車がアクセントとして映える木曽川


▲蕎麦のランチで生き返る

新幹線アクセスより地元の足?竹鼻線・羽島線

 岐阜からは、中部国際空港行きの特急に乗る。2両が特別車、4両が自由席という構成は、他の「一部特別車」特急と同じだが、空港特急ということで「ミュースカイ」タイプの2200系が使われている。自由席車は小牧線や新型急行電車と同じく、ロング+転換クロスの折衷タイプ。急行・普通では褒めちぎってみた座席構成も、特急だと「オールクロスが基本だったはずだけど…」と思ってしまう。

 とはいえ座り心地を味わう間もなく、わずか4分で笠松着。竹鼻線・羽島線の新羽島行きに乗り換えた。江吉良を境に路線名が変わるが、笠松から新羽島まで一体に運行されている。路線名を分ける必要なんてないんじゃない?竹鼻線を新羽島まで延長したってことでいいじゃん…と思うのは今の路線図を見て思うことであり、竹鼻線は2001年まで、江吉良から別れ、大須まで走っていた。

 本線と竹鼻線が分岐する「三角州」状の場所に建った笠松駅を左に見ながら、発車。2両編成だかツーマンの電車は、古い路線らしくカーブが連続する中を走る。踏切の数はおびただしく、道路も平行して走っていて、元々は軌道として認可された路線なのかなと思う。かような線路の状態ながら、最高速度は85kmまで出ていて、意外に飛ばす。15分間隔なので駅での列車交換も2回あり、利用者もそこそこ多いという印象だ。

 江吉良からは高架に上がり、カーブを描いた単線の高架を走れば、新羽島着。同じレベルを東海道新幹線が走るが、狂ったような速度で駆け抜けていく16両編成の列車は、真横とはいえ別世界のようである。

 新羽島駅は、名前は違うとはいえ、岐阜羽島駅の目の前にある接続駅。しかし高架下や駅周辺には広大な駐車場があり、車がぎっしりと停まっている。メインのアクセスは、クルマが担っているのかもしれない。その他の駅前の施設といえばホテルが林立しているくらいで、九州新幹線の郊外駅の将来はこんな感じになるのかなと思い描いた。

 帰路の電車は、急行の名鉄岐阜行き。1時間4本の電車のうち、線内折り返し電車と、笠松から岐阜までノンストップの急行が2本ずつの運行になっていて、直通利用者にも配慮されたダイヤになっている。オールロングシートの3100系電車だが、運転席の後ろにまで座席があり、運転席でない側の窓が大きく取られているので、展望が大きく広がる。「パノラマ」は決して、パノラマカーだけのものではないのが、名鉄の一つの魅力だと思う。

 


▲前面展望がよくきく3100系電車


▲新幹線駅の横にこじんまりと佇む新羽島駅


▲市街地の区間では踏切が断続的に続く

名古屋本線と「接する」尾西線

 快速特急という馴染みのない種別の列車で、名鉄一宮へ。JRに対して、名岐間では劣勢に立たされている名鉄だが、一宮は両社の駅が高架で隣り合い、熾烈さはひとしお。JR駅のホームには名鉄に向けて広告看板が掲げられ、名鉄も対抗している。

 しかしこの時間だけは状況が違った。JRが事故の影響で運転見合わせしており、名鉄への振替え輸送が行われていたからだ。ライバル路線が平行していると、サービス競争を享受できるメリットがあるが、こうした非常時にも生きてくる。

 一宮で本線と「接する」路線が、弥富から玉ノ井を結ぶ尾西線。運転系統としては一宮で別れており、それぞれ別個の路線という印象だ。弥富方面は15分毎だが、玉ノ井方面は30分毎。両方面の電車を同じホームに縦列に止めるという、芸の細かい方法で、乗換えの便を図っている。

 名古屋からの特急の接続を受けて、2両編成の玉ノ井行きが発車。30分毎ながら立つ人もいる賑わいで、スピードを上げても乗り心地は快適。家の軒先も「迫ってくる」ようではなく、「本線」クラスの格を感じた。奥町から玉ノ井の一駅間だけは、ローカル線らしさも感じたが。

 わずか9分で着いた玉ノ井駅は、ホーム1本の終着駅ながら、一斉に乗客が降りればそれなりにターミナルらしい風格も出る。駅前の駐輪場も埋まっていて、よく利用されている路線という印象を受けた。駅周辺の街並みは古く、電車も生活に根付いているのだろう。

 折り返しの電車に乗り、一宮駅をホーム前方に歩いて津島行きに乗換え。こちらは15分毎ながら、乗車率は玉ノ井方面と同じ程度あった。

 名古屋から放射状に伸びる路線網同士を結ぶ路線であることから、乗客の動きは両端駅がピークになるようだ。路線の中間あたりではすっかりローカル色が強くなり、さらりと座席が埋まるだけののどかな雰囲気に変わった。沿線の風景や駅のたたずまいなどからも、西鉄甘木線に似ていると感じた。単線だった線路が、かなり乗客の姿も減った森上から複線になるのは解せないが、いろいろな経緯があったのだろう。

 カーブを描く高架に上がり、津島線と合流すれば、高架のターミナル駅・津島着。尾西線は弥富まで続くが、津島~弥富間の運転系統は津島線に組み込まれているので、乗換えになる。弥富行きの前に区間運転の列車があったので、佐屋まで先行。佐屋は特別車連結特急の終点駅ということがあって、聞き覚えのある駅名だったが、驚くほど小さな駅だった。

 弥富までは30分間隔の、比較的閑散とした区間になる。弥富市内では高架区間があり、複線分の路盤が確保されているけれども、ここも活用されることはなさそう。高架上には廃駅の跡もあり、少し寂しくなる。昨日高速バスで通った、東名阪道をくぐった。

 終点・弥富着。JR関西本線との共同利用駅で、改札口もJRのものをくぐる。ICカードリーダーは、まだ共通化がなされていないMANACAとTOICAの両方が利用できるようになっていた。そして弥富駅といえば、地上で一番低い駅というユニークな日本一の駅としても有名だ。海抜は0.93m。低地だけに、水害や津波への備えは大変だろうなとの心配が先立った。

 


▲同じホームの前後に止め分ける一宮駅


▲住宅地の中にたたずむ玉ノ井駅


▲地上で日本一低い駅の看板を掲げた弥富駅

津島線で名鉄全線乗車

 折り返し、名古屋方面の普通電車に乗る。津島線内で優等列車との接続はなく、名古屋まで時間がかかりそうだなと思っていたが、津島から本線接続駅の須ヶ口までは、普通でも20分弱と短かった。沿線への人口の張り付きは多く、各駅とも乗ってくる人が多かった。

 本線との乗換え駅として賑やかな須ヶ口にて、名鉄電車の全線乗車を達成。終着駅ならば、なにがしかの感慨もあるのかもしれないけど、本線上の駅では気分もあまり盛り上がらない。しかし名鉄のネットワークの広大さは、乗って見て初めて分かった奥深さだった。過疎ローカル線を切っただけに、残った路線はどこも沿線住民の大切な足として活躍していることが分かった。

 せっかくの名古屋方面直通電車だが、本線の急行に接続するということで、銀色の3300系電車に乗換え。銀色の電車だからといってクロスシートと決まっているわけではなく、この電車はオールロングシートだった。名古屋方面の電車ではあるが、夕方から名古屋へ出る人、名古屋を通過して乗り続ける人、名古屋から乗り込む人それぞれ多く、名古屋前後での混雑度はほとんど変わらなかった。

 金山総合駅で降り、地下鉄を2本乗り継いで大須観音駅へ。今宵の宿は、駅から徒歩10分の場所にある、名古屋なのに沖縄風というユニークなゲストハウスだ。エアコンは9時まで入れないとかだが、ベッドにはすだれを通して、川沿いの風が少し流れ込んできた。

 大須観音周辺は、縦横にいくつもの商店街が延びる、下町的雰囲気と繁華街の顔を併せ持った界隈だ。昼の顔の方がメインの商店街のようで、歩く人は多くなかったが、何軒か飲み屋やカフェが開いていた。商店街にテーブルや椅子を出している店も多くて、昼間は少しアジアンな雰囲気もありそうである。

 ぐるっと回った挙句に大須観音へ戻り、食堂で「きしめん+味噌カツ」という名古屋B級グルメの王道メニューを味わう。セットメニューということで量は抑え目だったはずだが、はちきれんばかりにお腹一杯になった。

 


▲本線の須ヶ口で、名鉄全線乗車達成


▲扇風機でも充分涼しかったゲストハウス


▲どこかアジアンテイストな大須観音界隈

▼3日目に続く








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