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西日本パスで行く小さな大旅行 ~秋の富山・黒部峡谷へ~
1日目
伸びる富山の路面電車

1日目2日目

「高速千円」の余得で

 昨年のリーマンショックに加え、高速道路「土日千円」の影響で、JR各社の影響は深刻だ。特に、もともと経営基盤の弱い西日本、四国、九州の各社は、乗客数の「激減」ともいえるほどの苦境にあえいでいる。

 この状況を打破すべく、各社とも対抗割引を打ち出した。特にこの春、3社が共同で発売した「西日本パス」は、JR西日本・四国の全線と、九州の一部区間が2日間乗り放題で1万2千円。3日間でも1万6千円という、「特割」ともいうべき激安きっぷで、大好評を博した。

 ただ智頭急行線など、利用できない路線の車両をパンフレットに載せたり、モデルコースを掲載したりしたため、現場ではトラブル続出。秋バージョンでは値上げされた代わりに、智頭急行とJR九州も含めて全線乗り放題となった。2日間用1万8千円、3日間用2万円で、これでも充分に安い。

 そして注目は、プラス2千円でグリーン車乗り放題になることだ。グリーン車なんて、料金の安いJR九州、グリーン車乗り放題きっぷのある四国では何とか手の届く範囲だが、JR西日本、それも新幹線のグリーン車ともなればまさに高嶺の花で、滅多に乗れるものではない。これはチャンス、ぜひ乗りたい、旅をしたい。

 JR西日本の割引きっぷは「2名以上で利用の場合のみ発売」というものが多く、鉄っちゃん仲間のいない僕にはこれが何よりの障害だったのだが、4月に転職した職場の同期仲間から1人発見。大学で都市計画を専攻したことから富山のライトレールには是非乗ってみたかったということで、行き先は富山に決定。僕はライトレールに一昨年乗ったので、2日目には未訪の黒部峡谷鉄道も盛り込み、鉄道盛りだくさんのスケジュールが出来上がった。
1泊2日の「小さな大旅行」の始まりだ。


N700系のぞみ14号(博多~新大阪) 奇をてらわないシックなグリーン車

 十月十日土曜日朝7時半、久留米駅にて同期と合流。まずは「有明」の自由席で博多へと上る。グリーン車用の西日本パスではあるが、グリーン券との引き換えは6回まで(3日間用は8回まで)に制限されており、博多まで30分にも満たない区間で利用しては損だ。土曜日とはいえ通勤客も多く、豪華な787系電車に日常の空気を乗せ、博多まで一気に駆け抜けた。

 博多駅で新幹線改札を抜け、大名旅行のトップランナーに選んだ「のぞみ14号」のグリーン車の扉をくぐった。せいぜい覗き見る程度だった新幹線のグリーン車に堂々と乗るだなんて、かなり出世したような錯覚に陥る。

 やはり、ゆとりが違う。ふっくらと体を包み込むようなシート、広々とした足元。「ひかりレールスター」の普通車指定席も4列で、「まるでグリーン車だな」なんて気分で乗っていたが、本物のグリーン車はワンランク上のグレードがある。

 JR東海と西日本の共同開発によるN700系。九州の車両のような独特のデザインではないが、アルミや木目などポイントごとに素材感を出し、暖かな照明とあって雰囲気もよい。サニタリー周りも、洗面台や小便器にセンスあるものを使っていて、高級ホテルか百貨店のような雰囲気を醸し出していた。なかなかの完成度と思う。

 博多駅を離れ、猛然と加速して一路東へ。N700系の特徴のひとつが加速度のよさで、通勤電車並みとも言われる。

 一方で高速性の犠牲となったのが車窓の楽しみで、窓が飛行機のものとも思えるほど小さくなってしまった。これじゃあ通路側からの車窓なんて、文字通りほとんど望めないななどと、以前小倉まで普通車に乗った時には思ったものだが、今回は通路側に座っても、それなりに車窓に目をやれる。慣れかなと思って、はたと気付いた。グリーン車は座席ピッチが広い分、窓も少し大きいのである。

 新山口を出ると、客室乗務員からおしぼりのサービスがあった。紙製ながら、居酒屋やチェーンの喫茶店で供されるそれとは違い、厚手でしっかりした質感。さすがはグリーン車と思うものの、サービスがこれだけとは少し寂しい。乗客の数も多いので、九州のように飲み物や雑誌のサービスまで行き届かないのは仕方ないと思うものの、せめてスリッパくらいは置いておいて欲しいと思う。飛行機の上級クラス然り、サービスまで含めてのプレミアムである。東海道区間では席が埋まるのだから、会社乗客双方、これを打拠点としているのかもしれないけど…

 博多はガラガラで発車し、小倉、新山口、広島と停車する度に乗客が増えていくのが、早朝の山陽新幹線のパターンだが、今回は博多から半分以上の席が埋まっており、広島あたりまで少しずつ乗客を迎えて満席となった。3連休とはいえグリーン車にこれだけの乗客が集まるのも、パスの効果に違いない。子連れの乗客も多く、雰囲気は普通車に近かった。まあ我々も、グリーン車らしい雰囲気作りに貢献できていないのは、明白ではあるが。

 岡山を出ると、乗客アンケートのお願いが回ってきた。特に「西日本パスがなければ旅行をしなかったか」という設問がキーのようで、今後の商品開発へフィードバックされていくようだ。自由記述欄はなかったものの、欄外に「高速無料化反対!」「負けるなJR!」と、応援メッセージを書き添えておいた。

 いつみても六甲の緑が気持ちいい新神戸を出て、トンネルを抜け阪急の茶色の電車を目にすれば、あっという間に新大阪。西日本パスの利用区間も、JR西日本管轄のこの駅までだ。パスの利用者が多いことを証明するかのように、半分以上の乗客が席を立った。


 


▲満員御礼のグリーン車


▲洗面所はホテルライク


▲今や珍しくなってきた喫煙室は健在


流れるような曲線を描き新大阪を離れる

雷鳥17号(新大阪~金沢)最後の活躍を魅せる僕らのスター特急

 新大阪駅は乗り継ぎ利用ばかりで、駅の外に出てみたことがなかったので、20分の時間を利用して、少し外に出てみた。周囲にビルは立ち並ぶものの、空が広く、やはり中心部とはいえない位置のようだ。振り返って、駅舎のデザインは時代がかった感じだが、乗り継ぎ利用が主な駅とあらば、あまり外観は意識しなくていいのかもしれない。

 グリーン車の旅2番手は、国鉄型特急車両485系が活躍する特急「雷鳥」号。この10月から雷鳥のうち、3本が新型車のサンダーバードに入れ替わっており、残る雷鳥はわずか5往復。同じ北陸路の国鉄型特急「加越」「しらさぎ」も新型車に置き換わって久しく、まさに最後の力走を見せる、往年の花形特急である。

 新大阪駅のカーブを切って入線してきた雷鳥は、九州でほとんど見られない、国鉄色だった。それも9両と、今となっては長い編成だ。いつでもどこでも見られていたような列車なのに、JRも21年目となると、かなりの希少性が出てきた。

 懐かしい気持ちで車内に入ってみたが、車内も国鉄時代の雰囲気を残すかと言えば、決してそうではない。普通車、グリーン車ともに座席部分の床がかさ上げされ、窓も大きくなりワイドな展望が広がる。座席もJR仕様で、洗面所なども手が加えられており、清掃が行き届いた清潔な雰囲気だ。

 そしてグリーン車は、3列のどっしりした座席が並ぶ上、後方大阪方への展望が広がるパノラマ仕様。かつては「スーパー雷鳥」として名を馳せた、新生JR西日本の看板特急だった車両である。

 JR各社が矢継ぎ早に新型特急の開発に着手する中、関西都市圏輸送を主眼に添えた西日本の車両改善は、まず近郊電車からだった。特急電車の新造までは485系の改造でまかなったというわけだが、グリーン車が1両半を占め、半車はラウンジとカフェテリアに当てられていた車内は、まさに花形特急だった。石川県七尾市に親戚がいたので、その頃のスーパー雷鳥にも乗ったことがあるのだが、華やいだ雰囲気は今も強く記憶に残っている。その後「しらさぎ」から「雷鳥」へと転用される中で、さすがにラウンジ車こそ消え去ってしまったものの、往時の看板特急の雰囲気もまだまだ健在。そう、僕にとってこのグリーン車に乗ったことは、国鉄の雷鳥でなく、少年のころ華やいで見えた「スーパー雷鳥」グリーン車への念願を果たしたことになるのだ。

 クリーム色の壁に、パステルカラーの座席が並ぶ車内の調度は、同時期に新造された100系新幹線や、寝台特急「あかつき」のレガートシート車(座席指定席車両)に通ずる所があり、懐かしい。デザインの変遷でいえば、JR九州はもう何度も舵を切っているものの、西日本も同世代の車両には、概ね共通項が見られる。

 できればせっかくのパノラマ型グリーン車なので、最後尾のパノラマ席に乗って流れ行く景色を楽しみたかった。サンダーバードに対してBクラスの特急でもあるので、席は簡単に取れるのだろうと高をくくっていたのであるが、実は一番取り辛かったのが、この列車の券である。パスの影響もあろうが、古くて避けられがちな雷鳥の活性化を図るべく発売されている「雷鳥指定席往復きっぷ」の利用者も多いようだ。グリーン席も廉価で、特に子供料金が安いことから、グリーン車も子連れの乗客が多かった。大きな座席を持て余している様は、ちょっともったいない気もする。

 右手に琵琶湖が見えてくる頃には、車内販売が現れた。北陸路の車内販売は、充実していることで有名。沿線の駅弁も、どっさり積み込まれている。僕は焼きかに弁当、同期のK君はえび寿司をセレクトし、車内いながらにして北陸の味を堪能した。

 引退間近とはいえ、まだまだ走れそうな485系ではあるが、国鉄型らしい一面も。車内の温度は一斉制御できないため、時々車掌がデッキの盤を開けて温度調整を行っている。それでもきめ細かく目配り(肌配り?)するのは難しく、車内の温度は一定しなかった。モーターのないグリーン車では関係ないが、普通車ではモーター音も大きく、鉄っちゃんには良くても、一般の乗客には耳障りかもしれない。

 途中、踏切内での異常感知とやらで9分ほど止まり、その後は力走し追い上げたものの、8分遅れで金沢に到着。残り短い古豪の活躍であるが、最後の日まで無事に走りきってほしいと願いつつ、次の列車へと歩みを進めた。

 


▲外観が国鉄特急の風格を残す


ワイドな車窓を楽しめるパノラマグリーン車


▲視界が広がるよう、小さめにした背もたれが特徴


▲JR型車両なのに国鉄色というのがユニーク


はくたか17号「ニュースピード雷鳥」から18年

 金沢駅では、真横のホームに次なるランナー「はくたか」が待ち構えていた。金沢から越後湯沢まで走り、上越新幹線で東京へとリレーする、こちらも幹線ルートの特急電車だ。JR世代の特急電車・681系だが、車体のへこみや汚れがひどい。「はくたか」の入る北越急行線は、単線トンネルと豪雪の中を160kmで走る過酷な環境で、車体も無傷ではいられないのかなと、弁護してみる。

 この列車は富山まで35分間の乗車ではあるのだが、先々の予定を熟考した上で、グリーン「権」を1回行使することにした。車体はひどかったものの、車内は美しく、白熱色の照明が照らす雰囲気は上々。なによりグリーン車の座席がどっしりと大きく、ひとたび座ってしまえば、他者の存在が気にならなくなる。プライベート感では、パノラマ感を重視した485系はもちろん、新幹線のグリーン車をも凌駕するものと感じだ。

 なにより居心地よく感じたのは、赤い枕。頭をふんわりと包み込んでくれて、席を大きく倒せば、あっという間に夢の中へと堕ちて行きそうである。

 心地よい加速感とともに、金沢を発車。北陸新幹線の工事は少しずつ進んでおり、民主党政権の中でも整備新幹線の見直しはなさそうだから、数年後には平行する「はくたか」も大変革の時を迫られよう。なにより、「はくたか」の収益がほぼすべての北越急行がどうなるのか。新幹線に光と影はつきない。

 東京起点では時間がかかり、小松空港という選択肢もある金沢よりも、富山からの乗客がメインのようで、車内はガラ空き。写真を撮りつつ車内を巡っていると、面白い施設を見つけた。その名も「プチカフェテリア」。カウンターにショーケースを備え、売店的な役割を担う設備だったのだが、本来の目的で使われたことは一度もなく、もっぱら車内販売の準備室としてお勤めを果たしている。

 もともとこの681系は「サンダーバード」として活躍していた車両で、プチカフェテリアという設備も、当時のスーパー雷鳥にあった「カフェテリア」の役割を引き継ぐ狙いがあったようだ。しかしラウンジスペースはなく、売るものも車内販売と同じではわざわざ足を運ぶこともないというわけで、営業されず仕舞いに終わった。モデルチェンジ車ともいえる683系では当初から設置されず、ゆとりは削られていく傾向にある。小学6年生の時、富山駅で「ニュースピード雷鳥」として試作車の展示会が行われていたのを見学してから、はや18年。その間にも、時代は流れた。

 とはいえ、その他の部分の基本的な設計思想は今でも充分に通用し、飽きの来ない完成された車両と言えそう。北陸から大阪、名古屋、越後湯沢へと路線を延ばす上、将来的には整備新幹線の延伸時の転用も視野に入れなくてはならないJR西日本にとって、どの路線でも長く使える車両は必須だったのだろう。国鉄型485系電車に迫る、新たなスタンダードを作ったと言えそうだ。

 プチカフェテリアに掲げられた列車の現在地表示の地図には、現行のルートに加え、「北越」の新潟ルート、快速「妙高」の長野ルート、さらには「くろしお」の南紀ルートまで描かれており、興味深かった。現状より上回る汎用性を狙っていたのだろうか。

 わずか35分の乗車では惜しく、せめてパスが通用する直江津まで行ってしまいたい気分に駆られたが、旅の目的地である富山で下車した。




▲少し外観が痛々しい「はくたか」


ふわりとしたすわり心地のグリーン車


▲プチカフェテリアの路線図には「野望」の跡が


▲使われることはなかったカウンター


富山ライトレールすっかり定着した日本初の本格的LRT

 富山駅では北口に出て、2年前のGWに対面して以来のLRTに再会した。デザインされたヨーロッパスタイルの電停と電車は、今もって新鮮だ。北口駅舎内の「ポートラムショップ」で一日乗車券(地鉄市内電車と共通で800円)を買い求め、さっそく乗り込んでみた。

 3連休ではあるが、3時すぎという時間にも関わらず、観光目的の乗客が多いのには驚き。2年前のGWも、ほとんどが岩瀬浜への観光客が占めていた。昔ながらの街並みが残り、運河を渡る風が気持ちいい岩瀬浜は大好きな街だが、「おしゃれな電車に乗って行く」というのも目的の一つになっている人も多いのでは?
 「オランダの路面電車も、こんな雰囲気だった」
 と語る女性がおり、本場ヨーロッパと比較できるのは羨ましいと思う。

 駅前に新設された併用軌道区間から、旧JR富山港線区間である専用軌道区間に入って最初の停留所・奥田中学校前からは、足腰の弱ったおばあちゃんが一人乗り込んできた。かと思えば、次の下奥井で早くも下車。この間の運賃は、高齢者限定のシルバーパスカで100円である。

 もちろん安いのも利用する動機にはなったのだろうけど、これが昔の富山港線の電車だったら、切符を買って階段を上って、同じように電車に乗ったのだろうか? あるいは、もし地下鉄ならば? お年寄りには、辛いのではなかろうか。ライトレールという、文字通り気軽な都市基盤の有用性を、土木屋の同期と確認しあったのだった。

 低床電車ならではの、地面スレスレの迫力ある車窓を楽しみつつ、岩瀬浜に到着。前回探訪した岩瀬浜の街並みはパスして、岩瀬浜海水浴場へ出てみた。九州・久留米を出発して9時間、北陸の日本海側にまで出てきたことを、潮風を浴び体感として刷り込んだ。波が高くサーファーの姿が目に付く。彼らがライトレールに乗りやってきているのなら、しゃれたライトレールの雰囲気も一層…と思うのだが、まあクルマだろう。

 帰路は、本社と車庫のある城川原で途中下車。ポートラムは1周年やクリスマスの節目に電車を装飾(これがまた、センスの光るデザイン)しているのだが、車庫の扉にその装飾を貼り付け、残していたのがほほえましかった。記憶を受け継ぎ、電車の路線は愛され、育まれていく。

 そして次に乗った電車も、3周年の記念電車「hana PORTRAM」。先頭には、「感謝と笑顔とエコのはな」という素敵なキャッチフレーズを掲げ、側面には沿線の子供たちが描いた絵を装飾している。子供の絵はほほえましいが、無秩序に並べるとどうしても雑多な印象になってしまう…と、著名なデザインの先生からの講義で聞いたことがあるが、そこはさすがのポートラム。パッチワーク調に飾られ、可愛くも雑多ではない、絶妙のバランスに仕上げられていた。

 車内の座席も、子供の絵をポップにデザインして彩られており、壁には床からの高さを、木をモチーフにして表した装飾も。背比べに使うのかしら、それとも「子供たちと共に成長するポートラム」を表したのだろうか。

 富山港行きの電車も、沿線利用者や競輪帰りのおっちゃんだけでなく、遠方からの来客を案内する地元の人もいて、「日本初のモデルケースなんだよ」と誇らしげに話していたのが印象的だった。




▲運河を渡るポートラム


フィーダーバスとの連携輸送も確立


▲日本海側までやってきた


▲人気者のポートラム


富山地鉄市内線完成間近の環状線を歩く

 さて富山駅南口には、北陸本線という「天の川」をはさんで、いつか出会えることを待つ路面電車の「もう一つの片割れ」、富山地方鉄道(地元では、地鉄と略す)の市内電車がある。今度はこちらに乗ってみよう。

 地鉄には数両の新型電車が走っているものも、ほとんどの車両はいわゆる「チンチン電車」のイメージである、旧態然とした電車が活躍。軌道も古びているし、寒い土地なのに電停には風除けはおろか、屋根すらない。
 「駅の北と南で、こんなにも違うものなんですね」
 と、K君も驚いた様子だ。

 しかし地鉄市内線でも、富山駅から西町、南富山駅方面は日中5分間隔で走り、15分間隔のライトレールと比べれば極めて便利な移動手段だ。富山大学方面は10分間隔になるものの、覚えやすい便利なダイヤ。空いている電車が多いにも関わらず、高頻度運転を維持する姿勢も立派だ。

 そしてUの字型に結ぶ路線をショートカットするように結ぶ「環状線」の工事が、今年12月の開業を目指して進められている。当面は駅前から環状運転を行い、新幹線開業と共にJR富山駅が高架化された後は、ポートラムとの相互乗り入れを視野に入れている、息の長いプロジェクトの第2弾である。開業後に訪れてみたかった気もするが、路面電車の新線建設工事という、滅多に見られない現場も興味深い。さっそく、富山一の繁華街・西町方面から歩みを進めてみよう。

 西町付近の線路では、ようやく分岐部の工事に取り掛かったところだった。舗装をはがし、舗装の下に眠っていた枕木も掘り返しての作業のようだ。

 右折し平和通りに入れば、軌道の建設作業が急ピッチで進められているところだった。路盤はほぼ完成しているが、線路の敷設や電気関係はまだまだこれからの模様。電停も姿を現してはおらず、12月下旬の開業に間に合うのか? と思わなくもないが、路面電車の工事は一般鉄道と比べて早いのかもしれない。

 大きなデパートが立つ目の前の幹線道路を路面電車が横切る様子は、他都市の路面電車に通じるところがある。線路敷の部分は、既設の道路から一段上がっており、今のところ横断歩道を渡るにも、ヨイショと段を越えなければならない。完成後には道路をかさ上げするのだろうか? 興味深い。

 さらに右折し、富山駅方向にやや戻る感じで大手モールへ。こちらはゆったりとした道幅の割に交通量が少なく、石畳の舗装と相まってトランジットモールのような雰囲気になりそう(実際はマイカーも通るのだが)。背景にはライトアップされた富山城もそびえ、名撮影地となりそうである。

 今度は左折して、お堀端を走ることに。夜景もおしゃれな国際会議場の前を走る電車も、これまた絵になりそうである。そのまま直進すれば、再び市電と出会い、富山駅方向の線路につながるという按配。実際には環状線は単線運転となり、歩いてきたルートとは逆周りに電車が走る予定とのことだ。

 このように歩けるほどの距離とはいえ、中心市街地の主要施設を効率よく巡るルートになっており、よくできた計画だと思う。環状線計画は地元では賛否両論のようで、実際に中心市街地活性化やコンパクトシティ作りに貢献できるのか、フタを空けてみないことには分からない。予想以上の成功を収めているポートラムと同様、全国から注目され後に続くようなモデルケースになってほしいと願いつつ、地鉄市内線に乗り富山駅へと戻った。




▲新型車も走るものの、旧態然とした地鉄市内線


1段高くなっている、平和通の軌道


▲大手モールはゆったりした雰囲気


▲国際会議場前でも工事の真っ盛り


普通電車449M急行型電車で過ごす旅気分のひととき

 富山駅でそばをすすり、普通電車で今夜の宿泊地・魚津へと向かう。本当は明日のトロッコ電車への出発地・宇奈月温泉泊まりにしたかったのだが、3連休とあって安い宿の予約ができなかったのである。温泉に泊まれないのは残念だが、魚がうまい町というイメージが湧く地名で、楽しみだ。

 魚津まで乗った普通電車は、急行型電車として名を馳せた475系の6両編成だった。急行型電車の普通列車は、九州でも各地に走っていたが、熊本・大分圏に続き鹿児島・宮崎圏でも数年前に姿を消している。両端に寄った乗降口、ゆったりとしたクロスシートが懐かしく、くつろぎのひと時を過ごせた。

 もちろんラッシュ輸送には向かない電車で、朝の混雑時間帯は大変な模様。JR西日本は関西圏への新車導入に忙しく、広島・岡山都市圏ですら改造でまかなっており、北陸圏の通勤電車にまで手をまわす余裕はないようだ。新幹線開業の暁には経営分離を行う方針でもあり、新車を入れても(JRにとっては)無駄な投資になるという判断もあるのだろう。

 ただ新型になれば、基本3両の編成が2両に縮まってしまうのは各地の例から明らかで、今の方がゆったりと乗れる電車であることは間違いない。九州の普通電車で旅をすると、「延々と続く通勤」のようになってしまうのだが、こちらではまだまだ旅らしい旅ができそうである。

 昔ながらの電車に満足し25分、魚津着。駅前に「たてもん祭り」の飾りを掲げているのが目を引くものの、駅前通りは真っ暗で、思っていたよりも寂しい町だった…と感じたのは早合点。ホテルのある駅右手の釈迦堂界隈は、多くの飲食店「など」が並ぶ歓楽街だった。人通りは少ないものの、事前に調べていた店の扉を開けてみれば満席で、中は賑わっているようだ。少々いかがわしげな店と普通の居酒屋が混在していて、スナックなどは商店の2階の喫茶店のようなノリの場所にある。

 一軒目はメニューを見ると普通の居酒屋だったのに、ほろ酔いセットを頼むと、お造りと焼き魚が出てきて魚尽くし。なかなかおいしくて、やっぱり魚の文化なのかなと思う。

 二軒目ではあれやこれやと富山・魚津の話を聞けて、特にイメージのなかった「富山弁」を耳にできたのは嬉しかった。再現しろといわれても、難しいけど…

 K君は「焼酎水割り」を頼んでいたが、芋じゃなかったのには衝撃を受けた模様。おいおい、芋焼酎が基本なのは九州くらいだぜ、なんて思っていたのだが、その焼酎が韓国焼酎の「鏡月」だったのには僕も驚いた。キープはほとんど「JINRO」と「鏡月」で占められており、じゃあ芋は誰が飲むのかといえば女の子が中心だとか。たまたまこの店がそうだっただけなのかもしれないけど、うーん、まだまだ知らないニッポンがあるものだ。

 3、4軒ハシゴして飲み明かしたい気もしたが、明日も早いので、ほどほどに切り上げた。




▲たてもん祭りのオブジェ輝く魚津駅前

▼2日目に続く








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