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さよなら九州を駆けた寝台列車
後編
新幹線全通をにらむ薩摩・大隅

前編/後編
 ■ ステップアップを目指す指宿枕崎線の観光列車

 桜島を仰ぎ見る鹿児島市は、温泉都市。街中の銭湯はすべて温泉である。駅から徒歩圏内の「太陽ヘルスセンター」には仮眠室もあり、夜汽車での疲れを二時間ばかり癒してきた。

 鹿児島中央駅に戻り、「富士」到着の喧騒も去ったホームから乗り込んだのは、指宿行き特別快速「なのはなDX」。二両の自由席車に、両運転台の指定席車を連結した、ユニークな快速列車である。二〇〇四年の新幹線ダイヤ改定で生まれた南九州観光列車網の一つだが、これまで機会に恵まれず、今回が初めての乗車だ。指定席にどれほどの客がいるものかと思ったが、平日にも関わらず、ざっと三割。僕の後ろに座った中国人夫婦をはじめ、ほぼ全員が観光客だが、出張と思しき男性客も一人いた。

 特別快速とはいえ、鹿児島市内の坂之上駅までは各駅停車で、区間快速という感覚である。沿線の賑わい方は鹿児島本線や日豊本線を凌駕し、路面電車も平行する。広電宮島線と平行する、広島の山陽本線にでも乗っている気分になる。自由席の混雑も、ほとんどがこの市内区間の利用者。指定席車は、市内区間と指宿観光の利用者を分離するためにあるとも言えそうである。観光客向け列車を主要駅停車として、遠近で分離する方法もあろうが、単線で二十分間隔の運行だけに、その余裕もないものと察する。

 自由席は、他の都市圏で活躍するキハ二〇〇系気動車とほぼ同じ内装だが、指定席車両はフローリング張りの観光列車仕様。座席はリクライニングこそないものの、同じダイヤ改定で登場した特急「はやとの風」と同タイプのものである。もともと新しい車両なので、天井や壁は木ではなく、白が基調の新建材であり、新幹線「つばめ」の雰囲気に近い。指定席は一両とあって人的サービスを充実させる余裕はないらしく、他の観光列車のように客室乗務員の乗務はない。

 本来は片側三扉のキハ二二〇系だが、中央の扉の位置には縦長のガラス窓が設けられ、木製ベンチが設けられた簡易展望スペースになっている。坂之上を過ぎれば車窓左手に錦江湾が広がり、桜島までを見渡せる。ただこのスペース、ずっとご夫婦に占拠されており、僕はついに座れなかった。フリースペースたるもの、譲り合いの精神を忘れずに。

 喜入の石油タンクや、錦江湾を行き交う船舶を見ながら、忠実に海岸線をトレースしていく。内陸に入れば豪快にいくつもの駅を通過し、特別快速の名に恥じない姿を見せてくれた。鹿児島中央から約1時間の小さな旅は、こぎれいに改装された指宿駅で終着になる。

 駅には、来春の新幹線全通を祝う指宿市のポスターが掲げられていた。すでに新幹線を迎え入れ、多くの観光客を掴んだ鹿児島県だが、中国地方から関西地方まで、全通を期により広域の観光客を呼び込もうと、指宿市としても全力を挙げているのだ。

 そして「なのはなDX」も、観光特急「指宿のたまて箱」にステップアップすることが決まっている。「はやとの風」と同じく四〇系気動車の改造で、車両の左右で色の異なる、ユニークな塗装になる模様。本数は三往復と、なのはなDXに対して一往復減となり、途中停車駅も喜入のみとなる見込みのようだ。一方で快速系統の列車は廃止という噂も流れており、特急の運行時間帯にも、普通列車の一時間三本運転が維持できるのかも注目したい。

 一方で「なのはなDX」の車両は、どうなるのか。改造から6年、壁やフローリングの傷みは見られたものの、少し手を加えれば、まだまだ蘇る車両である。単行で扱いやすい車両でもあるし、構想段階として語られている三角線の観光列車として活躍するのか、あるいは「最南端の駅」を売り込むべく、指宿以南に転出するのか。こちらの動向も、気になるところである。





▲黒に装いを改めた中央駅


▲木のぬくもり溢れる「なのはなDX」


▲錦江湾を眺めながらの旅路


▲指定席車両の姿も見納めに

 ■ バスごと船に乗り込む大隅直行バス

 今日の目的地は、錦江湾対岸の大隅半島にある鹿屋市。薩摩半島からは、長らく山川~根占間のフェリーが足となってきたのだが、経営不振により休航に追い込まれている。そこに救世主として現れたのが、指宿から大根占を結ぶ「なんきゅうフェリー」。時刻表は運航ダイヤが「頃」としか示されておらず、小型船のため「一応」予約の電話を入れた方が無難という、ユニークな航路である。

 ところがなのはなDXの乗車中にわざわざ電話がかかってきており、海上にうねりがあるため今日は休航という、残念な知らせが入っていた。なのはなDXから見る海面は凪いでいるようにしか見えなかったのだが、海のプロの判断とあっては仕方がない。せめてどんな船だったのだろうかと指宿港に見に行ってみれば、本当に車を積み込めるの!? といった程度の小型船。白波が見える程度の海面でも、厳しいのかもしれない。

 両半島の突端間を結ぶ航路はこれ一本きりなので、大隅に渡るには鹿児島市内に戻る他ない。次の快速の時間まで市内をぶらぶらして、砂むし温泉にまで足を延ばしたものの、団体さんばかりで一人で入る気にはなれず。指宿駅前の足湯に足を浸し、散策の疲れを癒した。

 帰路も「なのはなDX」だったが、指定席は一度乗り試せば充分という気になり、自由席車へ。指宿発車時点では、観光客のほとんどが指定席に流れたこともありがら空きだったが、やはり鹿児島市内での勢いは都市圏路線のそれだった。篠栗線が電化された今、九州で最も賑わう非電化区間であろう。

 鹿屋まで利用するのは、鹿屋市の主導で実験運行中の「大隅半島直行バス」。大隅半島は陸続きではあるものの、道路では大きく迂回する形になるため、鹿児島市との行き来は桜島フェリーや垂水フェリーを挟むルートが一般的。しかし鹿児島市内から鴨池港に出て、船に乗って、さらにバスに乗り継いで…という手間は、土地に不案内な観光客ほど不安に思うもの。、途中の垂水フェリーに船を乗り込ませることで、鹿屋まで乗り換えなしを実現したバスである。これも新幹線全通をにらんだ事業ということで、今回、旅程に組み込んでみた。

 夕刻のラッシュに巻き込まれたのか、7分遅れで真新しい青い専用バスが到着した。鹿屋市主導のバスだが運行は大隅交通。いわさきグループのICカードも利用可能であり、ピッとカードをかざして乗り込んだ。鹿児島中央駅の発車時点で6割程度という、まずますの乗車率で出発。制服の高校生の姿も見えるが、大隅半島から通学なのか、寮住まいの休日帰省なのかは気になるところだ。

 鴨池港からは、手続きを経ることなくゲートをくぐり乗船。桜島フェリーの気軽さに近く、渡し舟の感覚である。航行中は安全のためバスから追い出されるものと思っていたが、乗っていても構わないらしい。鹿屋までの2時間、座席を動く必要はなく、直通バスの面目躍如である。

 とはいえゆったりした船の空間を求めてバスを出る人も半分くらいはおり、僕も初めての航路なので続いた。広い船内には売店やうどんコーナーがあり、ソファのような椅子でテレビニュース(天気予報に桜島の降灰予報があったことに地域性を感じた)を見ていれば、四十分の航海はあっという間である。航海中の車両甲板への出入りは禁止とあったので、バスへ戻るのは入港直前まで待っていたのだが、いざ降りてみたらすでに他の乗客は乗り込んでおり、運転士も戻ってくるか心配していた様子だった。申し訳なし。

 垂水港に着くや早くも下車する人がおり、わざわざこのバスを選んだのはどういう理由だろう。ちなみにバスの運賃は、普通にバスと船を乗り継いだ場合よりも五十円アップで設定されており、「既存バスとの棲み分けを図るため」と説明されているが、車両航送の手間や、運転士の拘束時間を考えれば、五十円アップでは済まない経費がかかっていることと思う。市主導の実験運行を終え大隅交通に委譲することになったとして、どういう運賃設定となるかが気になるところだ。

 整備された国道を走り、停車を繰り返しながら八時十分、鹿屋到着。リナシティかのやという立派な再開発施設があり、バスセンターなき今はここが拠点となっているようだ。施設は立派だけど人の気配は薄く、迎えが来るまでどうしようかと思っていたが、駐車場から見慣れた友人の姿が現れた。

 鹿屋は、合併前でも人口八万を有した大隅半島の中心都市。ただ中心市街地の落ち込みは激しく、大隅線なき今、公共交通を担うはずのバス網も壊滅状態という、あまり明るい予備知識は持ち合わせてなかった。

 しかしさすがは拠点都市で、夜の街の賑わいは人口規模に比して結構なもの。値段も久留米と比べれば安めで、久しぶりに会った友人と、楽しい時間を過ごすことができた。



 


▲湯気の上がる指宿の海岸


▲残念ながら欠航となった「なんきゅうフェリー」


▲バスごと船へ!鹿屋直行バス


▲垂水港は高速の料金所みたい


▲一見都会の商業施設に見えるリナシティ

 ■ 夕方からの鹿屋観光、夜からの帰宅

 明けた勤労感謝の日は、勤労に感謝しつつ昼ごろまでダラダラと過ごし、日も傾き始めた時間に友人の車で、鹿屋観光に出発。

 まずは市役所隣の、鹿屋鉄道記念館へ。旧国鉄大隅線の活躍を記念し建てられたもので、鹿屋駅の資料や国鉄時代の資料が所狭しと並んでいる。キハ二〇系気動車は、色あせながらも当時の広告がそのまま残されており、国鉄時代のローカル線の雰囲気を伝えていた。廃止時の「広報かのや」も残されていたが、廃止を冷静に受け入れる内容だったのは意外。お国から「転換交付金」というご褒美をもらうことから、国の政策に反することなど書きにくかったのかもしれない。

 そして鹿屋といえば、海上自衛隊鹿屋航空基地も、立派な観光資源の一つ。敷地内に、鹿屋市の観光物産館があることからも、その存在感が伺える。さすがは防衛省で、資料館も立派。屋外に展示されている退役機の数々も、磨きこまれていて美しかった。

 昨夜は真っ暗闇だった海岸線を走り、一路、垂水から桜島へ。鹿児島まで七十キロという道路標識が現れるが、メインルートは垂水フェリーや桜島フェリーを使ったショートカットルートのようである。展望台では、微妙に噴煙の上がる桜島を、台湾人の観光客とともに仰ぎ見た。円高が止まらないが、阿蘇や太宰府を初めとした九州の代表的観光地は、相変わらずアジア圏からの観光客を集めているようだ。九州新幹線が、より広範囲にいい影響を広めてくれたらと思う。

 桜島フェリーターミナルで友人の見送りを受け、鹿児島市内へと戻る。桜島町営から、合併で転じて鹿児島市営となった桜島フェリーは、垂水フェリー以上に気軽な交通機関。ピーク時は十分間隔で結び、ICカードも使える、まさに足代わりの渡し舟だ。

 わずか十五分の航海でうどん屋が営業しているのは立派で、大急ぎでうどんをかきこむのも、一種の儀式と言っていい。鹿児島の知り合いも、「あのうどんはうまい」と口を揃えて言う。確かにうまいけど、海風に吹かれすする爽快さも、多分にいい調味料として働いているように思う。

 電停まで歩き、鹿児島最大の繁華街・天文館の夜景を見ながら、中央駅へ。鹿屋の夜の街での散在で、財布の中身が寂しくなっていたのでATMの世話になったが、駅の中の土産屋はJR九州のICカード「SUGOCA」が通用して、現金に頼る必要はなかった。今でこそ、鹿児島では電子マネーとしての利用しかできない「SUGOCA」も、数年以内を目処に、鹿児島都市圏の在来線でも使えるようになるとか。バス・船のICカードとの共通化は話題にもなっていないようだが、実現に向けて動いてほしい。

 帰路の新幹線は自由席利用が基本になっており、十九時十四分の「つばめ六十二号」で帰ることにした。こんな時間から久留米へ気軽に帰ることができるのも、新幹線の威力である。そして来春、九州新幹線の全通で、もっと気軽になる。

 八〇〇系新幹線は、来春以降はN七〇〇系に主役の座を譲り、補完的な役割に徹することが決まっている。また速達方の「さくら」の運用にも入ることから、車体に彩られた「つばめ」のロゴや文字は消されることにもなった。最上級の列車として、毛筆の「つばめ」の文字も誇らしげに走る「つばめ」の姿も、記憶に留めておきたい。

 がら空きのまま新八代に到着。これもあと少しで見納めの3分乗り継ぎで、リレーつばめの人となった。五百円なりのビールセットを傾けていれば、九時半前には久留米着。遠路はるばるのブルートレインに比べれば、あっさりとしてあっという間な、現代の旅だった。



 


▲鉄道の町の名残を伝えるキハ20系気動車


▲「名機」が揃う鹿屋基地


▲今日も噴煙を上げる桜島


▲8両対応への準備はまだの鹿児島中央駅

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