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私鉄電車で巡る関西+元日グリーン豪遊の旅
2日目
山から山へ登山電車巡り

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西のロマンスカーの快適な42分

 8時起床。働く人の宿だけに、すでにもぬけの殻といいた雰囲気だ。駅近くの喫茶店でモーニングを楽しみ、南海新今宮駅へ。JRも南海も、駅の規模にしては改札口が少ない印象なのだが、メインは乗り換え客なのかもしれない。

 9時2分発の高野線特急・こうやに乗るため、ホーム上の自販機で特急券を購入。全席指定だが、次の列車の指定券は行き先のボタンを押すだけで買えて、便利だ。近鉄にしても然りで、気軽に使える指定券のシステムは、JRも多いに学んでいい。

 やってきた電車は、流線型の前面スタイルが美しい高野線のクイーンこと、30000系電車。小さい頃に見た絵本では、私鉄特急の代表として小田急ロマンスカーと並んで描かれていたものである。1983年デビューの車両としては、現代にも通用するすぐれたデザインと思う。

 次の急行でも、充分に予定に間に合わせることはできたのだが、幼い頃から親しんだ電車に乗りたくて、500円の投資をした次第。こうやにはもう1系列、31000系という電車も走っているのだが、お目当ての電車でよかった。

 車内はリニューアルされていて、快適なフリーストップ式のリクライニングシートが並び、新車並みの快適さがある。時代を感じる部分といえば、デッキとの間仕切り扉。全面ガラスですこし茶色がかった色が、ビルの中にある古い喫茶店の出入口を思い起こさせた。

 先頭車は前方を見渡せる構造で、この時代の電車としては珍しい。かつて車内販売を行っていた形跡はあるのだが、自販機コーナーに集約。4両編成の中央に自販機やトイレを集約させており、サービスコーナーと称している。

 高野線を快調に走り、住宅街も途切れてきてトンネルに入ったかと思ったら、突如現れる大住宅街。南海橋本林間田園都市。計画人口5万人という、大規模ニュータウンである。特急を使えば、大阪の都心から1時間以内だけど、いかにも街からは遠い印象だ。その分お手頃で、環境もよいのだろうか。

 こうやは目的地の極楽橋駅まで走るが、僕は橋本駅で下車。特急料金500円の投資で、快適な40分だった。
 


▲今もって色あせない「こうや」の雄姿


▲喫茶店チックなデッキとの仕切り扉


▲前面展望もOK

天空で楽しむ天空の旅路

  9時45分、橋本駅ホーム上の切符売場の窓口が開いた。橋本と極楽橋を結ぶ観光列車「天空」指定券の専用窓口である。予め電話予約をしておいた指定券を、500円なりで受け取った。今どき珍しい手書きの切符だが、どの座席に誰が座るのかも、当日、手作業で決めるのだとか。アナログだけど「人の感覚」に頼った、独特の方法を取っているのである。

 濃いグリーンに、赤い帯を巻いた「天空」が入線してきた。山岳線用通勤電車「ズームカー」こと2200系を、見違えるように改造した展望車である。なるほど、めいっぱい窓が大きい。車内も木を多用した観光列車らしい雰囲気になっており、ワクワクしてきた。中国人(台湾人?)観光客も1組乗っており、近年の海外個人旅行者の情報収集力には恐れ入る。

 切符を売っていた担当者も乗務員に変身し、定刻、橋本駅を離れた。僕の席は進行方向右側、窓を向いた座席だ。きちんと柱の位置に座席がこないように工夫してあり、展望車の名に相応しい。山陰本線の「みすゞ潮彩」に乗ったら、目の前に壁がある席があって、驚いたことがある。

 進行方向左側は、窓に背を向けた座席。端部には4人用のグループ席もあるし、先頭には全面展望が楽しめる席もあり、多彩だ。だからこそ、人の手を介したアナログな指定席の売り方をしているとも言える。

 のどかな田園風景を見ながら学文路、九度山と停車すれば、あとは極楽橋までノンストップというダイヤ。しかしこの先高野線は、急カーブ、急勾配が連続する山岳鉄道になる。この区間の山岳鉄道としての魅力を存分に楽しめるように走り始めたのが「天空」なのである。

 渓谷や鉄橋からの展望が楽しめる場所では、徐行、停車を繰り返して、観光電車の面目躍如。これまでは「こうや」もローカル列車も、何事もないかのように通過していた区間である。乗務員さんの解説もあり、よりゆったり楽しめるようになった高野線。橋本から先を「こうや花鉄道」と名付け、新たな鉄道名所がまた一つ生まれた。

 うっそうとした山の空気を吸いたくなったら、2号車の展望デッキへ。ドアに強化ガラスと柵を設け、ドアを全開にしたまま走るという、豪快なスペースだ。さすがに寒いので長居はできなかったが、全身で山の空気を浴びられるというのは想像以上で、雑誌やテレビでは伝わらない爽快感だった。いい季節なら、ずっとここで過ごす人もいるのではないか。

 途中駅はほとんどに駅員がいて、古びた木造駅舎から安全を守っているのも、時代離れした風景だ。時間があったら乗り降りしてみたいと思うし、谷間の展望が広がる紀伊細川駅なんかは、天空も何分か「観光停車」してほしい。

 S字カーブが繰り返し、23ものトンネルを抜ければ、終点極楽橋駅。思いの外短く、充実した30分間だった。
 


▲展望重視の窓向き座席


▲全開のドアから、大自然が吹き込んでくる


▲極楽橋で「こうや」と並ぶ天空
雪の高野山を歩く

 このまま引き返してもよいのだが、天空に合わせて運行される臨時のケーブルカーに乗って、高野山へ登る。「こうや」4両編成分の乗客を受けるケーブルカーなので、車両は大きく2両連結である。標高535mまで登ってきた花鉄道だが、ケーブルはそこから一気に867mの世界へ誘う。

 高野山は、言わずと知れた観光地である。今日街を歩かずとも、いずれ誰かと来る機会はあるだろう。目的は関西の私鉄巡り、先を急ぐのがより自分の旅らしい。

 しかしせっかく来たのだからと、一箇所だけは名所も見ておこうと思い、南海りんかんバスで高野山内へ。天空とお揃いの、特別カラーのバスだった。関西全域をカバーする3dayパス、もちろん南海グループの山上バスも、エリア内である。

 高野山内は、うっそうとした山々を登ってきたとは信じられないような、一つの町を形成している。パンフレットを見て、名将の墓標と木立が並ぶ奥の院への参道に惹かれたのだが、寒いという軟弱な理由でまたの機会に。千手院橋でバスを降りて、根本大塔から金堂、大門へと、雪の中を歩いた。

 3dayチケットでは高野山内の多くの仏閣も拝観料が割引になるのだが、年末年始ということで、多くが無料拝観になっていた。ありがたい気持ちで、そして穏やかな気持ちで拝観する。寒い堂内では、微動だにせず修行に励む僧侶の姿があり、寒いと奥の院まで行かなかった我が身を、少し恥じる。そして鉄道もケーブルカーもない時代、こんな山奥に霊場を築いた先人の努力に、頭が下がった。

 バスとケーブルで山を降りたが、次の電車までは30分待ち。これなら、山上で昼ごはんでも食べて降りてくればよかったと思ったが、後の祭りである。事前に電車の時刻が分かっていれば、そうしただろう。以前は、私鉄まで含めた関西圏の全電車時刻表という便利なものがあり、スルKANの旅では必須アイテムだったのだが、携帯電話の時刻検索に押される形で2002年に廃刊になっている。ケータイ時刻表も便利だが、一覧表で見られる紙媒体の時刻表の便利さとは、また違う世界のもの。復刊が待たれる。
 


▲2両連結の大型車が行き交う鋼索線


▲寺社風の高野山駅


▲大門
もう一つの「こうや」

 往路にひかれた紀伊細川駅に降りてみたくて、橋本まで各停となる急行の発車を待っていたのだが、昼も1時を過ぎていい加減、空腹も絶頂である。花鉄道の沿線散歩はまたの機会に譲り、隣で待機していた先発の「こうや」の指定券を求めた。すっかり禁煙化が進んだ日本の優等列車だが、南海には短距離列車にも関わらず喫煙席が残っており、喫煙の有無を聞かれるのが、今や珍しく新鮮に感じた。

 今度のこうやは31000系だったので、乗り比べにはちょうどいい。8両運行対応で貫通型になった31000系だけど、赤・白のこうやカラーを踏襲しており、前面展望もOKと、30000系の良さを受け継いでいる。山間の隘路を、特急の高速性能を殺してソロリソロリと降りていくのも、もう一つの「こうや」の姿。これだけの山岳路線と市街地の通勤路線を同じ車両で走らせるというのも、驚きの技術だと思う。

 河内長野で降りて、コンコースのそば屋で空腹を満たし、暖を取る。駅内そば屋なのでクイックサービスかと思っていたが、生から茹でる本格派だった。おかげで1本電車を逃したが、まあいいか。

 今度は近鉄長野線、準急あべの橋行きに乗り込む。線路幅がJR在来線と同じ、いわゆる狭軌線の南大阪線系統の路線の一つである。路線図上で見ると、南大阪線の支線に見える長野線だが、深夜・早朝を除いてほとんどの電車があべの橋直通の準急で、利便性は高い。単線の線路も富田林西口からは複線になり、時速も90kmを超えた。長野~大阪市内では南海と競合する形になるが、メインは富田林から先のようだ。

 古市から南大阪線に乗り入れ、準急運転に。河内松原からは10kmもの間ノンストップで、長野線から直通で利用できるのは便利。天王寺の繁華街ど真ん中のあべの橋まで、ラクな移動だった。
 


▲極楽橋で発車を待つ新「こうや」


▲上品にまとめられた、快適な車内
賑わいを待つ信貴ケーブル

  地下鉄で上本町へ出て、今度は近鉄大阪線へ。あいにく準急が出た直後で、普通列車に揺られる。この日、大阪線では踏切事故でダイヤが乱れ、特急も運休になるなどの影響が出たが、普通は何事もなかったかのように走った。

 河内山本駅で、信貴線に乗り換え。わずか2.8kmの支線で、電車も前後2両の短編成だが、車掌が乗っていた。慢性的な乗客減で合理化に迫られている近鉄だけに、ワンマン化も必要ではと思ったけど、見守る目の多さをあえて否定することもないだろう。

 高野線ほどではないが、ゆるやかな勾配を上りながら山の麓へ向かい、信貴山口駅着。お目当ての信貴ケーブルは、同じ近鉄の経営なので、改札内の乗り換えである。信貴線は20分間隔、信貴ケーブルは40分間隔だが、運良く接続便があった。

 乗客は僕一人。発車すれば、標高が高い場所なので、すぐに大阪都心のビル街が遠くに見え始めた。時間は夕方5時前、夕暮れから人工の光に移り変わる頃合いで、夜景を見るには一番いい時間である。登るにしたがって山深くなり、トンネルまで現れて視界は広がらなくなったが、山上での楽しみにしておこう。

 山上駅に到着。乗る時には気付かなかったが、ケーブルカーの山上側には荷台が付いており、山上への物資を運ぶようになっているようだ。駅周辺は、バス停があるだけで、まさに「何もない」状態。バスに乗り継げば信貴山朝護孫子寺まで行けるらしいが、今日は夜も迫っているのでパス。日の短い冬の旅行は、それはそれで楽しみもあるものの、やはり泣かされることが多い。

 このバス路線、戦時中までは信貴山急行電鉄という会社が、一般の電車を走らせていたという。ケーブルを乗り継いだ山上を走る普通の電車は本邦唯一だったらしく、現存していてほしかった。代替交通に相当するバスは乗客が減っているらしく、減便のお知らせが出ていた。ケーブルカーの営業成績も、推して測るべし。

 電車からケーブルカーへの乗り継ぎにも10分近くあったのに、ケーブルからバスの接続時間も20分近くある。他に行く場所もないような場所なのに、なぜすぐ接続させないのだろうと思う。

 バスを見送った僕は、高安山の山頂へ。麓の街からウォーターフロントまで、広がる大阪平野の眺めは絶景の一言。夕暮れから闇に移り変わる中で、街がどんどん光を増していく。ビル街の明かりがさほどでもないと思ったけど、今日は12月30日。多くのオフィスもお休みなのだろう。150円なりという山上価格の缶コーヒーを、これもケーブルで運んできたのかなと思いながら飲み干した。

 山上から、下りケーブルカーに乗ったのは数人。少し寂しさを感じたケーブルカーだったけど、信貴山口駅には終夜運転のお知らせが出ていた。信貴線もケーブルもバスも、すべて運転されるらしく、通常の昼間よりも本数が多いくらいだ。賑わう日は、もう2日後である。
 


▲各方面の電車がずらりと待つ上本町駅


▲寅が出迎える信貴ケーブル


▲大阪平野の夕暮れ
今も謎の駅・汐見橋

 河内山本からは準急があったので乗ってみれば、駅を通過すること、すること。行きに比べたら、それこそあっという間と言える時間で布施まで走った。

 準急という名前を聞くと、あまり速いイメージはないけど、近鉄の急行は都心側の主要駅すら通過する遠距離の足なので、近鉄の準急は他の私鉄の急行に相当するように思う。都市近郊でも遠距離へも、どちらへも早く行ける便利なダイヤだ。ただ平成24年を目処に、車両数の1割削減とともに、準急廃止、急行の停車駅増という方針が打ち出されている。要は、準急と急行の統合ということなのだろう。

 いずれにせよ、京阪神の私鉄とはまったく違った思想のダイヤ作りを行う近鉄。何度か訪れるうちに路線の8割は乗ってしまったが、中京圏を中心に、まだまだ乗り残している路線は多い。近鉄のフリーパスを手に、また乗り歩きに来たいと思う。

 奈良線と大阪線で2階建て構造になっている布施で、奈良線から直通の尼崎行きに乗換え。難波を越え、桜川まで乗ってみた。昨日も改札までは降りた駅だけど、地上の様子が気になったのだ。

 というのも案内放送や、手元の3dayパス用の地図では、近くにあるはずの南海汐見橋駅が乗り継ぎ駅として案内されていない。しかし昨日見たところ、駅では南海線乗り換えのサインが出ており、どういう位置関係なのか、この目で見たかったのである。

 結果的には、エスカレーターを上がったところに汐見橋駅があった。まさに真横、乗換え便利な位置関係である。ただし南海線・岸里玉出方面の電車は30分に1本で、つい今しがた出発した直後だった。なるほど、都会の電車としては実用性がないという判断で、案内をしていないのか。

 ただ難波で延々と歩かされるよりは、はるかにストレスの少ない乗り換えであることは確か。神戸から高野山、和歌山、関空方面へのルートとして、もっと活用できないか…難しいか。

 ちなみに汐見橋駅は、都心に埋もれた古びた駅舎も有名で、なぜか改札の上には昭和30年代の観光案内図が掲げられている。なんば線開通で変化も生じるかと思っていたけど、何も変わっていない。駅には、なんば線への乗り換えが便利とアピールするポスターもあったけど、本社サイドの姿勢を見る限り、汐見橋駅も汐見橋線も、変わらないのだろう。

 電車のない汐見橋線を見切り、難波に戻って御堂筋線で長居へ。今宵の宿は、陸上競技場の下にあるユースホステル。さすがは大阪市営、豪華な設備と言ったら皮肉っぽいかな。きわめて清潔で快適なユースである。

 とはいえ同室の人もおらず、夕食もないので、一人で街へ出た。長居駅周辺は賑わっていたが、JR鶴が丘駅周辺も地元の商店街になっており、生中350円にひかれて小さいながらも小奇麗な居酒屋へ。串カツ盛に、焼きたての明石焼きと、関西B級グルメを堪能したのだった。
 


▲時代がかった汐見橋駅コンコース


▲謎の古い観光案内図


▲左:阪神桜川駅、右:南海汐見橋駅
▼3日目に続く








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