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私鉄電車で巡る関西+元日グリーン豪遊の旅
3日目
関西の電車は正月準備の真っ最中

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波に向かって走れ!

  羽毛布団でぐっすり眠り、一人で朝食を食べ、ユースらしくない一夜が明けた今日は、12月31日。世間は年末だが、今日もマイペースに、電車乗り歩きの一日である。

 地下鉄に乗ればタダというのは分かっていたけど、ちょっと気分を変えてJRの鶴が丘駅へ。セレッソ大阪の本拠地ということで、駅もセレッソ一色である。高架線を103系電車で揺られ、天王寺からさらに環状線で新今宮へ抜けた。

 ちょうど3分後に和歌山行き特急「サザン」が出るところだったので、ホーム上の切符売り場で指定券を買い求めた。和歌山市まで500円。サザンには自由席車もあるのだが、小1時間の快適な時間への投資である。

 指定席車4両のうち、前後の2両はちょっと古びたリクライニングシート。デッキの仕切りも「こうや」と同じ喫茶店風だった。一方の中間2両はフリーストップの新しいリクライニングシートで、増結用に作られた増備車らしい。サービスコーナーが真ん中に集約されているのは「こうや」と同じ。売店営業も考えられていたのか、カウンターまで備えられていた。

 自由席と指定席を混結している、関西では唯一の有料特急。指定席車は、女性の乗務員が担当している。車内放送も、共通の案内を自由席に乗る男性車掌が行い、指定席の案内を女性乗務員がリレーして行う、独特のスタイルだ。

 大晦日というのに先生に連れられた小学生の列を見て、あれと思いながら堺市を通過。阪南市付近では、右手に大阪湾が現れ、少し荒い冬の海だけど「サザン」を望めた。海の向こうに淡路島の島影を追い、その先にある四国に想いを馳せる。実際、サザンの役割の一つに、和歌山港から船を介した四国・徳島へのリレーがあるのだが、明石海峡大橋ができてからは、凋落傾向らしい。

 大阪と和歌山の県境では、一山越える。阪和間は、明確にここで文化圏も分かれるようだ。ただ山深い中で新駅の工事が進んでおり、和歌山大学前という駅になるのだとか。

 和歌山市駅に到着。JRの和歌山駅とは離れており、両駅間はJRの支線がリレーしているのだが、本数は1時間に1本程度しかない。平行して和歌山バスのシャトル便・0系統というものがあり、これも南海グループなので、3dayチケットで乗り込んだ。

 昨日乗った りんかんバスともども、始発のバス停では整理券が発行されず、運賃表にも「無券」と表示されている。なるほど、これなら途中で整理券を取らなかった人には、堂々と「無券」の運賃を請求できるわけだ。他地域なら「間もなく」となる表現を「程なく」と言い回す車内放送なんかも、南海系バスの特徴の一つである。

 私鉄駅とJR駅の間に距離があり、間に繁華街がある市街地の構成は、どこか久留米を連想させる。久留米には0系統にあたるバスはなく、バスの間があく時間帯があるので、久留米にも走ってほしい系統だ。ただし初乗り運賃は、久留米の160円に対して210円と、めっぽう高い。中心市街地の勢いのなさは久留米と似ていて、関西といえども和歌山まで来れば、地方都市共通の苦悩の中にあるようだ。

 街路側に、街路樹で区切られたバス優先レーンがある独特の道路を走り、市駅よりも賑わうように見えるJR和歌山駅に着いた。
 


▲25周年を迎えたサザン


▲中間増結車は快適なシート


▲堂々たる構えの和歌山市駅

たまでんに乗って

  和歌山駅から乗り込むのは、和歌山電鐵。もとは南海電鉄の貴志川線で、本線と接続しない離れ小島的な路線として、異彩を放っていた路線である。1995年まで、木の床の旧型電車が走っていたことでも有名だった。

 しかし2004年には南海が経営からの撤退を表明。「貴志川線の未来を“つくる”会」による地道な存続運動により、自治体も前向きに動いた結果、岡山の両備グループが経営する和歌山電鐵に生まれ変わって現在に至っている。3dayチケットの効力外ではあるのだが、「たま駅長」をはじめ話題豊富な鉄道でもあるので、脱線乗り歩きを敢行することにした。

 和歌山駅のJRの改札を無札で通りぬけ、ホーム上の和歌山電鐵切符売り場で、一日乗車券650円なりを購入。終点貴志まで片道360円なので、往復するだけでもお得だ。

 待っていた電車は、純白の車体に無数の三毛猫キャラクターが踊る「たま電車」だった。貴志駅の野良猫駅長「たま」をモチーフにした電車で、カメラを向ける乗客だらけ。日常の利用者よりも、ずっと電車目当ての観光客が多いようだ。

 車内も たまのワンダーランドで、観光の乗客は一様に感嘆の声を上げていた。木材を多用しており、自由な曲線を描いた座席が並ぶ。座席の一角に設けられた駅長室は、もちろん「たま駅長」のためのもの。床に点々と付いた足あとは駅長室に向かっており、「芸が細かい…」と感心する乗客もいた。これで、普通乗車券だけで乗れる普通の通勤電車なのだから、恐れ入る。

 この車両のデザインは、JR九洲の車両を多く手がけた水戸岡鋭治氏によるもの。乗客の反応も、九洲の多くの列車で見てきたものと同じだった。九州にもデザインに長けた楽しい列車が走りまわっているのだし、JR九州と西日本で、たま電車の中に広告を出してはどうだろう。目を向ける観光客は多いと思う。

 半分ほどは、日常の乗客も乗せて発車。沿線はこれといって普通の住宅街で、沿線人口も微増傾向にあるとか。終点に向かって家も少なくなり、乗客も減っていく典型的な先細り型の路線なのかなと、この時は思った。

 ところが、車庫と本社もある主要駅・伊太祈曽で待ち受けていたのは、大勢の観光客。それも団体さんではなく、めいめいが個人のグループ客だった。どうやら近くに駐車場を準備しているらしく、車で「たま駅長」に会いに来たいという人には、ここから電車に乗って行くコースをおすすめしているらしい。全区間を乗ってもらえないのは残念だが、伊太祈曽~貴志間の往復運賃は1日乗車券と大差ないし、なにより閑散となりがちな末端区間で稼げるというのもメリットだろう。

 賑やかになった車内だが、沿線風景はいっそうひなびた風情に。山の中を走り、開けたかと思えば、終点・貴志に到着した。
 


▲ひげを生やした「たま電車」


▲毎日の通勤も退屈知らず??


▲子どもたちにこそ楽しんで欲しい電車
一大観光地になった「たま駅舎」

 貴志駅もまた、雑踏の中だった。8月に「たま駅舎」として、国・県の補助でリニューアルした駅も、観光地の一つになっているのだ。

 正面から見ると「ネコ顔」に見えるというユニークな駅舎。それも新しい駅舎ではあるのだが、建物そのものは伝統工法で作られており、特に屋根は寺社仏閣のような、檜皮葺という工法で作られている。使い捨てでない、伝統も大切にしたホンモノを作っていきたいという水戸岡先生の思いがこもった建物だ。

 それでいて、モダンでお洒落な空間。駅舎の半分は、待合室兼用の「たまカフェ」になっていて、たま電車や「SL人吉」と同じような調度の家具が、上品に並んでいる。カフェとはいっても、出される飲み物はコーヒーではなく、沿線名産のいちごジェラートや、みかんジュースなど。0度を割ろうかという厳しい寒さに見舞われた年末だが、しぼりたての「ほっとみかん」で心底温まった。

 そして忘れてはいけない、この駅の主役・たまもガラス張りの駅長室をあてがわれ、快適に勤務されている。年末の今日は14時までの勤務とのことで、危うく会えないところだった。もちろん駅長室の前が、一番の人がきができており、後ろからチラとみたところ、お昼寝の最中だった。すでに高齢のネコなのだが、これで「勤務」なのだから、うらやましい気もする。さすがは招き猫である。

 賑わう貴志駅だが、電鉄側の「お願い」を無視して車で乗り付けてくる人が多いのは困ったもの。
 「せっかく人気の観光地なんだから、もっと駐車場を作ればいいのに」
 なんて言っていたおばちゃんがいたが、筋違いもはなはだしい。できれば家から電車で、無理ならば伊太祈曽駅からでも電車で来てほしいニャ…と、きっとたまも思っていることだろう。
 


▲伝統工法で建てられた「たま駅舎」


▲カフェ&ギャラリーも備える
おもちゃ電車・いちご電車

 次の電車は「おもちゃ電車」。こちらも水戸岡デザインによる、木づくりの可愛い電車だ。

 車内のショーケースには、所狭しと並ぶおもちゃ。もちろん、電車のおもちゃも鎮座している。そしてこの電車の名物が、ずらりと並んだ、いわゆる「ガチャガチャ」。総勢10台が並ぶガチャガチャは本物なだけではなく、実際におもちゃを売っており、お小遣いをもらった子どもが大喜びで買っていた。

 一部の座席は木馬よろしく馬の頭が付いていて、兄弟がまたがっていた。「たま電車」にもあった子どもを遊ばせるスペースもあり、誰よりも子ども達が楽しめる電車である。楽しい思い出を作って、将来、抵抗なく公共交通機関を使えるような大人に育ってほしいと思う。

 伊太祈曽駅で下車。3大名物電車の一つ「いちご電車」は車庫でお休み中だったけど、ちゃんと利用者から見える場所にまでひっぱり出されていた。また機会を作って、乗りにきたい。

 中心駅となる伊太祈曽だけど、「たま駅舎」とは対照的に古いままの駅舎だった。おみやげ品の販売は貴志駅よりもこちらがメインのようで、決して広くない待合室にはずらりと電車グッズが並んでいた。観光客が落とすおみやげ代は、きっと大きな収入源のはず。僕もオリジナルデザインのサクマドロップスを2缶、買っておいた。

 駅近くには伊太祁曽神社があり、由緒ある神社のようで、初詣客を迎える準備でたけなわだった。貴志川線ももともとは、伊太祁曽神社と日前宮、竈山神社の3社参りをする人を運ぶのが目的だった鉄道。終夜運転こそ行わないようだが、明日は初詣参拝客で賑わうのだろう。

 雪まで舞い始め、冷え込みも厳しくなってきた伊太祈曽に入ってきた電車は、南海電車時代そのままの塗装の、いわゆる「フツーの電車」だった。地元の日常の利用者にとっては、たぶん観光客に騒がれず座席も多い、一番安心して乗れる電車だろう。時間がなく次の電車を待てない観光客だったら、がっかりしてしまうかもしれない。前面に掲げられたエンブレムだけは、しっかり南海ではないことを主張していた。

 始発駅・和歌山駅に舞い戻る。賑わいは雑誌やマスコミ報道で知ってはいたけど、実際見た衝撃は大きなものだった。熱い沿線住民、協力的な自治体、そして公共交通の未来を見据えた経営を続ける両備。3者のタッグがあったからこその再建であり成功だったのだろうけど、全国で危機にある鉄道会社のモデルとして、快走を続けてほしい。

 和歌山市駅行きのJR電車はまたしてもなく、往路と同じ0系統のバスで戻った。
 


▲こちらも楽しい「おもちゃ電車」


▲おもちゃ電車の正しい乗り方


▲いちご電車も見える位置に

こちらも参詣電車・水間鉄道

 市駅からは、サザンの自由席車に乗り、南海本線を上る。なんばまで乗るわけではないので自由席車にしたが、市駅での折り返し停車中にドアを開け放しているものだから、暖房など効いていないに等しく、つま先までカチカチに冷える。ぬくぬくと暖かかった指定席を、うらめしく思い出した。

 泉佐野で普通車(南海本線では普通列車をこう称する。高野線は各駅停車)に乗り換え、貝塚で下車。九州人としては福岡市地下鉄と西鉄貝塚線の乗換駅を連想するが、こちらは南海と水間鉄道の接続駅である。水間鉄道も3dayチケットの効力外なので、別払いで乗りつぶしてみることにした。

 頭端式のホームに待っていたのは、元東急電鉄のステンレス製電車。「MIZUMA」と書かれたロゴを掲げるが、車内のつり革には109の広告が残っており、お里が知れる。関西の私鉄なのに、わざわざ遠き関東の電車を譲り受けるというのも、珍しい。

 磁気式のスルッとKANSAIカードは使えなかった水間鉄道だが、ICカードのPitapaには加盟している。自動改札方式ではなく、両端駅の改札と車内にバス用のカードリーダーを備えていた。Pitapa導入と同時に始まったというワンマン運行だが、1両目の後部のドアではなく、真ん中のドアを乗車用としているのが珍しい。運転席からの位置が近く、無賃下車を企てにくい効果はありそう。

 ざっくり1/3の座席を埋めて、発車。突如、急カーブに差し掛かり歩むようなスピードで走る。沿線には何箇所か急カーブの区間があり、地方鉄道らしい。ただ直線区間では、そこそこ飛ばす。JRとの接続はなく、無関係とばかりに立体交差するのみ。

 短い路線で、わずか14分で終点・水間観音着。登録有形文化財にもなっている、石造りの駅舎が出迎えてくれた。駅裏には、きれいに塗装された500形が静態保存されている。もともとは南海の電車とのことで、やはり昔は素直に「本線」の電車の譲渡を受けていたのだ。

 せっかくなので、駅名の由来ともなっている水間観音にも、急ぎ足で行ってみた。立派な三重の塔を有する神社で、こちらもお正月の準備中。水間鉄道も、終夜運転を実施するのだとか。どこも賑わいを待つ、年の瀬である。
 


▲東急の電車が関西の地で活躍


▲少し威圧感も感じる水間観音駅


▲正月の準備に余念ない水間観音
将来揺れる路面電車に揺られる

 貝塚から再び普通車に揺られ、浜寺公園駅へ。正面のガラス窓には大きく「2扉車」と書かれており車体長も短く、高野線の山岳区間にも対応した電車のようである。扉の数が減るだけで、車内はだいぶ落ち着いた雰囲気。

 南海には古い駅舎が多い。それもただ「ボロ」になることなく、歴史を刻み風格を感じさせる。最新型の通勤電車や奇抜な「ラピート」が行き交う中で、木造のホーム上屋や長いベンチに、ふとほっとさせられる。日本最古の私鉄と言われる南海、変革へのチャレンジとともに、伝統を大切にする社風を感じる。

 登録有形文化財のビルディング・なんばと並び、名作と称されるのが浜寺公園駅。洒落た洋館風の駅舎である。高架化で取り壊しも検討されたというが、残ることになりまずはめでたし。

 そして駅前歩いて2分の場所から発着するのが、阪堺電軌の路面電車である。その名の通り、大阪と堺を結ぶ路面電車で、多くの路面電車が駅~市内や郊外の輸送に徹する中、インターバーン(都市間電車)としても活躍する貴重な路面電車だ。南海の子会社ではあるのだがパスの効力外で、またも運賃別払いで乗車してみることにした。

 阪堺線と上町線の2路線を有する阪堺電軌。以前(99年)に乗った時は素直に路線名通りの2系統の電車が運行されていたように記憶するが、今回乗った電車は両線をまたぐ、浜寺駅前~天王寺駅前間の電車だった。僕以外に2人の乗客を乗せて、ガラガラで発車した。

 堺市内の一部では幹線道路のど真ん中を走るが、自動車のレーンとは緑地帯で区切られており、「センターリザベーション」と呼ばれる本邦唯一の方式である。幹線道路との交差点では、右折信号と直進信号が分けられていることから、電車が右折車に邪魔されることもない。専用軌道区間も多いことから平均速度は、路面電車としてはかなり早い。

 ただこれら破格の設備をもってしても慢性的な乗客減にあり、市が構想していたLRT化計画の白紙撤回に伴い、廃止の方針が打ち出されたこともある。今のところ公的支援を受けながら存続しているものの、予断を許さぬ路線であることは間違いない。

 我孫子道からは大阪市へ。市営でもないのに、運賃は両市内なら200円、市境をまたぐと2停留所でも290円という、独特な運賃になっている。ただ1月15日からは、全区間200円均一になるとか。これも堺市による支援策の一つである。

 住吉鳥居前は、住吉大社の目の前。さすがは著名な神社、正月準備はどこよりも大掛かりで、行き交う人も多かった。阪堺でも電停に数編成が停まれる臨時ホームを設けており、初詣輸送に精を出すようだ。ただ終夜運転は行わない由。

 住吉からは、渡り線を通って上町線へ。大阪市内の区間は利用者で賑わっており、安泰に走り続けてくれそうである。Pitapa導入など、近代化は今後の課題になりそう。

 専用軌道から路面区間、それも幹線道路あり、軌道に車乗り入れOKの裏道ありで、変化に富んだ楽しい路面電車。まさに日本の路面電車の縮図といったところで、乗りごたえのある路線だった。終点・天王寺駅前の一つ手前、阿倍野電停で下車した。
 


▲風格ある南海浜寺公園駅


▲センターリザベーション区間を快走


▲臨時ホームも設けられている住吉神社


▲狭い道幅の区間ではバスも追走
「先達はあらまほしきものなり」の岩清水へ登る

 谷町線の阿倍野駅から、京阪の天満橋駅へ。京阪の名物車両、8000系の特急列車に乗り込んだ。100周年を迎えて順次、リニューアルが進行中の車両である。塗装にゴールドのラインが入り豪華な外観に、内装も3000系ほどではないが、ぐっとシックになった。料金不要のロマンスカーと呼びたい、大手でも出色の車両である。近年停車駅が増えていることからロングシートも設けられたが、きちんと頭の位置まで背もたれが付いていて、快適性には最大限配慮されていた。

 特別料金不要で乗れる2階建車両も楽しいが、先頭からの眺めもバツグンな電車。特に複々線区間では迫力の追いぬきも楽しめる。幸い前から2列目の席が空いていたので、夕暮れの街で展開される、手に汗にぎるシーンを満喫した。

 枚方市では準急と接続するが、次の特急停車駅・樟葉でも乗り換えられるので、もうひと駅 乗ってみた。2000年までは京阪間をノンストップで結んだ京阪特急だが停車駅は増加傾向で、緩急接続駅でもない樟葉とはどんな駅か気になったのだ。路線図上では中途半端にも見えるそこには、巨大なショッピングセンターが建っていた。そして乗降も多い。なるほど、見なければ分からないこともあるものだ。

 後続の準急は5扉車。近年でこそ関東でも普及した多扉車だが、こちらは1970年デビューと歴史は段違いに長い。そしてラッシュ時以外は、2扉が締切りとなり補助椅子が出てくるという、乗客に優しい電車でもある。

 男山ケーブルの乗り継ぎ駅・八幡市で下車。同じ京阪の路線だが、一旦改札の外に出て乗り換えなくてはならない。駅前にはずらりと行列が作れるよう、カギ型に通路が組まれた柵が設けられていた。こちらも5扉の車両は、座席が半分撤去されて立席スペースになっている。メインの役割は、山上の石清水八幡宮への参拝客輸送。それも正月で年間の半分の乗客を運ぶというから、大晦日の段階で準備を万端に整えているのだ。

 車両の色や内装は、リニューアル前の8000系にそっくり。路線はトンネルや鉄橋もあり変化に富んでいるのだが、なんせわずか400m。あっという間に着いてしまった。もし現代で作るのだったら、斜行エレベーターで済ませてしまいそうである。

 陽は沈み、わずかな明かりが残る時間だが、せっかくなので岩清水八幡宮まで参道を歩いてみた。こちらも正月を迎える準備万端。年明けまで残り6時間、あと数時間もすれば、どっと賑わうのだろう。初詣ではなく、年末にこれだけの神社を巡ることにご利益があるのだろうかと思ったが、のちのち、ご加護を受けているのではと思えることが続くことになる。

 展望台に出ると、八幡市の夜景が広がっていた。昨日の高安山ほどではないけど、こちらは行き交う京阪電車が間近に見られる分、鉄っちゃんには楽しかった。
 


▲複々線区間の車窓はダイナミック


▲旧特急カラーのケーブルカー


▲間もなく迎える新年を前に準備万端

京の路地裏を歩く年末

 京阪本線で京都方面へ、中書島で宇治線に乗り換えて、六地蔵駅下車。JR奈良線と地下鉄東西線に同名駅があるが、徒歩で10分の距離がある。自治体が設置した案内板があるので迷うことはなく、雪の残る道を踏みしめ、夜の住宅街を歩いた。

 地下鉄東西線に乗り、京都市内へ。こんな迂回ルートをとった理由は一つ、東西線を「乗りつぶす」ため。どちみち車窓の見えない地下鉄を乗りつぶすなら、夜に限る。しかしさすがに鉄っちゃんでも、「この行動に何の意味があるのか」と問い詰めないわけでもない。

 東西線の車両は、外観は朱色、座席は紫でアクセントに菱形模様が入っている。発車メロディは琴の音色で、烏丸線より強く「雅」を意識した路線だ。山科ではJRからの乗り換え客を大勢受け、結構な混雑で京都市内へ入った。

 烏丸御池で烏丸線へ乗り換え、京都駅へ。今夜は夜行列車に乗る予定なので、今年の体の汚れを落としておこうと、京都タワー地下の「タワー浴場」へと降りた。750円と高値の風呂屋だが、3dayチケットの割引券で600円になる。カウンターに頼んだら、100円でケータイとカメラの充電を請け負ってくれたのも感謝。少し古めかしく、サウナがあるだけの変哲もない「銭湯」だったが、芯まで冷えた体にはありがたいひとときだった。

 時間は夜8時前。夜行の時間まで、年の瀬の雰囲気を味わおうと、清水寺に行ってみることにした。3dayチケットなら、京都の市バスも乗り放題である。

 市バスも市内各所へ、終夜運行を行うようだ。12月31日の宿を取らずに関西へ来て、除夜の鐘を突いて年を越し、終夜運転の電車・バスで3社参り。そのまま始発の新幹線で九州へ帰る…なんて旅も、楽しいかも。

 15分も待って、ようやく206系統に乗車。市内は車も少なく、順調に進んでいた。ところが東山七条を左折した東大路が、まったく、本当にまったくと言っていいほど進まない大渋滞。降ろしてほしいと頼んでも、停留所以外では降ろせないとけんもほろろで、さすが公営バスである。30分ほどでようやく、ずっと見えていた東山七条バス停着。続いて降りた何人かと共に、雪道を歩き出した。

 除夜の鐘渋滞なのかと思っていたが、500m進んだ五条の交差点で国道1号へと右折する車で渋滞していたことが判明。そのまま坂道を、清水寺に向かって登り始めた。

 雪の積もる、寒い雪道の上り坂。とても「楽しい」シチュエーションではないけれど、ここは京都。どこを切り取っても、絵になる風景の中を歩いている。清水寺自体は、除夜の鐘の準備のため入れなかったが、年末の京都を歩いたというそのことだけで満足だった。

 八坂へ抜ける路地に入ると、扉を開けている蕎麦屋を見つけ、時間は10時と年越しそばには早い時間だったけど、鴨南そばセット1,500円なりを奮発した。お一人様ではあるけれど、しみじみと今年を振り返りつつ食べた蕎麦が、まずかろうはずがない。

 時間があてにならないバスに見切りをつけ、そのまま鴨川まで出て、河原町まで歩いた。静かだった清水寺周辺とは違い、こちらは時間を忘れるような人出である。待ち行く人はみな、間もなく迎える新年に、浮き足立っているようだ。いい雰囲気じゃないか。

 このまま京都市内で年越しを迎えたい気もしたが、僕の旅はまだ続く。後ろ髪を引かれる思いで、河原町を後にした。

 地下鉄で京都駅に着いたところで、3dayパスの旅はおしまい。3dayパスがあったからこそやった旅であり、もしこのきっぷがなければという仮定が無意味なのは重々承知だが、あえて普通にきっぷを買って乗った場合の運賃を計算すると、なんと15,440円。原価の3倍も乗ってしまったことになる。おご馳走さまでした。
 


▲東西線の座席は「雅」な風合い


▲渋滞にはまるバスを放棄して雪道を歩く


▲境内に入れずに残念だった清水寺


▲路地裏にたたずむ雪だるま
トラブルの予感の年始の旅立ち

 京都駅、夜10時半。あと1時間半で2010年を終えようとしているが、電車は大雪の遅れを出しながらも、通常通りの運行を続けている。新幹線口では、いわゆる格安ツアーバスを待つ人も大勢いた。浮き足立った河原町とは対照的な、クールな年末の風景があった。

 僕が手にしているのは、元日JR西日本乗り放題きっぷ・グリーン車用。1月1日限定の、JR西日本エリアが乗り放題になるきっぷである。普通車用14,000円、グリーン車用16,000円で、指定席・グリーン車とも4回まで利用可能。最近のJR西日本に多い「2名以上」というしばりがないのも、ありがたい切符である。

 そしてこの切符を有効期限めいっぱい使おうと思えば、0時を過ぎて発車する列車――夜行列車に限る。乗り放題きっぷでは寝台車が使えず、JR西日本エリアで残る座席車付きの夜行列車といえばただ一つ。新潟行き夜行急行「きたぐに」が、次なる旅立ちの始発列車である。

 ただ、同じことを考える人は多いもので、はやばやとグリーン券は売り切れになっていた。ここで大活躍してくれたのが、JR西日本の電話予約センター・5489(ごよやく)サービス。クレジット決済こそ必要だが、乗り放題きっぷの予約も受けてくれて、4回分の指定券のうち、1回分を取り置いてもくれた。駅で引き換える前ならば、残りの1回も追加で電話予約できるのだという。

 そこで、暇を見つけてはJRのサイバーステーションで空席をチェック。結局、出発までに空席は出なかったが、29日に奈良からの近鉄特急に乗った時に携帯でチェックしたところキャンセルが生じているのを発見し、すぐさま携帯で電話して席を確保した。

 ただ切符が取れても、楽観はできない。年末年始は日本海側を中心に大荒れの天気の予報で、最近の夜行列車は悪天候の予報が出るとすぐに運休してしまう傾向にある。31日は、私鉄乗り歩きをしながらも気が気ではなく、JR西日本の運行情報を逐一チェックしていた。北陸方面に遅れが出た時は、苦労して取った指定券も水の泡になることを覚悟したが、夜には混乱が山陰地方に移り、北陸方面は無事に走ってくれそうである。

 京都駅の展望通路は雪で閉鎖になり、駅ビルも年末年始で早めの閉店になった店が多く、居場所がない。唯一、駅ビル地下1階の全国チェーンのバーがオールナイト営業になっており、居心地は悪かったがビールを2杯ばかり流し込んで、年越しに備えた。

 


▲年越しを控えても普段どおりの京都駅


▲電車は終夜運行の体勢へ


▲ポイントではカンテラの炎が揺れる
▼4日目に続く








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