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転職記念北海道旅行
4日目
昔の汽車旅を楽しむ

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1日2本のバスで温泉へ

 列車の音に目覚め、カーテンを開ければ、札幌行きの通勤型ディーゼルカーが発車していくところだった。キーンと冷えつつも、爽やかな山の空気。雪を頂く羊蹄山。ここは駅。最高の朝だ。

 「日本の朝ごはん」を食べている間にも、1本、列車がいない乗客のため止まり、発車していく。めったに乗れないローカル線の、夜から朝の時間の移り変わりをつぶさに眺められるというのも、単に列車が通るという以上の楽しさがあった。

 9時36分の列車で出発することにしているので、朝の時間もゆったり。セルフのコーヒーを傾けたり、しま次郎に遊び相手になってもらったり。膝に乗るのはもちろん、爪を出して肩に上ってくるのだから、老猫とはいえ元気。東京駅で買ったばかりのジャンバーが、爪で穴だらけになったのも、旅の思い出というか、痕跡の一つだ。

 一つ辛かったのは、談話室がしんしんと冷えていたことだが、土間のためいくら石炭ストーブを焚いても、どうしようもないことのようだ。この冬には床張りの工事を行って、玄関から先は上履きで過ごせるようになるとのこと。一人の夜は寂しかったので、少し賑わうシーズンに、また訪れたいものだ。

 宿主さんに見送られ、昨日きた道を引き返す。下車駅は1駅隣のニセコなのだが、「1駅」の概念が内地とは違う。9分間、川沿いを走り集落が見えてくれば、トマム、マキノに並ぶ3つのカタカナ駅として名を馳せた、ニセコだ。もっとも最近は各地で増えて、さして物珍しさもなくなったが。

 ニセコ駅前を発着する、ニセコバスで昆布温泉へ向かう。列車との接続は上々だが、なんとこのバスの本数は1日2本! その少ないバスの乗客は、僕一人だ。当初のラフプランニングでは、さらに奥の五色温泉まで行くはずだったのだが、昨日改めて時刻表を確認してみれば、11月1日から冬季ダイヤとなり、昆布までに短縮されていた。かように不便なバスでも、「あるだけ、まし」とは、ひらふオーナーの弁だ。そうかもしれない。

 車も少ない道を快調に走り、途中、親会社である中央バス経営の「いこいの村」に立ち寄りつつ、終点昆布温泉へ。1時間少々の時間で、鮎川温泉旅館の湯に浸かる。池に移る素朴なたたずまいが好ましい。古いが、オンボロではない。よく手入れされている印象だ。

 温泉も同じで、内湯は古くからの湯治場を思い起こさせる。ゆうに20人は入れそうな浴槽だがカランは2つのみで、体は「手汲み」で洗って欲しいとのこと。浴槽は析出物でびっしり、褐色の湯の中の浮遊物も半端ない量だった。

 一方で露天風呂は、滝見の湯の名前の通り、緩やかな角度で流れる滝と、葉を落とした木々を眺めながら入れる、自然の中の温泉だ。今風にいえば、マイナスイオンでいっぱいといった所だろう。コンクリート+モルタルこて仕上げの浴槽そのものは、岩風呂なんかに比べるとそっけない気はするが、長い時間をかけて温泉成分が付着すれば、自然に帰してしまいそうだ。

 同じ運転士、同じバスで戻る。やはり乗客は僕一人で、
 「僕いなかったら、往復無人だったわけですね」
 と言ってみれば、いつものことですよといった風情だった。

 全九州で使えるバスフリーきっぷ「SUN Qパス」の北海道版なんてあれば、海外からの旅行客にも受けて、ローカルバスの活性化にはならないかなと思う。一方で倶知安に出てレンタカーを借りてれば、五色温泉との「湯めぐり」や、湿原まで足を伸ばせたかな、とも思った。公共交通機関での観光、気楽ではあるが限界を感じることも多い。

 少ないローカルバスとJRの接続はよいことが多い北海道だが、このバスの冬ダイヤでは接続があまり良くなく、時間もあるので1つ手前のバス停で降り、ニセコ大橋を歩いてみた。美しいアーチ橋なのだが、なぜ黄色なんだろう? 空を見上げれば黒い雲、雷鳴までとどろき始め、橋の上の旅行者は恐怖におののく。駅に着く頃には、本格的な土砂降りになっていた。

 


▲朝を迎えた比羅夫駅


▲1本、また1本と列車が過ぎてゆく


▲池に姿を映す「鮎川温泉旅館」


▲滝見の露天風呂もいい感じ

今や貴重な旧型客車に乗って

 ニセコ駅に着くと、はっぴを着た観光協会の人たちが準備を整えていた。さらに黒塗りの車で現れたのは、蘭越町の町長。今日は秋の臨時列車「SLニセコ号」の運転最終日で、乗客を出迎えるようだ。

 僕のお目当てもこのニセコ号で、札幌から倶知安までは指定席、その先蘭越までは全車自由席で走り、蘭越ですぐさま折り返すダイヤだ。当初の予定では倶知安行きをつかまえる予定だったが、バスの時間が繰り上がっていたので、蘭越行きからお付き合いすることにしたのだ。この区間も昨日は真っ暗闇だったから、景色を見るにもちょうどいい。

 雨とあって迫力ある煙を見せながら進入してきたC12の後につらなるのは、茶色に塗られた旧型客車だった。自由席区間とはいえ、地元の方と見受けられる親子連れや、「同業者」でぎっしり満員。秋の運転日数は10日にも満たず、最終日とあって人気が集まったようだ。

 乗ってみれば車内は「木目調」の化学内装材だったものの、デッキの白熱灯や真鍮製の金具類は、昔懐かしい汽車そのものだ。蘭越町のキャラバン隊は下車客を出迎えたのかと思えば、列車に乗り込み町長自ら観光PR。くじ引きイベントでは残念ながら「参加賞」、それでもおいしそうな蘭越米を頂いた。

 4両編成と短い列車ながら、1両まるごと立ち飲みスタイルの「カフェカー」も連結されており、席にあぶれた人たちでこちらもいっぱい。終着直前ではあるが、指定席区間と同様に営業しているようで、サッポロクラッシクを傾け、ドラフトの音に耳を傾けた。

 蘭越駅到着直前には急ブレーキがかかり、何事かと思えば、写真を撮っていたファンが線路に近付きすぎていたとか。このあたりのマナー、何十年前から言われていることであるが、なかなか改善されないのは困りものだ。

 せっかく晴れてきたので、外に出て写真でもゆっくり撮りたい所ではあるのだが、急ブレーキ騒動で、ただでさえ短い折り返し時間はさらに詰められた。まるでただの停車駅だったかのように、あっという間に折り返すことに。先頭にSL、後部にディーゼル機関車を連結した「プッシュプル方式」だからこそ、なせる業だ。

 折り返し倶知安まではDLが先頭に立つことになるが、後部で引っ張られるSLの方からも汽笛が聞こえ、気分はSL列車。そもそもディーゼルであろうとも、機関車に引っ張られる客車列車自体が貴重になってきた昨今。旧型客車との組み合わせは2〜30年前の汽車の再来ともいえ、これはこれで滅多にない体験である。隠れていた羊蹄山も、頭に雲の帽子を載せ、姿を現した。

 倶知安駅に到着。札幌行きのニセコは2時間後の発車で、その間にSLを先頭に付け替え、整備を行うため一旦引き上げるので、荷物は持って出て欲しいとのこと。重い荷物を抱え、大枚300円を叩いてロッカーに収める。

 倶知安駅近くの見所はこれと言ってないらしいものの、ひらふのオーナーが寿司定食を1,500円で食べられる寿司屋を教えてくれていたので、勇んで訪れてみれば、昼休憩中。ここに来るまでに見かけていた、「第二候補」の蕎麦屋に駆け込んだ。寒い天気に、太くて黒い田舎蕎麦の味わいと、どんと乗ったあなご天が嬉しかった。

 街外れにあるスキージャンプ台の跡も、「よくこんな所から飛べるな」と感心すること請け合い、しかも倶知安の街が一望とすすめられていたが、雨脚が強くなり断念した。変わりに駅前通りにあったオサレカフェに入れば、強めの暖房。泡でハートが描かれた、ちょっと苦めのカプチーノで、身も心も温まる。オーナーは外人さんのようで、思わぬ所にこんな店があるものだ。せっかくの見知らぬ土地での2時間を、雨と、足がなかったせいで棒に振ったかなと思っていたが、思いのほか落ち着けた。

 


▲折からの雨で煙は盛大に



▲重厚感のある旧型客車の車体


▲車内の中央に「でん!」と置かれただるまストーブ


▲羊蹄山の雄姿

ドラフト、ピアノの二重奏

 駅に戻れば、勇壮な太鼓の音が出迎えてくれた。今期最後の運転ということもあり、派手な見送りとなったようだ。いなせな太鼓隊がホームを埋め尽くしているお陰で、乗客はなかなか列車に近付けないが、まあいいか。みんなお祭り気分の乗客で、実用性を求めて乗っている人など一人もいないのだから。

 全車指定となる倶知安からの指定席は満席で、僕も1週間前に買おうとしたものの売り切れており、昨日長万部駅で貴重なキャンセル分にありついた。狭いボックス席に満員なのだから、同じ満員とはいえ特急なんかのそれとは異なるぎっしり感がある。向かいの席の親子は、父親はぼんやり、息子は携帯ゲームに熱中しており、汽車旅の友としては…奥さんはついに席に戻ってこなかったが、一番の「ファン」だったのだろうか。

 汽笛を轟かせ、太鼓の音に見送られながら倶知安を発つ。車窓は盛大な煙が覆い、汽笛もよく聞こえて、雰囲気は満点だ。席は狭いので、カフェカーで缶入りウイスキーを傾けつつ、静かに車窓に見入った。薄暗くなってきた車内に映えるランプの明かりが、幻想的だ。

 缶入りウイスキーといえば、内地ではサントリーのリザーブが相場だが、さすがは北海道、ニッカである。しかもこの列車、ニッカの貯蔵場がある余市も通る。せっかくだから缶入りと言わず、本格的に各種銘柄を揃え、車内でボトルからロックや水割りにして売れば人気も上がりそうだが、どうだろうか。

 カフェカーにはピアノまで備え付けられており、演奏される時はあるのだろうかと思っていたが、なんと客室乗務員自らの演奏会を行うとか。各車両からも人が集まり、狭いカフェカーはぎっしり満員になった。騒々しくはあるものの、いい雰囲気のカフェカーで生のピアノの調べに耳を傾け、ウイスキーでほろよいになった頭の中は夢見心地だ。いい列車じゃないか。

 SLニセコ号といえば、1988年に復活した初代の「C62ニセコ号」の印象が強い。鉄道雑誌で読んだだけではあったけど、大型蒸気の名機C62が、レトロ調に茶色とせずあえて急行カラーである青色を身にまとった客車をひき、忠実に急行ニセコの全盛期を再現した姿が特徴的だった。

 その後は運営団体の資金難に加え、JR側も運行を続ける意欲を見せず、1995年には廃止になってしまった。しかしドラマ「すずらん」のヒットでJRは中型機のC11を復活させ、「SLすずらん」が走り始めた時には、あれと思ったものだ。「すずらん」ブームの終焉とともに活躍舞台がニセコに移り、SLニセコを名乗っても、まったく別物だよという認識しかなかった。

 でもそんな感傷も感想も、乗った列車が楽しければ吹き飛んでしまうもの。特に客室乗務員自らの演奏で、楽しさは一層強まった。2001年に乗った「天塩川ノロッコ」でも然り、北海道は、人の魅力が列車の魅力を高めている。

 小樽に近付く頃にはすっかり夜になってしまったが、白熱灯が灯る車内は、昔の夜汽車ってこんなだったのかなと思わせた。小樽到着の案内は、各車両から選ばれたちびっ子が、制服姿で鐘を鳴らしながら歩き回った。照れくさかろうが、生涯忘れ得ない思い出になるはず。
 「いい経験ですよね」
 「大切にしないと、将来のお客様ですからね」
 一緒に眺めていた「同業者」の人と語り合った。

 入り江から市街地へ、汽笛響かせ下っていけば、小樽。SLニセコはここでまた50分も停車し、先頭にDLを立たせて札幌までのラストスパートを駆ける。通勤電車主体の区間を、旧客に乗り走るのも面白そう(クリスマスには、この区間のみの臨時SLも走る)だが、札幌から先の列車につながらなくなるので、僕はここで降り、快速電車で先行する。

 


▲SLはどこでも大人気


▲ピアノ演奏に集まる人々


▲小樽の街へ駆け下りていく


▲夜目には一層つややかな客車

全道夕方発日着圏内の時代

 快速電車まで10分ほどあるので、大好きな、しかし夜は初めての小樽駅舎を眺めた。戦前の栄華を伝える立派なRC黎明期の建築物で、コンコースには小樽ランプも下がり、レトロが感アップ。レトロな港町の玄関口にふさわしい。

 一方で北海道の最先端を走る札幌圏でもあり、自動改札機にはICカードリーダー、そしてカードチャージャーが備えられた。1週間前の10月25日に始まったばかりの、JR北海道のICカード「Kitaca」対応改札だ。福岡では5月から「nimoca」の利用が始まったが、あの時と同様、まだまだ使っている人は少なく、使っている人を見たのは、最終日に札幌駅で見た1人だけだった。

 だが発行枚数はその後1ヶ月で累計7万枚を突破、nimocaが3ヶ月で10万枚だったから、これを追い抜く勢いだ。首都圏のsuica以外、札幌市営地下鉄などとの共通化の話が聞こえてこないのは残念だが、いずれ地下鉄、バスとの共通化が壇上に上ってくることだろう。

 札幌まで利用したのは、快速エアポートの指定席。指定席料金は300円と安めだが、ぐる北の指定席乗り放題の特典により、無料で乗れる。この車両がお気に入りで、特急普通車を越えるゆとり、落ち着いた照明と相まって、他地域の「普通列車のグリーン車」を越えるグレードがある。愛称を「uシート」と言い、特急普通車とグリーン車の中間的な位置付けのようだ。

 札幌までは、自由席に立客が出る一方で、こちらはゆとりの30分。徐々に都会らしくなり、北の大都会、札幌着。

 ネオン呼ぶ夜の札幌に繰り出したいところではあるが、駅弁を買い込み「スーパーおおぞら11号」に乗り換え、釧路へと向かう。札幌から釧路といえばはるか遠いイメージがあるが、夕方6時に出てもその日のうちに着けるのだから、早いものだ。しかもこの後に1本、8時前の列車でも日着できる。

 この列車の指定券は、あっさり倶知安駅で取れたものだが、今日の指定席はグリーンも含め満席だとか。編成は9両、うち指定席が7両を占めるにも関わらず、だ。スピードはもちろん、そろそろ初雪の便りも聞かれるこの時期。夜の道路では、凍結の恐れもあるかもしれない。冬こそJR。JR北海道の繁忙期は、間もなくだ。

 指定席は、新しい座席に改装されていた。薄灰色の座席からイメージチェンジ、ワインレッドが目に鮮やかである。枕を自由に動かせ、座高の高い僕でも納まりのいい位置にできるのは、快適だ。背もたれが薄くなった分、座席まわりのゆとりも増えたようである。

 一方で肘掛は細く、以前の座席にはあった足置きも省略。薄い背もたれと相まって、飛行機の新しい座席のようでもある。飛行機の座席交換は快適性の向上はもちろん、原油高の昨今、軽量化で燃料費を少しでも節減しようとの事情があると聞く。ディーゼル特急がメインのJR北海道、さては同じ事情だろうか?

 高架で千歳線を駆け抜け、千歳空港からの乗継ぎ客を南千歳で受ければ、山中の石勝線を猛然と駆ける。この区間で「名物」ともなっているのが、鹿などの野生動物の飛び出しによる急停止。この列車でも一度遭遇し、窓框に置いていた缶ビールが、スーッと前の席へ滑っていった。

 そんな事故がある以外は、車窓は闇だけで単調なものだが、この区間は出張で何度も通った区間、心置きなく目をつぶる。明日は早起きで、ホテルで寝る時間も少ないのだ。

 それにしても、である。この時間で日着できるのはすごいことだけど、この夏までならば夜行特急「まりも」が季節運行ながら残っており、札幌の夜をゆっくり楽しんだ後に乗り込めば、翌朝には釧路に到着、朝から有効に時間を使うことができた。夜行列車の不振はあちこちで叫ばれているけど、かように実用的に使える区間も存在する。

 前回2001年の「ぐる北」の旅では、まだまだ道内4方面の夜行列車が健在。このうち、札幌発稚内行きの「利尻」、網走行き「オホーツク」、そして釧路発札幌行きの「まりも」を駆使し、地上泊をわずか1回で済ませたものだ。さすがにハードではあったけど、安く、そして広い北海道で時間を有効に旅できた。

 もっとも夜行の交通機関が消滅したわけではなく、札幌からは稚内、網走、根室、釧路、函館に向け、夜行バスが今日も走っている。要は「ぐる北」で乗れなくなっただけであり、広い北海道、旺盛な夜間移動の需要は健在のようだ。

 帯広を出ればだいぶ空き、再び闇の中を走ること4時間弱。21時43分、釧路着。自動改札機が並び、出迎えの車が列をなす。久々に、街らしい街を見た気がした。

 今日は寝るためだけの宿泊なので、全国チェーンのビジネスホテル「スーパーホテル釧路」へ。このテのホテルチェーンを使うのは初めてだったのだが、4千円に満たない料金ながら、シティホテル並みの部屋。天然温泉(循環にしては、いい湯だった)の大浴場あり、朝食付きでこの値段なのだから、なるほど人気なわけだ。旅も中盤というわけで、ランドリーで洗濯にはげみ、眠れたのは12時過ぎだった。

 


▲ランプ灯る小樽駅のコンコース


▲Kitacaスタート!(札幌駅)


▲包み込むような形状の「おおぞら」新シート


▲はるばる、しかし4時間弱でたどりついた釧路

▼5日目に続く

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