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旅は道連れ ~ゴールデンウイークを韓国で遊ぶ~
3日目
市民の人生に芸術を

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 ■ 敷居の低い芸術公園

 明けて5月3日、朝8時。寝不足の日々だが、もったいないとばかりに行動を開始する。

 腹が減ってはというわけで、まずは朝飯探し。ホテル周辺にコンビニやパン屋はあるものの、韓国に来てまでパンでもあるまいと思っていたら、交差点にお粥チェーン店を見つけた。「本粥」を初め、韓国ではお粥も立派なファーストフード。しかし僕は店で食べたことがなかったので、よい機会と思い扉を開けた。

 6~8千ウォンとなかなかいい値段だが、5人でいろんなメニューを注文。僕のキノコ粥は、お粥というか雑炊風邪で、飲んだ翌朝には有難い味だった。おかちゃんがチャレンジしてみたプレミアムメニューのチーズ粥は、リゾット風味で思いの他いける。

 「日本にお粥のチェーンなんてないよな」
 「薬院あたりでやったら、絶対に流行るって!」
 と、日本にない業態に商機を感じた我々。日本で韓国にない業種を探すんだと息巻いていた韓国人留学生を、逆に思い出した。

 今日の午前中は、僕、たっちゃんの郊外班と、こんちゃん、クラキチ、おかちゃんの都心班に分かれて行動。僕らは1号線の下り電車に乗り、安養(アニャン)駅を目指した。休日の、ラッシュと逆方向の電車なので、ガラ空き。なぜだか徐行運転を繰り返し、たっぷり時間をかけて安養駅に着いた。

 目指す芸術公園方面のバスはないので、例によってタクシーを掴まえ飛ばす。公園に近付くにつれ登山用品店が増えてきて、登山口でもあるようだ。芸術公園自体は、ヘイリと同様、入場料を取るような施設ではないようで、とりあえず一番奥で降ろしてもらった。

 安養芸術公園、もともとは安養遊園地というプールやレジャー施設を備えた憩いの場だったそうだが、安養公共芸術プロジェクトの一環で芸術公園としての整備が進められたとのこと。市民の「人生の質」を高めるべく進められたプロジェクトである。

 しかし芸術公園といっても、敷居の高いものではない。ゲートもなければ、順路もない。雰囲気も普通の、登山口にある山麓公園といったところで、訪れる人も登山客か、散歩がてら訪れた近所の人である。

 そこに自然に置かれている、著名な芸術家の作品群。扱いは美しいものではなく、老朽化で崩れかけているものもある。その分、遠慮なく近づけるし、触れるし、座れる。芸術への理解・関心がある人へだけ向けたものではなく、すべての市民の日常の中にアートを。そんなコンセプトを体言していた。

 場所が場所だけに、公園内のアップダウンは激しい。仕事疲れのたまっているたっちゃんは、ヒイヒイ言っている。訪れる際は登山用の装備まではいらないけど、スニーカー履きで行くのがよいだろう。展望台までの道のりも自分の足を信じるしかないが、安養市を一望する絶景が待っている。



▲家のようだが屋根はない


▲オランダMVRDVの展望台


▲森にたたずむビールケースの家は…


▲幻想的な光を投げかける

 ■ 東大門で傘を買う

 時間を見れば、もうお昼過ぎ。地下鉄を乗り継ぎ、梨花女子大学へと向かった。

 目的は、キャンパスセンター。正門を入ると、ゆるやかに下る坂道へと吸い込まれる。しかし両側の地盤は逆に上がっており、地盤だと思っていたのは実は建物で、地下5階規模のキャンパスセンターとなっている。もはや建築物のか土木構造物なのか、その境界すら曖昧にさせるダイナミックさだ。写真では、スケールが伝わりにくそうである。

 思い切った設計というか、土地使いというか。あえて高低差を設け、坂道と大階段というシンボルを作り出すとは。階段は恐らく目論見どおりだろう、学生たちが三々五々集まり、シンボリックな憩いの場となっていた。

 両側の切り立った崖ならぬ建物は、正面からみると平鋼のスリッドの列が壮観。立ち止まって横を見れば、一面のガラス張りを通して、学生の活動が手に取るように分かる。夜は特に、内部がくっきり浮かび上がるんだろう。ぼおっと最高学府の人間観察をしていても、面白そうだ。

 本当は内部の図書館やカフェも覗いてみたかったが、場所は女子大。男同士二人では、キャンパス内にいること自体、憚られる雰囲気である。しまった、妹を連れてくるんだったなと思ったが、後の祭り。歴史的建築物も多いキャンパスなのだが見学はほどほどにし、学生街でトッポッキを遅い昼食にした。

 地下鉄2号線で、明洞(ミョンドン)へ。書店のリブロで、買物チームと合流した。お土産品をだいぶ買い込んだようだが、クラキチは頼まれていたCDが見つからないと、浮かぬ顔。まあどこかで見つかるさとなだめつつ、東大門(トンデムン)へと移動した。

 2号線の東大門運動場駅は、野球場の廃止とともに東大門文化公園駅へと名称変更。同時に駅内のサインもすべて書き換わっており、民鉄の9号線でお馴染みのサインと同タイプのものになっていた。フォントが独特で視認性にも優れており、お気に入りのサインだったのだが、9号線の商標ではなかったのか。地上にある名所案内サインも、いつの間にか同様のものに変わっていた。

 変わったのは、サインだけではない。運動場跡地の工事も進み、在来市場の一部もつぶして、高層ビルの建設が進んでいた。今までの市場の店を飲み込むのか、まったく新しい複合施設となるのか。1年来なければ、すっかり街の姿は変わってしまう。お陰で、こんちゃんがお気に入りだったという市場も閉鎖になっており、目的を果たせず残念。所狭しと商品の並ぶ雰囲気だけを楽しむ。

 朝から曇りだった天気だが、とうとう雨が降り出した。通り過ぎた中に、傘の専門店があったのを思い出し、訪ねてみた。

 僕の韓国旅行では一つ決めていることがあり、それは傘を持っていかないこと。雨が降れば、現地で調達することにしている。それも、折り畳み傘を。

 1999年、高校3年生の時に初めて韓国を訪れた時、最初の訪問地・大田を韓国人の知人と歩いていたのだが、その時も大雨に見舞われた。急ぎ足でデパートに入り、買い求めたのが、1万ウォンの折り畳み傘。さっそく開こうとしたのですが、開かない。
 「こうやって開くんですよ」
 ボタン1発で、バサッと開いてびっくり。更に、ボタン1発で閉じてなおビックリ。最近は日本でも見るようになった、1発オープンのジャンプ式折り畳み傘だが、韓国では11年前から、すでに一般的なものだったのだ。日本に帰国してからも愛用していたが、複雑な構造にも関わらず、数年間活躍してくれる丈夫さも持っていた。

 その後の留学で気付いたのだが、どうやら韓国では折りたたみ傘の方が一般的なようだ。日本での折りたたみ傘のシェアは25%程度らしいが、韓国は8割に達するそうである。需要が多い分、折りたたみ傘の種類も豊富で、機能性に優れた商品が多いのだろう。

 以後、韓国で傘を買うことを、毎回の習慣にしている。もちろんどれを選んでも丈夫というわけではなく、一般の個人商店やコンビニで買うと、粗悪なモノに当たりやすい。個人的な経験では、デパートで1万ウォン、ショッピングセンターなら8千ウォン程度出せば、まず外れはないと思う。

 こんな習慣のある人間もあまりないだろうと思っていたら、こんちゃんが全く同じ意見を持っていて、びっくり。さすがに専門店だけに種類が豊富で、僕とこんちゃん以外もお土産にしようと言い出した。僕は徒歩通勤で雨の中を歩く距離が長いので、少し大きめのもの(1万2千ウォン)を買ってみた。大きさも機能性も問題なかったが、後で使ってみると、取っ手が少し大きく、長い時間持っていると疲れやすい商品だった。モノ選びは慎重に。

 


▲細身の街路樹が爽やかな梨大前


▲ダイナミックな地形を作ってしまったキャンパスセンター


▲横から見れば、学生の動きが一目で


▲日々刻々姿を変える東大門


▲9号線方式に変わった東大門文化公園駅のサイン

 ■ ソウル一人暮らしの実態

 3号線で安国(アンゴク)駅へ。夕方6時とちょうど退勤の時間で、現代建設の社屋からは身なりのいい社員さんがぞろぞろ出てきていた。韓国でもエリート中のエリートのはずで、自信や余裕が感じられるというのは、先入観あればこその見え方か。

 僕ら、日本で中の中レベルの生活者は、夕暮れの時間を迎えた北村の韓屋村へと足を進めた。何度も通った大好きな街だが、夕方とあってはカフェやギャラリーも開いておらず、中に入れる韓屋はなかった。坂道の狭い路地に並ぶ韓屋街もいい風景だが、僕も含め、一同歩きつかれた感があり、素直に駅方面へと戻る。

 明日帰国組の3人にとっては最後の晩餐でもあり、「牛が食いたい!」というのは一致した意見。路地裏にいい雰囲気の焼肉屋があったので、飛び込んでみた。現代建設のお膝元で、隣の席にも例によって「身なりのいいサラリーマン」が盛り上がっている。値段も、相応。しかし、いかにも「いい肉」といった品質で、うまかった。高いとはいっても、ビール何本か開けても一人3,000円程度で「高い」料理を味わえるんだから、お得感がある。

 案内人として留学時代の友人、ジユンも来てくれて、
 「ずいぶん高いところにしましたね」
 と言われながら、最後の晩餐を終えた。

 食後は、僕の「高麗大コース」と「夜の街コース」に別れ、高麗大コースにはクラキチが付いてきた。ひとまず目当てのCDを探すべく、鐘路の大型書店によって見たものの、ここにもなし。廃盤に近い商品なんだろうか。

 高麗大までは面倒くさくなり、3人もいるからということでタクシーを奮発。安岩(アナム)駅から徒歩10分ほどの場所にある、妹の住む考試院(コシウォン)を訪ねた。

 考試院は字面から想像の付く通り、元来は勉強のための簡易住居のこと。トイレ、風呂共同で、住居は3畳程度。静かに過ごすのが鉄則で、友人も連れて来られない…というのが本来の姿だ。だが最近は賃貸アパートに近い概念の考試院も多いようで、妹の住まいも友人から紹介してもらった、高級な部類の考試院とのことだ。

 なるほど、共同の玄関には厳重なナンバーロックがかかっているし、トイレやシャワーもきれい。部屋も6畳近くありそうで、快適に住めそうだ。同ブロックの住人にさえ恵まれれば、普通の一人暮らしより余程安全と思う。まずはきちんとした所に住んでいて安心。里の両親にも、心配なしと伝えられる。

 妹は飲み会があるとかで、荷物を受け取ってお別れ。男3人で近所のバーに入り、しみじみと洋酒を傾ける。英語は堪能なクラキチだが、店員に英語ができる人はおらず、もっぱら会話は僕か友人を挟んでのもので、それはそれで楽しめたらしい。だが帰ってから聞いたところによると、本気で韓国語をやろうと考えているのだとか。

 二度と行きたくない国の言葉を学ぼうだなて、思わないだろう。一緒に来て良かった。

 


▲瓦屋根が連なる北村の韓屋村


▲タクシーを飛ばし東大門を横切る


▲一般のビルのようだが実は考試院


▼4日目に続く
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