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お正月こそ旅!山陰へ
2日目
寒く暖かい鳥取

朝から吹雪の砂丘に立つ

 明けて12月30日。列車は微妙に遅れているようだが、車掌に確認すれば、乗り継ぎに影響するほどではないようなので一安心。午前5時10分、まだ真っ暗闇の岡山駅に降り立った。

 始発から間もない時間帯なのに、各方面とも列車があり、どの列車もそこそこ賑わっているのだから驚きだ。昨夜から飲み続けた帰りという風情の人も多いが、ちょっと用事といった感じの人や、遠征に行くのかジャージ姿の高校生もいる。一部新装になった橋上駅舎の改札を見れば自動改札がずらりと並び、「ICOCA」も使えるとあって、関西圏まで来たような気分になった。

 乗り継ぐ列車は、5時20分発の鳥取行き早起き特急「スーパーいなば91号」。キハ187系の振り子式気動車で、前後2両の短編成ながら、白熱色の暖かい光が車内を包む落ち着いた雰囲気の列車だ。「あかつき・なは」との接続も良好だが、乗り継いだのは2人。岡山からの乗客も2人で、僕を合わせても5人という寂しい旅立ちだ。

 高性能気動車らしく、まずは東海道本線を猛然とダッシュ! 上郡からは、方向転換して智頭急行線に入る。この駅では、東京からの「サンライズイズ」と接続している。実はこの列車、山陰本線経由の「出雲」なき後、東京〜鳥取間の夜行連絡を受け持つのが主たる役割なのだが、その乗り継ぎ利用者も片手で数えられるほどだったようだ。帰省ラッシュピークの下りだというのに、心もとない。

 …と、いろいろ観察したような書き振りではあるが、まだ夜行の続きといえる時間で、鳥取までの2時間半はほとんど夢の中だった。智頭急行は始めての路線だったので、沿線の様子を眺めたくもあったけれど… 目覚めたのは、因美線に入ってから。山陰地方は雪深いというイメージでやってきたのだが、鳥取県に入ったからといって急に雪景色になるわけでもなかった。

 まだまだ朝早い7時台に、鳥取着。国鉄標準設計型の高架駅ではあるが、山陰本線は非電化で、線路上がぽっかりと空いているのがなんだかミスマッチだ。コンコースの天井は高くゆったりしているが、サイン類は国鉄時代の意匠のままで、どこか懐かしい。コンコースを見下ろす位置にある駅内喫茶が早朝営業していたのは幸いで、モーニングにありついた。

 周遊きっぷには鳥取砂丘までのバスも含まれており、ぜひ足を伸ばしたいが、始発までは時間がある。というわけで、みぞれの降り始めた街中を歩き出した。かなり水分の多いみぞれで、傘は必需品。こんな時のアーケードは、心底ありがたい。

 行き着いた先は、「日乃丸温泉」。鳥取市は別府、鹿児島のように市内で温泉の沸く街で、ここも本物の掛け流し温泉。こぎれいで、2階はライブハウスになっているという風変わりな温泉銭湯だが、雰囲気はまさに街のお風呂屋さんだった。

 ホカホカの体で鳥取駅に戻り、砂丘行きの始発バスに乗り込む。ごく普通の町並みを抜け、山を越えれば砂の丘が見えてきた。砂丘展望台で下車し、展望台のビルから望んでみれば、想像以上のスケールだ。がっかり観光地という人も多いだけにあまり期待せずに来たが、日本離れした風景は圧倒だった。

 ぜひ砂の上も歩いてみたいが、1人で展望台から砂丘へのリフトに乗るのも寂しいな…と思い探してみれば、砂丘センター裏の山にあまり手入れされていない遊歩道が続いており、砂丘会館まで降りることができた。この間さほどの距離と高低差ではなく、一人旅or貧乏旅行の方は参考あれ。

 実際砂の上に立ってみれば、さらにスケール感が大きくなった。ぜひ歩いて丘を越えてみたいが、砂の上に立った途端に雪が降り出し、風も吹いて、体に当たる雪が痛いほどだ。悲劇だったのは晴れているうちに丘を越えていた人々で、豆粒のような人影がいくつも凍えていた。どうか風邪などひきませぬよう…

 帰路のバスは日ノ丸自動車だった。この区間だけでなく、鳥取、島根には日本交通と交互運行に近い形でダイヤが組まれている路線がいくつかあり、共同運行のような形になっている。ライバルとも言われる両社だが、一方で鳥取県内の一般路線バスが3日間乗り放題で1,500という切符も売っており、協力関係にもあるようだ。いずれにせよ西鉄がほぼ1社で独占している福岡の人間にとっては、興味深い。

 帰路は鳥取市内で下車、市内の建築物を見て回った。重要文化財の洋館ということで楽しみにしていた仁風閣が、休館日だったのは残念。年末とあっては仕方ないかもしれないが、特に休館日として告知されていなかっただけにがっがりで、せめて前庭までは入ってみたかった。その他わらべ館、県民文化会館なども軒並みお休みだったが、公共施設だし仕方ないことだろう。ガラス越しに館内の様子を写真に収めた。

 鳥取駅までは、路線バス「くる梨」の赤コースに乗ってみた。全国の自治体で流行の「コミュニティバス」というヤツで、低床の小型バスが活躍。大学時代の設計課題でコミュニティバスを織り込んだ街作り計画を作ったことがあるが、実物に乗るのは実初めて。青と赤の2コースで循環しており、いずれも片方向のみの運行だ。固めの、ゴツゴツした乗り心地が独特。

 乗客はお年寄りが多く、貴重な外出手段となっているようで、赤字か黒字かという議論からは見えない、足代わりとしての役割がうかがわれる。運賃が100円と安めだからか、遠回りにも関わらず鳥取駅まで乗った若い女性もいた。




▲痛々しい「ソロ」の外観


▲早朝の岡山で出発を待つ「いなば」


▲突如吹雪の鳥取砂丘


仁風閣は休業日


▲わらべ館も休業日

ぶっとびディーゼル特急で落ち着いた街へ

 鳥取駅に戻ればちょうどお昼時で、駅弁コーナーをのぞいた。せっかく冬の山陰に来たのだからカニが食いたい! というわけで、カニ飯1,200円也を買い込みホームへ。雪の影響とかで列車が遅れ、お腹が早く来いと急かす。駅弁たるもの、やっぱり列車の中で食べたいのだ。

 次の列車は、関西と鳥取、倉吉を2時間半で結ぶスプリンター・スーパーはくとだ。「周遊きっぷ」さえあれば、短区間であっても特急料金は不要で、気軽に乗れる。特に鳥取〜出雲市間には特急、快速がネットダイヤで走っていて便利だ。雪の影響で7分遅れで到着したはくとだが、鳥取で降りるわ降りるわ。自由席では立ちん坊で過ごした人もいたようで、帰省ラッシュはまだまだ続いているようだった。

 残った人も多かったが空席を見つけ、さっそく駅弁の包みを開いた。いっぱいに載ったカニに満足だが、列車の揺れはかなりのもの。ほっておいたら、テーブルに置いた弁当がすべっていく。スーパーはくとは東海道・山陽本線と智頭急行線内だけで高速走行するものと思っていたから、山陰本線内での走りっぷりは、意外であり驚きである。よく言えばすさまじいスピード感、悪く言えば落ち着けない。

 スーパーはくとは、大阪と鳥取を最速で結ぶ交通機関として不動の人気を保っているが、高速道路の延伸を控え安泰とはしていられないらしい。そこで先手を打って車内のリニューアルに着手しており、今は新旧それぞれの内装が混在している状況だ。リニューアル車両は木質系、それも深い色のデッキが印象的で、列車や車窓の電飾看板も設置され、しゃれっ気を見せている。ただそれだけで高速バスとの競争に勝てるかというと、難しいだろう。料金か、あるいは付加価値か、もう一パンチ必要な気がする。

 終着・倉吉着。さほど大きくない駅舎に、残った乗客全員と迎えの人が集まるのだから、大変な騒ぎだ。懐かしい顔に再会した喜びの声を聞き少し一人旅の孤独感を感じつつ、これまた少なくない観光客と共に、市内方面へのバスに乗り込んだ。市内へ向かっていた倉吉線(1985年廃止)が残り、倉吉止まりの「スーパーはくと」が乗り入れていたら、どんな状況だったかなと思う。

 10分ほど揺られ、市内の赤瓦・白壁土蔵前で下車。打吹玉川の伝統的建造物群保存地区にも至近のバス停で、観光客で溢れていた。とはいえ、高山のような著名観光地ほどには俗化されていない。

 特に赤瓦十号館内にある鳥取短期大学の学生が運営するカフェは、木造校舎のような雰囲気でぜひくつろいでみたかったが、12月29日から1月3日まではお休みだとか。残念だが、故郷でゆっくりしたい、あるいは遊びたい盛りの学生にしては、それだけの短い休みでよく頑張っていると思う。ぜひ再訪したい。

 こんな美しい町並みだと美意識が育まれるのか、伝統建築だけでなくRC造の市役所や小学校にもセンスを感じる。特に市役所は、戦後生まれのRC造ながら登録有形文化財にもなっており、今でも充分カッコいい。

 案内所でもらった地図に従うまま、市内をさらに西へ西へと歩いた。いつしか観光客の姿も消えたが、古めかしくも風情ある家々が並び、見ていて飽きない。特に鉢屋川沿いは、家一軒一軒に橋が掛かり、きれいな水路では洗濯するおばあさんの姿も見られ、川が生活に密着した姿が好ましかった。ポンプ室や庄屋、造り酒屋など、味わいある建物も多く並ぶ。ただ今は空き家になっている建物も多いようで、朽ち果てていっているのはもどかしい。観光客を呼び込めるだけの物は、持っている町並みだと思うのだが…

 バスに乗り、次なる目的地は倉吉パークスクエア。シーザーペリアソシエイツ設計の大規模複合施設で、ガラス張りのアトリウムが圧巻。バス通りからもよく目立ち、街のスケール感に比べ巨大な建物だ。各種公共施設の他、二十世紀梨記念館も併設しており、覗いてみようかと思えば…あれ、ここも休館? 周りの施設と共に、29〜3日が休みなのだった。同じように入り口まで来て引き返す人も多く、帰省客の集まる今こそ開けるべき施設だと思うのだが、まあこんな「休むべき」時期に旅行している旅人が悪いのかな。

 次のバスで駅に戻り、まずくて高いラーメンをすすって暖を取った。

 


▲抑えてないと落ちる「カニ飯」


▲リニューアル「はくと」の車内


▲お休みで残念なカフェ


▲生活感あふれる鉢屋川


▲こちらも残念パークスクエア
雪舞う海辺の温泉で温まる

 倉吉からは、スーパーまつかぜ3号で米子へと向かった。「スーパーいなば」と同じ187系の2両編成だが、こちらは出入り口が2両とも連結面寄りでフリースペースがないなど、細部が異なっている。帰省ラッシュに2両では混むかなと思っていたのだが、実際は2席を占有できたのは、助かるやら悲しいやら。
 このまつかぜも短い編成ながらスピードランナーで、車内放送でも、
 「高速で走行していますので、網棚の荷物にご注意ください」
 と流れるほど。その分足は速く、倉吉〜米子間の平均時速は93kmにもなる。直線区間ではせわしなく線路のジョイント音が響き振動もすごいが、カーブにかかると車体が傾くかわりに音も振動もフッと消えるのが面白い。振り子車両を投入するため、カーブ区間のみを集中的に軌道強化したのが、よく分かる。

 車内販売などはなく特急の風格にはかけるが、退屈する間もなく米子に到着した。大きな規模の駅ビルがそびえ中心都市の威厳を保つが、短いスパンのラーメン造に腰壁までタイルが並ぶ様は、古い国立病院か大学を連想させる建物だ。街をちょっと見物してから次の目的地を目指そうかと思っていたが、雪も再び強くなってきたので、今日の宿泊地・皆生温泉に向った。

 米子の繁華街から、街並みが途切れぬまま皆生観光センターに到着。温泉地とともに歓楽街としても知られ、表現がストレートな客引きから続々と声が掛かり、別府の竹瓦界隈を歩いている気分になる。少し道に迷いつつ、予約していた宿に入った。部屋の暖房もあまり効かないので、ひとまずは宿ご自慢の温泉に浸かる。ちょっと潮っ気のある湯はよく温まった。

 暖気をしっかり抱え込み、夜の温泉街に出てみた。海岸沿いに高層ホテルが並ぶ様も別府を連想させるが、白浜の海岸が続き、夏には海水浴を楽しめるのはいい所。今なお海との関係を断ち切り続ける、別府中心市街地の温泉とは違う。ホテルからは投光機が焚かれ、闇夜の砂浜と海を映し出す。高波が怖いほどだ。

 いい加減凍えつつたどり着いたのは、皆生グランドホテル「天水」。年末で宿泊客が多く、日帰り入浴を受けてくれない所も多いだろうからと、観光案内所から大丈夫か予め確認してもらったホテルだ。通常日帰り入浴は1,000円なのだが、観光案内所などで売っている「湯めぐり帳」なら800円分で入れるのでお得だ。

 さすがは定価で1,000円も取るだけあって豪華なホテルで、別の機会にお世話になるたいと思う。雪が叩きつける中、大荒れの波音を聞きながらの露天風呂というのもオツなものだった。まわりの人は暖かい部屋に戻ればいいのだろうが、僕は雪道をまた戻らなきゃいけないと思うと、少し憂鬱ではあったが。

 帰り道には、宿に紹介してもらった食事処兼飲み屋に寄り、大量の赤貝と格闘。忘年会で大盛り上がりで落ち着けなかったが、客が主人を「先生」と呼んでいるのが気になった。元大学教授かなにかかと聞いてみれば、調理師という免許を持っているという意味で、このあたりでは先生と呼ぶ慣わしなのだそうだ。皆生での話か、米子での話か、あるいは山陰すべてでそうなのかは分からなかったが、面白い習慣があるものだ。

 宿に戻り、眠る前にもうひと風呂浴びて、ぐっすり眠った。

 


▲堅実なつくりの米子駅


▲ちょっと寂しい海岸イルミレーション


▲掛け流しの湯船でじんわり

▼3日目に続く

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