▲TOP ▲鉄道ジャーニー

旅名人きっぷで九州再発見
その2
ぐるり松浦鉄道[後]

平戸・田平を降り、歩く

 ガラス張りの駅事務室を備えた松浦鉄道(地元ではMRの略称も定着しているので、以下MRと略)の伊万里駅は、発足当初の木造駅舎から面目を一新。ニュータウンの駅のような、さっぱりとした印象になった。歩道から段差なしのバリアフリーも達成され、段差だらけだった旧駅舎から格段に進歩している。
 駅では、佐世保方面の列車が発車するのに「佐世保方面へは有田でJR乗換えが便利」と盛んにアピール。何も敵に塩を贈るようなことをしなくても、と思うが、実際「おすすめルート」をとるか遠回りのMRルートを取るか否かで、佐世保までの所要時間は倍以上も違う。

 佐世保行きの列車は、日曜の昼下がりという中途半端な時間にも関わらず、さらりと座席を埋める乗りで、過疎ローカル線ではないことがわかる。駅の間隔はバス並み、新設駅もホーム1本に雨よけがあるだけの簡単なものだが、これら新駅こそ気軽に乗れるローカル線を実現した立役者だ。国鉄時代からの駅も駅舎が解体され、駅前の道路と一体化した所が多い。
 里駅を過ぎて見え始めた伊万里湾は、次第に輝きを増していく。特に福島口を出て、山の上へ登った列車から見下ろす島々は美しい。鷹島口でフェリーに乗り継ぐ人たちが降りて、車内の乗客も少なくなった。福島口、鷹島口と島に「口」の付いた駅が続くが、いずれも90年開業の新駅。それぞれの島へ船でつなぐための、大切な駅だ。よく考えれば島から船でやってきた人たちにとって、本土の列車やバスは貴重な足で、廃止されては困るだろう。赤字になってしまったMRの行く末は気になるが、持ちこたえてほしい。

 松浦市の中心駅、松浦で7分停車のうちに高校生らで賑やかになり、一路平戸へ。松浦発電所前は、まさに発電所の正門前だ。巨大な規模の火力発電所で、再び坂を登るMRの車内からは、全容がよく掴める。うずたかく積み上がる石炭の山を見ると、なんとはなしに「もっと節電せなあかんかなあ」と思った。

 何度か入り江と出会いつつ、平戸観光の玄関口であり、日本最西端の駅としても名高い、たびら平戸口駅に到着した。ここは立派な駅舎を構えた有人駅で、旅行センターの中にはささやかな鉄道博物館もある。駅の正面は見栄えがいい看板が設置され、全国のマスコミに登場する機会も多い駅だけに、力を入れたのかなと高校生の頃は思ったものだ。
 ただ駅の「平戸口」としての地位は下がる一方で、駅前広場から平戸へ向かうバスはおろか、駅前通りに止まる平戸行きバスも1〜2時間に1本と少ない。佐世保方面からなら直行の西肥バスが楽で早いし、今やマイカー観光が中心だ。
 その貴重な駅前バス停経由の平戸行きがあったので、平戸へと渡ってみた。バスはなかなか見なくなった丸いヘッドライトの年代物だが、ICカードが使えるのは先進的。利用者は多く、「おさいふケータイ」にも対応しているとか。
 赤い吊り橋の平戸大橋を渡る。秋空に映える青い海に、点々と浮かぶ北九十九島が美しい。渡ってすぐの平戸大橋公園バス停で下車し、秋の海風に吹かれつつ、しばし休息。平戸大橋公園までの往復340円。安くも高くもないが、時間さえあれば歩いて渡ってみたかった。

 駅まで行かず、平戸口桟橋バスセンターで下車。昔、地元近くの佐賀県吉野ヶ里町目達原にも、こんなバスセンターがあったことを思い起こさせてくれる、懐かしい雰囲気だ。ここで天主堂方面へのバスに乗り継ぐが、このバスがなんと1日3本! 観光客風情の僕を見て運転士さんも「平戸方面は行かんよ!」と注意してくれた。それでも地元のおばあちゃん方を中心に、結構な乗りだ。
 とてもバスが走るとは思えない裏道に入るや、好きな場所で降りられる「フリー乗降区間」に入り、初めてのことで少し戸惑う。「天主堂前」のアナウンスを聞きボタンを押したが、運転士さんは「天主堂の前で停まりましょうね」と気を使ってくれた。慣れてしまえば、こんな便利なシステムはない。
 さてバス停の名前にもなっている天主堂は、「田平天主堂」という。レンガ作りながら下見板の壁や瓦屋根ともバランスを保ち、海を望む姿は威風堂々としている。日本のごく普通の片田舎に立派な教会が建つ姿は珍しいが、僕の生活の側に神社があったように、この地域の人々にとってはこれが自然であり、大切な事のなだろう。
 2003年には重要文化財になり、訪れる人も多いようだ。信者の方々は観光客にも優しいようで、マナーさえ守れば見学は自由。傍らにはNHK「昼どき日本列島」の全国放送記念碑なんてのもあり、地域の財産として全国に誇っているようだ。

 さて帰路のバスを待っていては1時間半も経ってしまうので、一番近いMRの駅・西田平まで歩こう。なんでもない農道をとぼとぼと歩くが、墓地にはキリスト教式の墓石が並んでいて、地域性を感じることができた。途中には「たびら昆虫館」なんて施設があり、手元の建築ガイドにも載っていたが、昆虫系は苦手なので遠慮しておく。

 30分ばかり歩き、「昆虫館まで徒歩30分」と大書きした、無人駅の西田平に到着。ちょうど田平方面への列車が到着し、高校生と途中下車の旅を楽しむおばちゃん3人組みが降りてきた。ただおばちゃん3人は天主堂に行くつもりらしく、高校生に「6kmくらいですよ」と言われ仰天していた。6kmは大げさでせいぜい2kmぐらいだと思うが、地元の人では歩くこともないのだろう。タクシーを呼んでもらい、解決したようだ。
 佐世保方面の列車の発車時刻が近づいてくると、どこからともなく高校生4人組みが現れた。
 「あ、レトロやん」
 「俺、行きもレトロだった」
 なんて話していて何事かと思えば、来た列車が「レトロ型」なのだった。レトロ型とはいえMRでは2番目に新しい車両だ。全席転換クロスシート、トイレまで装備した車両で、目下、MRで一番のデラックス車両で、観光客にもおすすめの車両である。すぐに降りてしまうのが惜しかった。




▲こざっぱりしたMR伊万里駅


▲伊万里湾を望む


▲吸い込まれそうな海と平戸大橋


▲重厚な天主堂

江迎の新旧文化を感じる

 次なる下車駅は、江迎新町駅。江迎町の中心駅で、役場までは500m。この街にもバスセンターがあり、そちらの方が街の中心に位置し有利な立地だ。もともとバスの地盤が強固で、公共交通の利用が普通のことだった地域だけに、MRが本数増で「参入」してきてもすんなり利用が定着したのだろう。その分、利用者の「食い合い」になっていないか心配でもある。
 江迎は江戸時代の参勤交代の際、藩主が休息した「本陣」があった場所で、今でもそのままの姿で残されている。個人の所有物だけに中の見学は予約が必要だが、道路沿いに曲線を描き並ぶ建物群を外から見ただけでも立派なのが分かる。ただ道路に向って少し傾いており、いざという時には主要幹線の国道204号をふさぐ恐れがありそう。少し手を入れれば見違えるように再生できそうだが、県文化財とはいえ補修費が充分に出ているわけではなさそうだ。

 次の列車で下り、降りたのは潜竜ヶ滝駅。MRの福井川橋梁を見ようと、国道を佐世保方面へ歩き始めた。ところが、行けども行けどもたどり付けない。すると、右側を走っているはずのMRなのに、左側から列車の音が聞こえた。いつのまにか、国道がトンネルの上を渡ってしまっていたのだ。左側をよく見れば橋梁もとうに通り過ぎており、大急ぎで戻った。
 この福井川橋梁、コンクリート製のアーチ橋なのだが、中に鉄筋が入っていないことが確認をされており、旧宮原線の橋梁と同様に竹筋コンクリートでは? はたまた無筋コンクリートか? いずれにせよ貴重な遺産ではないかと近年話題になっており、国登録有形文化財にもなった。構造的に貴重なだけではなく、壁部分には小さなアーチを設けて明かりを透かすデザインも施されており、戦時中の資材不足の中、しかも農村で景観への配慮を怠らなかった技術者魂にも感服させられる。
旧宮原線と違い、こちらは現役の橋。もっと注目されて欲しいものだ。
 迷ったおかげで時間もなくなったが、駅前の江迎町文化会館「INFINITAS」も、駆け足で外から見学。真っ白な外壁に、エッジのきいた窓が映えるモダンな外観だ。潜竜ヶ滝駅の方も同じ設計者による上屋があり、地方の街にセンスある景観を送り込んでいる。

 30分後の列車は、新型のMR600型車両。これで前回訪問時にはなかった、レトロとMR600の両方に乗車できたことになり、幸運に感謝だ。連窓風に窓周りを黒く塗っているのが洒落ていて、都会的な外観だ。車内は白が基調で、これまでの車両よりロングシート部が多い。クロスシートも2+1の3列配置で、1人用のみ転換シートになっているのもこれまでにない試みだ。車体そのものも大きく、これまでの「レールバス然」とした車両ではない。
 いずれも混雑対応の構造で、できれば佐世保〜佐々間の混雑区間を中心に運用されているが、昼間には伊万里まで足を伸ばす列車もあるようだ。運用はMRのホームページでも紹介されているが、観光向けのレトロ車両の運用も合わせて公開した方がよいと思う。

 空いていたこともあり1人用のシートに座れ、座ってしまえれば至極快適な車両。佐々から先は朝夕20分間隔になる区間であり、途中1駅くらい降りる余裕もあったのだが、その気がなくなってしまった。大学駅あたりでは平野に出るが、その先は佐世保駅にかけて地形が険しくなる。駅から山の上にかけてびっしりと住宅が並ぶ様は、佐世保というか長崎らしい風景だ。
 MRの駅増設は佐世保市内でも顕著で、住宅街の中に小さなホームがある。赤字転落して7年目のMRだが、93.8kmもの距離、それも過疎地域も走りながら黒字運営ができていたのは、佐世保都市圏の輸送があったからこそ。今でも佐世保〜佐々間に限ってみれば、かなりの黒字を出しているのではなかろうか。この列車も立客が出る混雑、すれちがう列車はもっと混んでいる。

 ここまで田舎のきれいな空気ばかり吸っていたが、ちょっと都会も恋しくなり、佐世保中央駅で下車。一つ手前の中佐世保駅からはわずか200mで、中佐世保駅を出る時にはすでに「間もなく佐世保中央」の放送が流れる、日本一短い間隔の駅だ。アーケードに直結した便利な駅で、もう暗くなった時間だがアーケードの人出はかなりのもの。30万人規模の都市としては珍しいほどの中心市街地の活気だが、この活気がMRも支える。

 アーケードを抜け、JR佐世保駅へ。夜6時半前だが、駅弁屋は閉まっており、夕食を手に入れることはできなかった。先々週に引き続き、長い福岡までの帰路は、しっかり食べたかったのだが… 817系の2両編成・鳥栖行きに、揺られ揺られる。混雑していた車内も早岐で空いたかと思えば、有田、武雄温泉、佐賀と乗客の波が何度も訪れた。そしてこの列車が素晴らしかったのは、一度も特急に抜かれなかったこと。もともと佐世保線の特急はそんなに早くないが、時間帯によっては普通列車の移動でも充分なようだ。
 鳥栖で快速に乗り換えれば、これまでののんびりした旅とは別世界。時間は引き戻され、福岡に着いた9時は、まだまだ平日なら活動中の時間なのだった。

 


▲デラックスなレトロ車車内


▲街道に連なる本陣跡


▲美しい福井川橋梁


▲佐世保中央駅
inserted by FC2 system