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中京圏私鉄めぐり
2日目
養老・リニモ・天浜・遠鉄

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素朴なマルーンののんびりローカル電車 ~養老鉄道・大垣 - 揖斐~

 風邪薬の効果もあってか、ぐっすり眠って7時起床。体調は万全と言えないが、動けないというわけでもない。ホテルのサービスの朝ごはんをしっかり食べて、コンビニで「風邪の栄養補給剤」を飲み干し、今日も鉄道乗り歩きに出発だ。

 まず今日乗るは養老鉄道。といっても、まだその名にピンとこない人の方が多いかもしれない。2007年、近鉄養老線を受け継ぎ発足した新しいローカル鉄道である。とはいえこれまでに見られた自治体との共同による第3セクターではなく、あくまで近鉄の子会社で、施設も引き続き近鉄が保有。バスでよく見られる手法だが、地方部の分離・独立による合理化で生まれた、近鉄の完全子会社なのだ。

 大垣を基点にすると、揖斐方面と桑名方面に路線が伸びている。まずは揖斐側から攻めてみようと、窓口で「1日フリーきっぷ」を買ってホームへ立った。
 やがて揖斐方面から3両編成の電車が到着。すべての扉から、一斉に通勤・通学客が吐き出されてきた。連休中だというのにこのボリュームなのだから、平日にはなかりの利用があるものと察する。赤字路線とはいえ、沿線にとってはなくてはならない足なのだろう。

 電車は、赤に近いマルーンの1色。僕には馴染みがないが、これ近鉄の通勤電車の旧カラーなんだそうだ。僕には新鮮に映るが、近鉄沿線の人にとっては「懐かしい」と感じること請け合いである。沿線に観光地も抱える電車だけに、「懐かしの電車で」と誘う効果も狙っているのだろう。
 とはいえ車内はよく手入れされており、きれいで清潔。窓は一段下降式で展望がきくし、ドアの窓も大きく取ってあるのは近鉄電車の好きなところだ。蛍光灯にカバーがかけられているのも、関西系の私鉄らしい。

 さすがに揖斐方面の電車は余裕があり、1両に数人の乗客を乗せ発車。田園風景と家並みが適度に入り混じり、沿線人口はそこそこあるようだ。どことなく、西鉄甘木線を連想させる車窓である。
 電車はワンマン運行で前方に運賃箱はあるものの、これを使って支払うのは切符がない場合に限られる模様で、切符をもっている場合はどのドアから降りてよいらしい。主要駅には駅員がいてチェックしているが無人駅ではチェックする人がおらず、半分は「信用乗車」的なスタンスのようだ。

 山々が近付いてくれば、終点・揖斐着。古びた、いい雰囲気の駅舎だ。折り返しの電車では、自転車を持ち込む乗客が現れた。養老鉄道では平日昼間と土休日に自転車持込みOKとしており、「駅まで・駅から」の便利な足として使われているようだ。
 ちなみに揖斐駅ではレンタルサイクルを行っており、遠来の人でも体験可能。僕はオープンの9時前に出発してしまったので使えなかったけど、利用されてみてはいかが?



▲ことこと走るマルーンの電車


▲運賃箱の配置が独特な車内


▲のどかな雰囲気の揖斐駅

今でもしっかり観光の足 ~養老鉄道・大垣 - 桑名~

 大垣駅では、向かい側のホームに桑名行きが接続。ほとんどの人は改札に向かっていたけど、乗り換える人も数人いて、一体の路線として機能していた。桑名方面もしばらくは家並みが途切れず、私鉄沿線らしい風景が続く。

 大垣から20分と少し、山々が近付いてくれば養老駅着。駅の軒先にはひょうたんがぶら下げられ、駅員さんも待ち構えて、人手の通った雰囲気が見られたのは嬉しい。駅舎内にはみやげ物屋や喫茶店もあり、観光地の玄関らしい構えだ。
 駅舎そのものも素晴らしく、瓦屋根を載せた和風建築ながら、軒や屋根の形状には「擬洋風」のテイストも見え隠れしている。電車で観光という、開駅当時の最先端に賭けた意気込みが伝わってくるようだ。

 さて次の電車は30分後と1時間半後。体調は相変わらず優れないものの、ここまで来たからには沿線最大の観光地ともいえる「養老の滝」はのぞいてみたい。少し山を登るようだが、意を決して足を踏み出してみた。

 周辺は、養老ランドや養老天命反転地などの観光地がひしめき、特に養老ランドは一昔前の電鉄系遊園地といった風情なのに、お客を多く集めていたのは意外。ほとんど100%はマイカーで訪れているようで、朝9時にして早くも駐車場に列ができていた。

 一方の養老の滝へ続く道は、これまたタイムスリップしたような風情。木造の土産屋や休み処が並び、渓谷の水で冷やすサイダーが風流だ。僕の家族にとっての避暑地だった、朝倉・秋月の「だんご庵」を思い出した。
 リフト乗り場までも結構な高度を登らねばならず、自分の体調を気にしながらもやっとのことで、汗をかきかきたどり着いた。背後に濃尾平野の広がりを感じつつ、5分ほどで山上着。ここから、更に少し下って歩いていけば、ようやく養老の滝である。駅からおよそ40分の道のりだった。

 滝は、谷の上からまっすぐに落ちてくる、スマートな容姿。頬をなでる風が、ひんやりと熱った体を冷ましてくれる。夏場の、しかも健康体ならば、しっかりと「天然クーラー」を浴びたのだろうが、今は春風邪の身。ひんやりは、ほどほどに留めておいた。

 帰路は、名物の「養老ラムネ」を飲みつつ、ゆっくりと下山。10時をまわり、いよいよゴールデンウイークの人波が押し寄せているようで、駐車場も満車になったようだ。観光客っぽい人は、僕以外に一組しか見当たらなかった養老鉄道の電車を思い出し、古くからの観光地といえどもマイカーの前では厳しいかなと思った。

 養老駅のレトロな出札口では、この後に会うボウズのために「養老鉄道クッキー」を購入。マルーンの電車をモチーフにした、可愛いパッケージだ。記念乗車券なんかも扱っており、人手の通った駅の温もりに触れつつ、ぜひ手にしたい。

 待ち受けた桑名行きの電車からは、リュック姿のレジャー客が大挙して降りてきたものだからびっくり。さっきの電車に観光客が少なかったのは単に朝早かっただけだからで、「鉄道レジャー」は養老鉄道に転換されても、しっかり健在だった。

 ガラガラに空いた電車は、濃尾平野の端っこを、坦々とした、しかし着実なスピードで走る。少し小高い位置を走るので平野を時折見通せるし、反対側に目を移せば、穏やかな養老山地の山並みが連なっている。平凡な、だけどのどかな風景だ。
 一旦空いた車内だったが、我が2両目は頻繁に自転車の出入りが見られるようになった。中には外人さん2人連れのサイクリストもおり、知った風に、でも物珍しげに乗り込んできては、盛んにシャッターを切っていた。海外でも紹介されているのだろうか。

 桑名に近付くにつれて乗客も増え始め、1時間に1本の電車ながら頼りにされているのが分かる。自転車は3人分くらいのスペースを取るので、あまりに混むと危なっかしくもありそうだけど、結果的には混乱が起きない程度の混み具合で終始した。ある程度空いているからこそ、サイクルトレインは成立するサービスといえそうだ。

 


▲行きかうマルーンの電車


▲擬洋風の手法も見える養老駅



▲リフトからは濃尾平野が一望


▲すらりとスマートな養老の滝

小粒ながらも激しいライバル競争 ~関西本線 快速みえ~

 終点・桑名着。近鉄と別会社になったことを象徴するのが、近鉄ホームとの間に立ちはだかる中間改札で、運賃計算もここで一旦打ち切りとなる。実質的な値上げではあるのだが、この方式だからこそ、収支が償うのだ。
 ダイヤの面では連携が取られており、大きな待ち時間なく中川、名古屋方面の電車に接続している。名古屋線の急行には、元祖3扉クロスシートの5200系も多く入っており魅力的だが、近鉄の同区間は昨日も乗ったので、JR関西本線で名古屋へ出てみることにした。近鉄、JRが平行するこの界隈、小粒ながらも激しいライバル競争が繰り広げられているのだ。

 その前に、処女地ではる桑名の駅前へ。駅前ビルの金券屋が、バス回数券の売り込みに懸命で賑やかだ。ただ「バスの切符はここでしか買えない」「買わなければ法律で処罰される」というようなニュアンスを含ませているのが少々気になり、苦情が入ってやしないかと思う。
 駅前からはもう1本の私鉄路線、三岐鉄道の北勢線が延びている。こちらも元々は近鉄だったのものを、養老鉄道と同じような経緯で地元鉄道会社が引き受けたもの。現代の奇跡ともいえる、軌間762mmのナローゲージ電車で、今回は時間の都合で見送ったけれども、ぜひ一度乗ってみたい路線だ。

 桑名駅はJRと近鉄の同居駅で、JRは「TOICA」、近鉄は「Pitapa」が使えるが、相互に互換性がないのは惜しいところ。ところが、関西の「ICOCA」なら双方とも使えるのは面白く、この沿線ならばICOCAが最も便利ということになる。
 ただ複雑なのは明らかで、名古屋都市圏私鉄各社へのICカード導入時には、ぜひ共通化を目標に掲げて欲しい。車社会の中京圏では、その必要性は他都市より高いはずだ。

 桑名駅では近鉄、JR双方のホームが見通せる。JRは近鉄ホームに見えるように、「名古屋へ毎時4本、330円」の看板を掲げているかと思えば、近鉄側は「桑名特割きっぷ740円・朝ラッシュ時は頻発運転」と応戦。熾烈だ。運賃はJRが圧倒的に安いものの、利便性からかホームの賑わいは近鉄が勝っているように見える。

 やってきた名古屋行き快速「みえ」は、2両編成。その他の関西本線の電車も2両編成がほとんどのようで、長編成の電車が行きかう近鉄とのボリューム差は明らかだ。
 延々鳥羽方面から走り続けてきた「みえ」を待ち構える人は多く、しかも半車は指定席とあってすし詰めを覚悟。しかしいざ乗り込んでみれば、座席にはありつけなかったものの、余裕を持って手すりに掴まれる程度だった。

 快速「みえ」はディーゼルカーではあるものの、王者・近鉄を敵に回し名古屋~鳥羽間の快速サービスを確立することを目的に開発された車両だけに、早い。
 早いだけでない。3扉・クロスシートという構成は東海道筋の快速と同様だが、カーテンがかけられ座席もふっくらして(いるように見える)おり、少しデラックスな雰囲気。座席の数もドア間6列と、1列多く、グレードが高い車両だ。座れれば天国と思う。

 単線が続き列車の交換待ちがあるものの、走れば早くて22分、名古屋駅着。ホームから階段を上り下りすれば新幹線ホームまで近く、この点はアドバンテージだ。



▲養老電車の背後に「名古屋へ毎時4本」のJR


近鉄も特割きっぷで対抗する


▲特急車のような風格も見える「みえ」

眺めがよい近未来の足 ~リニモ~

 相変わらず賑わう名古屋駅を地下に下り、「トランパス」を吸い込ませて地下鉄・東山線へ。栄町までの1駅は混雑区間として知られ、10両の電車もぎっしり満員だ。それ以降もつり革が塞がる混雑が続き、3大都市圏の勢いを感じる。
 地上に上がって高架を走った電車は、いかにもニュータウンの玄関といった面持ちの終点・藤が丘駅着。駅前でランチを食べた後は、再び階段を下り「リニモ」の乗り場へ向かった。こちらもトランパスのエリアだ。

 トータルでデザインされた空間やサインは、近未来の電車・リニアモーターカーの雰囲気を盛り上げる。地下ホームにはホームドアも完備され、地下鉄の雰囲気。無人運転システムだが運転台に立ち入ることはできず、広く眺めのよい空間が少々恨めしい。すぐ後ろの最前列の座席に座ったが、迫力には乏しそうだ。

 走り出せば、静かで揺れないという特徴以前に、スピードが上がらないという点の方が気になった。カーブが多く駅間距離も短いため、思うようにスピードを出せないようだ。せっかくスピードを出せるシステムなのに、なんとももったいないと思う。
 はなみずき通駅を出れば、いよいよ地上区間。杁ヶ池公園駅を出ればカーブも減り、本領発揮とばかりスピードが上がった。確かに静かだし、揺れも少ない。おかげでさほどスピード感を感じないほどだ。それだけにカーブが続く最初の2駅間は、なおさら惜しい。

 沿線は「バイパス沿い」といった雰囲気で、大規模な宅地やマンションが並ぶわけでもなく、やや苦戦している利用動向にも納得。大阪万博の時のように、跡地をニュータウンとして大開発できればよかったのだろうけど、「愛・地球」がコンセプトではそうもいくまい。せめて駅前の容積率緩和くらいの政策は、あっていいと思うが。

 せっかくなので、1駅で途中下車。その駅はもちろん、愛・地球博記念公園だ。駅前には広大な公園が広がり、駐車場には車がぎっしり。芝生広場では、家族連れが「安・近・短」な連休を楽しんでいた。記念館も大盛況。40分少々の滞在ではほとんど駆け足の見物になってしまい、すっかり名所の「サツキとメイの家」までなんて、とてもとても。またゆっくり訪れてみたい。

 終点・八草までは中間車のクロスシートに乗車。窓がめいっぱい大きく、長久手の森の眺めがすばらしい。防音壁がないのも静かなリニアモーターカーだからなせる業で、これは乗る側にとって大きなメリットだ。森もいいけど、都心を走れば楽しい眺めを満喫できそうだ。

 八草では、雨に濡れず乗り換えられる愛知環状鉄道に乗り換え、岡崎へ。愛環の電車に乗りたかったが、やってきた岡崎行きは名古屋から直通のJR211系で、少々残念だ。ガラガラだったが、4両というキャパシティがあってこそではある。

 田園風景の中を貫く立派な高架橋を、リニモほどではないがすべるように走る。もともとは重量級の貨物列車を高速で通すため設計された路線なので、規格は極めて高い。
 いきなり都会になったと思えば、新豊田駅。いわずと知れた日本ナンバーワン企業・トヨタのお膝元だ。赤字のニュースに暗い表情を落としているかと思ったが、ぱっと見の街並みが劇的に変わるわけもなく、賑わう企業城下町が広がっている。
 公共交通機関の主役は名鉄で、高架駅からも離れた中心街の名鉄駅前をのぞめるが、こちらにも多くの人が乗り込んだ。名古屋に逆行する形ながら、なかなかの乗り具合だ。

 岡崎では、JRに乗り換える人でホームが埋まった。



▲バイパス道路上を快走!


景色の中を飛んでいるような爽快な車窓


▲万博記念館ではモリゾーがお出迎え



▲愛環線なのにJR車両で残念!

裏浜名湖を走る ~天竜浜名湖鉄道~

 岡崎~豊橋間は、新快速でリレー。わずか19分の所要時間で500円を越える運賃に絶句しかけるが、それほどに新快速の速度はすさまじい。
 豊橋駅では途中下車。名鉄というライバルがある名古屋~豊橋間では割引も多彩で、両者のいろとりどりの宣伝ポスターが目に付いた。JRでは新快速の特割はもちろん、新幹線でも普通運賃を切る水準の割引を打ち出している。なかなか割り引かない印象のある東海道新幹線だが、区間によりけりのようだ。

 駅前には豊橋鉄道の路面電車が、ペデストリアンデッキまで乗り入れた上に、廃止になった名鉄岐阜市内線の電車を譲り受け、大きく様変わり。岐阜市内線の廃止は返す返すも残念だが、福井と豊橋の体質改善に役立ったのは喜ばしいことだ。

 東海道を更に上る。豊橋発の電車は新快速と同系列の313系ながら、3両でオールロングシートの静岡都市圏向け車両で、大きく様相が異なる。名古屋圏に比べて長距離利用が少ないこと、ラッシュ時の利用が突出していることなど理由はあるけど、ライバル路線がないというのも大きな理由だろう。豊橋~岐阜間のサービスぶりと、対比が際立っている。

 新所原駅では、「富士・はやぶさお別れ乗車」以来の、沼津のお父さんと合流。去年の夏に「富士」で出会って以来、もう4度もお会いしているのだから、まったくオレ、どんだけ旅行してるんだか。
 新所原から出ているのは、「天竜浜名湖鉄道」。国鉄時代の二俣線を転換して開業した第三セクター鉄道だ。各地のローカル線と同様、乗客の減少には悩んでいるが、さすがは連休中とあって駅は賑わっていた。

 そんな新所原駅の中でも「おお、これぞ浜名湖!」と感じさせるのが、なんとうなぎ弁当の売店があること。しかもその場で焼き上げる、本物のできたて蒲焼である。でも列車が混みそうで、弁当を食える雰囲気じゃないかな…なんて思ったが、新所原から6駅目の「三ヶ日あたりで空くよ!」という駅員さんの言葉を信じ、ほかほかの弁当を手にした。

 発車を15分も前にして、はやくも立つ人も出ていた車内だったが、なんとかクロスシートの相席を確保。近年のローカル私鉄の「標準型」に位置づけられるディーゼルカーで、ひところ流行ったレールバスより車体が大きく、シートピッチもゆとりある快適な車両だ。発車する頃には、通路まで満席になった。

 知波田駅を出たあたりから、浜名湖の湖面が姿を現し始めた。新幹線や東海道筋から見る浜名湖と違って、入り江の入り組んだ落ち着いた風景だ。「裏浜名湖」と称するらしく、観光するにも楽しそうな地域に見える。
 三ヶ日駅で降りた人は確かに多かったが、列車は一向に空かない。手にしたうなぎ弁当が冷めないのはさすがだけど、「おあずけ」はなかなか辛いものがある。

 天浜線の特徴の一つとして挙げられるのが、駅舎を間借りしたテナントの多さで、パン屋や喫茶店、洋食店などが各駅に連なっている。それも木造駅舎の風合いを生かした、味わいある店構えをしていて、ついフラリと降りてみたくなりそうだ。
 お店のお客さんと、鉄道利用がどれほど結びついているかは定かではないけど、人のいて手入れされた駅というのは、鉄道利用を「避けられない」ための要素にはなりえると思う。ある程度の沿線人口がないとできない芸当ではあるけど、各地のローカル線も、もっとテナント探しに真剣になっていいんじゃないかな。

 フルーツパーク駅は同名のレジャー施設最寄り駅らしく、このテの施設と鉄道利用はなかなか結びつかないことが多いのだが、家族連れがどっと乗り込んできて、再び満席近くなった。子供たちは真剣に先頭から流れる線路を眺めており、この思い出が将来の利用につながって欲しい。
 赤い遠州鉄道の電車が待つ、西鹿島着。線路はこの先掛川まで続くが、今日のところはここで下車する。



▲快適な天浜線の車両


▲地元の足の鉄道では異例の「駅弁屋」!?



▲裏浜名湖を望みながら



▲子供たちで埋まった最前部

ミニ路線ながらも風格は「準大手」~遠州鉄道~

 西鹿島駅は、遠州鉄道との共同利用駅。地下道をくぐれば、古風だけど手入れされた三角屋根の駅舎が出迎えてくれた。待合室の隅で、ここまでお預けになっていたうなぎ弁当を、男二人もそもそ。1時間以上経っていたが、暖かく、うまかった。

 ここを始発駅に浜松市内を結ぶ電鉄会社が、遠州鉄道だ。地方都市の私鉄ながら、大手の中古ではないオリジナルの新車が停まり、LEDの時刻表には12分毎の電車が並び、改札口にはICカードリーダーが置かれている、地方鉄道離れした様子は、早くもこの終端駅から見て取れる。その実力やいかばかりか見聞するための、片道乗車だ。

 パノラミックウインドウがかっこいい赤い電車に乗り込めば、車内にはLEDニュース。ホロを車体全周に巻き、2両分の車内が見渡せて広々と見える。ワンマン運転時の見通しをよくするためかと思ったが、今もって全列車ツーマン運転だ。

 走り出せば、軽快なVVVFインバーターの音が鳴り響き、中古車でない新型車であることが分かる。軌道状態もよく、スラブ式の枕木が遠ざかる様子は、幹線に乗っている気分だ。ガラガラだった乗客も、駅ごとに乗客を拾って、やがて満員になった。
 とはいえこれは日常の姿ではなく、今夜は浜松祭りの日。見物の若者から、ハッピを来た子供なんかも乗り込んできて、華やかなこと。遠鉄も夜間まで12分間隔の時間帯を拡大し、見物客輸送に当たる。

 単線ながら交換駅でのタイミングがよく、ストレスはほとんど感じない。沿線の駅はほとんどが有人駅のようで、現代の地方私鉄としてはかなり手厚い人員配置といえる。その名も自動車学校前駅には「遠鉄自動車学校」があり、まるで大手私鉄のようだ。

 自動車学校前を出ると、傍らでは高架化工事が進行していた。助信駅から新浜松まではすでに高架化されており、これも地方私鉄離れした光景といえそう。ただ路上から気軽に乗れる「LRT的感覚」からは一歩遠ざかってしまうというデメリットもはらむ。

 市街地を高架で走り32分、浜松側のターミナル、新浜松駅着。高架化は1985年で、ホームや改札まわりは時代を感じさせる古さがあったが、コンコースや外観は現代風に一新されていた。駅前には遠鉄百貨店もそびえ、これも大手風だ。同じ県内の静鉄とともに、風格は少なくとも「準大手」のレベルにある私鉄だった。

 今夜のお泊りは、浜松駅前・アクトシティ浜松内にある、ホテルオークラ。そう、セントラルタワーズの竣工までは高さ東海一を誇った、超高層ビル内のホテルである。当然宿泊料は僕の手に届くような所ではないのだが、沼津のお父さんの「福利厚生」で100mの景色を手にすることになった。多謝!
 その眺めたるや、遠鉄の電車がコトコト走る浜松市内の夜景はもちろん、市内のビル街を串刺しにする新幹線も一望。夢のような眺望である。

 飽きることなくビル街を抜ける16両の光を眺めていたが、本当に通過列車が多い。立派な駅、無数のビルが立ち並ぶ政令市とあれば、九州新幹線なら間違いなく全列車停車の駅だろう。東名阪の狭間に位置する都市の宿命とも言えそう。リニアが開通すれば、東海道新幹線は便利な地域の足、となればいいが。

 一休みして、祭りで賑わう街中を散歩。「御殿屋台」と呼ばれる、光り輝く山車が市内を駆け巡り、賑やかなこと。楽しい雰囲気に溢れていた。
 せっかくの祭りの夜だが、風邪はまだまだ全快とはいかず、早めに帰って眠った。おやすみなさい。



▲ICカードリーダーも見える遠鉄改札


高架の新浜松はターミナルの風格


▲リニューアルされた駅舎は今風の外観


▲浜松祭りで賑わう市街地


▼3日目に続く








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