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転職記念北海道旅行
1日目
シングルデラックスで上る寝台特急富士の一夜

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有休消化の代わりに


今回の旅のルート(Map作成ソフト:白地図 KenMap


 この夏、働きながらの転職活動に成功した。来年4月からは、0からの新生活だ。

 さて転職といえば、
 「最後にどさっと有休を取って、リフレッシュした」
 「あの休みで得たものも、大きかったなあ」
 なんて話を2、3聞いており、自分も実現できたらそんな「人生の中休み」がほしいなと、ぼんやり思っていたものだ。しかしいざ現実に目を向ければ、現職の職場は100年に1度のプロジェクトがまさにピーク。
 「最後の2ヶ月は有休消化を…」
 なんて言えば、誰か死んでしまうかもしれないって状況だ。長い人生、今の仲間も大事にしていきたいから、跡だけは濁したくなかった。3月31日まで、ここで頑張る覚悟を決めた。

 でも、夏の間がんばったんだもん、自分にご褒美があってもいいよね、と思っていたのも事実。そこで11月、3連休と土日の谷間の4日間を休み(1日は代休の先取り)、9日間の「中休み」までは譲歩してもらった。

 その間にやることといえば、もちろん生きがいの鉄道旅行。目的地は、大好きな北の大地、北海道だ。北海道は、今の職場に入ってから仕事で4回も訪れたが、プライベートでは大学3年生だった、2001年以来。7年ぶりの大旅行に、胸が躍った。

 そして10月31日金曜日、終業時間17時15分。それと同時に席を立ち、ロッカーにしまっていた私服に着替え、鞄を持ち、さっそうと職場のドアを開けた。
 「行ってらっしゃい」
 「お土産は生キャラメルね!」
 との声を受けながら、地下鉄六本松駅の階段を駆け下りる。


サポーターズトレイン「富士」

 七隈線と空港線を乗り継ぎ、博多駅へ。僕の旅なので、もちろん飛行機で北海道へひとっとび、なんてことはない。夏の旅で別れを告げたはずのブルートレインで、まずは東京を目指す。

 しかし博多駅からは、まず特急ソニックに乗り込んだ。この夏に、何編成か残っていた5両編成も7両に増結された883系「青いソニック」だが、その増結車両に初めて乗ることが出来た。883系とはいっても、車体構造も車内も、まるっきり885系の「白いソニック」そのもの。

 特に外観はステンレス車体とアルミ車体が混じり、お世辞にも美しいとは言えないが、車体メーカー側に様々な事情があったとか。革張りではなくモケット張りとなった座席のすわり心地も上々で、乗っている分には問題ない新型車両だった。

 仕事疲れからうつらうつらしていたら、小倉までの40分はあっという間。間食に駅の立ち食いうどんをすすっていたら、今宵の宿が進入してきた。寝台特急「富士」だ。

 なぜ博多経由の「はやぶさ」ではなく、大分発の「富士」をわざわざ小倉で掴まえたのか。それは単純に、「はやぶさ」の個室が確保できなかったからだ。もともと個室車の人気が高い列車ではあるが、来春廃止の報道以来、週末を中心に盛況が続いているようで、富士すら最初は予約が取れなかった。乗りづらいのは困るものの、この人気がJRを動かしてはくれないかなと、無駄な期待を持ちたくなるのがファン心理だ。

 もう一つの理由は、博多発17時半発の「はやぶさ」では、職場を早退しなければならないこと。福北間にのんびり1時間かける「はやぶさ」に対し、速達型ソニックで追い上げれば30分の余裕が生まれるのだ。同じ特急とはいえ、走りはかように異なる。

 閑話休題、つややかな青い車体に乗り込む。今回は奮発して、A個室「シングルデラックス」を確保した。子供の頃から、ホームから何度ものぞきこんでは、憧れてきた車両だ。割と近年リニューアルされており、B個室「ソロ」に比べ、くすんだ感じがないのは嬉しい。両側に壁が迫ることから「独房」とも称され、13,000円を超える寝台料金がお世辞にも「見合う」とは言えないが、喜びは多少の不満に勝る。

 B寝台と違って、きちんと昼間時間帯の居住性が考えられているのがA寝台で、背もたれが分厚く、座り心地は上々。オーディオやビデオなどのサービスは一切ないが、東京まで13時間、日常をわすれのんびり過ごせそうだ。

 列車のヘッドマークをデザインしたタオルのサービスが続いているのは嬉しく、使わず記念にとっておこう。もう姿を見ることの出来ない列車のマークが並んでいるのも、ご愛嬌だし、のちのち貴重品になりそうである。

 あっという間に門司に到着。「ふじぶさ」最大のイベント、「はやぶさ」との併結作業はこの駅で行われる。併結編成で後方になる富士は機関車が切り離されるだけだが、前方の「はやぶさ」は一旦引き上げ線に入り、推進運転(バック)で富士に連結されるという、手間のかかる手順を踏む。はやぶさの乗客はこの間乗ったままで、客車列車が絶滅危惧種となった今、貴重な体験といえるだろう。

 この作業は大勢のファンが取り囲み、乗客の多くが「乗ること」を目的としていることが分かるが、それに混じってJ1「大分トリニータ」のユニフォームを着た人たちも、興味深くのぞいていた。明日は国立競技場でヤマザキナビスコカップの決勝が予定されており、その応援に向かう人たちのようだ。

 調べてみればキックオフは13時15分で、東京に10時に到着すれば余裕を持ってスタジアムに行くことができる。九州側からならば、割引きっぷを使えば3万円ちょっとで往復できるし、意外な活用法があるものだ。大分にいた大学時代にはJ2だった大分が、決勝に進んでいるというのも、感慨深いものがある。

 ちなみに大分は翌日、清水を下してめでたく初優勝を飾っており、12番目の選手たちを運んだ「富士」も、微力ながら貢献できたといえそう。ぜひ今後も、サポーターズトレインとして活躍して欲しいものだ。大分から、サッカーが盛んな静岡方面へは、もっとも便利な足であることは間違いないのだし。

 


▲「白いソニック」テイストの「青いソニック」増備車


▲ギャラリーに囲まれた「富士」


▲そろそろと「はやぶさ」編成が近付いてくる

今日と明日の境目で

 「はやぶさ」とがっちり手を組んだ「富士」は、関門トンネルを越え下関へ。ここでも、いかにもパワフルな電気機関車EF66型への機関車交換があり、ファンが集まる。普通の乗客にとってもホームでの買い物に都合がよく、こと車内販売のないこの列車では尚更だ。青い機関車とともにこの先1000km、山陽、東海道を上っていく。

 「はやぶさ」編成に乗り込み、車内の様子を見ながら「富士」へ戻っていく。個室車はほとんどの部屋から人の気配があり、この先満室になるそう。開放型B寝台も、「はやぶさ」8割、「富士」5割の乗客といったところで、この先も岡山まで乗客がいるそうだから、なかなかの盛況だ。「はやぶさ」は家族連れが多い一方、「富士」は喫煙車の乗車率が高いのは対照的だ。全体的な雰囲気も、サポーターの有無以外をとっても違った。

 これだけの人、それも夜中まで話しこんでいたいような乗客が多いのを見ると、2005年にロビーカーが廃止されたのは残念だ。帰り、札幌から乗った北斗星のロビーでは楽しい夜が過ごせたし、半室でもいいから憩いの場がほしい所。特に個室の乗客にとっては、広い空間が恋しくもなるのだ。

 ちなみにこの列車に残る「サービス施設」と呼べるものは、A個室車にある自販機とカード電話くらい。自販機は、夜の旅にほしくなるアルコール類がない上、東京での補充がないらしく、下りの「はやぶさ」では売り切れのことも多いから、あまりあてにしないことである。

 部屋に戻り、駅弁の包みを開けて、買い込んでおいた缶ビールの栓をプシュッと鳴らす。窓の外には、流れる夜景。夜8時の宇部駅では、意外にも通勤客がホームを埋めていて、非日常の列車は羨望の視線を浴びた。田園地帯では、部屋の照明を落とすと外の照度と一体化し、夜の散歩をしている気分に。星空と、山の稜線がうっすらと窓を飾った。

 20時40分、スラブ式の高架橋を駆け抜け、1994年に高架開業した防府駅へ。富士の個室車は最後尾に近く、この位置のホームは照明もなく殺風景だ。思えば14両対応のホームも寝台特急があればこそのもので、廃止後にこの周辺で高架開業する駅があれば、8両分で充分ということになるだろう。防府駅の長いホームが「寝台特急が停車した名残」と称される日も、遠くない。

 瀬戸内海沿岸に出れば、明かりの灯る小さな漁村を、カーブに車輪をきしませながらゆっくりと走ることになる。ぼんやりと眺めていれば、この夏の転職活動中のいろんな思いが駆け巡る。ふと人生を思い返したいとき、ぼおっと「せざるを得ない」夜行列車の旅は最適だ。時々、街明かりが顔を照らし、現実へと引き戻す。コンビナートの明かりにはっとすれば徳山で、隣人はこの駅からの乗車のようだ。ドアの開け閉めがうるさいが、人の振り見て我が振り直せ、静かな開け閉めを心がける。

 21時12分発の下松で、はやくもお休み放送。限りなくトーンを押さえた長い放送は、長距離列車の風格を漂わせる。車窓も個室車の車内も、すっかり深夜の装いだ。広電の宮島線が併走するようになれば広島都市圏に近付き、いまだ通勤客であふれる広島駅に着いた。10時半、まだまだ「今日」の活動が続く時間だ。時間の針が、日常ベースに巻き戻る。

 さあ、そろそろ眠ろう。肘掛を持ち上げると、連動して背もたれが引っ込んで、ベッドの幅が広がる。横になれば少し窮屈な感じで、もう少し広ければと思ったが、足元のレバーを回せばさらにベッド面がせり出すことを知ったのは、翌朝になってからのことだ。揺れも気にならず、ふっと眠りへ落ちていった。

 


▲狭いもののプライバシーは保たれる「シングルDX」


▲昔懐かしいマーク入りのタオルは健在!


▲2列車のマークが対峙する連結部

富士の裾野を富士で駆ける

 夜汽車の朝は早い。朝の「おはよう放送」は6時10分、浜松到着前からだった。浜松までは20分以上あり、だいぶ余裕を持った放送だが、この放送で目覚めれば浜名湖の湖面に出会うことができる。高層ビル「アクトシティ」が都会のイメージを作る浜松を出れば、車内販売も営業開始。まずは「富士・はやぶさ」の連結部で販売した後、その後、車内を回るとのことだ。

 洗面所のラッシュも、混雑した夜行列車の風物詩といえるが、A個室には洗面台があり、一人でゆっくりと身支度ができる。台からコックまで、すべてが金属製の洗面台は時代がかっているが、ピカピカに磨かれていて不潔感はない。窓を飾る茶畑を見ながら、さっぱりした。

 ビルが駅前に高密度に立ち並び、コンパクトシティの模範例ともいえる静岡を出れば、ようやく車販がまわってきた。浜松から一時間近く経っており、弁当なんてもう売り切れだろうと思ったら、ワゴンにうず高く残っている。売れ残りだとしたら気の毒だが、東京までにまだまだ売れていくだろう。かなりの量を積んでいたに違いない。「車内限定」のブルートレイングッズでも作れば、それこそ飛ぶように売れる気もする。

 静岡を出れば、真横に静岡電鉄の静岡清水線が併走。JRが急行線、静鉄が緩行線のような役回りだと言われるが、なるほど東海道線から京浜東北線を眺めるような気分だ。2両の、それでもステンレスのオリジナル車が通勤客を運び、思わず乗ってみたくなる。通過することは多い静岡だが、それだけに未乗の鉄道が多くて、早く訪れてみたい地域だ。

 清水を通過し、由比付近で列車は駿河湾岸に飛び出した。海側には国道1号と東名高速が走るが、我らが東海道本線沿いには防波堤らしき痕跡があり、かつてはつかず離れずだったのだろう。

 左手には、富士山も見え始めた。この区間、夜に通ることばかりで、日本の鉄道風景を代表する東海道の景色は、いつか眺めてみたいと思っていた。それを個室寝台から眺めているのだから、気分が悪かろうはずがない。富士到着直前には富士川の鉄橋を渡り、「左手に富士山、富士川鉄橋から見る富士山が一番美しいと言われています」と放送あり、好感。

 次の停車駅、沼津では待ち構えてくれる人がいた。前回、夏に下り「はやぶさ」に乗ったときに出会った、沼津のお父さんだ。今夜の「ふじぶさ」で上るとメールを送ったところ、わざわざ夜勤明けに、しかも1分停車の間に見送りに来てくれたのだった。沼津名物の「鯛めし」の差し入れまで受け、恐縮しつつも嬉しい。朝食用に買っていたJR九州のパン屋「トランドール」のミルクパンと交換した。

 丹那トンネルを抜ければ、今度は相模湾が車窓を飾った。しかも高い位置を走る線路からは、さえぎることのなく水平線を眺められて、いい気分。「鯛めし」のおいしさも、一層深まったのは言うまでもない。

 すっかり「首都圏」に入り、通勤電車の合間を縫って、ゆっくりと東横間を走る。ガラス窓の向こうとのギャップを楽しみつつ、長旅を終え東京へと滑り込んだ。ここでも大勢のファンの出迎えを受け、ブルトレ人気を思い知った。

 


▲テーブルを開ければ洗面台に早変わり


▲富士川を走る富士から見た富士山


▲東京駅でも人気者の「はやぶさ」

▼2日目に続く

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