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静かに粛々と、新たな歴史を刻んだ

 三月十二日、待ちに待っていたはずの開業日を迎えた。開業式典は朝五時から行われるということで、間に合うようには四時起きかと、趣味でなければ絶対にやらない早起きを覚悟していたのだが、式典取り止めとあっては早起きの意味もなく、目覚ましを五時にかけ、そのアラームで目覚めた。

 テレビでは五時台から新幹線特番が組まれている局もあったのだが、放送されるとはとても思えなかったし、その存在すら忘れかけていた。。二十四時間体制、CMカットで流れるニュースでは、新潟で震度6強の地震が発生という、信じられない情報を伝えている。筑後船小屋駅まで、目覚めぬ朝の街に車を走らせる間にも、ラジオの音声は国難を刻々と伝える。

 五時四十五分、筑後船小屋駅着。駅レンタカー経営の駐車場が設けられており、一日三百円と割安な料金が設定されていたので、スムーズに駐車できた。ただ百六十台分のスペースしかなく、今日はいいけど今後は大丈夫なかと心配になった。案の定、三週間後に訪れた時には、昼前には既に満車状態。広大な公園の中の駅というコンセプトも結構だが、マイカー圏の駅なのだから、もっと駐車場を確保すべきと思う。

 駅前にはイベントと式典の中止を伝える掲示が張り出されていたが、駅舎内には数十人に上るJRのスタッフが待ち受けていた。イベントは中止になっても、予定通りの人員を揃えたようだ。改札の前にもテレビクルーが待機しており、インタビューのマイクを向けていた。開業日らしいといえばらしいが、乗客にもスタッフにも浮き足立った雰囲気はなく、粛々とその時を迎えようとしていた。

 筑後船小屋駅は二面三線のホーム配置で、十一番線は福岡方面、十二番線は鹿児島方面というのが基本的な使い分け方。ただ筑後船小屋駅始発のつばめ320号だけは、十三番線からの発車である。ついつい博多方面と書かれた階段に足を向けそうになり、係員に促され踵を返す人が目立った。

 さすがにホーム上には写真を撮る人、一番列車を見届けに来た人が大勢いたが、出発式会場となるべきだった場所には冷たいアスファルトが顔をのぞかせるだけ。祝賀ムードとは、無縁の姿である。

 鹿児島方面では見慣れていた800系新幹線・博多行きに乗り込む。今日からはN700系に主役の座を譲った感のある800系ではあるが、久留米絣やイグサのスダレなど、九州らしさを盛り込んだ車内は九州のオリジナリティに溢れており、九州新幹線を代表する形式と言ってよいと思う。さくらの運用にも入ることから、車体を彩っていた「つばめ」のロゴ類はほとんど消されたが、出入り口両側のライン上の「TSUBAME」の英文だけは、ひっそりと残されていた。

 指定席が十五秒で売り切れたという博多発の一番列車・つばめ327号ですら、自由席の乗車率が三割程度に留まったというこの日。まして指定席が売り切れていなかった320号の状況は寂しいもので、自由席車など一両に五人も乗っていない車両もあった。

 午前六時〇〇分。新幹線らしい長いタイフォンを一回鳴らし、手を振る駅員らに見送られて、つばめは筑後船小屋駅を離れた。この二つだけが、ギリギリで認められた「セレモニー」だったのだろう。くす球も、テープカットもなかったけれど、この瞬間、新幹線は九州の新たな歴史を刻み始めた。

 ユルユルと発車した新幹線は、ポイントを通過して加速を始めた。既に開業している区間も含めて、今日から新しくなった車内チャイムと自動音声の車内放送に続き、車掌の肉声の放送が続く。
 「本日も新幹線をご利用頂きまして、ありがとうございます。終点博多には、六時二十七分の到着です。この電車の運転士は山口、車掌は鵜口、荒木です。御用の際は、お知らせ下さい」

 ついに、今日で開業という客観的事実すら告げられなかった。ただ下り「つばめ」や「みずほ」では、一番列車であること自体の言葉はあったようで、現場の判断でもあったようだ。

 とにかく駅間が短い、筑後平野の区間。わずか八分で、もう久留米である。防音壁が切れれば、白み始めた見慣れた街並みが現れ、久留米駅に到着した。久留米駅にとっても、この列車が一番列車である。我らが指定席にも親子連れの初乗り客が何組か乗り込み、わずかばかりの賑わいが生まれた。ホームの見送りには、駅員さんに加えて、開業に向けて汗を流していた、顔見知りの役所職員の姿も。タイフォンと手を振る関係者という、筑後船小屋と同様のスタイルで、久留米の新しい時代を告げながら筑後川へと踏み出した。

 駅間の短い新鳥栖へはユルユルと走り、たった五分で到着。ここでも、一番列車である。駅の規模は大きく、取材陣も久留米より大勢の姿が見えた。見送りの人も数十人はおり活気が見られたが、それでもやはり静かに見送られて最後の一駅へ走り出した。

 すぐさま筑紫トンネルに入り、一路博多へ。博多発の一番列車、つばめ327号とは、トンネル内でほんの一瞬のすれ違いだった。六月公開の映画「奇跡」では、九州新幹線の一番列車同士のすれ違いが重要なファクターとして登場するというが、この一瞬がどう表現されるのだろうか。

 トンネルを抜ければ、那珂川町、そして福岡市へ。わずかな時間ではあったが、福岡側はすっかり朝を迎えていた。博多駅用の特別バージョンのチャイムで始まった車内放送も、まったく普段着の内容。いや、放送の後ろ側では無線の音声が鳴り響き、日豊本線の特急「ソニック」は大津波警報の影響を受けているので駅の案内に注意と、非常時であることは伝えていた。

 ヨドバシカメラの派手な広告看板に迎えられ、博多駅着。終着の列車なので、行き止まりの十一番ホームに着くものと思っていたが、一番東側の十五番ホームに入り、意表を付かれた。隣り合うホームには東京行きの「のぞみ」が待ち受けており、ホームタッチで乗り継ぎができるよう配慮されている。

 あまりにあっけなく終わった、一番列車。何年も待ってきた列車があっけなかった理由は、筑後船小屋駅からわずか二十七分という所要時間のせいだけではなかったと思う。



▲筑後船小屋駅と、発車を待つ800系つばめ


▲各駅で見られた中止の告知



▲大勢の社員が出迎えた1番列車の出発前


▲静かに発車の時を待つつばめ320号


▲がら空きの800系車内


▲新鳥栖では多くの人の見送りを受ける


▲今日からは日常の姿、博多駅での800系


公共交通機関としての責務

 「のぞみ」発車後もそのまま待ち受けて、十六番線から六時四十五分に発車する、さくら401号を見送った。昨日までは山陽新幹線が占拠していたホームに九州島内の列車が並ぶのだから、痛快なようであり、違和感もある。

 博多発の下り一番列車は「つばめ」だったので、「さくら」としては401号が初列車。写真を撮る人に、黄色い線を越えないよう拡声器の声が響くが、その程度の騒ぎではある。一番列車の自由席には乗車制限も計画されており、もし乗れなかった人はこのさくら401号へ案内という段取りになっていたのだが、混乱はまったくなく、自由席すら空席を残したまま博多を発って行った。

 同じつばめ320号に乗った職場の先輩と共に、新駅ビルの前に出てみた。駅前の歩行者天国やブルーインパルスの飛行など、きらびやかなイベントが用意されていたのだが、もちろんすべて中止である。いつもの六時台より人通りは多いのだろうが、使われることはないイベント会場に、いっそうの寂しさを感じた。

 この後は、新八代まで新幹線で下り、「平行在来線」の初日の様子を見ながら上ってくる予定だった。しかし、津波警報の影響で海沿いの区間では運転見合わせが相次いでおり、鹿児島本線も新八代~熊本、玉名~荒尾間が運休になっている。以前なら、大事を取りすぎだと感じたかもしれないが、もう今の日本に、そんな楽観思考をする人はいないだろう。一事が万事だ。

 一方の新幹線は山側を走るので、津波警報の影響はまったく受けず、全区間で定刻どおり運行を続けるという。今日の開業式典の中止は早々と決まっていたが、開業そのものも予定通り行うのかは、議論がなされたようだ。しかし、
 「鉄道マンとして、生活を支える鉄道はきちっと運行する。だから粛々と」(JR九州唐池社長)
 開業することになった。

 新幹線の効用としてスピード効果が挙げられがちだが、在来線との二つのルートが確保されることで、一方が断絶しても輸送ルートが途切れないというのも、実は重要な役割だ。もし新幹線が開業していなければ今日、九州のメインルートたる福岡~熊本間は麻痺したはずで、新幹線は初日から公共交通機関としての責務を全うした。

 新八代まで行っても予定通りにいきそうもないので、ひとまず熊本まで行くことに決め、窓口で切符を変更した。乗車券分の運賃は返ってきたが、料金は同じ距離区分になるようで、返金なし。細かいことは、言ってられない。



▲さくら一番列車の出発


▲テレビクルーの姿があるくらいで、静かな駅前



▲新幹線開業の裏で、運休続出の在来線

熊本へさくら、舞う

 熊本まで乗る列車は、さくら403号。「さくら」としては二番列車、下りとしては四番列車である。

 この列車では、グリーン車の乗り心地を味わうことにした。新幹線のグリーン車とは贅沢に感じるが、新幹線でも九州内では独自のグリーン料金体系を取っており、百キロまで千円、二百キロまで二千円、それ以上でも三千円と割安だ。

 しかもJR九州の若者向け(十六歳~二十九歳)会員カード「ナイスゴーイングカード」を使えば運賃、料金とも3割引になるので、熊本まで合計4,520円で済んでいる。ただしナイスゴーイングカードの会員募集は一月で終わっており、有効期限の残る残留会員に向けた一年限定のサービスなのは残念なところ。先日三十歳を迎えた僕は、いずれにせよ会員資格を喪失する立場ではあったのだが…

 先輩に見送られ、さくらに乗り込む。「グリーン車並み」とまで評されるゆったりした4列の普通車指定席がウリのN700系にあって、さらに上位のクラスとなるグリーン車。体全体を包み込み、座面もスライドするシートは、寸法の数字だけからは見えない快適さを持った優れもの。リクライニングレバーを引き、力を加え背ずりを倒そうとしたが、意のままに動かない。電動なのであった。

 車内の調度にも意が注がれ、床のカーペットは佐賀の鍋島緞通がモチーフ。寄木細工のレリーフも掲げられている。N700系はJR九州色が強く出た車両ではないが、日本の技術力や美学を伝えるという哲学は継承されているし、温もりを重視するJR西日本の路線も取り入れられ、それらが調和している。車体には「WEST JAPAN・KYUSYU」のロゴが手を取り合っているが、車内も両社のコラボレーションだ。両社で異なるのは車内放送のチャイムで、山陽新幹線でお馴染みだった「いい日旅立ち」が流れれば、JR西日本の所属車両である。九州内の列車であっても、西日本の車両が使用されることは、ままあるようだ。

 普通車には空席も目立つが、グリーン車はほぼ満席。見た目では初乗り風の鉄っちゃんと用務客が半々といったところだが、鉄道趣味の広がりで「外見」だけではにわかに班別できなくなっており、正確な内訳はインタビューでもしない限り分からないだろう。

 新鳥栖駅を出発すると、左上を一機のヘリコプターが追走し始めた。駅停車中はホバリングし、間違いなく被写体はこの列車である。通常通りのスタンスで走行を続ける列車だが、微かな騒音がエポックメイキングな日であることを伝えてくれる。ヘリの追走は、新玉名あたりまで続いた。

 沿線では、アサヒシューズ、ヤンマーの工場を始め、高校や幼稚園まで、新幹線に向けて歓迎のメッセージを掲げる建物が目に付く。新幹線に向けてめいっぱいアピールした「縦断ウェーブ」の名残を見ているようで、胸が熱くなる。

 久留米を発車すれば、あとは熊本までノンストップ。昼間時間帯では博多~熊本の区間「さくら」で見られる停車駅のパターンだが、時間帯によっては鹿児島中央行きでも見られる。久留米~熊本のノンストップ二十一分は、地元民にとって驚異的だ。高い料金を出して乗ったグリーン席を、暖める暇もない。

 筑後船小屋以南は、営業列車としては初乗りになる区間。試乗会では小駅に丹念に止まったので、一瞬映る駅舎が何駅が判別できるが、初めてなら、大きくなった表示器に映し出される「只今○○を通過」だけが頼りになるだろう。

 トンネルの連続になり、抜けたと思えば左手に崇城大学が映り、熊本が近いことを知る。いくらなんでも、早すぎだ。ビルの間から熊本城の雄姿に出迎えられれば、熊本着である。三割引のグリーン料金すら惜しい、自由席で充分だと感じさせるくらいの移動だった。



▲静かに発車を待つ、さくら2番列車・403号


▲よりシックでゴージャスなグリーン車



▲ヘリの追走を受ける


▲熊本城の出迎えを受ければ、熊本着


▲見学者の姿も見られ始めた熊本駅

精一杯の気持ち

 イベントの類は一切自粛…そう聞いていたので、エスカレーターを降りると多くの人の出迎えを受け、意表を付かれた。イベントとしては自粛だが、開業日の新幹線で来られた人へせめてもの「お出迎え」だけは、規模を縮小して行っているのだそうだ。すっかり名物ゆるキャラとして人気を博す「くまもん」柄の手提げ袋には、無数のパンフレットに加えて、くまもんの保温マグカップにピンバッチまで、豪華な記念品が詰まっていた。

 改札にはテレビカメラが何台も待ち構え、駅ビルには開店を待つ行列も長くでき上がっている。今日初めて出会った、開業初日のムードだった。どこか居心地の悪さを感じてしまうのだが、これでも予定の規模から、かなり縮小して行っているのだそうだ。もともと準備されていたイベントとは、それはもう久留米とは比べ物にならないほど、盛大なものだったのだろう。

 試乗会の日には出ることができなかった、新幹線側の駅前広場が完成しており、壁を丸く四角く切り取ったようなデザイン性の高い上屋もできあがっていた。最低限の塩素を加えるだけで給水されている熊本の水道水を飲める、「蛇口ひねればミネラルウォーター」のコーナーもあった。

 一方の名物「四階はりぼて」駅舎が残る在来線側。離れた市街地へのアクセスとなる路面電車へは、さっそく多くの人が乗り継いでいた。駅舎内の名店街「フレスタ」は新幹線側に移り、しんと静まり返っていたのには栄枯盛衰の感を強くする。みどりの窓口の上には新幹線のPRが大きく掲げられていたが、所要時間よりも「熊本~博多・1時間4本運転」の方を大書きしていたのも、印象深かった。

 時間は九時前。新大阪を六時に出発した最速の一番列車・みずほ501号が到着する時刻が迫ってきた。熊本・鹿児島にとっては最も力を入れて出迎えたい列車に違いなく、入場券を買って到着を見届けることにした。「ようこそ熊本へ」の横断幕を持って待ち構える着物姿の女性は、『AKJ1000』の皆さん。そのココロは、味な・熊本・熟女・千人とかだが、さすがに千人規模の出迎えは、七人へと縮小されていた。

 オレンジ色の「みずほ」のLED表示も誇らしげに、N700系が入線してきた。降り立ってきたのは、帰省してきた熊本県人会の皆さん。ホーム上を包むのは、間違いなく祝賀ムードだった。待ちに待った、大動脈の完成。ここまでは許して欲しいというのが、正直な気持ちだったのではないだろうか。



▲盛大な出迎えとなったみずほ1番列車の到着


▲県人会を出迎える県のスタッフ



▲地元では「さくらちゃん」の呼び名も定着

「平行在来線」の初日

 熊本からは、昨日とは姿を変えた在来線に乗って、筑後船小屋へと戻る。今回の新幹線開業ではこれまでと異なり、開業に伴う在来線の廃止や、地元第三セクターへの転換がまったくないことが特徴の一つ。JR化後に開業した長野、東北新幹線の平行在来線の不振は、華やかな新幹線の影で大問題になっている。九州新幹線とて例外ではなく、八代~川内間の在来線を引き継いだ「肥薩おれんじ鉄道」は、電化路線なのにディーゼルカーを走らせるという涙ぐましい節減策にも関わらず、大赤字に泣いている。

 ところが今回の開業では、平行在来線の全区間・博多~八代がJR線として残った。福岡都市圏に属する北半分は収益上も有望なことは素人目にも想像がつくが、南半分の熊本都市圏も、沿線開発や駅ビル開発とリンクさせれば、経営戦略上も有益と判断されたらしい。JRのソロバン勘定はさて置いても、沿線住民や自治体にとっては、まずはめでたい帰着点と思う。ただ在来線特急の廃止で様相は大きく変わっており、その初日の様子をのぞいてみよう。

 玉名から荒尾までの運転再開の見通しは立たないようだが、この間はもともと新幹線に乗る予定だったので、僕の予定には影響がない。ただ熊本以南の運休もあってダイヤは乱れ気味で、一旦は案内が出た列車が突如消え、運休が告知されるハプニングもあった。今日から走り始める、熊本~大牟田間の快速「くまもとライナー」の乗り試しも目的の一つだったが、ともかく今走っている列車に乗るのが賢明なようだ。

 それにしても、在来線ホームの寂しさといったらどうだろう。昨日までリレーつばめや有明がせわしなく発着していたホームはそのままなのに、見事にガランとしてしまった。もっともSLを始め、人吉方面の列車が運転見合わせになっている影響も、大きそうではある。売店も手持ち無沙汰のようで、早晩整理の対象になるかもしれない。お陰で新幹線駅舎では売り切れだった熊本日日新聞を入手できたが、紙面は当然、地震報道の特別体制。今日一面に来るはずだった新幹線の話題は隅に追いやられていたが、それでもなんとか一面に踏みとどまっていた。

 玉名行きとなった上り普通電車は、革張りシートが特徴の817系電車の四両編成。乗車率は三~四割といったところだが、なにせ不通区間が発生している状況なので、日常の姿は読み取れない。ただ終点、玉名駅での下車は「人波」といえるほどのもので、特急廃止で普通に流れた人は、少なくないように見受けられた。

 運休で折り返しとなる編成は「快速・熊本」の字幕を掲げ、新鮮だ。ダイヤ改定で登場した新しい快速「くまもとライナー」である。現場では、時刻表にも列車にも「くまもとライナー」の文字はなく、愛称として定着するのか、させる気があるのかどうか。本来のダイヤであれば、博多~大牟田間の快速電車と接続して、在来線特急の代替も勤める列車である。

 しかし、地域輸送も速達化でサービス向上!と手放しで喜んでいい話題かといえば、NOである。一時間に一本の快速登場の影で、同数の普通電車が削減され、通過となる五駅ではデータイムの停車本数が一時間に一本となった。ローカル線並みの過疎ダイヤで、地元の方はかなり不便になったと感じているのではなかろうか。



▲健在ではあるが手持ち無沙汰に見える在来線売店


▲熊本地区にも「快速」がお目見え



▲玉名からの上り電車は運休が続く


▲撤退した駅旅行センター


新玉名駅なりの賑わいと配慮

 一見以前と変わらないように見える玉名駅だが、旅行センターが新駅に引き揚げており、駅前もどこか火の消えたような寂しさを感じた。駅前や中心市街地の沈滞は全国共通の現象だけれども、玉名では在来線特急の廃止という新たな、そして厳しい局面を迎えてしまった。

 在来線が不通になっている玉名~荒尾間も、バスは動いているようで、十数人がバスを待っていた。動いている新幹線に回る人もいるようで、タクシーで新幹線の駅に向かった人もいたようだ。僕も新玉名駅に向かうが、駅へのアクセス交通を見るのも目的の一つなので、荒尾行きとは反対側のバス乗り場で、バスを待った。

 市街地と新幹線新駅のアクセスという重責を担うのは、九州産業交通(産交)の路線バスで、従来の路線を組み替えて新駅を経由させている。多くの路線が乗り入れているので1時間に1本以上の本数は確保されているのだが、経由地に「新玉名駅」と書かれているバス以外にも乗り入れる路線があり、時刻表と路線図とよく見比べなければならない。実はこのため一本乗り逃しており、分かりやすいインフォメーションをお願いしたい。

 十一時〇〇分発、南関上町行きに乗車。バス停で次のバスを待つおばちゃんから、運転士さんがおはぎの差し入れを受けており、ほのぼのとしてしまう。玉名駅から乗った人は僕以外に一人だったが、市内のバス停から次々と乗り込みがあり、みな運転士さんと挨拶を交わしていた。新駅アクセスなどではない、思いがけぬローカルバスの旅になった。

 新幹線開業に賭ける玉名温泉(思いのほか、温泉街らしい雰囲気だった)を抜け、玉名駅から十五分ほどで新駅が見えてきた。折りしも博多行きの「つばめ」が到着するところで、運転士さんも、
 「ちょうど新幹線が入ってきてますね」
 と声を掛け、車内が湧いた。それはまあいいのだが、新幹線にはタッチの差で間に合わないダイヤということであり、あと五分早くすれば接続バスとして機能するだろう。既存路線の活用は結構だが、ダイヤへの気配りは抜かりなく願いたい。

 昨年三月の見学会以来の新玉名駅は、喧騒の中にあった。ここまで、準備されたイベント会場が使われぬまま放置されている光景は何度も見たのだが、こちらはすべてのテントに人が溢れているのだ。店という店すべてに募金箱が置かれており、急遽チャリティーイベントへと舵を切って、予定通りイベントを開催したということらしい。被災地にとって今後、何よりも必要になってくるのはお金。自粛した他の駅の判断も正しかったと思うが、新玉名の考え方も、もう一つの解であると思う。とてもお祭り騒ぎに乗る気分ではないが、鍋を頂いたり、手すき和紙の体験コーナーを遠巻きに眺めたりして、開業日らしい雰囲気を記憶に留めることができた。

 一方の駅舎内には土産屋のほか、Tanpopoなるしゃれた薬草ダイニングもオープンしており、昼間は一時間に一本の「つばめ」しか止まらない駅としては充実している。周辺の観光地という点では恵まれている方でもあり、力の入れ方は大きいように見えた。

 券売機でお隣、新大牟田までの切符を買い、一駅を「つばめ」に揺られた。座るような時間でもないけど、自由席はがらがら。開業三日間の九州島内列車の乗車率は三割を割り込んだとのことで、こと「つばめ」はがら空きで推移しているようだ。



▲タッチで乗れないつばめ


▲新駅アクセスに活躍する産交バス



▲唯一自治体の開業イベントが開かれた新玉名


▲手すき和紙の体験会も

「無アクセス」になりかけた新大牟田

 十二時二十二分、新大牟田駅着。新大牟田駅の特徴は、一時間に一本停車する上下の「つばめ」が同時に到着、発車することで、改札口は一気に賑わうことになる。

 僕は改札口を抜けず、十二時三十五分発の新大阪行き「さくら562号」を待ち受けた。今回の全線開業ダイヤの特徴の一つに、どんな小駅でも大阪直通のさくらが、一日一往復以上停車するという点がある。新大牟田駅でも上り始発列車に加え、利用しやすい昼間の時間帯に、大阪直通が停車するようになっている。さくら目当ての見物人が繰り出しており、青い車体は多くの人に見送られ旅立っていった。各駅に最大限配慮された新幹線ダイヤだが、JR九州社長はダイヤを適宜見直すと明言しており、大牟田をはじめ沿線自治体は、一層の集客を求められることだろう。

 大牟田駅はこぶりながら、ホーム下の人だまりのデザインに力を入れており、大牟田の夏のシンボル「大蛇山」や、炭鉱電車をモチーフに彩られている。白のアーチを描いた壁面が印象的な駅舎も、基礎の部分はレンガ積み調になっており、炭都として歩んだ栄光の歴史と、これから新しい時代を築いていく意志を感じた。

 意外なのは、「新」が付く独立駅でありながら、周辺が住宅街になっているところ。それも新幹線開業に合わせて開発されたわけではなく、古くからの住宅街であるという点だ。閑静さを求めて住まい始めた人にとって、駅は迷惑な存在かもしれないが、福岡への便は格段に良くなったはず。駅東側では、新たな宅地の開発も進みつつあるようだ。

 開発用地にはステージが設けられ、無数のテントが並んでいたが、もちろんイベントは中止。地域伝統芸能ゾーン、大蛇山と写真を撮ろう…看板からは、多彩なイベントが用意されていたことが分かる。駅前にそびえる、巨大な團琢磨顕彰記念像の除幕式だけは行われたそうだ。

 新大牟田駅から在来線の大牟田駅へは、バスがアクセス手段。こちらも既存のバス路線、西鉄バス大牟田の吉野線が乗り入れて対応している。一時間間隔という本数こそ新玉名に劣るが、新幹線の発着時刻の十分前に市内からのバスが到着し、十分後に市内行きのバスが発車と、とても使いやすいダイヤになっている。さすがは西鉄グループで、きめが細かい。

 南関方面からやって来たバスはまずますの乗りで、新駅の見物客を乗せるとほぼ満員になった。ストレートに大通に出ることはなく、吉野地区を細かにめぐって国道へ。かようなルートのため大牟田駅までは三十分近くを要するが、こちらもあくまで主たる役割は地域の足である。大牟田駅以遠まで乗る人が少なく、中心市街地の旭町界隈で降りる人が多いというのも、それを裏付けていた。

 今日だけ見る限りでは盛況な吉野線だが、新大牟田駅乗り入れまでの道のりは難産だった。新大牟田駅アクセスの一翼を担うことは既定事実だったにも関わらず、西鉄は昨年三月に廃止の方針を発表。以後は大牟田市と協議を続け、十二月には補助を行いながら維持するという決着を見ている。今後も予断を許さない路線であることには変わりなく、新幹線の利用が定着して、バスも補助なしで存続できれば万々歳なのだが。



▲新大牟田駅のフラッグシップトレイン・さくら


▲大人しいデザインの駅舎



▲がらんとしたステージが寂しいイベント会場


▲市街地へは西鉄バスでアクセス


奮起に期待の筑後船小屋

 在来線の大牟田駅は、特急こそなくなったものの、快速が走り、西鉄も変わらず乗り入れることから、新幹線とは別の役割を今後も担っていく駅である。やはりガランとした印象は受けたものの、特急がないことが原因なのか、警報解除がなされず今だ荒尾以南が運休しているからなのかは、判然としない。無関係の西鉄駅も人の気配が薄いので、日常的な大牟田駅の姿はこの程度なのかもしれない。

 JRと西鉄が同居する、唯一の駅である大牟田。他のライバル同居駅の例に漏れず、双方がお互いの駅に向けて広告合戦を繰り広げていたが、新幹線開業でアピール合戦にもどのような変化が起きたのか、気になるところだった。西鉄側は、以前と変わらず太宰府や天神へのアクセスの良さをアピール。一方のJRは、今日から名前を変えて新登場の「有明2枚きっぷ」の広告看板に加え、
 「JR九州では、全列車にトイレを完備しています。お酒などを飲んでも、安心してご乗車頂けます」
 と、トイレのない西鉄に対する露骨な文言が加わっていた。

 大牟田以北の在来線区間も大きな変化が起きており、従来は一時間当り「特急3・快速1・普通2」というダイヤだったのが、「快速2・普通1」となっている。また特急退避がなくなったことから、快速電車の博多までの所要時間は六十五分に短縮された。大牟田以北と同じく、快速増発で特急を代替した一方で、普通が犠牲になったという状況である。

 今回の在来線ダイヤ改定は、在来線特急廃止の影響で快速・普通を増発する必要が生じたにも関わらず、車両を増やさないで済むよう苦心した跡が伺える。その結果、博多~大牟田間の快速増発の割を食ったのが、門司港~福間間の快速減便で、豊肥本線熊本口の快速新設の車両を捻出するため、福北ゆたか線の小倉乗り入れ中止と、大分の日豊本線では減便が行われている。久留米住まいとしては、新幹線も在来線も便利になったという印象なのだが、地域によって悲喜こもごもという構図になったようだ。

 倍増になった大牟田発の快速だが、博多~久留米は一時間に三本運転、久留米~大牟田は二本運転なので、南部では間隔にどうしてもバラつきが出てしまう。データイムの大牟田駅では、毎時二十分、四十一分に快速が二本続き、五十一分の普通の後は三十分開くというダイヤ。利便性では、三十分の等間隔で特急が発車する西鉄に、まだまだ分がある。

 門司港行き快速電車は、赤い813系の六両編成。「隔駅停車」のくまもとライナーと違って、こちらは大牟田発車後四駅を通過する、快速らしい快速である。その分、普通減便の影響は大きいと言えるかもしれない。次の停車駅・瀬高は、これまで一時間に特急二本が停車していたが、今までの利用者はこの快速に流れたのか、筑後船小屋の新幹線に移ったのか。日常的に利用しているわけではないので、やはり判然としなかった。

 筑後船小屋駅の、在来線ホームに到着。ずらりと並んだ、からっぽのテントが寂しさを募らせるばかりだが、見物人は集まっていた。改札内二階には、筑後広域公園を望む展望テラスが設けられており、整備中の公園を一望できる。芝生が育てば、気持ちのいい風景へと変貌するに違いない。

 地元では、この駅を語る時にはとかく某大物政治家の名前が出てきて、
 「あんななにもない所に駅を作って」
 と揶揄されるばかりの不遇の駅だが、できてしまったからには活用していくしかない。JR九州の唐池社長も、一番化ける可能性がある駅と言っており、特に最近話題豊富な船小屋温泉の、一層の奮起を期待したいところだ。

 ちなみに在来線駅の新設の他、バスもアクセス輸送に名を連ねており、久留米から船小屋まで十五分間隔で走る50系統のうち、二本に一本が乗り入れを始めた。新幹線はもちろん、在来線に乗り継ぐにも便利で、船小屋温泉街は船小屋バス停から至近である。新設路線もあり、自治体の補助を受けて柳川方面のバス路線が九本走り始めたが、さて成否やいかに。柳川は、全国区に化ける力を秘めた、文句なしにいい観光地であるとは思うのだが。 



▲新しい都市間輸送の主役、快速電車


▲船のモニュメントも登場



▲予定されていたイベントは大規模なものだった


▲意外に充実しているバスアクセス



▲広域からの見学者を集めている模様


双子駅の攻防…久留米&新鳥栖

 三百円なりの駐車料金を払い、車を久留米へと戻した。久留米駅は唯一、開業イベントを「延期」という表現にしており、具体的には分からないが、いつか開かれることに含みを持たせている。テレビ、ラジオからはまだまだ混乱の極みにある被災地の状況が伝えられ、「いつか」のことを語れるような状況でもないが、開業に向け盛り上がっていた各駅の光景は、目指すべき元気な日本の姿として忘れずにいたい。

 すっかり普段着の姿になってしまった久留米駅だが、さすがは筑後の代表都市だけあって、見物人は引きも切らぬ数だった。ホームの先頭と最後尾には、長い鼻の先頭部を見ようと親子連れが人垣を作っている。この熱気が、今後も続きますように。

 前日にオープンしたばかりの駅ビル(といっても二階屋だが)フレスタくるめも、見物帰りの人で混雑。今のところ、東口駅舎向かって左手のビルしかできていないが、駅舎右手には増築のスペースが用意され、西口の新幹線高架下にもテナントの用地が確保されており、早く埋まってほしいものと思う。

 さらに、新鳥栖駅へと車を進めた。新鳥栖駅は六百台以上を停められる大駐車場を用意しており、しかも二十四時間百円と割安。市営駐車場にも関わらず、SUGOCAなど交通系ICカードが使えるのも、高評価だ。新鳥栖駅は、久留米と停車本数を争ったことでも話題になっており、ほぼ久留米と互角の本数は確保したものの、大阪直通では久留米に大きく水を開けられた。が、駐車場の利便性が認知されれば、久留米からシフトする可能性は大いにあると思う。

 翼を広げたような…と形容される、新鳥栖駅の駅舎。モノトーンながらに、やさしいラインが柔らかさとシャープさを兼ね備えていて、今回開業の駅舎の中ではピカイチのできあがりだと思う。

 駅舎内にはファミマが入っているだけで少し寂しい…と思いきや、長崎本線の在来線ホームに面して、駅弁、駅うどんの中央軒が入っていたのには驚いたし、嬉しかった。鳥栖駅では、立ち食いのかしわうどんと焼麦弁当で有名。熊本と長崎方面の乗換え時には、鳥栖駅のうどんを食べるのが「慣わし」のようなものだと思うが、新幹線時代になっても引き継がれた。イベントの出店がなくなり見物客が集まったためか、店員さん、今日は死に物狂いで働いたとのことである。

 在来線も乗り入れる駅だが、改札は新在で別々になっており、乗換えの際にも一旦改札を出る必要があるのは、筑後船小屋や新八代と同様。乗換え改札のある熊本や久留米が、むしろ特別扱いなのだろうか。何度も切符を出し入れさせない配慮も、必要だと思うのだが。

 駅前は広大な土地と住宅街が広がるが、鳥栖の新市街・蔵上もほど近いロケーションで、在来線の利用客も多く見られた。駅前にはがんセンターの建設も進み、完成の暁には九州全域から患者が訪れることが予想される。目下、将来有望な駅の一つと言えるだろう。

 九州新幹線の初乗りは、これにて終了。家に戻ったのは、夜七時のことだった。朝五時起きで疲れているはずだったが、とても安穏と眠れるような現実ではなく、夜中までテレビに釘付けになった。



▲久留米駅前はすでに日常の姿


▲ホーム先端に集まる見学者の波



▲駅舎のデザインが素晴らしい新鳥栖


▲鳥栖駅でおなじみ中央軒が入居

▼開業2日目に続く








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