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3日で完遂!スタンプラリー20
2日目

肥薩線のスポットライトは黒い特急
はやとの風

緑の特急と黒い特急(鹿児島中央)

明るくウッディな車内

注目集める100年の駅舎
 朝9時過ぎ、こんな旅にしては、比較的まともな時間に駅へ立った。友人の見送りを受け、乗り込んだのは吉松行き特急「はやとの風」だ。黒い艶やかな塗装が美しく、白い「かもめ」や「つばめ」とは好対照。ただ車両は、もともと普通列車用のキハ147系+47系だ。外観を見る限り、急行はともかく特急とは、少々上げ底の感がある。ちなみにこの区間の特急料金は25km〜50kmでも500円で、これは、今はなき九州内の急行料金と同額だ。

 しかし車内に入ってみれば、そこはさすがJR九州の特急。木目調の壁に、白熱灯が暖かく照らす車内は、元の車両が想像に及ばぬ、見事な変身ぶりだ。走り出せば、加速感もエンジン音もやはり普通列車級なのだが、新幹線と対極にある「スローな旅」を売りにした特急。いちいち気にすることはないだろう。

 鹿児島を出ると、客室乗務員が車内を回ってきた。この列車、運転士がワンマンで扉の扱いを行い、客室乗務員が改札と車内サービスに専念するという、変則ワンマンというか、変則ツーマンというか、ともかくそんな体制になっている。多客期を除く「あそ1962」や「九州横断特急」も同様で、効率よくサービスを行う、一つの考え方といえるだろう。同じく2両編成の特急が走る中国・四国地方あたりでも応用できそうだが、今のところは九州が唯一の存在だ。

 車窓右手には、昨日も見た桜島がかわらず勇壮な姿を見せている。車内中ほどには、天窓付きの展望スペースがあり、ワイドに見渡すことができる。この列車の、一つのハイライトだ。

 日豊本線の架線下を走るのも、隼人まで。ここまでの短距離利用者も多かったが、逆に乗り込む人も多く、車内は空かない。客室乗務員も車内を回る余裕はほとんどなさそうで、いっそ1号車のフリースペースをビュッフェにでも…と、どこぞで浮かんだフレーズをまた思い出した。

 肥薩線に入ると、いよいよ「スロー」な旅に。特急らしく通過駅は多いのだが、速度は上がらない。吉松まで特に車窓の見所があるわけじゃないが、のどかな田園地帯に心安らぐ。

 最初の停車駅は嘉例川駅で、5分ほど停車。棒線駅のこの駅では列車交換があるわけもなく、この駅を「楽しむ」ための停車時間だ。ありふれたローカル駅だったこの駅も、「はやとの風」停車以降、今や時刻表に駅弁販売駅を表す「弁」マークが付くまでになった。

 黒い列車から、木の駅へ。明治36年築の木造駅舎は、建築物として文化財級の価値を持つにはまだ至らないものの、地元ボランティアによりきれいに維持されている。無人駅ながら、人手が通った駅はやはりいいものだ。駅弁を始め、地元の特産品販売も盛況で、皆さん短い停車時間を楽しんだようだ。

 次の霧島温泉駅でも、やはり5分停車。駅舎は変哲もないRC造だが、ここもホーム上での特産品販売が盛況で、駅前では「朝市」も開かれているようだ。後続の普通列車でも吉松から先に乗り継ぐことができるので、ここで途中下車するのも楽しみ方かもしれない。僕はホーム上の「そば汁」を買い求めたのだが、素朴な味わい、具もいっぱいで、なかなか美味しい。これが、なんと100円。観光客なら、150円でも200円でも買うだろうし、もう少し「商売っ気」を出してもいいんじゃない?

 嘉例川と同じく100年以上の歴史を持つ大隅横川駅を過ぎれば、広い構内が栄光の歴史を伝える吉松着。「特急」など名乗らずとも、「急行」の方がより雰囲気が出せるんじゃないの?との違和感は最後まで拭えなかったが、そんな細かいことを気にしなければ、充分楽しめる列車だった。


地元が育てた列車の種は、新幹線で花開いた!
しんぺい

停車時間は大撮影大会(真幸駅)

窓を開けて風を感じて、空気を吸って

日本一の車窓を止まってじっくり
 いまでこそローカル線となった肥薩線、吉都線も、かつてはいずれも主要路線。その二路線を分ける吉松駅は広い構内を持ち、吉松も鉄道の街として栄えた。駅前はちょっと寂しくなってしまっているが、SLが鎮座し、プレハブ造ながら客車を模した「SL食堂」もあり、その歴史を伝えてくれる。

 その食堂で軽く早めの昼ごはんを食べ、次に乗り込む観光列車は「しんぺい」号だ。下りは「いさぶろう」、上りは「しんぺい」と分かれた愛称はユニークで、ヘッドマークには「いさぶろう・しんぺい」と掲げられている。「はやとの風」と同系列の車両だが、色はまた一風変わって朱色。普通列車なのでボックスシートだが、これも木の質感を生かした座席で、ニス塗り風の色合いから「居酒屋的」とも言われる。なるほど、一杯やりたい雰囲気だ。

 居酒屋とは違い、見知らぬ人と相席になるボックスシート。2両編成ということは、リクライニングシートの「はやとの風」より相当座席は多いはずだが、今日はなんと満席だ。団体さんがいるわけでもないのに、皆さんどこから現れたのだろうか。大盛況である。

 しんぺい号、車両こそ新幹線開業を期にリニューアル車となったが、列車そのものは96年から走り始めている。車両こそ変哲もないキハ31系や140系だったが、車内を一部畳敷きにして、車窓のよい所では一旦停車、ワンマンテープが観光案内を行うという、当時からユニークな存在だった。その背景には、人吉〜吉松間の存廃問題があった。熊本〜宮崎を結んだ急行「えびの」は廃止になり、新幹線開業時にはいよいよ廃止かとも噂されていた。そんな地元の危機感と、それに応えた当時の「人吉鉄道事業部」の努力で走っていた列車だ…僕はそう解釈している。

 その後、「いさぶろう・しんぺい」は福岡発の観光バスのコースに組み入れられたり、雑誌や旅の本にも紹介されたりするなど、小粒ながらも注目される列車となり、こうして新幹線開業時に花開いた。リニューアル車投入当初は単行だった列車も超満員の盛況となり、半年で2両化、今や客室乗務員まで乗っている。同区間廃止の噂は、ひとまず立ち消えになった。見事、鉄路は守られたのだ。

 吉松を出た列車は、まず真幸駅に停車。各駅ともゆったりと停車時間が取られ、満員の車内からほとんどの乗客が降りてくる。真の幸という縁起よい駅名から名付けられた「幸せの鐘」がホームに設置され、家族連れが思い思いに鳴らしている。ホーム上には、例によって地元の特産品が並ぶ。駅には車で訪れる人も多いようで、山間の駅はにわかに大都会になった。

 列車はスイッチバックで発車、運転士さんが車内を行ったりきたりするのも面白い。さきほどまでいたホームが眼下に移り、おばちゃん達が大きく手を振っていた。坂を登りきり、日本三大車窓と呼ばれるビューポイントでしばし停車。晴れ渡った今日は、運良く桜島まで見えた。少し肌寒いながらも、窓を開け、山の空気を感じながらの雄大な風景を見渡す。都会生活では、なかなか味わえない爽快感だ。

 次の矢岳駅では、駅前のSL博物館に保存されているD51を見に行く時間まで設定されている。以前乗った「しんぺい」では、そこまでの余裕はなかったように記憶しており、スローさに磨きがかかったようだ。客室乗務員のガイド付きで、思い思いに記念写真に応じている。

 大畑駅にかけては、ループ線にスイッチバックを挟む、日本でもここだけの鉄道名所。なかなか全容は掴みにくいのだが、回る陰にループ線を実感する。やはり木造の大畑駅には無数の名刺が貼り付けられていて、僕も持ってくればよかった。

 球磨川を渡り、右からくま川鉄道の線路と合流すれば、人吉に到着。大きく飛躍した「しんぺい」の、さらなる成長を祈りながら、ホームに降り立った。


思いのほか上質なワンマン特急
九州横断特急

新世代の「赤い特急」(新八代)

背面テーブルと窓框も自然素材に

列車に乗って球磨川下り
 人吉は、歴史と温泉を持つ魅力的な都市。なのに、いつも素通りしてばかりだ。まして今回はぎりぎりの行程、後ろ髪を引かれつつ、発車を待つ「九州横断特急」に飛び乗った。しんぺいからの乗り換え客に加え、人吉から乗る人もいるだろうから、どんなに混むかと思っていたが、しんぺいの乗客のほとんどは改札をくぐり、乗り継いだ人の方が少なかった。3両に増結されていたこともあって、余裕ある車内だ。

 この列車も、本来は例の変則ワンマン運転なのだが、3両編成になると車掌も乗務して、充実したクルーとなる。普通列車の場合、九州ではワンマンは2両以下までと決められている関係で、多客期でも増結できない傾向にあるのだが、特急になると弾力的に運用されているようだ。

 九州横断特急は、2004年の新幹線ダイヤ改定で登場した特急だ。熊本〜別府の特急「あそ」と、熊本〜人吉の急行「くまがわ」を格上げ統合した列車で、車両運用の都合という裏事情があるのだが、大分から鹿児島へは新八代での乗り換え1回で済むし、阿蘇から人吉へといった観光も簡単になった。「九州横断」という言葉そのものは、熊本〜別府間の歴史ある「九州横断定期観光バス」が使っていたフレーズで、豊肥本線筋の列車名としては自然に受け入れられるものと思う。

 車両そのものは、92年の「つばめダイヤ」で四国から移籍してきたキハ185系だが、九州横断特急の登場に合わせて再リニューアルされ、かなりイメージチェンジした。座席こそそのままだが、網棚や背面テーブルが木目調になり、ステンレスの無機質な窓框にも木製になって、冷たさも消え去った。テーブルには「TRANS KYUSYU LIMITED EXPRESS」=九州横断特急の彫り文字も入り、専用車であることをアピール。これだけのリニューアルを持ってしても、「はやとの風」&「しんぺい」から乗り継ぐと見劣りしてしまうのだから、不憫だ。

 この区間の列車さえ魅力的になれば、八代〜鹿児島間の「旧鹿児島本線ルート」は全区間にわたり観光列車になる!というわけで、数年後にはこの区間にSLが復活運行することが決まっている。SLあそBOYで活躍した58624型機関車を大修繕の上、現役復帰。阿蘇の急勾配では負担がかかるというわけで、比較的平坦な人吉ルートでの復活となったようだが、熊本〜人吉間の魅力アップも、至上命題だったに違いない。

 車窓は水を豊かにたたえる球磨川と渓谷が美しく、また沿線には球磨川下りや球泉洞と見所も多い。海から山へ、そして川へと、闇ばかりの新幹線とはスピードも車窓も対照的だ。鹿児島中央から新八代まで、約5時間。その価値はある、古き鹿児島本線の旅だった。

初のJR九州ブランド特急も20年選手
リレーつばめ&みどり

乗降口に並び乗り換え案内(新八代)

案外余裕の3分接続(新八代)

ハイパーサルーンの新たな顔(佐世保)
 在来線の新八代駅は、新幹線&リレーつばめが乗り入れる新幹線駅舎とは、独立した駅舎を構えている。こざっぱりした、住宅地の新駅のような雰囲気だ。駅周囲は郊外で、駅前には建設中の東横インくらいしかない。

 新幹線駅舎に移動し、改札で硬券タイプのフリーきっぷを見せると、
 「ん、なにソレ!すごいねえ」
 と駅員さんに驚かれた。博多駅限定で売られたこの巨大硬券だが、他地域では知らない駅員さんもいたのだ。驚かれたのはこの駅だけだったが、他駅では外国人用の「JR九州パス」あたりと間違えられていたのかも知れない。

 新幹線ホームに上がり、博多行きリレーつばめに乗りこむ。新幹線つばめが到着する前なら自由席でも間違いなく座れ、人吉方面から乗り継ぐなら、熊本よりこちらがいいだろう。

 やや時間差を置いて、鹿児島からの新幹線が到着。待ち受けたリレーつばめの客室乗務員が出入り口に待機し、スムーズに誘導していく。なにかと話題になった新八代の乗り継ぎだが、乗客も乗務員も、すっかり慣れたようだ。全線開業まで残り5年、毎日この光景は繰り返されていくのだろう。

 熊本ではやはり大挙して乗客が乗り込み、満員近くなった。この列車は停車駅の少ない速達タイプで、鳥栖まではわずか1時間15分。これをさらに縮める新幹線。九州はどう変わるのだろうか。

 鳥栖で、佐世保行き特急「みどり」へ乗り継ぐ。時間は新八代をも下回る2分で、階段から遠いとやや危なっかしそうだ。この日はみどりがやや遅れ、余裕あったが…

 広大な佐賀平野の直線区間ということもあり、佐賀、肥前山口まではかなり飛ばす。佐世保線に入ればとたんに単線の細道になり、列車交換もあって歩みは遅い。長崎新幹線の建設とともに、武雄温泉までは複線化されることになっているが、さてどうなることやら。

 特急「みどり」の車両は、ハイパーサルーンの愛称を持つ783系電車で、いわずと知れた民営化後初の新型特急車両だ。登場20年近くになるとはいえ、さすが走りはJR特急。130kmの俊足を誇り、各線区のスピードアップに貢献した。車内も1992年から順次リニューアルされていて、古さは感じない。出入り口を真ん中に設け、車内を二室に分けた構成は、今もって新鮮で、画期的だ。禁煙、喫煙や自由席、指定席が弾力的に区分され、今もってその設計思想は生かされている。

 ただ窓框や座席背面のテーブルなどは、プラスチックやステンレスの材料そのままの冷たい感じで、国鉄車両との共通項を見出せる。またデッキが狭く、出入り口も人一人分の幅しか確保されていないのは、その後の「特急大衆化」に追従できない弱点となった。またせっかく設置されていたグリーン車のビデオや、普通車全席にあったオーディオ装置、それに靴を脱いでくつろげる足置きが撤去されたのは残念だ。その後の列車では、「つばめ」グリーン車をのぞき当初から設備されておらず、試行錯誤しながらの試みではあったのだろう。軽食販売を行っていたカフェテリアは、ほとんど車内販売基地と化していたが、その後「つばめ」では大きく花開いた。

 大きな側面の窓に、運転席越しに眺められる前面展望は、その後の車両にない783系だけの特権。小学校低学年の僕にとって羨望の的だった「ハイパーサルーン」、そのままだ。亜幹線特急とはいえ、まだまだ魅力いっぱいの特急。この先も、末永く活躍して欲しいものだ。

 早岐駅で「ハウステンボス」編成を分かち、高架の佐世保駅に到着。最後部には、併結運転の編成だと博多では見られない、緑色の顔が現れていた。

試行錯誤の二大都市間輸送
快速シーサイドライナー&佐世保駅

長崎では「青い快速」(佐世保)

通勤気動車は一大リゾートへ

夕暮れの大村湾を望む
 佐世保駅は、膜構造に包まれた高架駅。県庁所在地クラスの駅をはじめ、民営化後には駅舎の改築も大いに進んだ。商業スペースが多く取られ、本来の「快適に列車を待つことができる施設」がないがしろにされている気もするが、賑わいの拠点になるのは悪いことじゃない。新幹線全通時には、いよいよ博多駅も生まれ変わる。

 佐世保駅からは、大村線経由で長崎へと向かう。長崎県の中核を担う両市間を結ぶ列車は、今のところ快速「シーサイドライナー」がその重責を担っている。2両ワンマンの頼りない編成で、発車前には満席になった。

 佐世保線内での乗り降りは多く、特にジャスコのある大塔では大いに賑わった。しかし早岐では一気に空き、都市間輸送よりは都市圏輸送の方がメインといった雰囲気だ。ハウステンボスでは若干のレジャー客を乗せたものの、電車然とした通勤車両では旅気分も沸かないだろう。

 そのような観光需要も見込んだのか、1999年から2003年には、同区間に特急「シーボルト」が走っていた。元「オランダ村特急」のキハ183系1500番台が走り、全区間乗っても500円の特定特急料金を採用。最前部の展望席から眺める大村湾の風景は格別だったが、利用者は定着せず短命に終わっている。

 一方のシーサイドライナーは、1989年に登場。キハ58系が活躍し、ハウステンボス開園時にはリクライニングシートを備えた改造車両が登場、急行並みの設備を誇った。現在はいずれも近郊型のキハ200とキハ66・67系で運行されていて、車両面でも都市圏列車の顔が強くなった。

 車両が変われど、大村線の海への近さは変わらない。夕暮れの中、闇に溶け行く水平線は、何度見てもよい車窓だ。

 だが、途中から乗り込んできたカップルが、あろうことか携帯で音楽をガンガン鳴らしていて、うるさくてかなわない。携帯の着信音や、ウォークマンの音漏れとは比較にならない騒音で、親4人の顔を見てみたいものだ。昨日の日豊本線でも、延々30分間、どうでもいい電話を満員電車の中でかけているお姉さんがいたが、マナーはどこに行ってしまうんだろう。

 諫早を出れば、長崎本線の新線(といっても昭和47年開業だが)トンネル区間へ。キハ200系の高性能を存分に生かし、電車と見紛う高速性能を披露した。トンネル内での列車交換という風変わりな経験も経て、長崎駅に到着。隣のホームには、国鉄急行色に復元されたキハ66・67のシーサイドライナーが待っていた。

JR特急の傑作は色あせず
白いかもめ&長崎駅

発車を待つ白い翼(長崎)

黒い革張りシートは乗客を待つが…

鳥栖名物・焼売弁当で乾杯
 長崎駅での乗り換え時間は、わずか7分。駅前を行きかう路面電車を見たり、ドームに覆われた駅前広場の雰囲気を感じたりする暇もない。スタンプを押し、駅弁屋をのぞいてみれば、すぐタイムアップ。しかも弁当の類は、すべて売り切れていた。トルコライス弁当、食べたかったな…

 急いで乗り込んだ博多行き特急「かもめ46号」は、白い885系電車での運行。毎日洗浄をかけているというその白い輝きは、登場7年を経た今もって褪せることが無い。車内に入れば、これまた輝きを失わないフローリングの床と、黒い革張りの座席。2000年、ミレニアムエクスプレスのキャッチフレーズとともに誕生した885系は、2000年代も後半に入ってもなお人の心を惹きつける。

 この時間の長崎発上り特急は概ね空いていて、今日も1両に数人というやや寂しい状況で発車した。無聊を慰めてくれるのは、客室乗務員の華やかな雰囲気。以前の「かもめ」はJTFの車内販売員が乗務していたが、同社の撤退によりJR九州の直営となった。JR四国のように車内販売の全廃とならなかったのは幸いだが、「みどり」や「ゆふ」のように、廃止の憂き目にあった列車も少なくない。

 車内販売で鳥栖駅名物の焼売と缶ビールを買い、いい気分で長崎本線を上る。平日なら諫早まで特急通勤の乗客で混むのだろうが、週末とあって車内の人の動きは鈍い。昼間なら有明海の車窓を楽しめる諫早〜肥前山口間は、闇の中だった。

 またこの区間は、九州新幹線西九州ルート開通時の経営分離を巡り、鹿島市と江北町が抵抗を続けていることで話題の地域でもある。新幹線開通の効果は認めるけど、一方で格差を広げる経営分離も難しい問題だ。どうか鹿島・江北は、最後まで国・県に反旗を翻して欲しいと思う。鹿島から乗った乗客は、わずかだったけど…

 佐賀で一旦下車、次の白いかもめが来る1時間、駅付近のスーパー温泉「極楽湯」へと往復した。ここは天然温泉を利用しているのがウリなのだが、塩素臭の強い湯からその個性は感じにくい。もっともスーパー銭湯として考えれば、充分な設備を有していて、快適に利用できる。実は九州内の「極楽湯」はJR九州グループの経営で、ここ佐賀店もJRの職員宿舎跡地に建てられている。その他の九州内各店も駅付近のものが多く、旅行者にも便利だ。JR20周年の、ひとつの成果ともいえるだろう。

 1時間後の「かもめ48号」では、指定席の2号車に乗り込んだ。2枚きっぷ・4枚きっぷの登場で、特に近距離の利用者が増加した佐賀→博多、小倉→博多間(いずれも博多方面のみ)では、指定席も空席は自由席の利用者に開放されているのだ。駅でも案内はなされているのだが、慣れない人が多いのか、概ね最初から指定席を狙った方が座りやすい。

 そしてわざわざ指定席に乗った理由はもう一つ、2号車に設けられたコンセントの存在だ。本来はノートパソコンのために設けられているもので、モバイルが一般的になってきた2000年代の特急を象徴する設備だ。ただ僕がここに座った理由は別で、携帯を充電したいため。今日は夜行泊まりなので、充電しておくタイミングはここしかないのだ。

 さて快調に走っていた「かもめ」だが、よりによって実家近くの中原駅で立ち往生してしまった。なんでも鳥栖駅が「満線状態」とのことで、時間調整を行っているとのこと。この時間に満線とは考えづらく、先行する長崎発の寝台特急「あかつき」と、熊本発「なは」の併結作業が、難航しているのではなかろうか。いずれにせよ綱渡りの乗り継ぎ旅、トラブルは避けたい。

 幸い10分ほどで動き出し、後の走りは快調。スタンプ設置駅の二日市で一旦下車し、後続の「みどり」で博多へと向かった。旅はまだまだ続く。

孤軍奮闘の島内夜行
ドリームにちりん&日向市駅

それなりに始発駅の風格も(博多)

深夜の2時間停車(大分)

木の温もりを感じる高架駅(日向市)
 博多駅では6分の乗換えで、夜行特急「ドリームにちりん」に乗り継ぐ。そんなに混雑はしないだろうとは思ったが、ここでゆっくり寝なくては明日に関わるので、念のため指定券を用紙しておいた。ハイパーサルーンの5両編成で、指定席は1両半用意されているが、半車は女性専用、半車は喫煙車で、およそもっとも一般的な「禁煙指定席」は半車しかない。大分までの「2枚きっぷ」で指定席を利用できることもあり、その狭い指定席は満席の盛況だ。

 博多を発車、一路小倉へ夜中の鹿児島本線を上っていく。夜行列車といえども、車両は昼行と共通。大分までは最終の「ソニック」としての役割を担い、小倉までは通勤特急としても活躍する。特に今日は福岡のライブ帰りの乗客が集中しているようで、女性の比率が高い。夜中の移動ニーズも、間違いなく存在するということだ。僕自身、大分に住んでいた頃は、別府→大分間の最終列車として利用したこともある。

 「ドリームにちりん」は93年3月の改正で、急行「日南」の格上げで登場した夜行特急だ。門司港〜西鹿児島を結んでいた「かいもん」も博多発着に短縮の上、「ドリームつばめ」になった。「かいもん」「日南」は寝台車も連結していて、昼行との共通運用化は、すなわちそれがなくなることを意味し、一つの合理化ではあった。その後、九州新幹線の開業とともに「ドリームつばめ」は熊本までに短縮の上、最終「有明」となったが、「ドリームにちりん」は唯一の九州内夜行として、孤軍奮闘している。

 車内の雰囲気は最終特急だが、僕は夜行列車として乗っているので、さっそく就寝。疲れていたこともあり、小倉での方向転換では目覚めたものの、ぐっすり眠った。

 気が付けば、大分駅に停車中。宮崎に早く着きすぎてしまっては不便なので、ここ大分で長時間停車するのは「日南」時代からの伝統だ。特に宮崎空港線の開業以降は、朝イチの航空機と接続するため大分以南の時刻が繰り下がり、実に2時間弱も停車する。特急どころか、普通列車でもありえない停車時間ではあるが、特殊例の一つだろう。駅前には24時間営業のコンビニがあり、眠れない利用者の無聊を慰めてくれる。

 一方のドリームにちりんの車内は、ずいぶん寂しくなってしまった。大分〜宮崎間の流動はそう多くはなく、福岡〜宮崎間も夜行バスがある。とはいえ需要は0ではないし、大分までの最終列車と、宮崎空港への始発列車を効率的に運用するには、今の運行形態も案外合理的なのかもしれない。外国人用の「JR九州レールパス」利用者には貴重な宿代わり列車にもなっており、この先もこのような運転形態を保って欲しいものだ。

 朝5時半、目覚めてみれば、列車は変わらず闇の中を走っていた。夜行列車に必需品の洗面台は、トイレの中に取り込まれていて、落ち着いた中で洗面、歯磨きを済ませた。このような構造はJR九州の特急では標準的だが、トイレの占有時間が長くなるという欠点も併せ持つ。このあたりは会社の個性が出る部分でもあり、試行錯誤が繰り返されるのだろう。

 スタンプ設置駅の日向市駅で下車。宮崎駅にスタンプがないのに、スタンプ設置駅としては中途半端な位置だとは思うが、2006年末に高架開業したばかりの駅で、見て欲しいとの思いがあるのだろう。

 高架駅の上屋は杉材で作られており、林業県宮崎らしい。駅前から見上げても、ホームの照明によって浮かび上がる構造体が美しい。単調になりがちな高架駅にあって、京都の二条駅と並ぶ、温もりある高架駅といえるだろう。コンコースには殺菌剤が敷いてあり、物々しい。宮崎で発生した鳥インフルエンザ対策によるものだ。

 朝6時前の地方の駅は静かなものだが、駅近くに24時間営業のファミレスがあるのは事前調査済みで、ゆっくりと温まった。ただ駅前に24時間営業のディスカウントショップがあったのは意外で、都市なのか地方なのか分からなくなってきた。

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