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浪漫の季節の韓国へ
2日目 遺伝子的故郷へ

超ローカル線の素顔

 朝7時半、乗り継ぎ駅の朝は早い。旅行客で賑わう、近代的な駅の中で、大邱駅前名物という「鍋うどん」を朝食にした。鍋焼きうどんとは違う感じだが、なかなかいけた。

 今日の目的地は安東(アンドン)で、ここからバスに乗れば2時間もかからないことは分かっているが、急ぐ旅でなし、ちょっと遠回りして列車で行くことにした。それも、1日わずか3往復の列車しか走らないという、超ローカル線・慶北(キョンブク)線だ。

 大邱駅に入ってきた釜山発・栄州(ヨンジュ)行きのムグンファ号は、予想に反してピカピカの新型客車だった。車内も大勢の人で賑わっているが、金泉(キムチョン)まで、あと1時間ほど京釜線を走るので、すべてが慶北線の客というわけではない。

 KTXの「平行在来線」となった京釜線だが、日本でいえば東海道筋にあたる大動脈だけあり、利用者は多い。大邱という大都市もよかったけど、この沿線の名もない地方の町で一晩を過ごすのも悪くなかったかなと思う。

 車内では、顧客満足度のアンケートのため、調査員のおばちゃん達がまめまめしく回っている。それもアンケートを配布するだけではない面談調査で、手間のかかる分、断られる率も高いようだ。僕の所にも回ってきたので、愛する韓国鉄道のためならと快く応じたものの、国外居住者は対象外だとか。まあ、この手の調査ならばそうだろう。

 金泉までには、かなりの乗客が降りてしまった。ここで10分停車し、その間に前の車両には幼稚園児たちが大挙して乗り込んでいる。同じ号車だったら、さぞや騒がしかった…否、賑やかだったことだろう。

 京釜線とKTXの線路から離れ、列車はローカル線へ踏み出した。もちろんロングレール化などなされておらず、スッタタン、スッタタンと小気味よいリズムが車内に響く。速度も上がらず、広大な田園風景を見ながらののんびりした旅だ。

 平行する国道の通行量も少なく、流動の少ない地域なのだろうが、一方で国道の改良工事、それも韓国式に道路そのものを付け替える大規模な4車線化工事が進行中だ。とにかく、道路への投資は惜しまないのが韓国だ。

 ここまでの乗車率は40%といった所で、超ローカル線、それも平日の割にはそこそこ乗っている印象だ。3往復の列車はすべて特急格のムグンファ号で、日本だったら各駅停車が担う地域内輸送はバスが負っていることを考えれば、九州なら豊肥本線や久大本線程度の役割を果たしている路線とも、言えるかもしれない。

 それでも駅ごとに乗客は減る一方。無人駅はなく、どこも立派な駅舎を備えて乗客を待っているが、ホームは砂利のままだったり、もう何年も改修を行ってなかったりのように見え、時代に取り残されつつある感は否めない。

 先ほどのアンケートに、
 「私は鉄道ファンですから」
 と応えていた後ろの席のおじちゃんと話す機会があったのだが、
 「この路線、元々は金泉線といって、なくてはならない路線だったんです。それが、高速道路の開通でこんな状態になってしまって」
 全国を飛び回る仕事のため、鉄道を愛用しているというおじちゃん。不便ながらも、がんばって利用しているようだ。

 終盤には、各車両とも2〜3人という寂しい。悠々と流れる洛東河が、車窓の友になってくれた。




▲大挙乗り込む園児たち


▲乗客も少なくなってきた


▲駅もローカルムード


洛東河とともに
神隠しの街へ

 栄州では乗り換え時間が30分あったので、暇そうにしていた駅前食堂で、「25分の列車に間に合う料理」と言ったら、キムチチゲが出てきた。久々の辛い韓国料理に、むせる。
 「で、列車でどこまで行くのよ」
 「安東まで」
 「アナタ、安東ならバスでしょうよ」
 ごもっとも…

 ソウル・清涼里(チョンニャンニ)からはるばる下ってきたセマウル号、安東行きは、慶北線を上回る閑散ぶり。僕の号車など、僕一人だ。

 安東着。まずは例によって、駅前の観光案内所で情報を仕入れることにした。
 「ところで、この駅にコインロッカーあります?」
 「ないんですよね」
 「そうですか、あの、ここで預かってもらえませんか」
 「…よろしいですけど」
 我ながら、だんだん図々しくなってきた。

 安東での最初の目的地は、民俗博物館&民俗村。バスは1時間に1本あるものの、時間もないので、またもやタクシーの世話になった。黒塗りの大きな車で、最初は模範タクシー(大都市部を走る、料金が高い代わりに明朗会計で高級なタクシー)かと思ったほどだ。そのことを話すと運転士さん、
 「日産と提携して、ティアナのライセンスで作られた車なんですよ、日本の方ならご存知ですよね。日産といえば…」
 と、にわかに快活になった。

 民俗村に着いてみれば、保存展示されている、建物という建物が改修工事中。残念ではあるが、改修中の建物というのもなかなか見られるものではない。伝統建築士の試験を受けている韓国人の知り合いがいるが、このような仕事をしているのかなと思いつつ見入った。

 さらに山を上ったところにあるのがKBSのドラマ撮影場で、古い街並みが完全に再現されている。作り物とはいえ、これだけ揃えばタイムスリップしたような気分になること請け合いだ。

 それはいいのだが、平日とあって見学者は皆無。麓の食堂はそこそこ賑わっているのだが、山の上のセットまで来る人がいないのだ。これだけの建物がありながら人がいないと、はっきり言って怖い。千と千尋の神隠しを思い出す情景だ。スズメバチも飛び回っているし、「神隠し」にあってはかなわないので、まだまだ見足りなったが退散した。

 博物館の方はさらりと見学。安東駅方面へはいい時間のバスがないので、またもやタクシーの世話になる。こんな郊外では流しはおらず、観光案内所に頼んで呼び出してもらった。呼び出し料は1,000ウォンとのこと。

 ものの5分とかからずタクシーはやって来て、運転士も、
 「早かったでしょ?」
 と誇らしげだ。路上にはタクシー待ち顔の老夫婦がいて、同意の上で拾ってあげた。
 「何分まってもタクシー来ないので、困っていました」
 「お客さん(おじいさんのこと)、ここあたりは呼び出さないと来ませんよ」
 「お客さん(僕のこと)、ありがとうございます」
 流しを待たずに呼び出した僕は、韓国人のおじいさんより賢明な判断をしたことになる。

 「ところでお客さん(僕のこと)、韓国の方ではなさそうですね」
 さて困った、同乗者は間違いなく日本統治時代を生きてきた方だ。簡単に日本人と明かして、大丈夫だろうか。しかし中国人といってみた所で不自然だし、正直に明かしてみたら、おばあさんが日本語で話し始めた。なかなか出てこないようだが、発音も言葉もきれいで、自分の祖母と話しているような気分になった。

 よくあることだが、良し悪しではなく、ただただ妙な気分になる瞬間だ。



▲がら空きのセマウル号


▲広大なセット場


▲神隠しにあってしまいそう

魂の故郷

 安東駅前からは、両班の家屋が今に生きる村・河回(ハフェ)マウルへと向かう。行政区域上では安東市内とはいえバスで40分ほどかかり、そのバスも1日数本。やたらタクシーに頼る旅とはいえ、この距離を乗れば韓国でもかなりの値段になる。というわけで、4時発のこのバスはどうしても逃せずに急いでいたのだ。

 小さな安東市内を抜け、バスは郊外の道路を飛ばす。地元の人はだんだんと降りていき、僕と韓国客とおぼしき女性3人組が残った。安東きっての観光地とはいえ、地元の人も観光客も、車が主体のようだ。

 やがて、朝の列車からも見ていた雄大な洛東河が見えてきたかと思うと、村の入口に到着した。バスはこのまま村の中心まで入っていくが、村外の人間はここで入場券を買わなくてはならない。入場料2,000ウォン(約250円)。

 今日はこの村に泊まるのだが、予約などはしていない。村内にはいくらでも民宿があり、観光案内所いわく、
 「好きなだけ回って、気に入った所を選んでください」
 とのこと。この重い荷物を置きたいので、見学は後にして、まずは民宿選びだ。

 民宿を韓国語では「民泊」と書き、韓国固有の瓦屋根や藁葺き屋根を乗せた家屋が、その看板を掲げている。入口に近い所は高かろうと勝手に判断して、村の奥へと入ってみた。

 途中、何軒か気に入った民泊があったが、呼んでみても応答なし。看板に掲げてある電話番号に電話(こんな時に携帯が大活躍だ)してみても、出てくれない。近くの雑貨屋のおばちゃんに聞いてみれば、今日は村内の慰安旅行(よりによって目的地は天安の独立博物館)へ行っている家が多いのだそうだ。留守の家もほとんど開放状態で、それは大らかで結構なことだが、このままじゃ泊まりはぐれかねない。選り好み言っていられないとばかり、バス停に一番近い宿兼食堂「河東古宅(ハドンコテク)」に入った。

 韓国式の古い住宅らしく、中庭を挟んでぐるりと囲む形式で、板の間で食事ができ、そこから扉を入ると客間という構成になっている。一人で食事の客を切り盛りしていたおばさんに尋ねてみれば、テレビ付の広い方が3万5千、なしの狭い方が3万とのこと。この暗い田舎、テレビがなければ暇になるかなと迷っていたら、今日は誰もこないでしょうと広い方を3万ウォン(約4,000円)にしてくれた。築百年を越える古い家、もちろん快適な設備など望むべくもないが、こんな雰囲気のある屋敷で一晩を過ごせるのだから、少々のことは気にしない。ひとまず荷物を置いて、陽のあるうちに村内散策に出かけた。

 夕暮れのオレンジ色の光に包まれた古い家並み、田園、悠々とした川の流れ。コスモス、虫の声、風の音。日帰りの観光客で賑わっているものの、その喧騒を上回る静寂の圧倒感。ここまで急ぎ足の旅だったけど、心がすっと休まっていく。もう国なんてどこだっていい、自分の魂の故郷はここにあるのかと思えるほどの安らぎだ。

 この村の特徴は、全国各地にある「民俗村」と違って、実際に人が住んでいること。そのため、気軽に建物の中をのぞくわけにはいかないが、建物は生きている。市内のKBSセット場で感じた怖さなど感じない。やはり建築たるもの、人が住んでいてこそ、生のあるものなのだと思う。

 村の中心にはご神木があり、銘々が願い事を書いて結べるようになっていた。韓国にも、こんな風習があることを初めて知ったが、その願い事に「独島(竹島の韓国名)は韓国領!」と幼い字で書かれた短冊が一つや二つでないことに、少しへこむ。どんなに願おうとも、神様が存じているのは、真実ただ一つのはずなのだが。



▲伝統的な河東古宅


▲コスモス咲き乱れる沼


▲時が止まったかのような村


▲古宅のお犬様

夢とは

 暗くなり始めたので宿に戻ってみると、主人らしいおじさんがいた。食堂のメニューには、安東名物として塩鯖定食や蒸し鳥などが上げてあるが基本は二人分以上とのことで、一人前でもできる料理はどこでも食べられるようなものばかり。一人旅なんでどうしようもないんです、二人分のお金を出してもいいから塩鯖定食作ってくれませんかと頼めば、
 「一人でお泊りなんですから、お出ししますよ」
 と快く受けてくれた。こんな融通が利くのも、韓国のよさだ。安東といえば焼酎、というわけで、度数が低めの「一品(イルプン)」も一瓶頼んだ。

 秋風に吹かれ、中庭から夜空を眺めながら、塩鯖を口に運ぶ。うまい。韓国らしく、山ほど付くおかずも一つ一つが味わい深く、おじさんはお代わりを何度でも持ってきてくれた。焼酎も進む。
 「おいしいです、たまらなく幸せです」
 「そうでしょう。幸せって、こうした所にあるものなんですよ」
 気分もよくなり、おじさんにも焼酎を勧めてみたが、これから大邱へ車で帰らなくてはならないとのこと。ご主人かと思っていたが、実はおばさんが経営者で、おじさんは兄。時々こうして、手伝いに来ているだけなのだとか。

 あくせくした日常を忘れ、ゆっくりと食事を楽しんでいれば時間は7時半。田舎では食堂が閉まってもおかしくない時間だと思うが、この時間になってもやってくるお客さんがいて、招き入れている。たいしたものだ。

 後でおばさんに聞いてみれば、こんな時間まで食堂をやっている所もそうそう多くはないとのこと。そして、これだけ頑張っているのにも訳があった。近いうちに、もっと規模の大きいドライブインのような食堂をやる計画なのだという。
 「一度なんか、修学旅行の学生百何十人に、昼ごはん出したこともあるんですよ。ええ、前庭にもテーブルを出して。大変だったけど、大きな自信になりました、自分にもこれだけできるんだって。
 で、今安東市内には大型バスで乗り付けられるような食堂はないんです。団体さんや修学旅行生を相手にできる。これは商売のチャンスだと思って…」

 今、僕の実家でやっている家業は、まさにそんな薄利多売の商売。両親は、できればもっとお客さん一人一人の顔が見える商売をやりたいと思っている。そんな両親の息子から見れば、小さいながらも真心で商売のできる今の境遇の方が、よほどうらやましく見える。このゆったりした夜を楽しめなくなるのも、寂しい。

 でも一商人として成功したいというおばさんの気持ちもよく分かり、商人の息子としては新天地での成功を願わずにいられなかった。そしてこの家での商売も、心ある誰かが受け継いでくれればと思う。

 食後、闇の中を散歩に出かけた。韓国の真ん中にあるという位置関係が逆に災いし、国内の観光客は皆日帰りなのだという。おかげで、夕刻の喧騒が嘘のように静かだ。瞬間湯沸かし器のシャワーを浴びてさっぱりした体で、満天の星空を眺めながら、自分の夢にも思い巡らせた。



▲塩さば定食


▲暖かな光を投げかける夜の古家


▲8時を過ぎれば深夜の装い

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