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3日で完遂!スタンプラリー20
1日目

祝!JR20周年


 2007年、JRは民営化20周年を迎えた。この間のサービス向上やスピードアップには目を見張る一方で、尼崎の脱線事件や長距離列車の分断など負の側面も現れているが、いずれにせよ一つの節目であることは間違いない。

 この記念すべき年に先立ち、06年12月、JR九州から3つの20周年企画が発表された。特急回数券「20枚きっぷ」の発売、記念パック旅行と共に、鉄道ファンの注目を集めたのはなんといっても「スタンプラリー20&九州特急フリーきっぷ」の発売だ。スタンプラリー20は、九州内15駅と5列車内に設置されたスタンプを集めると、もれなく記念列車キーホルダーが貰えるという企画。フリーきっぷは2日または3日間、特急自由席が乗り放題というきっぷだ。

 この2つ、同時に発表された企画とはいえ、スタンプラリーの参加にフリーきっぷの購入が必須というわけではない。期間は7月までとゆとりがあり、それまでに何回かの旅に分けて、ゆっくりと巡ってもよいわけだ。しかし、3日間ですべてのスタンプを集めるのは不可能ではなさそうで、パンフにも「鉄道ファンの皆様に挑戦!」の文字が躍っている。これは「3日で達成してみなさい」という、まさに挑戦状に他ならないではないか。

 挑戦状を叩きつけられた僕は、さっそく時刻表に向かって、旅程を組み立ててみた。最近はゆとりある旅や予定のない旅ばかりだった僕にとって、この「制限だらけの旅程づくり」は久々だ。この作業だけでも、充分楽しませてもらったと思ったものだ。格闘の末3時間、苦しいながらも自分なりの3日で完遂プランができあがった。

 ・・・これ、まじでやる?

 そう思いつつも、もう気分は列車の中だ。よし、2月の3連休に、さっそく挑戦しよう。心変わりしないうちに、発売初日にきっぷを買った。


ゆとりの旅路も追憶の彼方へ
特急リレーつばめ

出発を待つ(博多駅)

くつろぎの車内

田園に伸びる新幹線高架
 ゆっくり寝たいはずの土曜日6時、早朝の街を自転車で最寄り駅へと向かった。博多駅まで来ると、3連休に旅立つ人たちで、なかなかの賑わいだ。人々は気だるい顔をしながらも、非日常へ向かう楽しさにあふれている。

 僕も3日間の非日常へと旅立つ一人。そんな今回の旅のトップランナーは、新八代で新幹線と接続し鹿児島へと結ぶ、特急リレーつばめ33号。九州のメインラインを結ぶ、下り特急2番列車だ。早朝ながらも旅行者を中心に乗客が多いのは、早朝・深夜限定の「週末限定つばめ2枚きっぷ」の利用者だろう。博多〜鹿児島中央間が2枚で1万円という破格値で、これなら早起きしてでも使いたくなる。

 定刻朝6時30分、静かに博多駅を離れた。少し暗めの落ち着いた雰囲気の車内で、ゆっくりくつろぐ。もとは4時間に迫る福岡〜鹿児島間を結ぶ列車だった787系だけに、座席まわりのゆとりや、どっしりした乗り心地が身の上だ。できればワゴンサービスのモーニングコーヒーでも味わいたかったが、早朝の列車とあって乗務していなかったのは残念だ。在来線特急「つばめ」時代には、確か同じ時間帯でもビュッフェは営業していたのだが。

 92年にデビューを飾った「つばめ」は、当時小学生だった鉄道少年の僕にも、鮮烈な印象を残した列車だ。ゆとりあるグリーン車や個室、そしてカフェバー形式のビュッフェが魅力的で、従来の列車感を根本から覆してくれた。16〜29歳限定の鉄道会員「ナイスゴーイングカード」所持者ならコーヒーを無料で飲めたこともあり、気分転換によく立ち寄ったものだ。

 それが、九州新幹線開業に伴う運行区間の短縮後は利用が見込めないとして、座席車へ改造されてしまったのは、かえすがえすも残念。座っているだけで車内販売も来ないとあっては寂しく、人手のこもったサービスが車両の魅力をも高めていた列車なのだと、改めて気付かされた。

 鳥栖を過ぎたあたりから、建設中の九州新幹線の高架橋が寄り添い始めた。しばらく鹿児島本線に乗らないうちにずいぶん工事が進んだもので、今にも新幹線がやってきそうな高架橋もある。一方でその延長線上には、立派な日本家屋や稼動中の工場が残っており、今まさに、さまざまな攻防が繰り広げられているのだろう。

 このリレーつばめは、鳥栖・久留米・大牟田・熊本の他に、瀬高や玉名といった中都市の駅にも丹念に止まるタイプの列車だ。これらの駅は鹿児島方面へスピードアップされたのも束の間、5年後には特急廃止の憂き目にあう可能性が高い。明と暗、新幹線開業にはつきものの現象だ。

 歴史ある建築物だった上熊本駅舎が市電乗り場に移設されたのを見届け、列車は熊本に到着。往年の在来線「つばめ」に比べ、いささか物足りなさを感じての下車だった。


島原への道は途絶え
三角線&三角駅

島原湾を望む

菜の花満開の三角駅

展望台に遮られた三角屋根
 三角線、三角行きの普通列車へは、10分乗換え。キハ31系と140系の2両連結で、ひとまずは140系の方に乗り込んだ。キハ40系を高馬力化改造した、ありふれた国鉄型気動車だが、たまにはボックスシートの旅もいいものだ。

 鹿児島本線をエンジン音も高らかに駆け抜けて、宇土駅からは単線の三角線へと踏み出す。海沿いを走ったと思えば山を越え、最初は右側にあった海が左側になって終着という、1時間ながらも変化に富んだ車窓が楽しめる。ただ平行する国道の車には次々追い抜かれ、主たる利用者は高校生までとお年寄りという、典型的ローカル線だ。

 約1時間で、終点三角着。ホーム裏手の空き地には菜の花が満開で、いくら暖冬とはいえ季節感を狂わされる。窓口にはさっそく、ラリー用のスタンプを求める10人ほどの列ができた。ここまで多いとは、ちょっと驚きだ。このうち何人が、どこまで僕と同じコースをたどるんだろうと思っていたが、実際一人は、3日目までほぼ同じコースをご一緒することになる。

 三角屋根がかわいい三角駅舎だが、ロータリーに鉄骨造の展望台が設けられていて、駅舎の全容が掴めないのは残念。展望台は老朽化のため閉鎖されており、三角港には「海のピラミッド」なるさらに展望のよい施設もあるのだから、一思いに撤去してしまった方がよいのでは?

 ただその三角港の方は、メインだった島原行きの航路が昨年夏に廃止になってしまい、精彩を欠くのは残念だ。熊本新港の開港以来、三角港の利用は減っていたというが、三角線とフェリーを乗り継ぐ伝統の熊本〜島原連絡には終止符が打たれてしまった。

 帰路は、往路の列車の折り返しだったので、今度はキハ31系の方に乗ってみた。国鉄時代末期、民営化後の経営が難しいと見られていた北海道、四国、九州に「新会社の経営支援として」投入された車両のひとつだ。ステンレス車体の軽い車両だが、座席は新幹線0系の廃車発生品を装備していて、座り心地は上々。ワンマン運転にも配慮された運転席になっていて、実際この構造は現在、大いに活用されている。

 一方で前後の扉は狭い折り戸で、乗り降りには時間を要するため、都市圏輸送には適さない車両だ。かといってトイレがないため長距離にも向かず、JR九州にとってはやや持て余し気味のようでもある。ここ三角線の場合、トイレは併結のキハ140系のものを使えばよく、配慮されたうまい編成だと思う。

 週末午前の熊本市内行きとあって、いつしか車内は満員に。熊本に着くと、ちょうどキハ200の三角行き週末臨時列車「天草グルメ快速おこしき」が発車していった。明るい話題が少ないながらも、頑張る三角線。5年後の新幹線開業時には、天草アクセス路線として脚光を浴びて欲しい。


駅の外までウォーキング
観光列車あそ1962&豊肥本線

運転士さんも一緒に!(立野駅)

サロン代わりのサイクルスペース

鉄橋見学ツアーは大盛況
 戻ってきた熊本駅からは、阿蘇方面へ。エンジン音を轟かせているキハ28・58系が、これから乗る「観光列車・あそ1962」だ。キハ28・58系といえば老朽化とともに、部品に使われているアスベストの問題もあって、急速に姿を消している車両である。しかしこの列車に使用される車両は、年齢を感じさせない、つややかな深いマルーンの色に包まれている。ホームでの注目度も高く、九州での最後の花姿といえるだろう。

 車内も、元の車両が国鉄車両だったとは思えないほど、見違えるように美しくなった。車両中央寄りは「サイクルスペース」となっており、自転車を積み込んで熊本から宮地まで乗れるというのも、画期的な試みだ。残念ながら実際に自転車を積み込む人は多くないようだが、立席のサロンスペースとしても使えるようになっており、うまくできている。

 僕の座席は、デッキそばの2人用座席。この席、出入り口の開口を確保するためやや狭く、いっそ荷物置き場にでもした方がよかったかもしれない。停車中は窓もドアにふさがれてしまい、車掌さんも、

 「こんな席ですみませんね!扉が閉まったら、景色見えますから」

 とホローしていった。

 ゴロゴロと、重く苦しそうながらも懐かしいエンジン音を轟かせ、熊本駅を離れた。肥後大津までは、熊本都市圏。架線下を駆け抜ける。このレトロ列車には、多少、違和感のある車窓ではある。SLあそBOYの時代もそうだった。

 そう、この「あそ1962」を語る際に忘れられないのは、前身の「SLあそBOY」だ。民営化直後の88年に復活を遂げ、以来、九州唯一のSL列車として熊本と阿蘇を結んだ観光列車も、機関車の老朽化に伴って惜しまれつつも2005年に運行中止へ。立野の3段スイッチバックに挑んだ勇姿は過去のものとなってしまったが、その代打として2006年夏に登場したのが、この列車なのだ。

 水前寺を出発し落ち着いたところで、客室乗務員が車内を回り始めた。キャンディと乗車記念証を配布するだけでなく、一人一人の乗客へ語りかけるように挨拶をしていくのが印象的。数ある九州の列車の中でも、もっとも丁寧な接客だったように思う。

 1号車のサイクルスペースは車内販売の基地ともなっているが、案内に忙しい乗務員がワゴンを押す余裕は少なく、もっぱらここに常駐しての販売になっているようだ。この現状なら、カウンターを設け「ビュッフェ」と銘打った方がよさそうだ。さっそく地ビールとソーセージを買い込み、気分よく昼の一杯を楽しんだ。

 この列車のコンセプトは「1960年代をモチーフにした懐かしの列車」なのだが、それにしてはお洒落すぎる感じも否めない。しかし天井の扇風機とスイッチ、お湯と水が別々にでる洗面シンクや鉄道唱歌のチャイム、そして「開く窓」と、再現ではない懐かしのアイテムはあえて残されている。窓は車内放送でも
 「窓を開ける際には、手や顔を出さないで下さい」
 という、懐かしいフレーズが健在で、しかも開けることを否定していない。こんな車両、最近まではごく当たり前に見られていたはずなのに、今や探さなくては乗れない存在になってしまった。

 肥後大津を過ぎ、架線柱も消えてローカル線色も強まってくると、スイッチバックの駅・立野に到着。ここで列車は20分も停車するが、ただの長時間停車ではない。歩いて5分ほどの場所にある南阿蘇鉄道の橋梁まで、客室乗務員が案内してくれるのだ。列車の乗客のほとんどが参加し、駅前の道をぞろぞろと歩いていく光景は、ちょっとユーモラスだ。渓谷を渡る目も眩むような高さの鉄橋をバックに、思い思いに記念撮影。

 一方で駅ホームには、立野名物「ニコニコ饅頭」の売り子が出ていて、売れ行きは上々のようだ。こんな光景は、かつての急行列車の再来といえるかもしれない。

 立野を逆方向に出発した列車は、スイッチバックに挑み阿蘇のカルデラへと分け入っていく。「SLあそBOY」にとってはもちろん難所で、晩年にはディーゼル機関車の力も借りて全力を出していたものだが、国鉄型気動車にとってもきびしい勾配であることは変わりない。エンジンは全開、しかし歩むようなスピードでゆっくりと上っていく。

 勾配を上りきってしまえば、あたかも普通の平野のようになってしまうのが阿蘇のカルデラの面白さ。途中の小駅でも乗客を降ろしながら田園地帯を淡々と走り、阿蘇観光の玄関口、阿蘇へと到着した。

 再びスタンプの列に並んで、わずか10分で折り返しの普通列車に乗車。キハ147系の2両編成で、断るまでもなくワンマン列車だ。後ろの席の女性二人組みは韓国人観光客のようで、立野のスイッチバックでは、
 「行ったりきたり、珍しいシステムね!」
 「でも、うちの近所にもあるのよ」
 と、異国の鉄道旅行を楽しんでいる様子だ。ウォン高の影響もあって韓国人の訪日は急増中。バス観光が中心の中で、いかに鉄道利用へと取り込んでいくかもJR九州の課題だ。旅慣れた様子だった二人も、普通列車は肥後大津で乗り換えが必要なのは分からなかったようで、一言「熊本へは乗り換えですよ」と声を掛けておいた。

 肥後大津〜熊本間は都市圏路線として急成長しており、ディーゼル機関車牽引で特急電車を乗り入れさせるというユニークな試みを行ったり、新型気動車も早い時期に導入されたりするなど、重点的にテコ入れが行われてきた区間だ。99年には念願の電化が完成、本格的な通勤路線となった。

 合わせて導入された815系電車は、ドア間に渡る日本最大級の大きな窓が自慢。ロングシートではあるが、シルバーシートには頭もたれがついており(これは後にドア横全席に拡大)、快適性に配慮されている。ただ、自慢の大きな窓が埃で汚れているのは残念で、普通列車といえども、清掃は抜かりなく。


鹿児島ワープ
九州新幹線つばめ&新水俣駅

白い新幹線が飛ぶ(新水俣)

「和」の車内

か細い鉄路を行くおれんじ鉄道(新水俣)
 今日3度目の熊本駅から、リレーつばめで新八代へと下る。上りリレーつばめとすれ違ったかと思うと、平野を快走していた列車は、ゆるゆると高架橋へと登り始めた。そのまま高架の新幹線ホームへと到着、真横に待っていた新幹線「つばめ」へと乗り換えだ。史上初となる在来線・新幹線のホーム対面乗り換えに興味津々だったが、なんともあっけない。それだけ、負担のない乗換えだったということだろう。

 九州に住みながら、九州新幹線は2004年の開業以来、初めての乗車だ。雑誌やテレビでは何度も見ていた800系新幹線「つばめ」だが、車内の美しさには息を呑む。黒が基調の「リレーつばめ」を降り、さらに黒い「つばめ」のデッキから車内へといると、そこは白の空間。その対比が鮮烈だ。

 座席のモケットは織物風、座席のバックや車内の間仕切りも木目調で背が高く、座れば落ち着いた個の空間になる。イグサのすだれや、すだれ風のブラインドなど、和の空間も演出… その質感は、写真で見るのと実際見るのでは大違い。誇るべき、我らが九州の新幹線。故郷の鳥栖、久留米を走る日が、心から待ち遠しくなった。

 列車はトンネル内を延々と走り続け、わずか14分で新水俣着。降りるのが惜しいが、新水俣から鹿児島中央へもう一度乗るので、乗り心地は後ほど、ゆっくり味わおう。

 新水俣駅は、翼を何翼にも重ねたようなデザインが美しく、一つの都市景観を作っているが、駅の周囲は街というより郊外。駅前の土地は「売地」のままで、発展途上といった風情でもない。新八代〜新水俣間の距離がわずかで、かといって鹿児島への需要が多いわけでもないため、博多までの全線開業時こそ本領発揮する駅と言われている。休日午後にも関わらず閑古鳥が鳴く観光案内所も、それまでは我慢だ。

 さらに寂しいのは、「平行在来線」として分離された旧鹿児島本線に設置された新水俣駅で、極端に狭いホームには乗り継ぎ利用者など一人もいなかった。電化路線なのに、その設備は貨物専用というのも妙な話。出発していったワンマンディーゼルカーの乗客は数えるほどで、先行きが心配になった。新幹線とは、あまりに対照的だ。

 ここ水俣には新幹線が止まるからまだいい。素通りされた阿久根や串木野はいかなる惨状なのか、一度「おれんじ鉄道」で乗り降りせねばなるまい。

 1時間後のつばめに乗りこめば、鹿児島中央まで33分。ボーっとしていたら、乗ったか乗ってないのかも分からなくなりそうで、車内の雰囲気をじっくり味わっていたのだが、早起きがたたり、やがて瞼がくっつき始めた。夢の合間に、トンネルの間からわずかに東シナ海が見たり、出水や川内が新幹線の車窓になるだけでずいぶん都会に見えるなと感じたりしたが、ほとんどは瞼の闇の中で過ぎていった。

 ちなみに突然だが、今回利用した「九州特急フリーきっぷ」は、3日間用で2万5千円。2003年まで売られていた「九州グリーン豪遊券」がグリーン車まで乗り放題で20,900円だったことを考えると、かなり高い。九州新幹線に関わる割引きっぷの割引率は総じて低く、フリーきっぷもこれに合わせたようだ。それだけに、「高い」新幹線区間は目を見開いて乗らなきゃもったいないと思っていたけど…

 そんなくだらないことを考えていたら、つばめは最後のトンネルを抜け、鹿児島中央駅へと入線していた。


最後の活躍485系
特急きりしま&霧島神宮駅&817系

日豊本線のハイライト・桜島

赤の塗装は今なお鮮烈(霧島神宮)

都会派ワンマン列車(霧島神宮)
 10分で、日豊本線の上り特急「きりしま12号」に乗り換えた。5両とこの区間にしては立派な編成だが、自由席は盛況だ。指定席はがらがらで、気軽な足として使われているのが分かる。鹿児島都市圏ながら、普通電車が少ないという事情もあるのだろう。

 中央駅を出発してトンネルを抜けたかと思えば、急停止。踏み切り内のセンサーが作動したとかだが、もとより綱渡りの旅。事故だけはごめん被りたい。鹿児島駅からは海沿いを走り、冬晴れの錦江湾越しに桜島が美しい。自由席者は右側に多くの人が固まっているけど、この景色を見たいがためにという人も、多いんじゃないだろうか。

 「きりしま」には、国鉄型の特急車両485系が活躍中。JR化後は真っ赤な塗装に身を包み、「赤い特急」として一世を風靡したものだけど、さすがに年齢を隠せなくなってきた。JR九州の新型車のような華やかさや派手さには欠けるけど、乗っていてなんだか落ち着くのは国鉄世代の証だろうか。旅行者としては、たまに乗るには懐かしくていいなと思うけれども、地元の人にとっては、いつまでも新車にならない列車としか映ってなさそうだ。

 「きりしま」そのものは、博多〜西鹿児島間を結んでいた「にちりん」を、1995年に宮崎で分離して生まれた列車だ。快速「錦江」も飲み込んで一挙6往復が新設されたが、それだけ長距離の需要が減っていることの証でもあった。その後「にちりん」は、さらに大分で分割。485系も、大分以南が主たる活躍舞台になった。

 加治木を出れば、隼人、国分、霧島神宮と4駅連続で停車する。それぞれで乗り降りは多く、鹿児島中央〜国分・霧島神宮間の短距離「きりしま」が設定されているのも頷ける。快適な快速列車こそ、本当のサービスとは思うけれども…

 霧島神宮駅に到着し、スタンプをゲット。折り返し列車までは42分で、とても霧島神宮まで足を伸ばす時間はないけれど、そうでなければ持て余す時間でもある。駅前に喫茶店があったのは幸い、昼ごはんがまだだったので、お雑煮を頂いた。店をひとり守るおばあちゃんに聞いてみればやはり、霧島神宮にも行かずにせわしなく、列車の時間を気にしていく一人旅のお客さんが増えているそうだ。7月くらいまでは、そんなお客さんが増えると思いますよと教えておいた。

 駅前には、旅疲れにも嬉しい「足湯」が。ブームに乗って、こんな駅前足湯や、由布院に至ってはホーム上の足湯まで登場している。体で入る温泉にはかなわないと思うけど、気軽に一休みできるので、温泉地の駅にはもっと増えたらいいなと思う。

 鹿児島中央への折り返しは、国鉄型ながら2両編成のワンマン電車・717系あたりに押し込まれるのだろうと思っていたが、やってきたのは意外にも817系電車だった。革張りシートのお洒落な電車は、鹿児島本線の川内〜鹿児島中央で多く活躍しているが、日豊本線筋でも運行されているようだ。

 乗ったときはガラガラだったが、国分からは高校生を中心に大挙して乗り込んできて、都会の電車らしくなった。もっとも2両編成だから混むわけで、以前のように急行型電車の3両編成ならば、全員ゆったり座れただろう。JR化後の後半10年で、地方都市圏の普通電車にも新車が多く投入されたが、ワンマン化と編成短縮がセットとあっては、利用者の評判も芳しくない。

 広い窓からの桜島の眺めは格別だろうが、残念ながら闇に溶けてしまった。平行する国道10号線の車の列をごぼう抜きにして、夕刻の中央駅に舞い戻った。

非電化ながらも都市型路線に
快速なのはな&指宿駅

黄色い快速(鹿児島中央)

車内は落ち着きある配色

村之湯温泉でほっと一息
 4分で、指宿枕崎線の黄色い快速「なのはな」に乗り継ぐ。新幹線開業と共に登場した指定席付き特快「なのはなDX」に、ぜひ乗りたかったのだが、運行時間から大きく外れていてかなわなかった。買い物帰りの客でぎっしりの車内に収まった。

 なのはな号の車両は、高性能気動車のキハ200系だ。最初にデビューしたのは1991年、福岡都市圏の篠栗・筑豊本線だったが、こちら鹿児島にはその翌年に配属された。当初は福岡と同じく赤い塗装だったが、のちに黄色に塗り替えられ、より「なのはな」らしくなった。3扉・転換クロスシートの車内は「電車然」としており、ディーゼルの音さえ聞かなければ、電車なのかディーゼルなのか分からないほどだ。

 指宿枕崎線は喜入まで、鹿児島市内の比較的人口の多い地域を串刺しにしていく。この快速なのはなも、坂之上までは各駅停車。乗降も多く、電車然とした車両と相まって、すっかり都市圏の通勤路線だ。すれ違う列車もほとんどが黄色いキハ200系で、一部にはロングシート車も混じっている。

 喜入をすぎれば、車内もだいぶ空いてきた。快速運転となり、小気味よい速度で飛ばしていく。中央駅から1時間弱、観光地の玄関・指宿に到着した。

 駅舎は、新幹線開業に合わせ改装。駅前には足湯も登場して、なぜか派手やかにライトアップされていた。ただ、時刻はもう7時半。泊まりの観光客ならば、宿に入ってゆっくりしている時間だけに、駅前には人の気配が少ない。

 僕はというと、せっかく指宿まで来たので、折り返しまでの1時間に温泉につかろうと、駅前の飲み屋街に足を向けた。ところが目当ての共同湯は、あいにく休業中。次に近い共同湯を駅前の土産物屋に聞き、暗い街へと歩き出した。

 途中道に迷い、土産屋に教えられた道とは別の道に来てしまったものの、運良く「村之湯温泉」の看板を発見。ところが、どう見ても普通の民家で、恐る恐る近寄ってみれば、ガラリと窓が開いてばあさまが出てきた。間違いないようだ。

 木造の建物も、2つに分かれた浴槽も、別府温泉の共同湯のようにいい雰囲気を出している。湯は不思議な味だけど、ちょうど温度で温まった。一緒になったおっちゃんは関西からだそうで、なかなか有名な温泉だったようだ。あらかじめ探して来れば確実だっただろうけど、こうして来たおかげで発見の楽しみを味わえた。また、ゆっくりと来たいものだ。

 帰路は普通列車だったが、同じ黄色い「なのはな型」車両。こんな時間ではあるが、市内に近づくにつれ車内は活気を帯びてきた。都市型気動車のキハ200系の本領発揮といった所だが、JR30周年の頃には喜入あたりまで電車が走り始めているんじゃなかろうか。あるいはそれは、山川以遠の廃止と引き換えかもしれない。

 この日3度目の中央駅に到着。鹿児島の大手交通事業者に勤める高校の同級生と、痛飲した。

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