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西日本パスで行く小さな大旅行 ~秋の富山・黒部峡谷へ~
2日目
秋の渓谷美を満喫

1日目2日目

黒部峡谷鉄道(宇奈月温泉~欅平) 深い渓谷を上る、下り列車

 気持ちよくグッスリ眠り、朝六時二十分起床。駅前の地下道をくぐり、地鉄の新魚津駅へと向かった。以前はこ線橋でつながっていたらしいが、管理委託料の問題からか分離され、利用者としては不便になった。JR駅からは大阪行き直通のサンダーバードが発車していく傍らで、こちらは集まる乗客も1人しかおらず、さみしい。

 元京阪テレビカーの10030形に乗り込み、まずは宇奈月温泉へ。所要時間30分の道のりに900円とは、恐ろしく高い運賃だ。ワンマンカーの音声が地元九州と同じで、旅気分が少し削がれる。各駅の駅舎は古びており、映画のロケにでも使えそう。魚津、黒部の市街地を抜け田園地帯を走っていると、だんだんと山深くなってきた。

 上り下りの電車の時間を見間違えるという失態を犯していたため、思っていたよりも15分遅く宇奈月温泉着。急いで黒部峡谷鉄道の宇奈月温泉駅に走ったものの、予約していたトロッコ電車は、むなしく目の前で走り去っていった。

 窓口に申し出れば、予約が無効になることなく次の列車に変更してくれて、しかも僕らが変更した直後に満席になったのだから、危ないところだった。次の列車は20分後で、秘境へ向かう鉄道にしては頻繁な本数があるものと思う。

 大行列を作って、8時17分の列車に乗り込む。線路幅が1mに満たないナローゲージで、車両もかなり小さい。窓のない吹きさらしの車両は、まさにトロッコ。背もたれもないベンチに4人が詰め込まれ、終戦直後の列車のようだと言ってしまえば失礼か。パラパラと降っていた雨も上がり一安心で、防寒着をしっかり着込んで渓谷の旅に備えた。

 駅員さんたちに手を振られながら、ごとごとと出発。春に乗った大井川鉄道井川線のような、脳天を直撃するようなショックはなく、きわめてスムーズな発車だった。さっそく目もくらむような高さの鉄橋を渡り、期待が高まる。

 トンネルに入れば、線路や車体がきしむ音が響き、気分は探検隊。夏ならば冷気に包まれたような感覚になるのだろうが、秋口ともなるとトンネル内外の気温差も少ないようで、外よりちょっと寒いかなといった程度だ。車体の小さいトロッコ電車だが、トンネルの断面もその分小さく、手を伸ばすと危ない。コンクリートアーチのトンネルもあるのだが、岩盤を砕いたゴツゴツした断面のトンネルもあり、迫力満点だ。

 ダム湖を見下ろしつつ、谷の中腹を縫うように走る。要所要所でテープでの解説が入るのだが、そのナレーターはなんと、富山出身の女優、室井滋。ときどきコミカルな表現も交えつつ、楽しく解説してくれる。立派な、地元への貢献だと思う。

 関電社員専用駅を2駅通過すれば、黒薙駅。トンネルの中に消えていく支線があり、興味深い。山を越えれば温泉もあるとかで、まさに秘湯といったところか。こんな人里離れた場所に軽装で訪れられる、しかも何十年も前からそうなのだから、人間の努力って、やっぱりすごい。

 谷を、鉄橋で何度も渡る。冬には雪崩から守るため、解体撤去してしまう鉄橋もあるとかで、冬場の過酷さたるや人間の力が及ぶ範囲ではない。列車の運休する冬場も関電社員は行き来せねばならないため、線路に平行してコンクリート製のシェルターのような「冬季歩道」が延々と続いている。所々に明り取りの窓はあるものの、暗い中を延々6時間歩く道のりは、はるかに長いことだろう。ぎゅう詰めの1時間少しを苦行だと思うだなんて、甘いなという気がした。

 コースも4分の3を過ぎた鐘釣駅では、僕らの車両から団体さんが大挙して下車。団体ツアーではトロッコばかりに時間を裂けず、この駅で折り返すツアーが多いようだ。ホームには売店が立ち並び、久しぶりに「賑わい」に触れた。がらがらになったベンチを、自由に移動して楽しむ。

 鐘釣駅を発車する際には、ポイント位置の関係から一旦線路をバックしてから発車するのだが、後進から前進へほとんど止まることなく折り返すのが面白い。後進ノッチを切って惰性で走り、ブレーキをかけて速度が0になった瞬間、前進するのだろう。前後に振られるような感覚がなく、かなりの名人芸であると感じだ。

 川の色が、薄いブルーになっているのが不思議でたまらない。まるで別府の海地獄のような色だか、こちらは化学物質の混じらない、純粋な川の水。この世のものとは思えないが、とにかく美しかった。

 景色に目を奪われているうちに1時間15分、終点・欅平着。10両を越える長い編成から一斉に乗客が降りて、谷間の駅はまさに喧騒。駅そのものも「ターミナル」と呼べそうなほど大きく、小さな列車との対比が面白い。お土産屋に立ち食い蕎麦、食堂まで、揃わないものはない。値段も山菜そば500円、自販機の飲み物130円と、場所を考えるとさほど高くなかった。秘境の谷間に降り立った、文明社会だ。


 


▲重連機関車を先頭に、谷へ挑む


▲不思議なブルーの水面


▲釣鐘駅ではポイントを通過した状態で停車


秘境に降り立った文明社会・欅平駅
富山地鉄特急うなづき(宇奈月温泉~電鉄富山) 厳しいJRとの平行区間

 帰りの列車の席を押さえ、2時間の周辺散歩。まずは上流に歩いて15分の、名剣温泉を目指した。道路には「工事用道路であり遊歩道ではない、落石・事故などの責任を負わない」という意味の国土交通省の看板が立っている。黒部峡谷鉄道が事業専用路線だった頃の切符には、「命の保障はしない」なんてニュアンスの注釈もあったとかだが、今も「自己責任」の世界なのだった。

 目もくらむような高さの鉄橋を渡り(K君は高所恐怖症とかで素早く通過していたが、それで土木屋が勤まるのか?)、谷を半分くりぬいてモルタルを吹きつけた道を通り(K君は危ないのでは?と言っていたが、土木屋が言うからには危ないのか?)、上り坂のトンネルを歩くこと15分で、「日本秘湯を守る会」にも名を連ねる名剣温泉着。硫黄の匂い漂う、温泉宿だ。

 湯船は小さく、訪れる人が多いと入場制限もかかるようだが、その分飾り気のない、素朴な湯だ。谷に向かって開放感も抜群。日帰りで訪れられる気軽さもよいが、泊まってゆっくりと、何もない夜を楽しんでみたい。

 湯上りには、下流側にある猿飛峡まで往復。目もくらむほどの高さの谷に、青い川。紅葉までにはまだ間があり残念だったが、充分に気持ちのいい散歩だった。晴れわたり気温も上がってきて、防寒着を脱ぎ、山の空気を思い切り吸い込む。空気がうまい。

 帰りの列車では、改札口に並び進行方向左手の座席を死守。往路では反対側の座席で、鐘釣まではほとんど景色を楽しめなかったのだ。混雑時では難しいが、なんとかこちら側の席を確保したい。

 すれ違う下り列車は、観光にベストな時間、それも3連休の中日とあってゆっくりと山を目指す人が多く、軒並み満席。まさに秘境といえる場所なのに、当たり前のように大量輸送を行い、峡谷を身近にしてくれる鉄道。小さくても、大きなパワーを持っている。

 山を下り、再び宇奈月温泉。西日本パスを持っているので、往路と同じように魚津まで地鉄で行き、JRに乗り換えれば安く済むのだが、せっかくなので地鉄の新魚津~電鉄富山間も乗ってみたくて、富山までのきっぷを買った。53・3kmで1790円、さらに特急料金が200円。かなりの高運賃で、少なくとも特急料金分は余分じゃないかと思うが、マイカー普及率の高い富山での電鉄営業が難しかろうことは想像できる。

 改札を抜け、待っていた電車はモハ14760形。最近の地方私鉄といえば大手からの譲渡車ばかりで、地鉄でも京阪テレビカーを走らせているが、この電車は80年代に導入されたオリジナルの車両だ。少しくたびれた感はあるものの、転換クロスシートで快適。元西武特急のレッドアローも乗ってみたい車両の一つだったが、夏山シーズンは立山方面で活躍している模様。

 先頭車両は指定席車で、さらに210円の指定料金が必要とあって乗る人は皆無。ワンマン運行ながら案内掛(男性)が乗っており、肉声での案内を聞きながら、宇奈月温泉駅を離れた。

 黒部でほぼ満席になった自由席も、新魚津を出れば空席の方が目立つほどに。滑川まではJR線とぴったり平行し、同じ富山が目的地とあって厳しい競争を強いられているようだ。国鉄が汽車型ダイヤだった頃なら良かったのだろうが、今は魚津までなら普通電車に限っても1時間に2本走っており、地鉄750円に対しJR480円では勝負にならない。ただ平行しているとはいえ駅の位置は異なり、地鉄駅前の方が街の中心にはなっているようだ。

 滑川からはJRと離れ、上市方面へと進路を変える。上市駅はなぜかスイッチバック構造になっており、座席の向きをよっこいしょと変えたが、ほとんどの乗客は向きを変えなかった。立山方面との分岐駅・寺田では立山行き特急と接続、さらに立山から富山方面の普通電車とも相互に乗り換えられ、緩急接続が可能な、なかなか巧みなダイヤ。駅員も乗り換え客の有無を確認しているが、しかし乗り換えた人は一人もいなかった。

 広大な富山平野を快調に走り、電鉄富山着。4本の線路が並び、3方面の電車が発着する立派なターミナルだが、賑わいには乏しい。16年前の僕の記憶には、もっと華やかな駅だったと記憶されていたのだけど・・・


 


▲渓谷の露天風呂・名剣温泉で一浴び


猿飛峡まで小さな散策


▲転換クロスシートが並ぶ「うなづき」車内


▲各方面の電車が並ぶ電鉄富山駅


特急サンダーバード36号12両編成で駆ける特急の風格

 昼3時、ようやく帰路へ。ほぼ24時間富山に滞在したことになり、陸路でも思いのほか長居できるものである。しかも旅は、終わりではない。いろんな列車のグリーン車乗り比べは、まだまだ続く。

 大阪まで3時間以上の長丁場となる列車は、特急「サンダーバード」。名実共に、北陸路を代表する特急電車だ。683系電車の6両編成だが、金沢駅で和倉温泉方面からの電車と併結する。683系は881系のモデルチェンジ車ともいえ、プチカフェテリアがなかったり、普通車の網棚下の照明が省略されていたりと、細部が異なる。前面スタイルも、ライトが丸から、最近の流行に則って、角ばった「つり上り目」になり顔つきが変わった。個人的には681系の顔が好みだ。

 グリーン車は例によってどっしりした3列シートが並んでいるが、枕のふっくら感は681系の方がよかった。枕の位置が上下できるようになっており、僕のような座高が高め(?)の人でも快適に利用できる。基本的な設計思想は、681系と同じだ。

 富山駅発の時点では、まだまだ車内は余裕たっぷり。車内販売も金沢からとかで、まずは序奏区間といえよう。倶利伽羅峠を超え、平野を駆け抜ければあっという間に金沢着。併結作業のため8分停車となる。鉄道ファンとしては月並みだが、連結シーンの見物に出かけた。

 そろりそろりと近付いてきた和倉温泉からの編成は、3両+3両の6両編成。後部の3両は大阪方のみ貫通型先頭車で、和倉方は非貫通の流線型型先頭車。間に挟まることになる大阪方の3両編成はもちろん、両端が貫通型だ。この編成があるからこそ可能な12両編成で、編成の自由度が高いことから、最新バージョンの683系では6両編成も両端を貫通型にできる構造になっている。高い運転台に貫通路を設けた構造は、国鉄型485系の設計にも見られ、両数の多さや製造年度の長さと相まって、「JR西バージョンの485系」とも言えそうな車両だ。

 後部の3両編成だけは681系で、違う形式ながら併結は可能なよう。こんな編成では特に両者の違いが分かりやすく、貫通路の壁が681系はクリーム色、683系は金属質という違いも発見できた。富山・和倉両編成間の貫通路は、金沢発車後もしばらく貫通させる作業が続いており、5分ほどでようやく戻ることができた。

 12両編成ながら、指定席車両はほぼ満席。一方の自由席は富山編成こそ満席ちかいものの、和倉編成ではかなりの空席が残っていた。長編成で指定席志向が強いところも、全盛時代の特急を連想させる。金沢~大阪間の新幹線もしばらくはできそうもなく、日本最後の特急街道ともいえる北陸特急の活躍は、当分続きそうだ。

 我らがグリーン車も、金沢でほぼ満席となった。今日は西日本パスの影響も多分にあるだろうが、日ごろから北陸特急のグリーン車利用率は高いそうだ。通常は大幅割引のきっぷがあるわけでもなく、やはりまだまだ特急としてのステータスを守る列車なのかなと思う。
 このあたりで疲れも出てきて、向かい合わせにしていた座席を前向きに戻し、それぞれの睡眠タイムに当てた。大きくリクライニングを倒せば、すぐに夢の中。

 福井からは、京都までノンストップ。485系では車内灯が消えた敦賀のデットセクションも、683系ではバッテリーを搭載しているのか、こともなげに通過した。夕方遅い列車だからか、新疋田ループの案内はないままループ線へ。トンネルばかりな上に日も陰り始めているとあって、あまり実感できなかった。

 新幹線のような湖西線に入り、高架線をすべるように駆ける。最高速度130kmと充分に早いものの、線路も車両もよいのだから、160kmくらい出しても良さそうに思えるのだが、どうだろう。

 東海道本線に合流すれば、間もなく京都。案内放送で、関西空港行き特急「はるか」が5分接続で出ることを知る。このままサンダーバードに乗っても、新大阪での新幹線との接続時間は20分。貨物線を経由するので「はるか」の方が少し時間はかかると思うが、乗り換えられないということはないだろう。列車がホームにかかった頃に荷物を手に取り、飛び降りるように京都駅に降り立った。




▲大阪側の先頭車は、釣り上がり目の683系


金沢駅では和倉編成と併結し…


▲和倉側の先頭車は681系


▲少し枕が薄い683系のグリーン車


特急はるか51号あっさりした空港アクセス特急

 富山から来ると、段違いに賑わって見える京都駅。近郊電車がひっきりなしに発着し、山陰方面ホームも特急と快速がならび華やかだ。その隣のホームでひときわ優美な姿を見せる特急が、関空特急「はるか」。新大阪までとはいえ、他の特急とはまったく違う雰囲気に心躍る。

 列車に乗ってまず気付くのは、荷物置き場の大きさ。さすがは国際空港へと結ぶことだけが使命の空港特急だけに、かなりのスペースが取られている。デッキには目的不明のフリースペースがあり、これは喫煙室の跡。JR西日本も特急の禁煙化を進めており、今や煙草を吸えるのは寝台特急か新幹線くらいである。わざわざ喫煙室を設けた列車まで廃止することはないのに…と思わなくもないが、はるかの喫煙室はデッキとの間に仕切りがない。いくら換気扇が強力とはいっても副流煙をゼロにはできまいし、嫌煙派からの苦情は多かったのではないかと察する。

 京都方の車両がグリーン車。681系同様のゆったりした3列シートが並び、見るからに居心地がよさそうだ。ただ西日本パスのグリーン車利用「権」の6回は、この先の予約で使い切ってしまったので、この列車は自由席に乗る。車内の配色はモノトーンだか、西日本の特急車に共通する飴色の照明に、黄色の枕カバーと相まって、雰囲気は明るく華やかだ。

 座席周りは独特で、背面テーブルもインアームテーブルもなく、缶置きがある程度。背もたれの網ポケットも一切なく、新大阪から空港まで48分とあってかなり簡素化したようだ。ただ京都からなら1時間以上の旅路になるわけだし、近年ではモバイルPCを乗せたいという需要もあると思われ、適当な設計なのかは利用者に問いたいところ。関西らしく、座席を向かい合わせにして賑やかに騒ぐ「おばはん」たちにも、感想を聞いてみたい。

 京都駅の端を発車した「はるか」は、しばらく貨物線を走る。この間、かなりのノロノロ運転で気を揉むが、乗り換え時間には余裕もあるからと大きく構える。向日町駅で本線と合流、ようやく特急らしい走りになるかと思ったが、しばらくは徐行が続いた。先行する新快速に行く手を阻まれているのだろうと、やはり大きく構える。

 速度が出てきたと思ったら、今度は新大阪駅から梅田貨物線に入るために、茨木駅で本線から離れる。どうも、新大阪での乗り継ぎ時間が危うくなってきた。新大阪での到着案内でようやく、信号の影響で遅れが出ていることを知る。なんてこった! 今日2度目の、乗り継ぎ危機である。次の新幹線に乗り遅れても九州へは帰れるが、せっかくのグリーン「権」をフイにするのは嫌だ。「はるか」の姿を振り返ることなく階段を駆け上がり、新幹線ホームに上がればすでに博多行き「のぞみ」は到着。息を切らしながら、グリーン車の座席に納まったのだった。




▲優美な曲線を描く「はるか」の車体


▲モノトーンの車内に黄色の枕カバーが映える



▲機能を果たしていたか疑わしい喫煙室


300系のぞみ187号まだまだ走れそうだけど

 飛び乗った「のぞみ187号」は、連休中の臨時列車。博多行き「のぞみ」としては珍しい、初代のぞみ型こと300系電車での運行である。臨時とあって車内はガラガラ。臨時とはいえ車内サービスはあり、おしぼりを受け取って、まずは一息つく。

 もともと大阪から博多までは、500系のぞみで帰るようプランニング、大阪では2時間ほど時間があるので、その間に梅田にでも出て大阪B級グルメでも楽しもうかと思っていた。しかし往路のN700系のグリーン車に「すごいすごい」と興奮しつつ、よく考えてみたら従来の新幹線のグリーン車には、二人とも乗ったことがない。比較対象もなく「すごい」はないだろうというわけで、現状で最古参になる東海道・山陽新幹線のグリーン車・300系に乗り試そうということになったのだ。岡山まで、わずか50分の乗車だ。

 座席はどっしりした、新幹線のグリーン車ならではの座席。車内の雰囲気は凝った作りではないものの、間接照明がやわらかく車内を照らし、悪くない。新造後10年少ししか経っていないこともあり、車内もキレイだ。N700系増備の影で廃車が進む300系だが、まだまだ活躍できそうに思えた。

 しかし、トンネルに入ったり、列車がすれちがったりした時の揺れは、明らかに大きい。ビリビリと唸るような振動もある。加速もN700系に比べればもどかしい感じで、700系の加速度向上改造工事も終わった今、東海道区間では邪魔者扱いされていきそうである。一般の乗客では気付かない部分で、新幹線の進化と世代交代は進んでいる。

 そんな300系の、一番のいい点といえば、窓が大きいこと。100系新幹線が2列で1枚の大窓だったことから、300系の登場時こそ「狭窓に戻った」と不評だったものの、700系からN700系と軽量化が進むにつれどんどん窓が小さくなり、今や300系の窓の大きさは明らかな差になって映るほどだ。夜の列車だから関係ないとはいえ、昼間の列車ならあえて300系を「選ぶ」という選択も成り立ちそうである。

 列車の各所には、今乗っている列車の名称と号数が示されているのも、相違点。どんな意図があるのか分からないが、自由席に飛び乗って、自分の乗っている列車を電話で伝える時なんかは重宝しそう。登場時の「のぞみ」は全車指定席だったので、そのような目的ではなかったと察せられるが…

 サービスコーナーは500系と同様、デッドスペースのような姿になっており痛々しい。時代の流れを感じつつ、岡山で下車する。




▲まだまだ充分快適な300系のグリーン車


サービスコーナーの跡はなにやら寂しい空間に


▲300系としては珍しく、博多まで直通する


500系のぞみ51号のぞみとして最後の活躍

 岡山滞在時間は、1時間15分。路面電車で中心部まで出る時間もないというわけで、駅前の飲み屋街を巡り、「吉備鳥の串焼き」の舌代が見えた飲み屋に飛び込んだ。名物と言えるかは心もとないが、ひとまず岡山の地名が入った飯を食べられて満足。

 事実上、この旅の最終ランナーとなるのは、500系の「のぞみ51号」。元祖300kmランナーで文句なしにかっこいい車両ながら、ドア位置や車両ごとの定員の差からイレギュラーな扱いの車両となり、「のぞみ」としては急速に活躍の場を狭めている。この51号も来月11月10日にはN700系に置き換えられ、残るはわずか1往復に。その1往復も来年2月にはN700系になり、500系はのぞみの定期運用から姿を消すことになっている。まさに、最後の活躍である。

 岡山駅に入ってきた500系「のぞみ」。矢のようなスマートな流線型は、登場10年を経た今でも褪せることのない新鮮さだ。メインルートからの引退を目前にしている列車とは、とても思えない。

 車内に入っても、その感は同じ。砲弾型の車体断面は、「狭い」と評されることもあるけれども、飛行機のようでかっこよくもある。普通車のスミレ色の座席に、カーテンのような窓の間の布地の飾りなど、デザイン的にも今もって充分に通用する。

 そしてグリーン車は、ゴールド系の座席が重厚感を醸し出す、落ち着きの空間。JR西日本らしさが出ているのが、サンダーバードとも共通するふっくらした枕だ。頭をしっかりと包みこみ、ゆったりとくつろげる。これならば、3時間程度の乗車はもちろん、東京~博多間の乗車でも苦はなさそうだ。座席そのものはサンダーバードよりも小ぶり…というか一般的なサイズで、これは軽量化への要請とも関わりがあるのだろうか。

 するどく尖った先頭部の犠牲になっている部分はあちこちにあり、定員を300系に合わせるため、普通車の座席ピッチが微妙に狭くなっているのは有名な話。とはいっても、一般的な在来線の電車に比べれば広く、実際に座ってもさほどの差は感じない。グリーン車に至っては、他車並みのピッチが確保されている。

 ただトイレは狭く、着替えはまず無理だろう。洗面所も各車両1箇所しかなく、時間帯によっては混雑しそうだ。1号車・16号車の出入り口は1箇所で、特に自由席の1号車の乗降に手間取り、遅延の原因にもなっていると聞く。これら欠点を解消した上で、同等の300kmが出せる新車、N700系が出たのだから、早すぎる引退も仕方ないのかもしれない。

 でも、子供心にワクワクさせられた「超新幹線」の引退は、やはり寂しいもの。せめて最後にグリーン車に乗れてよかったと思う。既に多くの編成は、8両化の上「こだま」として運用されており、グリーン車も設備そのままに指定席車になっているようなので、山口や広島に行く時は、いつか選んで乗ってみようと思う。

 時折、LED案内には「時速300kmで運行中」の案内が流れ、闇夜の車窓ながらにワクワクさせられる。右手に広大なコンビナートの夜景が見えてきたと思ったら、列車は急減速して徳山を通過。この駅の前後は170km制限になっており、300kmの500系に乗っていると、このまま止まるのではないかと思える速度だ。最高速度210kmの0系ならば、これほどの感覚ではなかっただろう。

 トンネルをくぐれば、あっという間に小倉。いつもの生活でなら遠い場所なのに、もうほとんど帰ってきたような気分だ。グリーン車三昧の旅は、わずか1日ぶり、しかし何日かぶりに帰ってきたような博多駅でひとまず終わった。

 もう6回の「グリーン権」を行使してしまったので、最終ランナーの「有明」は自由席へ。2年後の九州新幹線全通まで「西日本パス」が続いているか分からないが、次はぜひ、久留米まで直通で帰りたいものだと思いつつ、工事たけなわの久留米駅に降り立った。




▲やっぱり理屈抜きにカッコイイ!500系のぞみ


側面からも、絞られた車体形状がよく分かる


▲他形式よりちょっとゴージャスな雰囲気のグリーン車


▲やはりサービスコーナーは寂しく


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