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変わり行く韓国のローカル線を行く
5日目
2008年の幕を韓国で降ろす

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韓国の一地方都市の変化

 明けて12月31日。いよいよ年の瀬だが、旧正月がメインの韓国では、あまり年末気分も沸かない。

 ここまで走り回ってきた今回の旅。ちょっと疲れもたまってきたようなので、午前中は友人宅でゆっくりさせてもらった。友人は年末というのに、朝から大学で実験で大変だが、4年生とはそんな時期だ。時間さえあれば、近傍にある街・文慶(ムンギョン)の鉄道名所でも車で巡ろうという話になっていたのだが、研究が忙しくては仕方ない。勉学優先、努力、努力。

 昼前、ようやく一旦抜け出せたということで、昼飯を食いに市内へ出掛けた。その前に立ち寄ったのが、忠州駅からやや市内側にあるバス会社・忠州交通の本社。何の変哲もない2階建てのRCビルなのだが、実はこの建物が古い忠州駅舎なのだ。現忠州駅とはずいぶん離れているが、これも韓国お得意の「都市計画に伴う線路変更」の産物である。言われなければ分からないし、言われてもそうなんだと思うしかないが、知られざる鉄道廃線跡の一つだ。

 市内で3,000ウォンという激安のソルロンタンを見つけ、昼食にした。不況の影響か、個人食堂、大手ファーストフードを問わず価格破壊が進んでおり、ありがたい話ではあるが、極度なデフレに至らないか心配でもある。定価では5,000ウォンのソルロンタンがまずいわけもなく、おいしく平らげた。

 研究に戻る友人と別れ、僕はひさびさの忠州市内散策に出掛けた。韓国に来る度に、必ず訪れている韓国の故郷・忠州だが、市内をじっくり歩いたのは2005年以来、3年ぶり。よく知っている街をじっくり歩いてみれば、韓国の一地方都市の変化をつぶさに感じられるわけで…

 まず気付いたのは、市内の歩行者天国に「若者の街」「文化の街」といったように、通りの名前を示す看板ができたこと。以前からあった名前を掲げたのか、それとも改めて名前を付けたのかは分からないが、分かりやすく親しめる街を目指す試みはいいことだ。

 歩行者天国にあった大型レコード店が消えてしまったのは、時代の流れか。何せ「ホンモノを持つ」ことに対するこだわりがない韓国人気質に、インターネットによるMP3ファイルの流通(違法含む)はぴったりマッチし、CD市場の縮小は日本以上に進んでいる。一方で交差点の小さなレコード店「明洞音楽社」は変わらず生き残っており、お年寄りにも親しみやすい形態の店の方が、こんな時代には強いのかもしれない。

 昔ながらのたたずまいを見せていた中央公設市場が建て変わり、市内を網羅する市場にはアーケードが掛けられたのも大きな変化。アーケード内はこれまで通り車の通行も可能なので、四国のアーケード商店街を見ているような気分になった。段階的に整備されているようで、「祝2008.10.30竣工」の垂れ幕だ残るアーケードも見られた。

 アーケードは半透明の膜になっていて、アーケード内も明るい。しかし一部のアーケードでは、これまでの市場でお馴染みだった黒い幕をかぶせ、光が入らないようにしている所もあった。暑くてかなわないとのクレームが多かったに違いない。もちろん薄暗く、あまり好ましい雰囲気ではなかった。今年秋竣工の区画にはもちろん暗幕はなかったが、来夏には同じ運命を辿りそうな気がする。

 ともかく、日本では撤去の動きにあるアーケードが、韓国では増殖中というのは面白い現象。ショッピングセンターが増えているのは韓国も同じだが、まだまだ中心市街地の勢いは失われておらず、市場の整備は、中心部も活かしていこうという行政からのテコ入れ策とお見受けした。

 骨折という大アクシデントで入院した経験のある「忠州病院」は、「忠州新病院」に改名したはずなのに、また先祖帰りして「忠州病院」に戻っていた。内部の医師はコロコロ変わっていたが、名前の変動を見ていると、経営者も変わっているのではないかと思う。僕にスパルタリハビリを施した先生の行方は、いよいよ分からなくなってしまった。

 中心部からやや外れた場所にあるショッピングセンター「Eマート」で買出しをして、タクシーで忠州駅へ。
 「僕、日本人なんですけどね」
 「日本人なの!?分からなかったもんで、日本のこと悪く言ってスマンね」
 やっぱり日本人と気付かれなかった。

 


▲実は旧忠州駅舎!の忠州交通本社


▲四国のアーケードを見ているような忠州公設市場


▲2003年1月2日、この応急室に運び込まれた

地方都市における新都市

 忠州駅からは、忠北線で忠清北道の道庁所在地・清州(チョンジュ)へ向かう。道内二大都市間の流動は活発で、バスは10分毎に走っているのだが、列車は1日わずか9本。「快速」クラスの列車を30分毎に走らせれば集客できそうな区間だと思うのだが、そうはならないのが韓国の鉄道である。

 数少ない列車だが、それでも利用者は相変わらず多く、「汽車旅派」は決して少なくなさそう。バスに対して高いイメージのある列車だが、忠州~清州のように中距離区間の区間では、市外バスに対しては同額程度、あるいはいくぶん安いことが多い。さらにトイレの存在から、鉄道派という人も多いようだ。

 清州の一駅手前、梧根場(オグンジャン)駅で下車。どんなさびれた駅だろうと思っていたが、エスカレーターまで完備した橋上駅で意表を突かれた。駅には大学の後輩・建東が待っていてくれた。忠州大に通う彼も実家はこちら清州にあり、年越しを付き合ってくれることになったのだ。

 まずは清州をぐるり一巡り。道庁所在地ということもあり、留学中も何度か訪れた街だが、あの時に訪れた博覧会の跡地が公園になっていたり、警察署が現代的なビルに生まれ変わっていたりと、大小さまざまな変化があった。

 一度訪れたことのある、山を巡る城壁が見ものの、上党山城(サンダンサンソン)にも足を運んだ。留学中は足の負傷で思うように見て回れなかった山城だけに、清州の市内が見渡せる場所までぜひ行ってみたかったのだが、今日は雪のツルツルでたどり着けなかった。僕にとっては鬼門のようだ。

 夜のとばりも降りかけていたが、清州の見所の一つということで、清州空港にも足を運んだ。忠北線には清州空港駅があり、無人駅でいつ通っても利用者が少ないことから、佐賀空港のように便数の少ない寂しい空港なんだろうという先入観を持っていた。確かにソウル方面は近すぎて便がないものの、済州島方面からは夕方5時以降にも6便の到着があり、思ったより頻繁に便がある空港のようだ。

 痛々しかったのは、清州を拠点に就航していた「韓星(ハンソン)航空」のカウンターやオフィス。韓国初の「第三の翼」として華々しくデビューしたものの、原油価格の高騰や金融危機で経営難に陥り、購入済み航空券の払い戻しすら行われないまま休止した、いわくつきの航空会社だ。扉の前には、女性職員が手書きしたものと思われる告知分が張り出されており、かなり切羽詰まった状態での休止だったものと察する

 空港から立派な4車線道路を駆けること15分、梧倉(オチャン)の新都市に着いた。所在地としては清原(チョンウォン)郡にはなるが、清州とも密接な関係にある郡で、両市郡の合併も議論されているようだが、なかなか前には進まないようだ。地方分権ではまだまだ途上にある韓国で、自治体の合併は簡単なことだと思っていたが、そうでもないらしい。

 梧倉新都市の商業ゾーンには、ソウルの地下鉄駅前のように高層のテナントビルが立ち並び、まさに「新都市」の景観を作り出していた。ソウルとの決定的な違いは軌道系輸送機関がないことで、バスの本数も充分ではないらしい。いきおい車の依存度は高まるわけだが、駐車場が確保されているわけでもないため、路上は違法駐車だらけだ。道路はかなりゆとりを持った設計なので、事実上問題はなさそうだが…

 しゃれたカフェやバー、サウナなども充実。ショッピングセンターも大規模なものが一軒あり、住んでいる限り利便性は高そう。賑やかな面だけでなく、湖のまわりに公園も広がっていて、「新都市」の元祖・一山(イルサン)の湖水公園を思い出した。交通機関の種類以外は、ソウルでも地方でも、新都市は共通のコンセプトを持っているようだ。

 この街で夕食にしたのが、ポッサム。ポッサムとは茹で上げた豚肉をキムチや菜っ葉に包んで食べる料理で、肉を食べたいけど匂いはやだなあというシチュエーションでは絶好だとは、建東の弁。ようやくこの旅で、韓国料理らしい韓国料理に出会えた。

 


▲立派な構えの上党山城


▲放置されたままの韓星航空事務所(清州空港)


▲違法駐車だらけの梧倉新都市

韓国語カウントダウン

 市内へある、建東の実家へ。凍えていたが、ご両親が暖かく迎えてくれた。まわりには笑顔が絶えない建東だけど、家庭の雰囲気を見ていると、そういう性格に育った理由が分かる気がした。お父さんの勤め先は軽電鉄…日本流にいえば「ゆりかもめ」に代表される新交通システムの研究開発機関とのことで、それはぜひ見学させてほしい!と思ったのだが、研究職ではなく事務職なので難しいとのこと。残念だ。

 旧正月がメインの韓国ではあるが、1年の総括としてはやはり新暦が基準となるようで、テレビでは「2008年演技大賞」やら「行く年韓国10大ニュース」など、年末プログラムが目白押し。年末の雰囲気が、いやおうなく盛り上がってきた。ついに雪も降り始め、行く年を惜しむかのようだ。

 明日朝の「新年の迎え方」の相談も終え、建東とともに街に出た。いよいよ雪は本格的になっており、道が次第に白くなる。誰も踏みしめていない雪道を歩く。残る足跡。

 留学中は何度か訪れた、清州の中心市街地。人口60万人の清州は、30万の忠州よりもちろん都会だが、ソウルと違ったほどよい賑わい方が心地よく、留学生仲間でも「あの街はいいよね」と人気だった。その思いは今日も変わらず、多すぎず寂しすぎずの人通りに、お洒落な光を投げかけるカフェ、ビルのライトアップと、夜の散歩を楽しんだ。

 とはいえ零下の気温の中でそうそう歩けるものでもなく、スターバックスに避難。甘いコーヒーを好む韓国にあって、スタバは大人気。日本より高い値段ながら、たいていの店は人でいっぱいだ。暖かいラテを舌の上で転がしつつ、異国で今年1年を振り返った。

 さあ、カウントダウン会場に向かおう。会場は市中心部から少し外れた「芸術の殿堂」で行われるとのことで、建東が必死にタクシーを捕まえようとするが、他の人も思いは同じで、来るタクシーすべてが人を乗せている。
 「おいおい、捕まるわけないじゃん。ここで新年を迎える気かよ」
 と反対車線に回り、空車をゲット。反対方向なので迂回にはなったが、たぶん待ち続けるよりは早く着いたはずだ。

 韓国式建築の市民ホールといった趣の「芸術の殿堂」前広場が、カウントダウン会場。地元ケーブルテレビの主催らしく、地元の芸術団体やダンスグループのステージが続いていた。寒風に雪まで重なり、つま先は感覚を失っていくが、みな楽しそうだ。

 一方で「躍進する忠北2008!」の道広報ビデオは、皆つまらなそうな空気。一部の人が手にしているキャンドルには「李明博OUT!」の字も見え、こんな年末のイベントに政治的主張を持ち込まなくてもと思うが、他国の国内事情に外国人が口出しすることでもないか。

 「蛍の光」の合唱が始まれば、まもなく年明け。男女司会者がゆったりと年末の総括を進行していたのだが、突然女性司会者がはっとしたような顔で、「ク(9)!パル(8)!」と叫び、広場を埋めた市民は「なんだなんだ」とビックリ。いつの間にか年明けは目前に迫っていたようで、「チル(7)!ユク(6)!」と続き、「イ(2)!イル(1)!」の掛け声と共に、
 「新年おめでとうございま~す!」

 くす玉が割れ、盛大な花火と共に新年を迎えた。日本の60万都市で、こんなに盛大なカウントダウンがあったっけ?と思うほどの派手やかなもので、韓国らしいお祭り騒ぎの中で迎えた新年は、思い出深いものになった。一部の人が打ち上げていた手持ちの打ち上げ花火が、同じく舞い上がった風船にぶつかり、客席に飛び込んで危険だった…のも、まあ韓国らしいか。

 新年を迎えてから始まった、除夜の鐘。道知事が、様々な「道民の願い」を込めて、ゴーン、ゴーンと鐘をつく。新年を迎えると共に、雪も強まってきた。市民の頭に降り積もる雪、雪、雪。寒い国では、新年を迎えるのも楽ではない。イベントはまだまだ続くようだが、明日は初日の出にも出掛けるし、そろそろ退散しよう。

 同じ考えの人は少なくなく、もちろんタクシーというタクシーは人が乗っている。
 「なんでこんなに空車がないんだ!」
 と建東は言ってたが、僕は家まで徒歩も覚悟の上だ。雪を踏みしめ、人通りのない街を歩いていると、背後で音が響いた。さらに盛大な花火が用意されていたようで、遠く輝く大輪に見入った。

 さいわい20分ほど歩いた所でタクシーが捕まり、生き返った気持ちで1時頃帰宅。とりあえずは眠りについたが、明日の起床は6時。5時間も眠れそうもないが、年に1度の日。めいっぱい楽しまなくては。

 


▲ほどよい賑わい方が心地よい清州の繁華街


「道民の皆さん!新年明けましておめでとうございます」


▲花火も盛大に新年を祝う
▼6日目に続く

旅のご参考に…旅の支出一覧(5日目/この日はかなりおごってもらっています)

支出 購入場所 金 額(ウォン) 金 額(円) 金額(以前のレート)
靴下 Eマート忠州店 5,900 428 738
タクシー(市内~忠州駅) 2,000 145 250
自販機コーヒー 忠州駅 400 29 50
本日計 8,300 601 1,038
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