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中京圏私鉄めぐり
4日目
岳鉄・伊豆急・伊豆っ箱

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玄人好みのミニ私鉄 ~岳南鉄道~

 駿河健康ランドで目覚めた朝。窓を開ければ、目の前には太平洋が広がっていた。少し曇っているのが残念で、晴れていれば爽快な風景だろう。しかし僕らにとって嬉しいのは、反対側の風景。東海道本線と東海道新幹線を眺めることができるのだ。鉄っちゃんなら、ぜひ山側の部屋をリクエストしたい。

 お父さんの車に乗り、ご自宅のある沼津へ出発。自動車専用道路としてよく整備された、国道1号線バイパスを快走する。制限は一般道路と同じく60kmで、よく「掴まる」区間ではあるらしい。カーブも少なく飛ばせる道を作りながら捕まえるってのも、ちょっとズルい。
 わき道に入って連れて行ってもらったのが、東海道新幹線の撮影名所。富士山をバックに、レンゲ畑の中をシンカンセンが走る「ニッポンの風景」を、手軽に撮影できる名所なんだそうだ。富士山が煙っていたのはやはり残念だったけど、夢中でシャッターを切った。なにせ東海道新幹線、山陽や九州と違って、待つことなく次々列車がやってくる。

 沼津に入ってお父さんの家に立ち寄り、雄介君を連れ出して、ここからは男3人鉄っちゃん道連れの旅の始まりだ。まずは家からほど近い場所にある岳南鉄道の江尾駅まで、お母さんの車で送ってもらう。のんびり自販機で飲み物を買っているお父さん、もうすぐ出発時間なのに大丈夫ですか~?と声を掛けてみれば、ここはもう駅のすぐそばとのこと。
 え、この建物!?

 駅前通りが広がるわけでもない、空き地の隅っこのような場所に、その駅はたたずんでいた。知らなければ倉庫か廃屋に見えてしまいそうだが、確かに「岳南江尾驛」と旧字体で書いてある。そして元京王井の頭線の「ステンプラカー」が、京王時代とは似ても似つかぬ1両編成で停まっていた。
 ほどなく、緑色2両編成の「かぐや富士号」がやってきて、これが吉原行きになるらしい。ご近所から乗客が数人集まってきたものの、ガラガラのまま発車した。

 ローカル私鉄の例に漏れずワンマン運転だが、他の地域と違い運転席の後部の座席をすべては撤去せず、片側は残してあるのが嬉しい。雄介君のような少年鉄っちゃんには特等席である。
 前から景色を見ていて、他のローカル私鉄と明らかに異なる点は、立派なPC枕木が並べられた、高規格の線路だ。今でも貨物輸送が続けられているからこそで、途中駅にはいまや貴重品の「ワム」(コンテナではない屋根つき貨車)が並んでいた。貨物取り扱い駅は駅舎も立派で、少しずつ乗客も増えてきた。

 凸型の電気機関車や、旧型国電の廃車体など、進むにつれて鉄っちゃんなら目をキョロキョロさせてしまう光景が展開。富士市らしく製紙工場の中を、カーブを切り走り抜ければ、終点・吉原に到着だ。
 岳南鉄道の乗り換え改札で、この先伊東まで使う切符を買えば、なんと昔懐かしい硬券が出てきたものだからビックリ! しかも裏面を見れば2000のキリ番だった。小粒ながらもピリリと辛味のきいた、ユニークな私鉄に大満足して、旅は東海道本線へ続く。



▲富士山と新幹線、ニッポンの代表的風景の一つ


▲これが終着駅!?びっくりする風情の江尾駅


▲緑顔の2両編成が「かぐや富士」号


▲懐かしの硬券乗車券とパンチ穴も健在


リゾートへの挑戦 ~伊豆急行リゾート21EX「黒船電車」~

 吉原から沼津までは、313系ロングシートバージョンの2両編成に乗車。東海道なのに短いとは思うが、岳鉄に乗った直後だと、とびきり大きな電車に見える。沼津から先も、211系のロングシート。休日とあって、ちょっとお出かけといった風情の人で満員だ。

 熱海駅で下車し、伊東線から伊豆急線へ直通する普通電車「リゾート21」をホームで待つ。まだまだ待つ人は少ないものの、せっかくここまで来たのだから、先頭の「展望席」にどうしても乗ってみたいのだ。東京方面からの普通電車が到着すると、リーズナブルに伊豆を目指す行楽客の列が延びた。

 伊東方面からしずしずと入ってきたのは、リゾート21「黒船電車」。図鑑で見慣れた青と赤のストライプではなく、真っ黒な「ラッピング」をほどこした特別仕様車だ。階段式の展望室から、ワイドな窓を備えた中間普通車まで。車両の特徴的は塗装が変わっても、よく分かる。争奪戦となった展望席だが、幸い4列目を確保できた。

 階段式の展望車両、いまでこそスーパービュー踊り子や「エーデル」など他社の車両でも見られるようになったが、1985年デビューのこの電車こそ、先鞭を著けたものだ。僕はこのタイプの車両に初めて乗ったが、確かに後ろからでもよく前を見通せて、まるで風景を眺める劇場のよう。理屈抜きに楽しい展望が楽しめそうだ。
 これで普通電車、特別料金一切不要というのだから、驚きである。今でも驚きなのに、国鉄が民営化の刃を突きつけられ沈滞ムードが漂っていた1985年当時は、どれほどの驚きをもって迎えられた電車か、想像できない。

 伊東線に踏み出せば、ほどなく左手には相模湾が広がる。曇り空なのは残念なものの、ヤシの木揺れる国道はリゾート地の雰囲気。渋滞で進まない車を横に、軽快に駆け抜ける気分は爽快だ。1000円高速もいいけれど、やはり旅は列車に限る。

 伊東駅からは伊豆急線に。完全に国鉄の規格で作られた路線なので、トンネルが増える以外、特に変化は見られない。少しは車内も落ち着いたようなので、車内探検に出掛けてみた。
 「黒船電車」は、リゾート21の4次車に当たる「EX」。1990年の登場とあって、デッキ周りの作りなどには「ごつさ」も感じるものの、車内は座席がランダムに並ぶ楽しい配置だ。
 海側にはソファのように座席が外を向き、山側は2人がけのボックスシート。グループ用に4人用ボックス席もあり、過ごし方は乗客次第という考え方は、現代にも充分通用するし、むしろまだ先を走っているのかもしれない。
 
 伊豆急行線内に入ると増えるトンネル。合間に見える海岸線は美しいのだが、暗闇でも退屈しないように…というコンセプトで、以前は車内がプラネタリウムになる特別車「ロイヤルボックス」が連結されていたのだが、過去のものになってしまったのは残念。
 普通列車の特別車は歴史が古いし、一時は食堂車まで運行されていたという。失敗を重ねながらも果敢に挑戦する、意欲的な私鉄なのだ。

 城ヶ崎海岸駅では足湯を見て温泉地であることも感じ、伊豆高原駅では「踊り子」と交換のため10分停車。リゾート地の駅に停まるたび、車内は寂しくなっていく。

 片瀬白田から伊豆稲取にかけては、正真正銘に海沿いを走る、伊豆急の車窓ハイライトとも言える区間になる。カーブを切り忠実に海岸線をトレースしていくので、カーブの先には水平線が見えてスリリングだ。単線区間にも関わらず本数は多いので、デラックス車両でも普通電車の我らリゾート21は道を譲る駅が多い。海岸線を見ながらの列車待ち、悪い時間じゃない。

 再び山合いを駆け抜けた電車が峠を下れば、伊豆の果て・伊豆急下田着。隣のホームでは、華やかな客室乗務員に迎えられたスーパービュー踊り子が発車準備を整えていたが、リゾート21の存在感も負けてはいなかった。



▲海の見える駅でほっと一息の黒船電車


▲リゾート列車といえども特急優先ダイヤ



▲海も前面展望も思いのまま


▲伊豆急線の2大スターが並ぶ

いまでも通用する先進的電車 ~伊豆急行「リゾート21」~

 下田の滞在時間は1時間。歩ける範囲を駆け足で巡ろうと、地図にあったおすすめの古い町並みを経由し、ペリー来航記念碑まで散歩してみた。小雨の降る中ではあったけど、ひとまず満足。
 碑から伸びるペリーロードに入ってみて、驚いた。石畳に柳の木が揺れ、石造りの倉庫や「自宅用の橋」が並ぶ風情ある通りだったからだ。澤村家は特別に一般公開されており、大正時代の暮らしを垣間見る幸運も。大観光地のイメージしかなかった伊豆・下田だったけど、国際港としての歴史ある街だけに、こんな顔もあったのだ。1時間しかいれないのは残念で、またじっくり温泉に浸かりがてら、訪れてみたい街である。

 帰路の電車は、リゾート21の3次車。幼い頃の図鑑で憧れた、海側は赤、山側は青のカットラインで彩られた電車だ。最前部の窓が2枚窓になっていたり、海に向いた座席の数が多かったりと違いはあるものの、基本的な設計思想は確立されている。乗ったときから明るい車内を実感できる、デッキの天窓もこの時代のものからだ。

 展望席は往路に楽しんだので、帰路は海側を向いた座席でくつろぐ。窓割りは座席のピッチにぴったり合っており、柱が視界を邪魔することがない。今時の電車ですら至らないことがある点なのに、しっかり設計された電車だと思う。
 首をひねらずとも目の前に景色が広がるというのも、実際に乗って見てみて分かる楽しさで、時間を忘れて流れる景色を堪能した。

 1駅くらいは途中下車しようと、伊豆高原駅で下車。レストラン街や大きなみやげ物屋を備えた、下田よりも大規模な駅で、ちょっとしたショッピングセンターのようだ。
 ところが雨が本降りになってしまい、駅前散策どころか、駅前の足湯に浸かることすら難しくなってしまった。仕方がないと、駅内のレストランで遠く水平線を見ながら、少しでも海岸らしいメニューということで「鯛カレー」を賞味。伊豆産の鯛なのか、判然としなかったが…

 伊豆高原から伊東までは、元東急電車の8000系電車に乗車。伊豆急の乗客は減少を続けており、以前のように意欲的な新車を入れられなくなっているのは悲しい。しかし、なんとかリゾート気分を盛り上げようと、かつての名車・100系電車を彩っていたハワイアンブルーに身を包み、少しでも華やかな雰囲気を出そうと頑張っていた。

 車内も東急電車時代の面影を残しつつも一新、海側は元西武「レッドアロー」の座席をボックス型に配置している。もともとが特急電車の仕様だけにすわり心地もいいし、4扉ながら扉間にめいっぱい2ボックスを設けており、座席数が多いのも好感だ。お金がないなりに、精一杯のおもてなしをしているように見える。

 伊東からは、JR世代のE231電車。最先端の車内設備に走行音と相まって、首都圏に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えた。
 熱海で211系に乗り換え、もう遅くなったので予定していた伊豆箱根鉄道駿豆線は諦め、沼津まで帰ろうかとお父さんと話していたが、雄介君から、
 「お願いします!」
 と熱望され進路変更。始発駅となる三島で下車した。



▲図鑑で見たままの姿を保つリゾート21・3次車


▲海を一望、親子の絆も深まる電車♪



▲ハワイアンブルーを身にまとう通勤電車


▲通勤電車と観光列車の雰囲気が混じる車内

とっぷり日暮れの都市圏私鉄 ~伊豆箱根鉄道・駿豆線~

 三島駅の伊豆箱根鉄道駅舎へ。修善寺までの運賃は500円。大雄山線では通用するSuicaやPasmoが使えないのは、TOICAエリアであることが多分に影響しているだろう。ダイヤは15分ネットと便利で、全国的には特急「踊り子」乗り入れによる観光アクセスのイメージが強いが、地域の足としての重責もあるようだ。

 待ち受けていた電車は、3000系なるステンレスの電車。垂直なボックスシートは、国鉄の近郊型電車を連想させる。3両編成の電車は、発車間際には各ボックスが埋まる盛況となった。
 1駅目、三島広小路駅は三島市の繁華街・歓楽街の最寄駅とかで、ここで降りる人も見られた。駅そのものは大きいが、駅と街が同じレベルに存在していて、琴電の瓦町駅を思い出す。三島田町、三島二日町と「三島」を冠した駅が続き、市内電車としても機能。車内は空かず、19時半の賑わいは都市圏の電車である。

 車窓はほとんど真っ暗になってしまったが、目を凝らすと電車は郊外に飛び出し、田園地帯を走っているようだ。特急電車の乗り入れがあるだけに軌道状態は良好で、快調に飛ばしていく。駅は有人駅がほとんどで、安心して利用できる電車である。

 ほぼ中間にあたる伊豆長岡駅は、伊豆の国市の中心駅でもあるようで、多くの乗客が下車した。RC造2階建ての駅舎は「ああ、昔の国鉄の中規模ターミナル駅って、こんな雰囲気だったな」と思わせる。踊り子の乗り入れとも相まって、ミニ国鉄的な空気を感じる。

 後半は駅間間隔も伸び、ローカル私鉄らしくなって、終点・修善寺着。夜は更けたとはいえ、始めての駅なら駅周辺をぐるりと回りたくなるものなのだが、折り悪く雨が落ち始めた。
 仕方なく、やはり国鉄風の駅の中で時間を過ごし、折り返しの電車で三島へ。夜間の上り電車とはいえ、こちらも長岡から先は寂しくないだけの乗客があった。

 三島駅から原駅へと東海道を下り、沼津のお父さん宅にお邪魔。焼肉(+ビール)をご馳走になり、雄介君と風呂にも入ってすっかり「お泊り」のモードだが、11時に身支度を整え、出発。今夜の宿は、出雲市行き寝台特急「サンライズ出雲」なのだ。帰路であり、もう一つの旅でもある壮大な1000km余りの行程が、再び動き出す。

 「富士・はやぶさ」や定期の「ムーンライトながら」が消え、すっかり寂しくなった東海道の夜だが、どっこい夜行列車の灯を守り続けるのが、「サンライズ出雲・瀬戸」だ。ここ沼津からも老夫婦の乗車があり、夜行の必要性は失われていない。

 沼津の親子に見送られ、一路出雲市へのはるかな旅がスタート。昨年秋と同じく、B寝台一人用個室「シングル」への乗車だ。木目調の壁に飴色の照明、きれいにメイクされたベッドとガウン、大きな窓。前回と寸分たがわぬ、快適な一夜を約束してくれる列車だ。
 残念なのは今回も1階なことで、展望の広がりではやはり2階に分があるし、部屋もこころもち1階が狭い。特に荷物置き場が狭く、乗るなら2階に限ると思うが、切符が取れただけ幸運に感謝せねばなるまい。今夜も満室の盛況で、人気列車なのだ。

 夜も遅いので、ひとまず車内探検は明日に回し、今夜は部屋の明かりを落とした。



▲ステンレス製のオリジナル車両3000系


▲車内はどことなく国鉄テイスト



▲夜の帳が降りた観光地の玄関



▲今宵の客人を待つ「サンライズ」のシングル個室

▼5日目に続く








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